こんにちは
かなり久しぶりのブログです(^^;
3月28日から30日まで宮城に行ってきました。
いちばんの目的は、「北釜地区震災メモリアルゾーン完成披露記念式典」への出席でしたが、
年に1~2回しか宮城に行かない私にとっては、植栽地見学をして、頭の中の植栽地をアップデートすることも重要な目的。
見学をしたこの日は、この季節にしてはとー---っても寒く、気温8度、冷たい風。
さくら満開の東京から向かったため、まさか真冬のダウンは持参せず、春先の恰好だったのも寒さを強く感じる原因。

寒すぎて、何かをゆっくり感じ取る余裕はなかったのですが、
少しだけ感じたことを・・・

閖上の植栽地に隣接して建つサイクルスポーツセンターの屋上から、植栽地を一望。
区画によって成長がいい悪いがはっきりしているなぁ
寒すぎて、植栽地についての感想は以上(-_-;)
何より、この寒い中、自転車を楽しむ親子が10組ほど、スケートボード場にも15人ほどの若者の姿、フットサルコートも同じくらいの人がそれぞれ楽しんでいました。
クロマツ林が将来にわたって受け継がれていくためには、
浜辺の賑わいを取り戻すこと、関心を持ってもらうことがとても大事と、
プロジェクトでも繰り返し伝えています。
スポーツを楽しんでいる人たちには、クロマツなど目に入っていないかもしれません。
でも、浜辺に集っているということだけでも嬉しく思いました。

手前はおもしろ自転車ひろば、奥がスケートボード上、いちばん奥がフットサルコート。残念ながら、写真からは寒さは伝わってきませんね(-“-)

2019年に、子どもたち、ico.さん、大槻さんと一緒に植えたクロマツが、元気に成長していました(^^♪
この苗木、2017年に種をまき、東京の事務所の一画で育てたもの。
植えた場所はいちばん内陸側で、200メートルの幅に植えられたクロマツに守られている場所なので、好条件とはいえ、元気に育っていることに安心しました。

2019年4月にイラストレーターのico.さんと一緒に、東京本部の敷地内で育てた苗木を植えました 
3年たって50cmほどに成長していました(2022年3月29日)

そして、2014年に家族で溝切り作業をした場所は、こんなに大きく成長していました。
子どもたちも大きくなりましたが、クロマツはそれ以上。
2014年の頃は、まだ溝切り作業は試験的だったので、子どもたちは泥んこ遊びの延長、私は思うがままに掘っていました。
小雨の中、しんどかったなぁという思い出です。
そんな作業でも、やるとやらないとでは大きな違い。
立派に成長していて、これまた安心しました。

2014年8月 溝切りというより泥んこ遊び
2022年3月 泥んこ遊びをしていた場所のクロマツも子ども達もこんなに大きくなりました

本数調整伐を実施した場所を少し見学しました。
切り株を見るに、15センチはあるだろうな・・・ちょっともったいないなぁという気持ち半分、いやいや、自ら犠牲になって他の木の成長を促す。これは美しい利他の精神の物語ではないか!と妄想。
地面すれすれに伐られていて、ぱっと見では切り株の場所がわからないほど。
1列伐り、2列残すという機械的な作業で、伐ったところは作業道となるため、後の作業の邪魔にならないようにとの配慮ですが、仕事とはいえ、作業をした森林組合の方の細やかな配慮がうかがえました。
それにしても、本当に伐っちゃったんだなぁ というのが一番の印象。
残ったクロマツたちが、伐られたクロマツの分まで大きく育ちますように!

 

 吉田です。

 仙台空港の真東の海に至る道沿いは、きれいに整地されました。ここに「北釜」という集落があったとはとても思えません。一部はJR系の建設会社の研修施設になると聞いていますし、仙台空港の24時間化を見据え、ホテル建設の話もあるようです。

 「北釜」は500年前に遡る歴史があり、ながく、ワタリガニ漁や「釜」の文字が示す通りの塩田で生計を立てていたそうです。東日本大震災当時は約400名、100世帯が住み、うち3分の2の人は海岸林に沿った農地の1,000棟のビニールハウス群などで、小松菜、チンゲンサイなど軟弱野菜を中心とする農業生産に従事し、年商2.5億円を生み出す一大農地を形成していました。しかし、チンゲンサイは仙台市場の8割シェアだったものの、震災で市場を奪われ、いまは小松菜中心と聞いています。

