海岸林造成予定地のすぐ内陸側では、農地復旧のための客土も本格的に始まりました。我々の活動によって最も恩恵を受ける海岸最寄りの農地です。津波が進入した遥か内陸の農地から、いよいよ海に迫るところまで来たのです。
「美田園」駅の北側では、仮設住宅からの引っ越し先、マイホームになる復興住宅用地の造成も始まりました。
防潮堤も、海岸林植栽基盤盛土工事も、宮城県南部全域に延伸が進んでいます。
育苗場の地主さんは、被災後にリフォームをしたにもかかわらず、そこが居住禁止区域だということで、十分住める家を手放し、新居で新年をお迎えになります。
もうお孫さんを迎えに来る保育園バスを見ることもなくなるんだなあ。引っ越しの最中、「お互いに忙しい1年でしたね」と声をかけてくださいました。
「毎回現場に来るたびに、何かが変わっている」
「確実に一歩づつ前に進んでいる」
我々も!と、足を踏み入れるたびに、いつも思います。
今年も大変お世話になりました。
心から御礼を申し上げます。
皆さまにとって、よい年となりますように。
私自身もリフレッシュして、またブログも再開したいと思います。
しばらくお休みをいただきます。
いつも読んでいただいて、ありがとうございました。
広報室の林です。
担当の吉田が仙台に出張中。
緊急に何かあればメールで連絡が入るのですが、
夕方、「今日はインド洋大津波の日」という
タイトルだけのメールが送られてきました。
・・・というわけで今日のブログは留守番の林が
2004年のスマトラ沖の大津波後の復興支援について触れたいと思います。
私が静岡から東京の事務所に異動してきたのは2011年。
東日本大震災の年でした。
そしてその年の5月、私はインドネシアのスマトラ島のアチェに行く機会を得ました。
オイスカがアジア開発銀行からの資金で実施したアチェにおける
震災復興支援プロジェクトが最終年を迎え、その視察に出かけたのでした。
まだ形はなかったものの、すでに「海岸林再生プロジェクト」の構想を練っていた吉田からは
「しっかり震災復興の様子を見てくるように」と言われたのを覚えています。
オイスカはアチェでマングローブの植林や地域住民の生計支援につながるさまざまなプロジェクトを展開していました。ソフトシェルクラブの養殖・販路拡大、チョコレート生産・販売、えびせんべいの販売など多岐にわたっており、それぞれのプロジェクトで地元の若者が生き生きと活躍していたのが印象的でした。
もう一つ印象的だったのは、「津波は家や人々の命だけではなく、紛争も流してくれた」という声でした。アチェは震災前までは紛争が続く地域でしたが震災後は、人々の力を紛争ではなく、明るい未来をつくる復興に向けようという機運が高まったという話を聞きました。すべてを失うのは悲しいことですが、負の体制を一から作り直すことにもつながるのだと知りました。
東日本大震災のすぐ後の出張だったため、アチェの人たちは日本人だと知ると「ツナミ、サマサマ」と手を強く握ってくれました。サマサマは「同じ」という意味のインドネシア語です。「私たちも大変だったよ、日本も大変だけど頑張ってね」と言われている気がしました。
下の写真は小さな震災記念館のようなところで見た写真です。
津波で流され、亡くなった方たちの姿もたくさん写っていました。
東日本大震災後、日本の報道では見ることのなかった被災地の惨状を見た思いがしました。
「TSUNAMI」は日本語ではなく世界で通じる言葉になりました。日本は、震災後の復興支援だけではなく、世界中で起きる地震やそれに伴う津波、他にも台風やサイクロンといった自然災害から人々の生活を守る「防災」分野にも大きな役割を果たすべきだと感じます。
私がたちが「海岸林再生プロジェクト」の現場に多くの外国人記者を呼ぶ理由もそこにあります。
被災地の復興と同時に、日本全国、あるいは世界中の防災意識向上につながるプロジェクトでなければならないと感じています。
実感はありませんが、あと数日で新しい年を迎えます。
スーパーでもお正月飾り用のマツをよく見るようになりました。
マツは縁起のいい樹木とされています。
常緑であること。悪条件でも根を張り、育つこと。
さまざまな説がありますが、神様が宿る神聖な木でもあり、
神様を「待つ」あるいは「祀る」というマツの音も確認できます。
先日、テレビでむかし話を見ました。
読み書きのできない奥さんが、大酒飲みのご主人に
愛想をつかして家を出てしまうお話です。
家を出る時、彼女はカエルの絵を描いて置いていきます。
