若手中堅研修レポート②
現場はグライ化(土の中が水で飽和して酸欠になっている状態)していて、水色の土になっていました。
グライ化を改善させるために、排水を考えた溝切を行いました。
一通り溝切を終えると、一旦、溜まっていた雨水を流して微調整。
溝が開通すると「おぉ~」と歓声があがりました。
実際に水の流れを見るのと見ないのとでは、達成感が全く違います。
普段とは違う作業で個人的にはいいリフレッシュになりました。
作業後は海岸林チームでミーティングと講義。
本部スタッフ3名より海岸林の運営やオイスカの広報戦略などを
レクチャーしていただき、スタッフ同士で意見を交わしました。
その後、みんなで夜ご飯を終えた帰り道、ふと道路を見るとこんなところにもマツが。
名取のランドマークとして認識されているんだろうな、と思いながら帰路につきました。
四日目は内陸側に植えた広葉樹の毎木調査と、枝払いの続きを行いました。
途中、迷子になってしまい、松林の中を探検しましたが、
樹高3~4mほどの地帯に入ると、下層の枝は枯れあがっており、
今までとは違う松林の顔を見ることができました。
作業を終え、大槻さんがお手伝いしている芋畑で芋ほりをしました。
畑の上から別の場所から持ってきた土を載せているそうですが、
津波で流されたごみが畑の中から出てきて、
こんなところにも爪痕が残っているんだと痛感しました。
その後は吉田部長らに案内していただきながら、
閖上にある伝承館へ行きました。
中にはいろいろな展示が。
震災当時の映像と、震災前の模型は特に印象に残っています。
高校生以来、当時の映像を見ていなかったので、
改めてその凄まじさに衝撃を受けました。
また模型では震災前の街並みを復元していて、家屋一つ一つに名前があり、
畑や海辺には地元の方の思い出が付箋で張られていました。
被災された地元の方々の心中を思うと、
とても切なく、力になりたいと強く思いました。
伝承館で受けた衝撃はずっと忘れないと思います。
若手中堅研修レポート①
皆様、はじめまして!
福岡にあるオイスカ西日本研修センターの飯川です。
浅野主任の記事にも記載されていましたが、今回、若手中堅研修として海岸林再生プロジェクトの活動に
参加させていただきましたので、レポートとして初めて記事を投稿させていただきます!
まずは自己紹介から。
福岡県福岡市生まれで、東日本大震災当時は高校1年生でした。
当日は高校のスポーツ大会が行われていて、夕方の帰りの会で担任の先生から東北で地震と津波が
発生したと伝えられたのをはっきり覚えています。
当時は遠く離れた場所で災害がおきた、くらいにしか思っていなかったような気がします。
それから大学に進学し、建築を専攻。その後、大学院に進学し、土木を専攻。
「生物多様性の保全」をテーマに管理放棄された里山の再生や小学校での環境教育などを行い、
また福岡県内で行われていた松林保全活動にも参加しました。
昨年より当センターで国際協力ボランティアスタッフとしてオイスカでの活動を始めました。
そして今年から正職員として人材育成に取り組んでいます。
昨年、オイスカに所属して、初めて海岸林再生プロジェクトについて知りました。
大学院で松林保全活動を経験していたこともあり、いつか行きたいと思っていたので、
研修に参加できてとてもうれしかったです。
仙台空港到着間際に上空から松林を見ることができました。
これだけの数を一つ一つ植え付けたのか、と広大な松林に圧倒されました。
現場では吉田部長と浅野主任、地元ボランティア大槻さんと松浦さんが松林の中から出迎えてくださいました。
研修初日は調査地まで松の枝払い。
チクチクと松葉に刺されながら掻い潜っていきます。
そんな中でもいろいろな発見がありました。
印象に残っているのは、若木だと幹からも松葉が出ていることです。
今まで見ていた松は背の高い成木だったので全く知りませんでした。
そして枝払いを終えると、中部センタースタッフ2名も合流し、
吉田部長が現場講義をしてくださいました。
それぞれいつ植えたエリアなのか、どのような土質なのか、などなど。
大変興味深い講義でした。
また個人的に「海岸林」というと白砂青松と呼ばれるような公園を思い出してしまい、
名取の海岸林もその一つだと勝手に思っていました。しかし話を聞いてみると、
防災インフラのための松林だから、今のところ公園としての機能を考えていないとのこと。
確かに公園として整備するのであれば、人が通るため、また林内を明るくするためにもっと間伐しなければならず、
そうなると津波を防止する機能がある程度落ちてしまいます。
また公園となると松葉搔きをしなければならず、これがまた手間がかかる管理作業になります。
防災インフラとしてであれば、鬱蒼とならない程度で林内を管理できればよいはずなので、
管理作業を省力化できます。目的に応じた手入れが必要になることを改めて実感しました。
こんにちは、たびたび浅野です。
この前、モニタリングの際のチクチク対策について書きました。
チクチクには各自しっかりと注意してもらいたいのですが、もう一つ注意しなければいけないものがあります!
それは…