 オイスカ会員や支援者にとっては、ここに名取市海岸林再生の会の鈴木英二会長の旧宅があったことをご存じだと思います。その鈴木会長は、北釜の人の営みを永遠に伝承する場を求め、2021年に元住民の方たちと「ふるさと北釜を残す会」を立ち上げ、名取市と協議を重ねてきました。集落の北西端に北釜防災公園ができ、週末には駐車場が満車になるほど子供連れでにぎわうようになりました。大きな遊具の位置には、再生の会の櫻井勝征さんのご自宅がありました。そして、この公園と隣り合う下増田神社内の消防団3名の慰霊碑を結ぶ遊歩道と、集落の歴史と四季の様子などが記された説明看板の設置が決まり、市と鈴木会長をはじめとする皆様のご配慮で、海岸林再生の説明看板も加えていただくことになりました。

 この話をいただいたとき、正直なところ、とても驚き、嬉しく思いました。ここを訪れた方たちに、「なぜ海岸林が必要なのか」知っていただくという、非常に重要な啓発普及の機会を得たのですから。看板の説明は、迷わず名取市閖上出身のイラストレーターicoさんの絵を中心に据えました。

 そして3月30日、市と残す会主催の完成披露記念式典にオイスカは来賓としてご招待いただき、中野理事長の代理で鈴木和代さんとともに出席しました。市にicoさんの招待もお願いし、快諾いただきました。出席者は市長、議長を始め約70名。報道各社がこぞって取材に来ていました。書籍「松がつなぐあした」にも登場する90歳の女性や、再生の会の方たちなどよく知った方たち、海岸林ボランティアの方も数名。式典は2部構成で、第1部は下増田神社の神式で祭典が行われ、ここで亡くなられた54名の方たちに黙祷を捧げ、第2部は看板8枚などの除幕式、記念植樹、市長や議長、守る会の鈴木会長のご挨拶があり、それぞれ皆さんから海岸林再生やオイスカについても触れてくださりました。

 今年は、企業・労組などのボランティア来訪も増える気配ですが、出来るだけこの場所にお連れしたいと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=b-Zjy7s2yCk
FNN

 

 

 吉田です。「東日本大震災よりも揺れた」と福島の人が言うほどの、3月16日夜半の揺れ。翌17日、20日は、東京-名取を東京の大学生たちと車で往復。福島の最北東、新地町では、道はデコボコ、真っ二つになった道路まであり、多くの家々の屋根瓦が破損。自衛隊が給水作業をしていました。30日には再度往復し、相馬市を通りましたが、民宿や旅館は営業停止、松川浦の絶景道路は通行止め、入江沿いの集落前の堤防は海に崩れ、歩道橋の崩落までありました。2011年3月、2021年2月に続く3度目の大きな被災に、言葉を失った次第です。

 2022年公募ボランティア初日には、宮城、山形、東京、千葉、神奈川の大学生で賑わいました。開幕戦から幸先がいい。前日、広島県支部の事務局長さんとオイスカ顧問の畝川さん(中国電力)と若い従業員さんら4人と、東京本部元インターンの女子大学生、大槻さんも合流。大学生たちは、「雨でも力仕事したい」と言うので排水口2つを託したら、大槻さんの指導もあって半日で完成。雨でひどく寒いのによく頑張ってくれました。夜はジンギスカンを堪能。

 この日は、大阪のUSJ従業員さん5人、IBEXエアラインズの5人、それに中国電力、海岸林リピーターズ、大学生たち35名。本数調整伐実施後の見学を織り交ぜながらも、なんだかんだと終日、いつもの「溝切り」を。2018年に植栽した3.81haの大きな多湿地帯を手掛け始めて3年。まだ終わりが見えたとは言えませんが、よくもここまで進んだなあと。この日は35人で、0.3ha、1,500本が直接的に改善されたと思います。気づけば、排水口が6つも増えました。

 SOMPO環境財団支援の学生インターン3名が(オイスカ本部2人、名取1人)、「8ヵ月間の総まとめオンライン報告会を現場からLIVE配信したい」と言ってくれたので、学生の参加者は、昼過ぎから1時間は現場に出ず、聴講してもらいました。宮城、東京と離れていて、オンラインでしか会ったことのない者同士が進んで企画をしてくれたこと、初めてのボランティアで出会った学生たちが、ここで縁が出来て再会を誓っていること、突っ走って、大人にブレーキかけられるイキの良さも含め、若い衆だけでなく、みんなにいろいろな刺激があったと思います。4ヵ月ぶりのボランティアとの実戦は、われわれも感覚が戻ってなく、反省点もありましたが、いい開幕戦ではあったと思います。

 cf. 東京本部で書き終えた途端、また揺れました・・・

 