「実家に帰る」というメッセージとして。
実家にいても実はさみしくて仕方がない奥さん。
商人に頼んでご主人のもとに小石を届けます。
「恋しい、会いたい」というメッセージとして。
ご主人が商人に託したものがマツでした。
「帰っておいで、待ってるよ」と。
育苗場のマツたちは、寒い冬が去るのを待ち、
来年の春の植栽の日を待っているようです。
「仙台空港空の日」での募金ありがとうございます
こんにちは。
ANAすか隊の庄司和佳子です。
今回は10月に行った仙台空港空の日の活動で集まった募金を渡しするため、
隊長以下4名で、OISCAさんの事務所へお邪魔しました。
事務所では大掃除の真っ最中。
お忙しい中お時間を頂いた上に、とっっっっっっても美味しい猪鍋まで御馳走になり、
ANAすか隊のメンバーも本来の目的を忘れてしまいそうでした。
少しですが、お掃除も手伝いましたよ~。
さて、以前ブログに書かせていただきましたが、仙台空港空の日で集まった金額は54,732円。
活動が終わってから2か月以上経ってしまいましたが、やっと無事にお渡しすることができました。
今後の海岸林再生プロジェクトに少しでも役立てていただければ嬉しいです。
これから厳しい冬。松たちも乗り越えなければならない時期ですが、私たちANAすか隊も次の活動に向けて、これからも活動して参ります!!
こんにちは。
名取事務所の菅野です。
昨日、今年最後の作業を「再生の会」メンバー全員で行いました。
それは、コンテナ苗のお引越し。
← ハウスの外に並べてあったコンテナ苗をハウスの中に移動させる作業です。
↓ 前日、ハウスの中を消毒しました。
地面からコンテナをはがす作業。結構重くて大変でした。
右の写真のように、根がコンテナを突き抜け、地面にしっかりと張っているからです。
小さく見える苗ですが、立派に根を伸ばしているのですね。
一輪車を使いますが、それでも一度に大量には運べません。
運んだらコンテナをハウスの中に並べます。
仕上げは今年最後の散水。もう肥料も水もあげません。
しばらくハウスで「おやすみなさ~い!」
そして作業の後はいつもの休憩室で慰労会?忘年会??
皆さん、今年一年ごくろうさまでした。
ぜひともご紹介したい人
80歳のオイスカマンが、先日開催した仙台駅構内における写真展の立ち仕事の最前線を、3日間すべて担ってくださいました。
オイスカ宮城県支部事務局長の、小野喜代寿さんです。元カメイ㈱の社員で、宮城テレビ放送の副社長もされていました。もう10年近く、オイスカ事務局を完全ボランティア、フルタイムで担って下さっています。前田建設工業OBの角田さんなどのご協力も得て。
写真展2日目の晩、いつものように飲みに行きました。
相当疲れているはず。足腰が痛いことでしょう。
「ゆっくり座ってくださいね」と声をかけ、座敷に座った途端、どすーんと。
2・3杯飲み干してから、「実は写真展の3日前、家の中で転んでしまって角で腰を打ったんだ。しばらく動けなくってねー。しばらくしたら肘も痛くなって」
「(手伝う予定になっていたオイスカの会員さんに)もし動けなくなったら現場を頼む。でも吉田君には言うなよと口止めしたんだ。そんなこと言ったら止められるから。彼、言わなかったでしょ。あははは。」
これには参りました。全く気が付かず。
「絶対に行くんだと思っていたんだ。写真展初日の朝は、気合が入ったねー」
ほぼ3日間、立ちっぱなし。
休んで下さいと背中を押してご本人を動かさないと、休憩を取ろうとしない。
「明日の朝は、少しゆっくり来てください」と言っても、「はい、分かりました」と。
結局少しだけしか遅れてこない。
外国人が来ても、英語でにこやかに接客。とにかく楽しそう。常に自分から積極的に声をかけている。
疲れを見せない。
震災前、学校林の仕事で宮城中央森林組合とのご縁を作って下さったのも小野さん。
多くの宮城県支部会員がスムーズに海岸林を応援して下さり、現地支援者ネットワークをあっさり形成できた、陰の立役者も小野さん。
支援者の方はみんな、慕っています。
震災直後5月の初めての陸上踏査はもちろん、節目節目を支えて下さっています。身近にいて、やはり組織のトップをされた方。勝負のタイミング、危険予知、日常の周囲へのお心遣い。
無二の存在です。
こんにちは!ANAすか隊の庄司です。
もうすっかり冬ですね。
私は宮城県岩沼市の出身でいろんな方に
「東北人だから寒さには強いでしょ?」と言われますが、私は寒さにめっぽう弱いです。
皆さまはいかがでしょうか?