分かりますかね…?前にも書いたことがあるのですが、アレチヌスビトハギです。
今回、モニタリングの調査プロットのいくつかにこれが大量に生えているのです…。
道づくりをしていたら、いつの間にかあちらこちらに。
気づいたときには時すでに遅し…というか、諦めて入っていかないとモニタリングが終わらないのです…。
ということで、諦めて作業をして作業道に戻ると、

近づいてみると…


上から下までびっしりと。髪にまでつかなくていいのに…。
手伝いに来てくださったボランティアさんからは「あちゃーばかだ」「ばかだらけだねぇ」と言われました
アレチヌスビトハギ(だけではなく、他のくっつき虫も?)は、名取で【ばか】と呼ばれているのです。
調べてみても由来などは分かりませんでしたが、全国的に【ばか】と呼ぶところは多いそうです。
今回は4日間の出張でしたが、毎日誰かしらに【ばか】がくっついていました。
(私には毎日大量についてました笑)
気を付けようがないと思いますが、モニタリングに参加される方はお気をつけて…。
何番プロットか伝えると誰もやってくれなくなってしまうので、そこはお楽しみということで。笑
普段は研修課で技能実習の担当をしております。
今回、10月22日(金)~25日(月)
海岸林再生プロジェクトの研修に行かせていただきました。
私は今回初めて海岸林ボランティアに参加しました。
セントレアから仙台空港まで、飛行機で向かったのですが、仙台空港到着前に、
飛行機からずらーーっと海岸沿いに広がる松に感動しました。
1日目は本部吉田部長より現場の案内
どのようにプロジェクトを進めてきたかなど熱くご説明いただきました
空中から見た海岸林の広さにも唖然としましたが、
車で現場を案内してもらい、どこまでも広がる海岸林に改めて驚きました。
2日目はUAゼンセンの皆さんと作業をしました。
UAゼンセン様は毎年プロジェクトに寄付をしてくださり、
ボランティアにも毎年来てくださっているそうです。
津波が来ても流されない強い松を作るため
松が根を深くまでしっかり張れるように盛土をしています。
いろんな山から土を持ってきているので、
土の成分が違い、中には水はけが悪い土があります。
松は乾燥には強いですが、湿気に弱く
今回作業するエリアの松は他のエリアの松に比べ成長が著しく遅いのです。
私たちは水がスムーズに流れるように、溝切の作業を行いました。


みんなで声を掛け合いながら和気あいあいと楽しく作業を進めました。
溝も深くなり、形がみえてきました。
水がスムーズに流れるように溝の深さを調整しています。

完成!見えますか!?溝を作って数十分で土から水が染み出してきました。
写真を撮り忘れてしまいましたが、翌日には溝に水がたっぷりでした。
この溝切の成果が見れるのは、2年後くらいだそうです。
2年後の松の姿を見るのが楽しみです‼
松がすくすく成長してくれることを願います。

作業終盤、虹が出てきました。
写真の左側は傾斜になっており、水はけがいいので、元気に育っています。
一方、右側の松は左から流れてきた水に加え、土の水はけが悪く、
松の背丈がずいぶん低いです。
同じ日に植えた松には見えません。
最終日は広葉樹のモニタリングを行いました。