吉田俊通の甥の吉田寛人です。今回はボランティア活動に初めて挑戦させて頂きました。貴重な体験ができたこと、たくさんの人に支えてくださったこと感謝します。

 叔父の仕事はなんとなく知っていましたが、実際に現場に行き、話を聞くことでオイスカの活動、叔父の仕事がとても素晴らしいことだと理解できました。17日にオイスカの現場ではない福島県の海岸林を見て、18日にはオイスカの海岸林を見ることで、オイスカがどれほどクロマツや現地の環境を勉強して最善を尽くしているかがわかりました。また、大槻さんなどオイスカの活動を外から支えてる人の話を聞いて、オイスカと叔父が周りの人からも尊敬されていることがわかりました。

 18日は主につるはしを使い排水口を作る作業でした。最初は大きな石がゴロゴロしていて掘りにくかったですが、大槻さんの教えもあり予定以上の成果を出せたと思います。コツを掴むと寒さを忘れるぐらい早く仕事を進めることができました。

 19日も溝切り、排水口を作りました。天気がよくて気持ちよく仕事ができました。午後は豊田さん、小宮さん、畑さんの「インターン成果発表オンライン報告会」を聞き、同世代の方から刺激を貰うことができました。

 僕個人としては普段からダラケた生活をしていて、同じような空間で同じような友達と過ごすことしかせず、刺激のない日常を送っていました。正月に叔父から今回の話を聞き、なにかチャレンジしないといけないと思って、ボランティアに参加すると決めました。初めてのことが多くとても緊張していましたが、みなさんの優しさもあり、すぐに慣れることができました。

 今回のボランティアでは多くの人と接することができました。特に年の離れた方々とはこのような機会がないと絶対に関わることができなかったですし、自分の何倍も生きている方のお話を聞くことができたのはとても貴重な体験になったと思っています。

 、また、同年代の先輩方にもお世話になりました。同年代の意識の高さを感じることができて、先輩としてリードしてくれる優しさにも触れることができました。ボランティア活動中に率先して動く先輩方を見て僕もこうならなきゃいけないと感じました。18日に19歳になった僕を祝ってくださったり、最後にはまたボランティアに来て会おうと約束できたことをとても嬉しく思います。コロナもあり人と関わる機会が少なく、周りの人から刺激を受けることもなかった僕が今回のボランティアを通じて得ることができた物はとても大きな物だと確信しています。ただ、これだけで満足せず、この経験を次に活かしていこうと思います。貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました

 吉田です。明日は大学生3人を乗せて、車で宮城に向かいます。雨・風・雪できっと寒いと思いますが、週末のボランティアは初めて会う若い衆が多そうで、なんだか楽しみです。

 技術面をおおまかに理解しようとする方も増えてきました。とくに地元宮城に。こういう人たちの存在は本当に大事なのです。「超おおまか」って大事だと思います。

 海岸林再生を旅のようなものと例えるならば、①は「旅のマニュアル」みたいなものです。この先、どんななが~い旅行になるのか書いてあります。②は「旅のみどころ」といったところでしょうか。③は「旅の最大の注意点」。それぞれ、私がよく知る、心熱い実践派専門家がコンパクトにまとめた、湯気が立っている最新情報です。どれも2022年3月に仕上がったものばかり。③は今日いただきました。

 さら~っと読んでいただくだけで、とっても嬉しいです。よかったら、ぜひ。

 ①「旅のマニュアル」 ~海岸防災林保育管理の手引き(宮城県)

  

 ②「旅のみどころ」 ~3月26日海岸林シンポジウム講演要旨(森林立地学会)~

3月26日(土)海岸林オンラインシンポジウム詳細・申込(参加費無料)は下記。私も登壇します。

 https://shinrin-ritchi.jp/symposium2022/

 ③「旅の最大の注意点」 ~「マツ材線虫にどう対処するか」(森林総研)

3月19日(ボランティアの日)予告

2022年3月14日( カテゴリー: 本部発 )

