宮城県の新制度「みやぎ海岸林再生みんなの森林づくり活動」の先陣を切り、
2月13日付で宮城県、名取市、名取市海岸林再生の会、オイスカとの四者協定が締結されました。
対象は、名取市内の県有林、市有林等、89.98ha。まずは5年契約。間違いなく大型契約だと思います。
私どもを見込んで託して頂いたわけだから、それに応えなければならない。

2月13日午後、私は支部の小野事務局長とともに、カメイ㈱にてボランティア保険の打ち合わせ、
仙台市財政局に「仙台市民税の寄付控除」申請、東北電力「電力ホール」での写真展開催説明会に行ったあと、
県庁に四者捺印済みの協定書を受け取り行けることになりました。
そのため、名取市海岸林再生の会拡大役員会へのオブザーバー出席は取りやめ、
夜の部から合流。頂いたばかりの協定書を、真っ先に再生の会に見せることが出来ました。
いつも通り、当局職員の皆さんの迅速な対応と、ご配慮のおかげです。

皆でしばらくは、これまで3年を、しみじみ振り返りました。
やっぱり、震災直後の我々の出会い(5月24日)の頃と、初めての播種までの話が多かったですね。
地元からすれば、「オイスカって何スカ?」という頃です。
再生の会の方たちも、葛藤があったと思います。
心配もされ、冷やかしも、やっかみもあったという話も出ました。

でも我々は我々。すぐにボルテージがあがり、全くいつもの通りに。
まあ騒がしいこと。「何で皆こんなにでかい声で話すんだ??」
名取駅にも最終電車があるというのを、完全に忘れてしまいました。
僕もでっかい声で話していたのは覚えてますが、
僕も翌朝は声が出ませんでした。他の皆さんも、次の日はガラガラ声。
その名取から18時発で帰京。
2週連続の週末の大雪。
国立駅で電車は1時間以上立往生。
西武新宿線を大迂回して、帰宅したのは午前2時。
我ながら相変わらずご苦労なことで。
国際協力ボランティアの小礒です。
先日、NHKの取材に同行する形で初の名取入りを果たしました。
「伊達政宗の治世」をテーマにした番組の取材の中で歴史的な観点から海岸林を見つめることができました。伊達政宗と言えば武人としての印象が強い人物ですが、日本語教育に携わって来た身としては歌人としての政宗公が想起されます。
仙台開府の頃にこんな歌が詠まれています。
「入りそめて 国豊かなる みぎりとや 千代(ちよ)とかぎらじ 仙台の松」
教室ではないので解説は割愛しますが、要約すると「私が入府することで国を豊かにする魁(さきがけ)となりたい。千代(千年の世の中)と言わず、年中色濃く緑豊かな松のように、万年へと続く無窮の栄えとなって欲しい。」というものです。
未来へと続く繁栄を緑失うことのない松に譬えるあたりが、永きより松と共にあり、海岸林造成に携わった政宗公の「愛林」の想いを伝えているような気がして感慨深く感じます。

受け継がれていく「愛林」の想いと共に海岸林の再生が順調に進んで行くことを切に願うばかりの出張となりました。
2月22日 海岸林再生プロジェクト 第1回定期活動報告会
国際協力ボランティアの木村です。
いよいよ、今週、2月22日(土)に海岸林再生プロジェクト「第1回定期活動報告会」が行われます。私はこの2か月間、参加者の取りまとめ、報告会の全体的なストーリー作り、配布資料の準備、依頼状等の文書作成など事務的な作業をしてきました。
私の業務内容だけを綴りましたが、この報告会は多くの方の想いが詰められています。特に3年かけてようやく締結した名取市と宮城県との協定について詳しく、説明が行われます。ステージにはいろんな人が立ち、話をされます。その人たちの想いを感じてほしい報告会です。
第1回定期活動報告会:http://www.oisca.org/kaiganrin/1600
伊達正宗公に想いを馳せた一日
今日は写真をたくさん。
NHK「Eテレビ」の歴史番組「知恵泉」のディレクター酒井さんの取材を受けました。宮城で3年仕事を共にしてきた方が、我々をご紹介くださったようです。
「伊達政宗の治世」をテーマにした番組で、4月1日・8日(23時~23:30、前・後編)の仙台南部の海岸林も取り上げられます。
わたしは武人としてより、治世家の政宗公に興味があります。当時の海岸林造成はもっと苦労したと思います。全くすべて人力ですから。昔やってきた ことを現代の我々が引き継げること、何と光栄なことか。あっという間の一日でした。
余談ですが、「仙台セリ」のセリ田を通りがかりました。名取市は良い地下水に恵まれているため、たくさんのセリ田があります。冬でも水に腰まで浸かって仕事をするんで すよ。JRの南仙台~名取駅間の両側から見ることが出来ます。お伝えしたかった御礼
