6月26日にNHK Radio Japanで16ヵ国語(英語を入れると17ヵ国語)で
放送された番組の日本語訳が届きました。
長文なので、2回に分けてご紹介します!

                                                    
東北の沿岸にはかって海岸林が存在していました。
海岸林は砂や潮風から防護するために植林されたものです。
これらの海岸林は、2011年3月11日に東日本を襲った大地震の津波により壊滅的な打撃を受けました。
今年春、海岸林を再生するために植林が開始されました。
本日の番組では、海岸林再生プロジェクトとプロジェクトに関わっている地元の被災農民をご紹介します。
5月24日、名取の沿岸地帯で地元のボランティアが植栽をしていました。
この日、350人のボランティア達が5,000本の苗木を植えに来ました。高さが約30センチの苗木はクロマツ種です。
私達は、植樹イベントに参加しているボランティアの何人かに話を聞いてみました。

(女の子): 「初めての経験だったから楽しかった。」
(年配の女性): 「震災後から復興のために何かをしたいと思っていました。」

4月と5月に約75,000本のクロマツや他の樹種が地元の農民達及び森林組合関係者によって植えられました。
地元被災農民の一人、大友英雄氏は、震災1年後に種子から苗木を育ててきました。
5月24日、現場でボランティア達に交じって植栽をしながらこう語りました。

(大友氏):「こんなにたくさんの人達が来てくれるとは思わなかった。
こうして手伝ってもらえることが嬉しくて、涙がこぼれてくるね。」

名取周辺に拡がる平らな地域は、仙台平野と呼ばれています。
この辺では、16世紀に強い潮風を防ぐために木が植えられました。
当時この地域を統治していた大名が植林をして、農地を開墾することを命じました。
海岸林は、その後400年に亘って良く手入れされ、維持されてきました。
その間、海岸林では何回も再植林が行われてきました。
2011年の大震災前には、仙台平野や宮城県の他の地域が約880万本のクロマツに守られてきました。
地元の住民達は、これらの海岸林とともに育ってきました。
大友氏は、幼い時に友達と松のどんぐりや葉を集め、ストーブの燃料として使ったと述べています。
また、林の中で生育していたきのこを採って、家で食べたことを覚えています。

(大友氏):「この付近にはマツの木がたくさんあってね、採ってきたきのこは本当においしかったね。」

巨大な津波により海岸林のほとんどが破壊され、流されてしまい、ほんの少しのマツだけが残りました。
宮城県では、1,753ヘクタールもの海岸林が失われてしまいました。
海岸林の喪失により、名取は海からの冷たい風に曝されることになりました。
大友氏は、海岸林がなくなって春でも寒く感じると述べています。

「海岸防災林は、風から守っていてくれましたね。今は、一日中寒く、
例えば、10円硬貨を外で風に曝すと3日間で色が変色してしまいますよ。」

②に続きます…

こんにちは、昨日に引き続き海外事業部の廣瀬です。

個人的に気になった写真をもう一枚紹介させていただきます。

なにやら作業をしている方が…

なにやら作業をしている方が…

前日の現場視察を終え事務所へと戻る途中、植林現場のすぐ隣(内陸側)で、
一人作業をされている方がいらっしゃいました。
遠目からではありましたが、よく見るとネギのようなものが植わっています。
どうやら畑で野菜を育てている模様。

「農家復帰第一号じゃないか?」とは担当の吉田副部長。
ここ数ヵ月現場に付きっきりだった彼が言うのだから間違いないでしょう。

震災によって現在の植林地周辺にあったビニールハウスや農地は壊滅し、
今まで農家をされていた方の中には
なかなか農業を再開する気持ちが生まれないという方もいらっしゃるそうです。
そんな中、すぐそばを大型ダンプや重機が砂埃をあげながら通っていく、
まだまだ復旧途上のそんな場所で黙々と野菜を育てるその姿から、
農業に対する強い想いを感じました。