 吉田です。8日間福岡のオイスカ西日本研修センターに行って、畑に詰めていました。

 3月19日(土)ボランティアの日が迫ってきました。開幕戦はやはり毎年ドキドキします。今回は若い人たちが、なぜか、どういう訳か、とても多い。半数は20歳代の若い人では??宮城だけでなく、首都圏だけでなく、広島、山形からも。嬉しいです。西日本研修センターの豊田副所長の長男、私の甥っ子も。

 若干、傘マークありますね。しかも、まだ寒いです。「蔵王おろし」の寒風・乾風・突風の時期ですし。みなさん、動きやすく、温かい服装で来てくださいね。風が強くなったら、本数調整伐した林内を見に行きましょう。外との違いが判ります。

 オイスカには、かれこれ20年近く??SOMPO環境財団(旧損保ジャパン環境財団)のインターン生が来てくれています。東京本部2名、中部日本研修センター(愛知県豊田市)2名、そして名取事務所には毎年1名でこれまで4人。今回は3代目の森さん、4代目の畑君が来ます。東京からは2020-21年度のうち3人。その彼らが、13:30~14:30にオンライン企画をします。午前中は準備もしなければならないでしょう。せっかくの機会ですから、「希望者」はその時間を昼休みにして参加してほしいと思っています。また、本数調整伐の完了直後です。10.13ha、16,887本を伐採しました。それも案内・説明します。

 ガテン系の仕事は、名取市サイクルセンター東側の排水口2つを貫通させます。ユンボは使えないので、「つるはし」使います。ソフト系の仕事は、排水溝の「草抜き」とスコップで補修。今回で終わるわけはないほど、来年も再来年も、いくらでもある仕事です。もちろん、排水溝の新設も(今回は考えてませんが)。

 うっかり、お伝えするのを忘れていましたが、3月2日に時事通信社が記事を配信しました。

https://sp.m.jiji.com/article/show/2714024

「30年先へ、育む防災林 東日本大震災で消失 維持管理、周知に課題」

排水口のサンプルです。とくに男子は頑張りましょう。1ヵ所10人ぐらいで交互につるはし使って。

 

 吉田です。6年ぶり3回目の福岡。3月7日~13日、オイスカ国内研修センターの農業研修担当者の研修会があり、前乗りの後帰りで、毎日存分に圃場に出させてもらいました。

 前2回は福岡市西区姪浜の「生の松原」から西に点々と続く海岸林を、佐賀の「虹の松原」まで。今回は、東方面に点々と続く海岸林の一番手前に行って見ようと。移動日の日曜2回、各3時間を使って駆け足で。

 3月7日、福岡空港⇒博多⇒松本清張の「点と線」の舞台の一つ「香椎」駅を経て、無人駅の「奈多」で電車を降りました。掘らない限りここが砂丘ということはわからない「山」が目前に見えます。その坂道を一気に登ります。標高は4,50mはあるのでは??振り返ると、博多湾をはさんですぐ向こうに福岡市街地が見えます。海の中道に向かう国道沿いには、林野庁福岡森林管理署の「山火事注意」の横断幕が。人の手で植えたクロマツ国有林(防風保安林)だということがわかります。獣道のような細道を見つけて、林内を進むと、広葉樹が少なくなり、クロマツばかりになり、すぐ海にたどり着きます。ですがそこは玄界灘の浸食を受け続けている「断崖絶壁」。玄界灘の荒々しさ。博多湾と沿岸にすむ人を守っているのはこの砂丘と国有林だということがわかります。研修センターの若い衆と「資さんうどん」に行く約束があるので、電車に乗り遅れないよう手短に駅に戻りました。と言いながら、戻る道は未舗装の林内作業道を見つけたので、存分に満喫できました。

 3月13日、空路福岡を発つ前にもう一度、今回は「奈多」駅から2駅先の「海の中道」まで車窓から動画に収めました。線路は飛砂の影響を受けています。コンクリート壁で砂を止めていますが、越えて来ています。車内はカップル、家族連れが大半。この電車の中に、ECO-DRR、クロマツを見に来ている人は間違いなくボクだけ。国営「海の中道海浜公園」に入り、自転車道をレンタサイクルで。樹齢も若く、樹高も低いので、自転車に乗っていても360度見渡せる感じです。クロマツ林内の何㎞もの自転車周回道は名取だけではなかった!!国営公園内ですから、国土交通省が所管してクロマツも育てているはずです。自然の脅威と隣り合わせの場所を国や県が敢えて公園化しながら、予算も人材も投じて責任を持って守る手法は全国各地で見られますが、非常に合理的な手法だと思います。こちらは大きな土堤、海浜植物による飛砂防止策、堆砂垣、静砂垣を使いながら現在進行形で、海沿い最前線までクロマツ砂防林を育てています。防潮堤のないこういう場所と名取を比べると、東北が温室育ちにすら感じます。活着率は50%には到底達しない、厳しい世界かもしれません。生きているクロマツが奇跡のように思いました。