先週、私どもの理事長とともに皆川芳嗣農林水産事務次官に面会の機会をいただきました。
海岸林をはじめとする国内森林環境保全や、木づかい運動への参画、海外での農業を軸とする開発協力、森林環境保全、沖縄での大規模な農業技能実習生の受け入れ、30年来の森林再生を手がけてきたフィリピンでの台風被害調査報告、マングローブの効果など、どういう話題でも裏付けが出せるようと準備をして臨みました。
皆川次官は、東日本大震災発生当時の林野庁長官で、2011年3月17日付の私ども発信文書、「海岸林再生に関する協力の申し出」を受け取っていただいた忘れ得ぬ方です。
「順調のようですね」と、次官からすぐに海岸林の話が始まりました。林野庁関係者が事前にレクチャーをして下さったのでしょう。林野庁長官時代に何度もお目にかかってきたので、名刺をお渡しするタイミングを失ってしまいました。
「オイスカさんは、育苗によく気付きましたね」身に余る評価が続き、少々茫然としましたが、①育苗事業への参画、②被災地農家の雇用、③スピードとスケール、④現場経験と専門性、私の記憶ではこの辺りを評価して下さったように思いました。
震災から3年。名取市内国有林に関する協定は、もう間もなくと思いますが、申し出をさせていただいて以来、多くの職員の方々と日常の協働をさせていただいていることへの心からのお礼と、被災地住民や全国の支援者と接する中での、現場の肌感覚も十分お伝えできました。
初めてお目にかかったのが、2011年4月4日。民間活力の活用についてお話申し上げ、その場で、7月上旬の海岸林再生シンポジウム開催に賛成して下さり、当日は、最初から最後までご出席いただいたこともあり、シンポジウムはその後の活動にとって、非常に重要な「布石」とすることが出来ました。今振り返っても、過酷な業務でしたが、あのタイミングで開催を決断し、実行できたからこそ、今があるとも思います。
少しお伝えするのが遅くなってしまいましたが、 広報「なとり」に2月22日(土)の第1回定期活動報告会 in名取市文化会館が掲載され、名取市全世帯に配布されました。 1ページ全て使って告知いただいたことを、非常に嬉しく思います。 記事はこちら→→→→PDF
市の広報を、我々オジサン世代がどれ程読んでいるのか? 先日、私の自宅近所の少年野球大好きオヤジ10人に聞いてみました。 結論。 誰も読んでいない。。。 「亭主元気で留守がいい」を地で行く、あの人たちが読むわけないか。 でも、大事に読んでいる人がたくさんいるのは事実ですよね。 やっぱりこれを見た名取市民の方から多数お申込みをいただいています。 晴れ舞台、うまく仕事できるだろうか。。。 腹をくくって頑張ります。
ボランティア募集開始
ボランティア募集に関して、海岸林HPで公募開始しました。
→→→ボランティア活動計画
平成25年度の視察・ボランティア育苗場来訪は
最終的に1,000人程度になる見通しです。
来年度は2,000人近くになるでしょう。
平成25年度の雇用は1,000人工に迫る見通しで、来年度は1,100人を超えるかと。
2月22日の定期活動報告会が終わったら、春の現場の準備が一気に加速します。
来訪者もボランティアの方も増えるでしょう。
北海道えりも町役場の方たちにノウハウ提供いただいた素材を参考に、
植樹祭(仮称)の準備にもかからねばなりません。
(まだ公募できる段階にありません。まだまだ先になる見込みです)
しかしそれも大事ですが、まず4月第一週には、
事務所半分を2階建てにする調整に入りました。
現場の佐々木統括を補佐するため、私は3月第4週~6月末まで、
生活の軸を宮城に移すことになると思います。
週末など帰れるときに、東京の本部事務所と自宅に。
サクラの開花予想が、仙台は4月20日頃と発表されましたね。
その頃は「床替移植」です。
来年度はまだ露地栽培の2年生クロマツも多いですが、
コンテナ栽培が増えてきます。コンテナは床替が必要ありません。
土は培養土です。コンテナが増えると育苗場の「除草」は減ってゆきます。
床替も除草も体験するなら今のうちに。
「クロマツ暦」という基本はありますが、
時間とともに作業内容は毎年変わってゆきます。
来年度も大勢の方と接する年になるでしょう。
河北新報社の記者さんのアドバイス通り、
「一期一会」という気持ちでいられるようにしなければ。