そして今年の秋は台風が次々と発生しましたね。
我ら航空会社の敵は天気なので、この秋の台風は少しばかり迷惑でした。(笑)
そんな秋の台風の勢力にも負けず、私達ANAすか隊も10月13日に
「仙台空港空の日」に参加して来ました!!
前編でお伝えしたカラフルなまつぼっくりですが「んだまつ作成教室」に使うものでした。
ANAぼっくりと同じで全て飛行機に使われる塗料を使用しています。
筆者はピンクがお気に入りです。
さてこのカラフルまつぼっくり達ですが、仙台空港に遊びに来てくれた方が
親しみを持って作成教室に参加してもらう為に
「まず私たちが見本を作ろう!」と意見が出ました!その名も…
NDM47(んだまつ47)!!
47都道府県をイメージしたんだまつ達です。羽田空港の会議室で一斉に工作に取り掛かりました。
女性の皆さんは器用に、男性は慣れない工作に悪戦苦闘しながらもオリジナリティあふれる作品を作りました!
各ANAグループ社員が作ったNDM47がこの写真です!!
みなさんはどの土地をモチーフにしているかわかりますか?ぜひ当ててみて下さいね!
そして予想通り、当日このNDM47はご覧頂いた多くの方に大好評でした!
特に宮城の伊達政宗に扮した子が好評で、多くの方が写真を撮られていました。
NDM47は良いPRとなり、多くのお子様(大人も!)が「んだまつ作成教室」に参加してくれました!!
それぞれの個性を持っていて世界にひとつしかない「んだまつ」を完成させました!
子どもたちの想像力って無限だなぁ・・・。
さてメインである募金活動のお話しです。
募金を頂いた方にお渡しするノベルティですが
「ANA ぼっくり」を約450個と「松葉のしおり」を約100枚準備しました。
ANAグループの抜群のチームワークで積極的に募金を行いました。空の日の会場は様々なブースにステージイベント等、とても賑わっていまして…
隊員たちは、大声を出して募金の呼びかけを行いました。(終わったあとにはガラガラ声の人が多数…)
今年もANAぼっくりが大好評!用意していたノベルティは全て配り終えました。
中にはノベルティがないにもかかわらず募金にご協力してくれた方もいらっしゃって、私達は感無量!
みんな笑顔になりました★
募金金額ですが54,732円集まりました!(私の数え間違いでなければ…)
銀行へもって行き、金額の確認が出来た後にオイスカさんに寄付します!
今年も反省すべき点がたくさんあった空の日でしたが無事に終える事ができ、
お客さんも私達も笑顔になれた素敵な一日でした。
また来年も参加したいと思います!