今回残念ながらお話を聞くことはできなかったのですが、
復旧工事が進み、こういった方がどんどん戻ってきて、
また以前のような農地の風景が戻ってくることを祈っています。

もちろん、その向こうに見える白砂青松とともに。

こんにちは、海外事業部の廣瀬です。
6月21日、名取での海岸林ボランティアのお手伝いをさせていただきました。
そこで撮影した写真をいくつか紹介します。

今回は前日の金曜日から現地入りし、まずは車に乗って現場の視察。
植わっている苗木の周りには、乾燥を防ぐなどの理由で木のチップが寄せられています。
ただ、風で飛ばされてしまっているのもあり、
それを根元に寄せてあげるのが今回のボランティア作業の一つと聞いていたのですが・・・

強風の影響でチップが飛ばされ、根元にも隙間が。

強風の影響でチップが飛ばされ、根元にも隙間が


これはチップというより枝?

これはチップというより枝?


????????????

????????????

この謎のモニュメント(?)実は、プロジェクト担当の吉田副部長が建立。
なんとか苗を風から守ろうと木の枝を並べて挿したり石を置いたり、
個人的な研究のために色々やってみた結果、とのこと。
正直、最初に見たときは笑ってしまいましたが、
よく見るとちゃんと風を防いでいて、なんだか苗木も居心地が良さそうでした。

その後も現場を周っていると、今度はなにやら違和感。
きれいに並んでいる苗の中に、1本やたらと大きいのが・・・

写真右側、すごい存在感。

写真右側、すごい存在感

近づいてよく見ると、なんとクロマツではなくただの雑木!(※7/7追記あり)

右手前のクロマツ、分かりますか?

高台を作るために盛っている土は山から運ばれたものです。
その中には山の木から落ちた種子が入っていたりして、
それが芽吹くとこうなるのでしょうか。

それにしても完全にクロマツの居場所を奪っていて、
なんだか某漫画に出てくるガキ大将と主人公の少年みたいだな、
可哀そうに・・などと考えるまでは良かったのですが
写真を撮って満足してしまい、この木を抜いてくるのを
うっかり忘れてしまいました・・・。

次回現場に行ったとき、忘れずに助けに行ってあげようと思います。(それまで頑張れ~!)

※7月7日追記
あの存在感、完全に雑木だと思っていましたが、実は草でした!
帰化植物でアカバナ科のメマツヨイグサ(アレチマツヨイグサ)だそうです。
空き地の荒れ地に急激に増えるもので、風散布による種子での繁殖。
土に入っていた種子が芽吹いたわけではないことが判明しましたので追記いたします。

モニタリング調査の準備

2014年6月30日( カテゴリー: 現場レポート )

こんにちは、浅野です。

立って…

立って…


6月のボランティアの日に現場に行かせていただきました!
といっても、今回はボランティアの方とは別の作業です。
私がした作業は…
今年度、植栽したクロマツのモニタリング調査!の準備です。
このモニタリング調査は、
15ha7万5千本の中に調査プロットを設け
その場所の環境(風、土壌、肥料など)と
植栽木の種類(普通、抵抗性、コンテナなど)による
活着、生育をモニタリングして解析するものです。
しゃがんで…

しゃがんで…


今回、設けた調査プロットは11ヵ所、
それぞれ50本ずつでした。
植えられたクロマツに1~50までの番号をつけていくという簡単な作業でしたが、思っていたよりも大変でした。
立ってしゃがんでの繰り返し。いつもより風もなく天気もいい。
たった3時間程度でも大変なのに…
いつも施肥に来てくれている宮城中央森林組合の方々のすごさを改めて感じました。
 
 
 
番号を付ける

番号を付ける


 
モニタリング調査は1ヵ月後の7月末に第1回測定、その後9月末、11月末にも行います。
まずはしっかり活着してくれることを願いつつ…7月の測定結果が楽しみです。

この花な~んだ??