生い茂っている草をかき分け
広葉樹がどれだけ成長しているか高さや太さを調査します。

今回初めて参加し、海岸林の広さに驚きましたが、
ボランティアに来てくださる方々、寄付をしてくださる方々、
他にも沢山の方々の思いが一つになり、
多くの方に支えられてこのプロジェクトができていることに感動しました。
この松の木すくすくと成長していつまでも人々を見守り続けられるよう願っています。
プロットまでの道づくり
こんにちは、浅野です。
先日のブログで書いたプロットまでの道づくり…
モニタリングをしたことがある方は分かると思いますが、大きくなったマツの間に入っていくのは一苦労。
ありがたいことなのですが、枝がしっかりしていて通りにくいし、なんと言ってもチクチクが…
今回の作業、プロットまでの道づくりと言ってもやたらめったら切るわけにはいきません。
ちゃんとプロットまでの最短・安全なルートで道を作らなければなりません。
ということで、行きはチクチクの中をなんとかして通り、プロットまでたどり着いたら
モニタリングがしやすいように枝を切り、通るのに邪魔な防風垣を破壊し…笑
帰りは通行の妨げになる枝を切りながら、目印(オレンジテープ)をつけ作業道まで戻りました。
自分の通る道の枝を落としながら戻ったので、帰りはすごく楽でした。
「行きはよいよい帰りは怖い」の逆で「行きは怖い帰りはよいよい」ですね。(語呂が悪い…)
成長が良く、見つけるのが難しいプロットは29プロット中12プロット。
地元ボランティアリピーターの皆さんに手伝ってもらい、無事完了しました。
11月6日と13日に参加予定のボランティアリピーターの皆さん!!
今までよりだいぶ楽に、スムーズにモニタリングができると思いますが、
枝の切り口に引っかかったり、マツに攻撃されたりすることもあるので、
いつも通りのチクチク対策をしてきてください!
こんにちは、浅野です。
3ヶ月ぶりに名取に行ってきました!
今回はUAゼンセンの皆さんと高松北高校の皆さんの受入れに合わせて、
オイスカ各センターの若手中堅研修を行うとのことで10月21日~25日までとちょっと長めの出張でした。
前日から「なんか元気だね!」「目がキラキラしてる~」などといろいろな人に言われました。
「そりゃあ、久しぶりの名取ですから!!」・・・とても分かりやすかったみたいです。笑
今回のスケジュールはこんな感じでした。
21日の午後に吉田、林、浅野の3人で出発。
・・・今回は現地での人数が多いので、10人乗りのハイエースで移動。
22日はプロットまでの道づくり(枝払い)
・・・午後から各センターのスタッフが到着し、合流しました。
23日はUAゼンセンの皆さんと溝切り
・・・今年、最初で最後のUAゼンセン受入れでした。来年こそは全部できることを祈ってます。
24日は午前:22日の続き 午後:高松北高校の皆さんと溝切り
・・・去年に引き続き2回目の高松北高校の皆さん。しっかりと作業の時間を取ってくれました。
25日は午前中に広葉樹の調査と大槻さんの畑の芋ほりをして解散。
すでに宮城のインターンの畑くんがブログを書いてくれていますが、
センターのスタッフからブログが届き次第、掲載していきたいと思います!
多湿地帯の改善 ~2018年から本格化した排水路づくりの進捗~
吉田です。今日は排水路整備(我々の造語は「溝切り」)を大まかに振り返ります。
協定面積103.05ha、植栽実面積72.46ha(約37万本)のうち、改善が必要な多湿地帯は少なくとも約28ha(植栽地全体の約40%)。これは人工盛土の難しさなので仕方ないことと受け止めていますし、研究も進められています。コロナ禍があったとはいえ4年かけて、わずかでも応急処置をしたのは25ha。未着手は3ha。これまでボランティアの力により、天端1m×底50㎝×深70㎝の「LLサイズ溝」だけで2,750mを掘りました。すべてボランティアだけでという訳ではなく、国・県・市も課題を共有し、ともに解決に当たってくださりました。とくに全長1km×底幅4m×深1.5mの作業道兼遊水地を2本、多湿が著しい名取市海岸林に設けてくださったのは大きかったと思います。
先週末も、長年の懸案の場所にボランティアを投入。
次の日は、香川県立高松北高校の生徒さんたちが、同じ場所の続きを。いつもこういうリレー方式で課題解決します。
この2日で120m×20m(クロマツ1200本分)が大幅に改善に向かいました。あと2回ぐらい作業が続きますが。
そもそも、「海岸林造成の基本インフラで重要な3点セットとは、1.防風垣、2.作業道、3.排水溝」と教えてくださったのは、えりも岬海岸林でひだか南森林組合の木村徳美参事。2013年8月に、松島森林総合の佐々木勝義さん、宮城中央森林組合の佐々木秀義さんと3人で勉強に行っていました。ですので、多湿状況への危機感、そしてその対策としての溝切り作業実行に移るのは誰よりも早かったと思います。
2014年の植栽開始以降、まずは下草刈りを最優先させ、溝切りは余力がある時のみとしてきました。すでに木が植えられているので当然重機を入れることはできません。ボランティアの力で応急処置を繰り返し、少しずつ卒業に近づけるというイメージです。

