仙台駅改札前写真展 あと1日がんばります!
2日目が終わりました。
河北新報に掲載されたこともあり、名取市海岸林再生の会メンバーを知る方が多数。
「頑張ってるんだねー」と写真の顔をナデナデします。実際に。何人もの方が。
メンバーの方に電話で様子を伝えると、
「ハゲるからやめてくれ」
「顔の色が白くなるからありがたい」などと嬉しそう。
最終日は鈴木英二会長も接客に入ります。
今日も色々な方が手伝いに来てくださいました。ニコンの社員さん、ロータリークラブメンバー、オイスカ会員など。市役所の初代クロマツご担当は終業後に駆けつけてくださいました。
今日は、再生の会メンバーの一部は種苗組合の講習会に参加。分業です。
今日はどんな出会いがあるか、また楽しみです。
行ってきます!
仙台駅写真展初日を終えて
こういう写真展は、世間を感じ、現場勘を磨くのに最適の場。
肌身で感じたことを幾つか紹介します。
・「なぜクロマツなの?」と問われることがない。
⇒農家以外の方でもクロマツが身近な存在なのか。
・東京などのように、「いつ植林をやるのか?」という質問が皆無。
⇒立ち止まって写真と説明に食い入り、滞在時間が長い。
「地元農家への共感」「なぜ海岸林が必要か」「再生に必要な時間軸」「戦後の海岸林造林史」
についてのコミュニケーションが多くなった。
「海岸林はインフラ」という説明に納得する人が多かった。
・課題は、現職世代、特に著しいのは大学生など20代以下は、ほぼ足を止めない。
⇒そもそも、説明役がこぞっておじさん。写真にも若者の姿がない。
この世代へのアプローチは我々の本願の一つですが、あと少し先です。
基本的に「おじさん的」アプローチは通用しませんね。
それにしても、仙台駅というベストスポットの場所柄を抜きにしたとしても、
他県での写真展と全く反応が違いました。
地元の雰囲気と世間全体とのバランスを取るのは我々の仕事です。
朝、ニコン本社社員さんに加え、オイスカ宮城の個人会員が4人も、
私から直接お声掛けしたわけではないのに説明のために来てくださいました。
これには驚きました。
皆さん、繰り返し現場に足を運んでくださる方たちです。説明、接客はお手のもの。
6人で昼ご飯を食べる暇もなく、気が付いたら14時を回っていました。
そして開会と同時に、経済同友会の常務理事さん、企画部の若手ホープがお二人。
「いやー日曜の夜からたまたま仙台にいてー」と。いつものように1週間東北を転戦しているのでしょう。
常日頃から、経済同友会の震災復興への本気度、抜群の行動力が刺激になっています。
経済同友会は、技術系の公立高校への支援にも力点を置き、震災復興にむけて「人づくり」の観点からも
アプローチされています。
東松島市に向かう航空自衛隊の女性自衛官、仙台市若林区蒲生の海岸林での貴重な昔話を話してくださった
おばあちゃんたち、私どもの活動に参加した部下を持つ独立行政法人の方、再生の会メンバーの同級生など
いろんな方が。
低気圧が吹き荒れ、JRは混乱。マスコミが多数改札に押し寄せ、
時刻表に目をやる人が多く、接客に備えて期待した夜の時間帯は予想に反して低調。
世間の風を読むのは難しいですね。
今日から仙台駅改札前での写真展
今日から12日(木)までJR仙台駅西口改札の真ん前での写真展がはじまります。(10時~19時)
有名な「ステンドグラス」の前。さらに今は、巨大クリスマスツリーも真横に。
ニコン㈱の写真パネル製作と説明補助!、三井物産環境基金の開催支援、
そしてジェイアール東日本企画のサポート、そして地元宮城のオイスカ会員の
説明ボランティアなど、今回も大勢の手助けを得て。
昨晩は設置準備。
3日前に何とかレイアウトを決めて、写真パネルを宅急便手続きしたのは深夜。
宅急便配送センターでも何故か覚えられていて、時間外にもかかわらず、
快く対応下さって救われました。
