タイ駐在員の春日です。
「いただきます!」
当たり前のように毎日3度口にする言葉、その言葉の本当の意味をどれだけ理解していますか? 理解はしていても、どれだけ心にとめているでしょう。
30日間ボランティアの期間中、必ず一度はまだ命のある生き物をしめます。 このことは、必ずタイ人スタッフと日本人スタッフで「やるべきか、やめるべきか」という論争に発展します。 私は30日ボランティアでは「やるべき」と思い、反対するスタッフをそのたびに説得しています。
今そこで生きている命、その命が絶えていく瞬間を見つめます。 それは決して楽しいものではありません。 むしろ目を背けたくなるものです。
反対するタイ人スタッフは「そんな残酷なところを見せる必要があるのか。罪深いことだ。」といいます。 これは殺生を嫌う仏教的な思想から来ているのだと思います。
今の日本では、こうした瞬間に出会うことはほとんどありません。すでにきれいにパックされたお肉ばかりです。だからこそ、「命」から遠ざかってしまっていると思います。
アカ族の村を訪れてすぐ、村で豚がさばかれました。日本人大学生ボランティアの目の前で、豚が鳴き叫びながら命の火を細めていきます。
こっちも泣きたくなります。
ですが、こうして大切な他の命をいただきながら、私たちは毎日の食事をとっていることに気付くのです。
心から「感謝すること」
この時初めて、「いただきます」の重さに気付くのです。
丁寧に毛を焼き、焼けた後に包丁でこそぐ。そして調理するために、細かく切っていく。
その一連の作業に参加し、そして最後には感謝していただきます。アカ族の村では当たり前の日常です。
私たちは、「かわいそうだから」「怖いから」「汚いから」と、目を背けず、きちんと向き合い学んでいく必要があるのです。