2014年6月29日( カテゴリー: 現場レポート )

育苗場でこんな花が咲いています。
何の花か分かりますか??
nezumi

何度かブログに登場しているネズミモチです。
ネットの周りに防風・防砂のために植えてあります。
マツ同様、強風や乾燥、潮風に強いのだろうなぁと思います。

こんにちは。
前田建設工業の山本です。
先日、仙台で海岸林再生プロジェクトのボランティアに参加させて頂きました。
関西に住んでいるのもあって東北の地域に行くのは初めてでした。
震災復興に以前から興味があり今回参加させて頂きました。
被災地はテレビでしか拝見しておらず、まだまだ震災の跡
が残っているのかなというイメージでした。
私が行った名取市の方は思っていたより復興が進んでいて驚きました。
best1でもみなさんからのお話を聞いたり、実際に
津波に遭われた家、海岸に少し残っている瓦礫、
凄く大きな堤防を見て震災は凄く恐ろしいもの
だと改めて感じさせられました。
ボランティアというものに初めて参加させて
頂いたのですが、10年という長いスパンをみて
作業をされているということ、マツの木を海岸に
植栽するまでに相当な手間がかかっていること、
気が遠くなるような作業を一生懸命されている姿を
見て凄く関心しました。
今回本当に本当に微量でしたが、お手伝いをさせて
頂くことができてよかったなと思っております。
また機会がありましたら参加させて頂きたいと思います。
ありがとうございました!

広報室の林です。
クロマツ親分&タロウ(少し縦長・文字入り) liklikこれは、皆さんご存知、「海岸林再生プロジェクト」のキャラクター
“クロマツの親分とクロマツタロウ”です。
プロジェクトの資料や育苗場の看板など、いろんなところに登場しており
だいぶ皆さんにも浸透してきているのではないかと思います。
プロジェクトが親しみやすいものになっており、
「キャラクターの力って大きい!」と感じています。
よくあるのが
「親分は誰がモデルなんですか??」
という質問。
このようなごっつい風貌の関係者がいないこともないのですが
私が描いたわけではないのでこれまでは答えに窮してきました。

dff

お贈りした感謝状が会社に飾られていました。
もちろん感謝状にも親分とタロウがいます!


そこで先日、このキャラクターの生みの親に会いに
株式会社ディ・エフ・エフを訪問してきました。
この会社はこのホームページのデザインなどでお世話になっている心強い支援者さんです。
生みの親であるAさんとご対面!!
早速例の質問を投げかけてみると
Aさん「・・・・・・」
林 「プロジェクトのYとかKに似てるってよく言われるんです」
Aさん「YさんもKさんもお会いしたことがないので・・・」
・・・・・・特にモデルはいないようです。
これからは窮することなく答えられます。
「モデルはいません!」
Aさん、お忙しい中ありがとうございました。
余談ですが、質問以上によくあるのが“親分”を“オヤジ”と間違えてしまうこと。
どうやら本部事務所内に特にその傾向が強いように感じています。
これも強く言った方がいいでしょう。
「オヤジじゃありません。親分です!!」
 