仕方ないと言っても、間際の勝負ばかり。
設置はあっという間に終わりました。終電2時間前には。
準備の現場を止めることがあってはならぬと思い、必死で準備してよかった。
宮城には支援者がたくさんいます。
3日間、精一杯の説明責任を果たします。
準備しているとき、気持ち良さげなおじさんたちが、早速食い入るように見て下さいました。
おじさんだけではなく色々な世代の人が。
この調子だと既に立ち寄る人はたくさん。本番スタート後は本当に大変だ。
写真展はこれまで10数年の職歴でも何度もやってきましたが、今回は明らかに何かが違う。
西友仙台長町店の時も思いましたが、宮城の人は写真を見る目的が全く違う。
一期一会のつもりで、立ち会って下さる宮城のボランティアの方とチームワークで
何もかも忘れて頑張ってみます。
先月、台風の被害を受けたフィリピンでもオイスカは長年活動を続けてきました。
もちろん被災地への支援活動も行っています。
http://www.oisca.org/news/?p=5603
↑学校は壁だけになってしまった
←海岸沿いの損壊した家屋
現場から、こんな情報が届いています。
「ネグロス島マングローブの状況:サガイ市で30年ほど前に植えたマングローブが
モロカボック村と海岸沿いのタバオ村を多く守ってくれたためこの地域では被害は
比較的少なかったと見られます。ただし、マングローブは60%ほど倒れました」
正確な調査によるものではありませんが、マングローブが倒されながらも村を守ったのは
恐らく事実だろうと感じました。ちょうど東日本大震災で海岸のクロマツがなぎ倒されながらも
津波の力を弱め、人々に逃げる時間を与え、建物などへの被害を小さくしたのと同じように。
マングローブもクロマツ林も日常的にもさまざまな恩恵をもたらすだけではなく、災害時には
防災(正しくは減災)のためだけも力を発揮してくれる存在なんだなぁと改めて感じました。
これまでオイスカが海外で続けてきたことと、今名取でやろうとしていることは同じこと。
森に守られるためには、森をつくり、守らなければなりません。
人々の生活を守る海岸林になるには何十年とかかります。
まだ植栽はスタートしていない段階ですが、その日に向け、しっかりと準備を進めいきたいと思います。
浜松の三方原内陸防風林
少し前の話になりますが。
日本シリーズ第6・7戦の日、浜松市の「三方原内陸防風林」にも行きました。主目的は、日本海岸林学会の吉崎真司学会長による「浜松市防潮堤・防災林整備」の現地案内があると聞いたためでしたが、同僚の広報室長の話で、地元の「潮避道」「姫街道の松並木」「内陸防風林」の存在を聞き、それはぜひ行ってみようと。
「三方が原」と言えば合戦。小学生・中学生の頃、合戦のオタクでした。新聞・ダンボールで作った「武具」で、他のクラスとよくやりました。みんな友達でしたから、やたら大勢で。先生からは全く怒られませんでしたね。それが高じて、中学、高校のときは、部活の主将だったので、どうやって勝てるチームを作ればいいか考える必要があり、よく合戦の本を読みました。
今になって生きることもありますね。でも、徳川家康唯一の負け戦とも言われる三方が原の古戦場に、クロマツを見に来ることになるとは思いませんでした。
開墾記念碑があり、碑文を読むと、石碑の重厚さも加わり、厳しい歴史を想像してしまいます。
浜松市の北方、天竜川の河岸段丘の上の三方が原は、古来「土質不良」のため「農耕不適」と言われ、
入植以来30年の苦難の末、ようやく農業が出来る土地になったと、三方原開拓農業協同組合によって
昭和53年(1978年)に建立された石碑が語っています。
ネットで航空写真でよく見ると、全長数キロの規模で格子状に区画された内陸防風林があります。宅地も多く、防風林の規模も大きく、
格子状であることも、これが人の手で計画的につくられたことも、まず誰も分からないでしょう。
