本部・海外事業部の藤井です。
11月18日から27日までミャンマーに出張してきました。
目的は、オイスカ・ミャンマー20周年関連行事の現地対応
並びに日本からの訪問団の対応でした。
今回の20周年行事では、既にこのブログで林広報室長より報告があった通り、
中野良子総裁がアウン・サン・スー・チー国家顧問に面会されるなど、
これまでの20年間のオイスカの取り組みをミャンマー国内でも
高く評価して頂いているのを実感できました。
私の前任地はまさにミャンマーの研修センターで
2006年から2013年までの7年半駐在していたのですが、
現地で改めて20年間のオイスカ・ミャンマーの活動を振り返り、
ここまでの継続と活動の広がりを実感できて私自身も感慨深いものがありました。
ここでは、直接今回の行事とは関係ありませんが、
私自身の視点で、この20年間のオイスカに関係するトピックを
何回かに分けて紹介したいと思います。
今日紹介するのは、この20年間研修センターの活動を支えてくれた地元のワーカーさんです。名前は、ウ・ポ二―という男性。
家が研修センターの目と鼻の先にあり、オイスカが活動を開始した1996年からずっとオイスカで勤務しています。年齢は現在推定60歳で、私の知る限り活動開始時から一貫してセンターで、その活動に関わっている唯一の存在(日本人・ミャンマー人含め)だろうと思います。
当初は新規の研修センター農場の基盤整備工事に始まり、
その後は研修農場の田畑や鶏、豚等の家畜の管理まで
多方面の事業を担当してもらい、
オイスカ活動の発展を20年間見てきた生き証人でもあります。
私が11月19日(木)に訪問した際にも、オイスカの農場で
オイスカ米の農家への販売窓口を担当していました。
その時農場で椅子に座っている彼を撮ったのが今回の写真です。
今回、中野総裁と共に現地を訪問した渡邉理事が1996年に
現地に駐在していた際も彼と共に働いたそうで、
今回も会えるのを楽しみにされていましたが、
不幸にも私が会った翌20日に交通事故でケガをしてしまい、
行事への参加と渡邉さんとの面会が叶いませんでした。
雇用機会の少ない農村地帯に研修センターを設立したことで
新たな雇用が創出されましたが、彼も含めて本当に多くのワーカーさん達が
これまで陰ながらオイスカの活動を支えてくれました。
今回は、普段はあまり知られない彼らの存在を
是非紹介したいと思い書かせてもらいました。
次回は、オイスカ研修OBの言葉を紹介します。