2月8日・9日は大雪でしたね。 電車遅延、運休、回復の見込みなしと、予想とおりの状況でしたが、 雪見を楽しんでいました。 東京で自宅近くのビニールハウスがつぶれているのを見て、名取事務所は、12日までお休みのため、 第一育苗場の大友班長に電話して、名取の状況を聞いてみました。 「仙台で40cmとか言ってたけど、こっちはそうでもないね。35cmぐらいだね。記録的っていうけど、 15,6年前に腰までつかる雪が降ったのから比べればねー。今回の雪は、3月の湿った雪と違うから 軽かったね。ハウスとハウスの間に隙間を風を計算してちゃんと設けてるし、近所でもつぶれたなんて話は まだ聞いてないね。育苗場はまだ見てないけど、大丈夫でしょ。しっかりした骨組みだし。」 (電話の向こうに奥さんの声) 安心しました。佐々木統括もハウスを気にはしてると思いますが、何ともないと判断しているのでしょう。 10日に宮城県支部事務局長の小野さんとも電話しましたが、通勤が大変だった模様。 苗は雪に埋もれても全く平気です。 雪折れもありません。 今年はまだまだ降るんでしょうね。 2月22日の報告会・23日の視察バスツアーは雪でも決行します。
*確認したところ、育苗場駐車場に車を入れられず、雪かきしてから車を止めたとのこと。
震災以来3年。
節目となる大きな良き出来事があり、
夜、第1育苗場班長夫妻を訪ね報告しました。
地元を束ねる自治会長でもあり、仕方なく2期目も続けるようです。
母屋は津波で流され、本人いわく「納屋」の2階に今もお住まいです。
納屋と言っても住むには十分。ですが、確かに納屋は納屋です。
「絆なんて、そんなもんはない」
開口一番、夫妻ともども、声をそろえて。
ちょっと、ドキッとしました。
僕が来るまで、二人で何か話していたんでしょう。
それからはゆっくり世間話。お題目は40品目ぐらい。
TTPから、第2育苗場のTさん達との小学校同期会20年続く温泉旅行での、
男らしさ丸出し(馬鹿さ加減的に)の暴露話まで。
自分たちと違う世代と話したくって仕方ないんだと思います。
子どもさんたちは、すでに社会人となり忙しく、
孫と話したくても事情が許さず。
話を聞いてくれる人、話し相手になってくれる人が
欲しいんだと思います。
時折、私自身の事を聞かれます。親をどう思うか、地域社会とどう関わっているかなど。
違う世代と話す機会が少ないのは、被災地に限った話ではないですね。
はじめは「おなかが痛い」とちょっと弱ている様子でしたが、
徐々にそうでもなくなり、気が付いたら23時になろうかと。
3時間世間話をした後は、奥さんから「治ったんじゃないの?」と。
ところで、「絆がない」とは家族の絆のこと。
身につまされます。親としては、時には子どもに一言苦言を言いたくもなりますね。
3年がかりのこの仕事を、3人でいろいろと振り返り、
吉報をしみじみと、喜んでくれました。
農業はいよいよ本格モード。この春もお互い忙しい。
今晩はお互い休肝日。「とんちゃん」もなし。
お茶をゆっくり、何杯もいただきました。
1995年、私は社会人2年目。
ある巨大アメリカNPOと大手町で日々、向き合っていました。
そのNPOは霞が関や大手町・丸の内を席巻しているかの如くの勢いでしたが、
理念や運営方法、市民へのアプローチもオイスカと近いと感じ、
無力な一新人のくせに「なにくそ」と心底思いつつ、その裏、内心は興味津々でした。
経団連さんに頼んで、シンポジウムを一緒にやらせて貰ったり。
私は英語は話せませんので、経団連の職員の方に通訳を頼んで話しをさせてもらい、
その団体の日本部長の女性から、「ミッション」という言葉を教わりました。
BS放送というものが始まった頃だったと思います。
そのアメリカNPOの後方支援部隊、
つまり資金獲得部隊の様子がNHK-BSで放映されることをこの団体と引き合わせてくれた
神戸製鋼所や安田火災海上から経団連自然保護基金へ出向した方が教えてくれました。
支援の問い合わせ、資金の協力の申し出の手紙が、毎日届いていることを物語る、
箱の中に満載の映像が、一瞬、テレビに出てきたことを今も忘れません。
いつかそのような、共感を得られる現場を実践したいと思いました。
いま、箱一杯とは言えませんが、毎日寄附を寄せてiいただけるようになりました。
ここ2ヵ月ぐらい寄せられる寄附の6割方は、宮城県からです。
見知らぬ方たちが、しかも幾人の方たちが、単なる「イイね!」ではなく、
行動をして下さっているとしか思えません。
私たちには分かりませんが、いま、何かが起きはじめたように思えます。
と同時に、期待されることの怖さも知っているつもりです。
私はアメリカには一度も行ったことはありません。
英語は全く話せません。でもいつか彼女の力に追いつこうと、ずっと思っていました。
強く思えば必ず叶うという体験は、これまでも何度もありましたが、
何となく、背中が見えてきたのは間違いありません。
でもそれは、見ず知らずの、またはよく知っている「同志」の皆さんのおかげ。
多くの方の活躍の環境を整える、多くの方をつなぐのが、
私たちに与えられた「ミッション」とずっと思っています。



