こんにちは。浅野です。
先日、現場に行った際に東北学院大学の菊池先生にお会いしました。
菊池先生のお話を聞いてまだまだ知らないこと、
学ばなくてはいけないことがたくさんあると改めて感じたので、
ご紹介させていただきます。
菊池先生は歴史学(日本近世史・女性史)がご専門で、
『「杜の都・仙台」の原風景』、『江戸時代の老いと看取り』(筆名 柳谷慶子)などの著書があります。
緑地景観の歴史的変遷をたどる研究を進めるなかで、
東北地方のクロマツ海岸林の成り立ちに関心をもち、文献調査を続けているとのことです。
最近では岩本由輝編『歴史としての東日本大震災』に「失われた黒松林の歴史復元」と題して、
仙台市宮城野区沿岸部のクロマツ林の歴史を明らかにする論考を書かれています。
震災後はこのプロジェクトにも関心を寄せていただき、ご支援くださっています。
ここからは豊田推進協議会の方へ菊池先生がされたお話です。
東北地方沿岸部のクロマツ林は、太平洋側も日本海側も自生林ではなく、
17世紀以降、西国などから種子や苗木を導入して育ててきた人工林です。
約4世紀をかけて、潮害や風害を防ぐ森林として育てられ、
防災役割を担いながら更新されてきたクロマツ林の大半が、
東日本大震災の津波には耐えきれず、一瞬にして消失してしまいました。
この地のクロマツ林の長い歴史に顧みると、オイスカが提唱して開始された、
今後10年でクロマツ林を再生させるプロジェクトというのは、大冒険というべき試みです。
さらに、地元の被災農家がクロマツの苗木をつくり、地域を越えて市民や企業が金銭的に支援して
作業の実働にも参加するシステムがつくられたことは、
新たな社会インフラづくりとして歴史に刻まれることになるでしょう。
現在、現場で直面しているさまざまな問題は、
これまでの試行錯誤の延長線上にあることにも関心を向けてみたいと思います。
名取の沿岸部を含めてクロマツが植林された宮城県一帯は、4世紀前は仙台藩領でした。
藩政初期の1611年に東日本大震災とほぼ同規模の慶長三陸地震の津波に襲われましたが、
塩害被害の大きかったこの地に新田開発が進み、田畑と集落を潮害から守るために、
沿岸に徐々にクロマツの植林が進みました。
当時の絵図を見てみると、現在の名取市沿岸部は、
仙台藩領のなかでも早い時期に植林が進んでいたことがわかります。
これを指導したのは、藩政初期の土木事業で中心的役割を果たした
川村孫兵衛の二代目孫兵衛元吉の可能性が考えられます。
植林の具体的な経緯が知られるのは、現在の宮城野区沿岸部ですが、
それによると、17世紀半ば過ぎに植えられたクロマツの大半は、
当初はかなりの枯損が生じて、村で植え替えています。
用水路の土手を除けば大半は砂浜に直接苗木が植えられましたので、
根づかせるのに相当の苦労があったはずです。
南の磐城平藩では苗木の植林に際して根元を粘土で固めていたことがわかっていますが、
仙台藩領ではどのような技術が摸索されていたのか、知りたいところです。

豊田推進協議会の方々と 前列右から2番目が菊池先生

豊田推進協議会の方々と
前列右から2番目が菊池先生


藩政時代が終わり、明治・大正・昭和と続く植林事業も、国有地に地元農民の動員があり、苦難の作業が続きました。
代わりに松林は、枝木や松葉など燃料を供給し、松露やハツタケなど食糧を採取する場としても、地域の暮らしと深く関わってきました。
これから造成されるクロマツ林には、400年に一度は訪れるであろう大震災に耐え抜く強靭さが求められています。
苗木づくりと植林作業の後には松林を保全するための活動も末長く続きます。
地元はもちろん、全国のみなさまにも、世代を超えてご支援をいただけることを願っております。

こんにちは。浅野です。
先日放映されたNHK Worldの動画がYouTubeにUPされたので、
いつでもご覧いただけるようになりました!(約4分間)