雁ノ巣砂丘。中央下や波打ち際に小さく人の姿があるのがわかりますか?クロマツも人が植えた形跡があります。朽ち果てた静砂垣が林内にあります。
写真中央の先に雁ノ巣砂丘があります。サイクリング道の折り返し点より
幹が地面に平行に育ったクロマツの古木。線路の横で撮影。昔、線路の横が海岸林最前列だったころ植えたのかもしれません

 

 

「ハイタカ」って知ってます?

2022年3月12日( カテゴリー: いきもの )

 吉田です。林野庁の「名取地区生物多様性配慮ゾーンにおける環境調査」(2013年~2019年)の、2019年調査では、猛禽類9種類の猛禽類が確認されています。もっともよく見るのがトビ。続いてハヤブサ、ノスリ、チュウヒ、ハイイロチュウヒ、チョウゲンボウ、コチョウゲンボウ、ミサゴ。このほか野鳥の専門家の三浦さんもオオタカ、トラフヅク、コミミヅクを確認しています。それに加えて、12種類目のハイタカを今回確認したことになります。

 海岸林の防潮堤沿いの静砂垣のすぐ上を、低く飛んで、停まってを繰り返して。海岸林中央のT字路付近で見つけ、大きな写真は北釜ゲート近くまで車で2㎞追いかけ、やっと撮影成功。「三浦さんにちゃんと聞いた方がいい」と浅野さんから正しいご指摘。

 例によってメールしてみたら、三浦さんから以下の返事をいただきました。

 写真の鳥について、ぱっと見、オオタカ♂だと思いましたが、紛らわしいのが仲間にいるので気になり、鳥の師匠に確認してもらいました。結果オオタカではなくてハイタカ若い♀です、細かいですが、詳しい識別内容をそのままコピーしましたので見て下さい。 『写真を拝見しました。ハイタカで、若い♀かと思います。全体的に灰色がかっていますが、頬の白と暗色の境が不明瞭なところがオオタカと異なります。オオタカでも特に♂の成鳥の場合は、顔の模様がもっと黒っぽくはっきりします。メスの若い個体の場合は、写真の個体と同程度に見えることはありますが、写真の個体は嘴も小さく、足も細くて全体的にオオタカよりも華奢な体型をしています。そして、ハイタカとしては頭が小さく見え、体つきや足ががっしりしているので、♀かと思います。実際に見た方もハイタカにしては大きいと感じたかもしれません。たまにいる紛らわしいタイプですね。また、全体の色がきれいな灰色なのが少し気になりますが、雨覆の羽先に淡色斑が見えますので、幼羽が混じっているのだと思います。』

 実は1月に現地を回った時、モニタリング調査地No10から3本松方面に飛ぶオオタカを見つけ、吉田さんと同じように追いかけっこをしてました。結果写真に撮れずじまいでしたが、気にはなっていました。今回と同じ鳥ではないと思います。2/23日も一周してきました。雁の群れが北へ帰る(北帰行)だと思いますが見れました。(五輪のパシュートで話題になった空気抵抗を減らす編隊は、強風の影響で崩れていましたが)

雁の群れの北帰行 三浦さん撮影:2022年2月23日

12回目の3.11 

2022年3月11日( カテゴリー: 本部発 )