2015年植栽地の中央部。この頃の溝はSサイズだったが、この場所は1回のこの日の作業だけでやり直しナシ。後々、溝サイズが大型化・多様化するなど、考えてもいなかった。映っているのは海岸林担当職員の鈴木和代ご一家。撮影:2015年8月25日
しかし、名取市海岸林の北半分、2016年植栽以降は、完成した盛土とその後の滞水状況が格段に悪くなりました。我々は、「ここでは、降った雨の8割は林外に排水させたい。蒸発は1割、浸透は1割程度しか期待できない」と考えました。2018年、本格的にボランティアの仕事に取り入れ、溝のサイズも大型化・多様化。剣スコップも80本以上買いました。コロナ禍前の2018・2019年で応急処置を大幅に前進させました。

排水口その2 施工後3か月たっても崩れることなく、3.81ha分の排水口の役目を完全に果たしている。同じものをあと3つ作ると、2021年10月23・24日の仕事とつながる。海側から撮影:2021年10月15日
来年3月、森林立地学会のオンライン講演会があり、このような改善の歩みを報告してほしいと依頼いただきました。これまで、森林の専門誌への寄稿(ex.「森林技術」2020年3月号)や、日本森林学会シンポジウムなどで現場の考えをお伝えする機会はたくさんいただいてまいりましたが、写真やデータで比較できるように整理しようと思ってます。支援者やボランティアの方にも見てもらいたいです。
10月24日(日)のボランティアの様子
皆さまこんにちは、インターン生の畑誠斗です。
今回は10月24日、日曜日に名取で行った活動を報告したいと思います。
この1週間前の10月16日の活動は、雨のため午前のみ、見学のみという形になってしまいましたが、
今まで足を運んだ事のなかった岩沼にある海岸林を見学することが出来たりしました。
さて、本題の24日の活動はというと、午前と午後で活動内容が大きく異なり、
午前は来月行う調査のための枝切り、午後は香川県からきた高校生と共に溝切りを行いました。
午前、私は大槻さんと共に2015年植栽地の調査区域を探し、調査で使う通路を作るため、枝切りを行いました。
この区域ではほぼ全ての松が元気よく育っており、松をかき分け、枝を切り落としても
なお松が体中に刺さってきました(笑) ここで重要になるのが、怪我をせずに活動しきる事であります。
そのためこの日はボランティア全員が保護めがねを付けての作業となりました。
そして午後には高校生たちと溝切りを行いました。
以前の私もそうでしたが、高校生達はシャベルの持ち方、使い方に馴染みがなく余計な力を使ってしまっていました。
そこで実演して見せたり、少し声かけを行うと、「あ、さっきより楽になった!」などの声が聞こえてきました。
作業を行うに当たり、ただ作業するだけではなく、吉田さんがいつも言う様に、「なぜこの溝切りが必要なのか」
「溝切りによって何が変わるのか」という活動の意義をしっかりと伝える事を意識しました。
また、高校生と話をしていると震災当時彼らは5,6歳であり、場所も香川という事であまり体験としての記憶が
ないそうでした。そのため、今回の様なオイスカと高校の繋がりによって若い世代が震災について学ぶ機会を与え、
また肌で触れる事が出来るとても貴重な時間であるなと感じました。
活動終了後、高校の校長先生とお話しさせて頂いた際、物腰が柔らかく、面白く、とても親しみやすい方でした。
そして生徒を香川から宮城まで連れてくる行動力もある方なのだと感じました。11月より教育実習に行く自分自身が
お手本にしたいと思える方と接する機会を持つ事ができ、自分としても貴重な時間でありました。
また来月からは、各プロットでの松の成長具合、高さや茎の太さを調査する時期となります。
広葉樹のいま ~毎木調査しました~
吉田です。本当は落葉する前の9月中にしたかった調査ですが、緊急事態宣言が空けるのを待ったため、いつもより遅くなってしまいました。とくに①は、落葉を枯損と判断したかもしれません。また、来年初夏に新葉が出たあと、また見てみます。
これまでの経過は、
1.HP「活動報告」内、「モニタリング報告」 2.HP「ブログ」内カテゴリー「広葉樹」
【2016年広葉樹最終植栽後の生育状況】調査日:2021年10月17・25日
①名取1区国有林最西の全長500m・山砂メイン:2016年10月成立本数462本
⇒2021年6月生育本数344本(5年後生育率:74%)⇒2021年10月生育本数231本(生育率50%)
生育していると言っても、半数は膝下程度の高さ程度と言っても良い。これまでの経過から考えても、5年後生育率50%という数字は納得できるし、さらに減るのは目に見えている。10年後生育率は20%を下回るのだろうと思いました。