また、当プロジェクトがNHK ラジオAM放送第2「Japan & World Update」で紹介されます。(英語版です)
放送時間:6月26日 14:15~14:30のうちの12分間です。
同じ日にNHKラジオジャパンで16ヵ国語で紹介されます。
【NHK WORLD RADIO JAPAN】「ラジオジャパンフォーカス」で
≪初回放送時刻≫
アラビア語     15:15-15:30
ベンガル語     22:15-22:45
ミャンマー語    19:45-20:00
中国語       18:15-18:30
フランス語     14:45-15:00
ヒンディー語    23:45-24:15
インドネシア語   20:30-21:00
韓国語       18:30-18:45
ペルシャ語     13:15-13:30
ポルトガル語    18:15-18:30
ロシア語      12:45-13:00
スペイン語     13:15-13:30
スワヒリ語     12:30-13:00
タイ語        20:45-21:00
ウルドゥー語    00:30-01:00(※日本時間6月27日(金)になります)
ベトナム語     20:15-20:30
海外のお知り合いにぜひお伝えください!
再放送などもありますので、その時間は難しい…という方もぜひ!
再放送などについて詳細はこちらをご覧ください。
もう1つお知らせです!
JR岡山駅1階 サンフェスタ広場 つどいの広場前で写真パネル展を開催します!
お近くにお住いの皆さま、出張で岡山にお出かけの皆さま、ぜひお立ち寄りください。
日 時:平成26年6月25日(火)~27日(金) ※全日、8時~20時
場 所:JR岡山駅1階 サンフェスタ広場 つどいの広場前
お待ちしております!!

黙々と作業にあたるボランティアの皆さん

黙々と作業にあたる
ボランティアの皆さん


7万5千本の植栽完了後、ボランティアの方には、育苗場の除草に加え、植栽現場での保育作業として襟裳岬で教わった「根踏み」と、根元への「チップ寄せ」をお願いしています。
根踏みは、強風にあおられて根元が緩んで枯損する事への対処。
チップ寄せは、保湿と、飛砂で根元が痛むこと、強風による根元の土の喪失、根回りの雑草からの保護、将来の肥料など目的は多岐。
プロには、限られた植栽適期のなかで、穂が伸び始める前に7万5千本を植え終わるようスピードを要求しますが、我々にはボランティアの存在を活かし、さらに丁寧さを追求し、括着率を上げて補植本数(支出)を減らすことを目標にして、この作業をお願いしています。
プロにはプロにしかできないことを、名取市海岸林再生の会には再生の会が成すべきことをボランティアにはボランティアだからこそできる仕事を。
プロと素人の分業です。
「助かるっす!」宮城中央森林組合の佐々木秀義君は言っています。
作業班もボランティアを見る目が変わってきました。
再利用されたクロマツが 新しいクロマツを守ります

再利用されたクロマツが
新しいクロマツを守ります


50~120年ほど前に植えられ、2011年に津波で倒された名取の松は全てその場でチップ化され再利用されています。津波で倒されておよそ2年の間、松は倒れたままになっていましたが、その光景を幾度も幾度も見た、林野庁「東日本大震災に係る海岸防災林の再生に関する検討会」座長の太田猛彦先生(東京大学名誉教授・オイスカ顧問)は「松も被害者。それなのに倒されて枯れてもなお、内地を飛砂から守っている」と評されました。
被災前、成立していたと思われるクロマツ等、6万㎥(オイスカ試算)は破砕され、「マルチング」として広大な植栽基盤盛土一面に敷かれ、砂の移動を食い止めるよう林野庁が設計しました。
愛情を持って管理してきた人だから、そういう発想になったと思います。
しかし、沿岸とはあまりの強風。意図的に粗く破砕したこぶし大のチップですら飛ばされます。ですが苗にとっては夏までが大きな山場。
ですからこの時期にはこの時期の最善の努力を行います。
ボランティアの手で15ha、7万5千本の保育と一口に言っても、相手は広大な面積。
私自身もいつも気が遠くなっていますが、それでも半分終わりました。
7月は毎週多数お見えになります。心強い。
その上毎度、何度も現場に来ているリーダーらしいリーダーがいて、リピーターが多数。
動きの質が良くなっています。黙々と作業にあたる姿を見習いますから。みんな。
ボランティアの参加人数はもちろんですが、
実働時間と作業実績は、「人工数」(にんくすう)として整理し、今後の管理に活かします。
植えられたマツだけでなく、倒されて枯れたマツも、多くの人にお世話をしてもらって本望ではないかと、
私はいつも思うんです。ボランティアの皆さん、いつも本当にありがとうございます。

2025年8月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
月別アーカイブ

ページトップへ