 吉田です。12回目の3.11は、福岡市早良区のオイスカ西日本研修センターでの農業研修担当者研修会と圃場での春夏野菜の助っ人に8日間の出張に来ています。若干の黄砂を感じます。ここの研修センターには日々ボランティアが手伝いに来てくれます。隣の県立早良高校や、九州電力を中心とする企業など8時間従事換算で1,000人近く。自称「オールド」の近隣のおっちゃん約10名は毎週月曜。若い電力マンは半年住み込み。今日はホテルオークラのシェフさんと近所の奥様たち。今朝は6時からコメの出荷のためのパッキング。7時半から朝食で捕獲して昨日さばいたアライグマの焼肉丼。8時前から朝礼。我々の兄貴分の廣瀬所長が「黙祷をしよう」と言いました。災害の多い九州です。海外農業研修生を50年以上前から指導してきたこのセンターにとって、災害復旧支援は研修の一環。海岸林はもちろん、熊本地震、九州北部豪雨、西日本豪雨など、職員・研修生は断続的かつ長期的に復旧現場の重労働に従事しています。災害直後の現場も熟知するからこそ、黙祷は当然の流れのように思えましたし、こういう同僚たちを誇りに思います。

 今週は出張に没頭しているので、名取の現場に電話はしていませんが、本数調整伐はほぼ区切りがついているはずです。国のガイドライン、県の手引きに沿って伐採・搬出・処分を進めていますが、数十年先の最終成立本数は、5,000本/ha⇒400本/haになるとされています。その頃には樹高が20m前後となるはずです。伐採木は、県の指導のもと、すべて堆肥やチップ、バイオマスに再利用されます。

 来週の今頃は、10人乗りの車で私の甥っ子をはじめとする大学生数人を乗せて東京本部を出発して、福島北部沿岸を見せながら名取に向かっているでしょう。3月19日(土)の公募ボランティア日は、なぜか大学生が多数。ちょっとビックリです。損保ジャパン環境財団インターン制度でオイスカに6月から1月に来ていた学生たちが、LIVE中継型?イベントで発信する企画をするそうです。個々がオイスカの門をたたき、ここで知り合った、正確に言うと19日に初めて出会うことになるという若い衆です。楽しみです。当日の作業は、ガテン系では排水口2ヵ所、ソフト系では排水溝の草取りと補修。本数調整伐施工後の現場も歩いてもらいたいです。リピーターの皆さんは変わり様をどう感じるでしょうか。感想を聞くのも楽しみです。

 3月26日(土)13:00~16:00、森林立地学会の海岸林シンポジウムがあり、10分のプレゼンとディスカッションに登壇します。発表者は実践型の気鋭の専門家ばかり。一般市民にもわかりやすく!という指示が出ています。学会員でなくても無料で聴講できます。目下、120名申し込みが来ているそうですが、名取の現場に関わる人にはぜひ聞いていただきたく。現場に来た時に、ご自身の参考になると思うので。

撮影:2月20日 これだけじゃわからないと思いますが、ここから1㎞先まで本数調整伐施工済。
ハイタカ *オオタカではないようです。撮影:2月20日
愛知、香川、福岡の農業研修センターの仲間たち。全員ではないですが。中列の左から3人は2022大阪マラソンを走るために努力してきた3人。中部TC筑田さん、西日本TC園田さん、四国TC安部さん。吉田・浅野も写ってます。

 

本部広報室の林です。 大阪マラソンが中止となり、とても残念なのですが、 ランナーとして出場に向けて準備を進めてきた本部スタッフハルハルは 「残念」というだけでは表現しきれない複雑な思いを抱えていたようで、 一つの区切りとして「残念(マ)ラ(ソ)ン」を先週末に決行。 吉田と私も自転車(もちろん電動アシストつき)で伴走してきました。

オイスカ本部を出て、神田川沿いの道を勢いよく走り出すハルハル。 すぐに汗が吹き出し、上着を脱いで半袖シャツに。 大阪マラソン当日につけて走ろうか、と準備していたプロジェクトの キャラクター「クロマツの親父」のお面は吉田に託して走ります。 (ハルハルは、練習でもこの日もマスクをして走っていました。 マスクをしていないと、すれ違う人に不快な思いをさせてしまうから……と)

ハルハルは、中止を聞いた時の心境を「走らなくてよくなった!」という
ちょっとうれしい気持ちと「残念な気持ち」が半分ずつと話していました。
決定がもっと早ければ、いろいろな準備(トレーニングだけではなく、
当日朝の食事や走っている途中に補給する水分や栄養ドリンクなどの購入等)
が無駄になってしまったという思いもあったようです。そして、走らないということは
体が楽な一方で、寄付の形で応援してくださった方々に申し訳ないという思いもあり
複雑な気持ちだった様子。今回の残念ランは、フルマラソンには遠く届かない距離でしたが、
よい区切りになったと話していました。

走り終わったハルハル(左)は
タロウのお面で親父になついていました

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