「遠州の空っ風」から農地を守るためにどうしても必要だからこの規模になったのだと思います。
この規模の内陸防風林は、琵琶湖北部の湖岸防風林を見て以来です。
しかし残念ながら、松くい虫の激しい被害を受けており、「共有林」ですから、地元の人は心を痛めていると聞きました。
宮城沿岸部には、名取市だけに大きな内陸防風林がありました。これも「共有林」です。
県内では、白石市、七ヶ宿町など一部の内陸部にあると聞いたことがあります。
当プロジェクトでは、平成27年度以降、名取の内陸防風林の再造林への協力も打診されています。
チャリティーコンサート結果報告
日墺文化協会 レジーネ・ハングラー演奏会実行委員会事務局長の桶谷 裕人です。
11月20日(水)に開催しました「ウィーンと仙台の歌姫の共演~絆~」は多くの方々をお迎えし、無事盛会のうちに閉幕となりました。ウィーンから来日したレジーネ・ハングラーさんの歌声には皆様大変感動して頂いたようです。地元仙台の声楽の方達も美しい日本の歌曲を披露し、一緒に鼻歌をお歌いになっているご来場者様もいらっしゃいました。当日はオイスカ宮城県支部の亀井会長と小野事務局長、そして名取市海岸林再生の会の鈴木会長にもご来場頂き、壇上で寄付金の授与式をとりおこなわせていただきました。
私事ですが「海岸林再生プロジェクト」にご寄付をする大役もあり、かなり緊張感をもって準備をしてまいりました。演奏会終了後の打上げでは小野事務局長のお隣で酔っ払ってしまいました。
追伸
24日には楽天の優勝パレードを観て来ました!
田中投手・嶋捕手・岩手出身の銀次選手が好きですが、ものすごい人出で近くで観ることができませんでした。
震災から1,000日
あの日から1,000日。
私は今週は東京勤務。
今日は内モンゴルでの沙漠化防止プロジェクトに関する協議等々に4時間もかかりました。
でも、今夜中に来週10日~12日の仙台駅改札前での海岸林写真展の準備を進めないと帰宅できません。
やっぱり、来る日も来る日も、震災長期復興支援が一日の大半に変わりありません。
名取事務所は、月初めの定例業務に追われていたことでしょう。
今日は珍しくお互いに電話もメールもすることもありませんでした。
宮城の支援者から5本ほど電話をいただきましたが。
来年度事業計画案と予算案をつくり、関係部署に提出を終えたのが先週。
正直に言ってほっとしています。
国・県・市の復興計画に沿う事業なので、その進捗や状況の大幅な変化に対応せねばならないため、
全くその通りに行かないことが前提。しかし、それでもつくらないわけにはいかず、
情報収集と、協議を重ねた結果をもとに、11月20日~チームでほぼ2日間缶詰めになってつくりました。
毎年恒例です。
事業計画案と予算案の最後の部分をつくるのは簡単でしたが、
要は、実際にどのように実施するか。
毎日の時間の使い方への反省、力点を置くべきことに力を加えているか、
人と会ったとき本当に一期一会を実践できているか、スケジュールを死守できているか
瞬発力が落ちていないか等々、そういう「棚卸し」もしながら。
胃が痛くなる気持ちも、静かに燃える気持ちも抱えて。
気が付いたら終電がなくなり、そのまま朝までパソコンを睨んでいました。
来年から大仕事が始まります。
勝負事は準備こそ命。
これまでの1,000日は、これからに向けた準備だったのだと思うのです。
これからも多くの方から応援していただけるように頑張ります。
一緒にがんばりましょう。
皆さん、ぜひ名取へ
震災で被害を受けた自宅は改修しても、居住禁止区域に指定されて「年度内に立ち退き」という話をよく聞きます。全て取り壊すことが補助の条件です。育苗場地主さんご家族をはじめご縁をいただいた方々は、いつでも会えるという状況ではなくなってしまいます。同じ自治会だった人も移転先の自治会に入ります。震災直後、名取とのご縁を受けたとき「コミュニティーがバラバラになってしまう」という訴えを聞き、それも立案の重要なキーワードとなりました。「第一育苗場に行けばみんなと会える」「大きな目標として将来の励みとなる」そんな場にしようと思ってプロジェクトを進めてきました。