①国有林にて。コナラ、ケヤキ、大島桜、ウワミズザクラ、山桜で90%。コナラの生育率が高い。残りはクリ、エノキ、タブノキ、スダジイ、アカガシ。常緑樹は、相変わらず生長が見られない。実生で育ったハンノキ3本を確認。
②名取9区市有林最西の全長150m・粘土メイン:2016年10月の成立本数237本
⇒2021年6月の生育本数193本(5年後生育率:81%)⇒2021年10月生育本数193本(生育率81%)
①と同様、毎年施肥し、下刈し、虫がつけば消毒し、葛を刈り、去年から冬に枝を剪定。調査対象50本の平均樹高は178.5㎝。落葉樹の母樹林形成は見えてきたし、一部を除いて、ここは下草刈り卒業と言ってよいかもしれません。(施肥はとうの昔に卒業)葛の侵入を食い止めるだけです。(それが大変なのですが)
とにかく、海沿いに広葉樹を植えるというのは、常識的には非常に難しいのです。。
解体 ~再生の会 鈴木英二会長の旧ご自宅~
吉田です。掲載が遅れてしまったのですが・・・・
10月上旬、英二先生の旧宅にユンボが置かれていたので、まもなく解体が始まると思っていました。10月15日の昼前、巡視に出てみると作業が始まっていました。午後、お目にかかったのですが、次に向かって気持ちを切り替えられた様子でした。週明けにはすでに足場櫓も取り外され解体は終了し、基礎部分だけが残っています。
空港東にすでに整備され、いつも親子連れで賑わっている「北釜防災公園」に、集落の名前が残りました。これはとても良かったと思ってます。この冬、震災のメモリアルボードや慰霊碑などの小路も整備されると聞いています。集落の跡地は、一部が海岸防災林になりましたが、鉄道会社系列の建設会社の研修センター(建設中)や、ホテルなどの計画もあるようです。
河北新報 2021年10月16日「あれから10年半、津波で全壊の自宅を解体「震災伝承の役目終えた」」
河北新報 2021年3月14日「「あの日から」第10部 軌跡(12)名取・鈴木英二さん 被災家屋で津波伝える」










