来年こそはもっと準備に時間を掛けて余裕を持って取り組みたいものです(笑)
来年の空の日もお楽しみに~★
心強い支援者さんの取り組み②
昨日の続きです。
埼玉トヨペットさんが本業における啓発活動をも伴いながら
「海岸林再生プロジェクト」を支援してくださっているその柔軟な発想の背景には
これまで同社が取り組んできた社会貢献活動があるのではないかと感じています。
担当者さんとの打ち合わせのためショールームにおじゃますると目に入ってくるのが「はあとねっと輪っふる」です。
ここは、地元の障がい者や子育て支援グループ、高齢者グループの皆さんの活動スペースとしてさまざまな人たちに提供されています。
建物のバリアフリー化は進んでも、心のどこかに壁や敷居があったりするケースも多い中、同社では障がい者の雇用促進にも力を入れ、地域に開放された「はあとねっと輪っふる」や社外での障がい者の方たちとの交流を通じて社員の皆さんはさまざまな社会の問題に対する心の壁がものすごく低いのだろうと想像します。
「これ、難しいなぁ」と立ち向かうことを躊躇するのではなく、「これ、こうやればいいじゃん」とやってみる姿勢。素敵だなぁと思います。
ショールームには障がいのある方が描いたというこんな素敵な絵も。
左の絵は目の見えない方が描いたのだと聞き、びっくり。「かぼちゃの馬車」なのだそうです。
埼玉トヨペットさんのショールーム。
車に興味がない私(すみません・・・)が行っても本当に楽しく、心地よい空間です。
心強い支援者さんの取り組み①
広報室の林です。
当プロジェクトにはたくさんの「クロマツお助け隊」の隊員がいます。
いろいろな形でご支援くださっている方々のことです。
今日はとても頼もしい隊員さんをご紹介します。
埼玉トヨペットでは、現在各店舗に右のポスターを掲示し、お客様により環境に負荷の少ないエンジンオイルへの交換を促し、「100ℓにつき50円」を「海岸林再生プロジェクト」に支援してくださっています。
また、「グループ全体で取り組む!」と宣言してくださり、先日はグループ内で支援を決めた3社の役員、担当者の皆さんを集めての説明会を開催してくださいました。
(「埼玉での支援者拡大の拠点になる!」との何とも心強い宣言もいただいています)
3社の支援内容は下記の通り。
●埼玉トヨペット陸送株式会社
業務上の交通事故ゼロを1ヵ月達成すると、月当たり1万円を支援
車両の陸上輸送を担う従業員の皆さん一人ひとりが、常に安全な運転業務を行うことで支援へとつながっています。
●株式会社トヨタレンタリース新埼玉
店舗:全てのお客様がその日事故なく車両を返却すると、1日当たり店舗数×15円を支援
リースおよび管理部門:業務上の交通事故ゼロの時、1日当たり人数×10円を支援
レンタカーおよびリース業務を行う同社では、お客様と従業員の皆さんが事故なく過ごした日数がオイスカへの支援となります。
●株式会社ハッポーライフ彩生
廃発泡スチロールの回収量100キロにつき40円を支援
産業廃棄物の収集、運搬および処分を行う、同社ならではの支援法です。
埼玉トヨペットの担当者さんは「もうかりました。支援します」では意味がないと言います。
支援金をどう生み出すかが大切だと。
車を扱う仕事ですから「無事故」という最も大切なことに対する
社員やお客様の意識を高めながら支援金をつくるというその考え方に拍手!
こんな柔軟な発想で支援をしてくださっている埼玉トヨペットさんの
「海岸林再生プロジェクト」支援とはまた別の取り組みを明日紹介させていただきます。
仙台駅前写真展を振り返って
多くの皆さんのお心遣いあって、3日間の写真展は3,000人に説明しチラシを配り、盛況にて終わりました。
「取っ掛りは、一分以内でポイントを話そう」「感じたことを自然に話していただこう」と心掛けました。
最終日は幅広い年代と話すことができました。
我々のHPを見て卒論を書くために来た工学部の女子大生など、20代の方とも。
最後にお目にかかった男性は私と同年代。
恐らくこれから新幹線に乗り込むバリバリのビジネスマン。にも関わらず心に余裕があって、
力のある目で私の目を見て話を聞いてくださいました。強く印象に残りました。
その少し前、カラダが大きく、背筋が伸びた男性。CMに出てくるようなコートの着こなしのビジネスマン。
さっきから食い入るように見ている。ポイントを話そうと一歩近づくと、その目は赤い。
話しかけようとした途端、何重にも頬に溢れた涙。込みあげた気持ちが伝わりましたが、何とか堪え。
ですが、お互い言葉にならず、お辞儀程度しかできませんでした。
振り返れば、何人の涙を見たことか。
まさに自分自身が渦中の方のお話も、身に余るお言葉もたくさん伺うことができました。
クロマツ、海岸林。
技術の本筋を話すこと、海岸林再生の意義を話すことはもちろん大事です。
ですが、そもそもの原点は何かと改めて思います。
色々な立場で頑張る人、応援する人、協力くださる方たちの生き様を伝えたい。
仙台駅での3日間を終え、広い海で存分に泳いで、潮の流れも、海水の温度も感じたような気持ちです。
皆さんの顔が浮かびます。ありがとうございました。
明朝、現場周辺を一巡して帰京します。