この写真は、第一育苗場から程近い一軒からの朝の風景です。左上が第一育苗場です。
オイスカ海外事業部の藤井君と、インドネシアからの農業指導を学びに来ている研修生OBと、かわるがわる4日にわたってホームステイさせていただきました。しかし、この家も2月に立ち退きになるそうです。息子さんが昔アメリカに1年間ホームステイしたそうで、いつか我々に対しても何か役に立ちたいと思って受け入れてくださったとのことでした。この方とは出張の度、仙台空港などでお目にかかっていたし、ご主人も4月の床替に加わっていたと聞きました。ご夫妻からはいつもと違う角度から色々な話を伺うことができました。
農地整備事業は津波の影響が少なかった内陸から進められ、写真でご覧のとおり、
波打ち際から約2kmのこの地区まで進められております。
もうすぐ第一育苗場を越えて、海岸林背後のビニールハウス団地にも迫ります。
減反廃止に舵が切られましたが、当地は見るからに大規模農業経営が進むように思えます。
しかし、地下水の塩分の影響が今も尾を引いています。
波打ち際から1.4kmの第一育苗場は作業に使える水脈を掘り当て、数本の井戸を掘ることが出来ましたが、
海岸に近くなればなるほど水が問題になっています。
沿岸部の例にもれず、宮城南部は地下水が高く、第一育苗場は1~2m掘るだけで水に当たります。
昔から排水に悩まされ、周辺地域は水路が多く、排水ポンプ場をいたるところで目にします。
昔は深田で知られ、「苦労するから嫁に行かせたくない」という話もあったそうです。
水はいくらでもあるのに使えないというのは皮肉です。
今年、海から10km以上離れた地区では、この地区では珍しく反当り9俵のお米の収穫があったとのこと。
作柄は豊作のようです。(ちなみにどんぐりは不作)今後沿岸部の水田はどうなるでしょう。
復興には10年はかかると言われていますが、一歩一歩前進していると思うのです。
「名取耕土」と再生の会のTさんが言うような、そんな将来の姿にするための一翼を担おうと思うのです。
視察対応から得ること
11月22日、今日は視察対応の日。
午前中はわざわざ愛知県より犬山市と名古屋市地盤の県議会議員の若い先生(といっても私より少し年上)がお二方。出会った第一印象はフットワークが軽い、というより早い。これぞ「きびきびしている」。1時間半という限られた時間を意識している感じをまず受けました。すなわち、これは「案内の甲斐がある」。とにかく話を最後までよく聞いてくださって、リアクションが絶えない。耳で聞くというより体で聞いている感じ。来訪のきっかけは、太田猛彦先生に愛知県議会議員に講演をして頂いたこととのこと。一連をアレンジした甲斐がありました。
我々にとっての貴重な人脈財産になるように思えました。
午後は、宮城県の各地方振興事務所よりそれぞれ農林関係の次長さんが合計8名。
私には予想外のアドバイスあり。
「宮城県のあるところで、海岸林植栽をしたばかりの現場で、ある日突然、片っ端から伐られてしまった」と。伐られた時期からして、「門松」にしたようで。驚いているのは私だけ?「そうやってひと儲けする奴もいるんだよなー」と佐々木統括。門松にするためのマツを植えているのは昔見たことがあるけど。しかし、山ではない、海岸のどこからでも入れるあの現場では、防ぎ様がない。心配事は尽きない(笑)
人に会えば会うだけ、貴重な情報が得られますね。人脈や情報は命です。地元新聞の記者さんからのアドバイスの通り、「一期一会」の気持ちでお迎えできるよう、心を整えたいと思います。。