吉田です。名取市「市史編さん室」から、古い写真提供依頼などの郵送(市史だより)が届きました。この機会に私たちとしても独自で収集し、HPで公開、貴重なものが見つかった場合、必要に応じて編さん室に提供協力してみたいと思いました。

 ご無理のない限りで結構ですが、ぜひご協力いただけたら幸いです。海岸林で撮った、震災以前の家族写真とかでもいいと思います!「白黒時代」だと最高です。(もし海岸林でなくても貴重なものがあったらぜひ)お気軽に吉田kaiganrin@oisca.orgまでご相談ください。とりあえず1ヵ月先で一度〆ます。

 昔の海岸林の写真の発掘は、私たちにとっても大切だと思っています。

名取市HP 市史編さん室

230315 名取市史だより第1号

 下の写真は、地元の方が提供くださった写真です。名取市海岸林全長5mのおおむね中央部(名取11工区北西あたり)と思います。撮影は2010年7月。名取市サイクルスポーツセンターの自転車道1,500m地点あたり。2016年植樹祭をした場所の近く。震災前の雰囲気がよくわかりますね。松くい虫の地上散布は7月上旬なんですね。

 吉田です。名取市「市史編さん室」から、古い写真提供依頼などの郵送(市史だより)が届きました。この機会に私たちとしても独自で収集し、HPで公開、貴重なものが見つかった場合、必要に応じて編さん室に提供協力してみたいと思いました。

 ご無理のない限りで結構ですが、ぜひご協力いただけたら幸いです。海岸林で撮った、震災以前の家族写真とかでもいいと思います!「白黒時代」だと最高です。(もし海岸林でなくても貴重なものがあったらぜひ)お気軽に吉田kaiganrin@oisca.orgまでご相談ください。とりあえず1ヵ月先で一度〆ます。

 昔の海岸林の写真の発掘は、私たちにとっても大切だと思っています。

名取市HP 市史編さん室

230315 名取市史だより第1号

 下の写真は、空港関係に従事の匿名の方が、10年ぐらい前に提供くださった写真です。撮影角度的に、ヘリに乗ってないと撮れない写真ですね。

 吉田です。名取市「市史編さん室」から、古い写真提供依頼などの郵送(市史だより)が届きました。この機会に私たちとしても独自で収集し、HPで公開、貴重なものが見つかった場合、必要に応じて編さん室に提供協力してみたいと思いました。

 ご無理のない限りで結構ですが、ぜひご協力いただけたら幸いです。海岸林で撮った、震災以前の家族写真とかでもいいと思います!「白黒時代」だと最高です。(もし海岸林でなくても貴重なものがあったらぜひ)お気軽に吉田kaiganrin@oisca.orgまでご相談ください。とりあえず1ヵ月先で一度〆ます。

 昔の海岸林の写真の発掘は、私たちにとっても大切だと思っています。

名取市HP 市史編さん室

230315 名取市史だより第1号

 下の写真は、市内にお住いのSさんが提供くださった写真です。

いまの名取北釜ファーム事務所付近から撮った写真です。当然私たちは年がら年中通る場所です。

こんにちは!
ボランティアの和泉です。
今回が初のブログ執筆ということで、まずは簡単な自己紹介から。
現在は宮城大学の3年生で、海岸林ボランティア歴は今月でちょうど1年になります。
いつもご一緒して頂いている常連の方々にとっては、
「いつも大きなバッグを背負って自転車で来てる人」
と言った方が分かりやすいかもしれません。
初めてのボランティア、慣れない他世代との交流、初代海岸林リーダーとしての活動……。
振り返ると非常に濃い1年間でした。そして、これまでの経験を基盤に、今年はさらに活動の幅を広げていきたいと思います!


震災から12年目の節目を迎えた2023年3月11日。
名取北高校野球部の部員12名と共に閖上地区の溝切り作業に参加してきました。
現場入り後、まずは吉田さんの海岸林講習を実施。吉田さんが海岸林の役割について質問した際、とある部員から「塩が飛ぶのを防ぐため」という答えが出たことには驚きました。
事前に勉強していないと、この答えはパッと出てこないと思います。地元の高校生が海岸林に対して関心を持っていることは、同世代の若者である私にとっても励みになります。

一通り座学を終えたら、いざ溝切り作業へ!
今回もボランティアとして参加して頂いた大槻さんをはじめとするベテランの方々の動きを観察しながら、慣れないスコップやクワの扱い方を学んでいきます。
しかしそこは野球部。教わった技術をすぐに吸収する能力に長けている気がします。
作業から数十分も経たないうちに腰が入った見事な溝切りを見せてくれました。

そして技術面以上に、随所に見られるチームワークも素晴らしいと感じました。
2人で手分けしてちゃんと水が流れるかどうか、勾配をチェックしながら作業を進めたり、人手が必要な場所に大声で応援を呼びかけたりするなど、初心者とは思えないほどの巧みな連携プレーでスムーズに作業が進みました。流石野球部の皆さんです。

休憩中、顧問の先生の方にもお話を伺いました。
もともと名取北高校野球部はボランティアへの意識が高い部活らしく、この海岸林再生プロジェクトも「地域貢献の場」として大きな意義を感じているようでした。
先生曰く、「ぜひ来年も参加したい」とのことなので、来年はちゃんと溝切りの指導ができるよう腕を磨いておきます…!

今回のボランティアを通して、海岸林再生プロジェクトにおける若い力の存在感やパワーの大きさを改めて実感しました。
若い力は作業を前線で推し進める戦力としても重要ですし、ボランティア全体に活気を与え、新しい風を吹かせる立役者にもなります。
しばしば「若い力が必要だ」と口にする吉田さんも、野球部の皆さんや海岸林リーダーに対して、こういった”若者だからできること”を発揮することを期待されているのだと感じました。
私もその期待に応えられるよう、身を引き締めて活動に取り組んでいきたいです!

また、本記事とは別に、当日の様子について3月12日に吉田さんがブログで投稿しています。
よろしければ<こちら>もご覧ください。 

再び野球部の皆さんとお会いできることを楽しみにしています!

東日本大震災から1年がたった2012年の3月11日。
名取の海岸には冷たい風が吹いていました。
地元の方たちからは「去年も同じように寒かったなぁ~」との声を聞きました。
震災当日と同じ寒さを感じながら、黙とうを捧げたことを思い出します。


震災から12年がたった2023年の3月11日。
名取の現場は少し体を動かせば汗が出るほどの暖かさ。
名取北高校の野球部がボランティアにきて、溝切りをしてくれました。

「おはようございます」
「はい」
「ありがとうございます」
「自分がやります」

ハキハキした声が響き、キビキビ動く高校生たちは、
初めての溝切りにもすぐ慣れ、吉田からは
「さすが運動部。道具と体の使い方がうまい」とほめられていました。

男子部員に負けない働きぶりのマネージャーの女子2人は、
「普段のマネージャーの仕事も土木作業みたいなものなので」と、
鍬やスコップを手に、大活躍。高校の運動部のマネージャーの中では
花形中の花形だと思っていたのに「土木」とは意外でした(笑)

これまで地元の高校生からは、震災の記憶があいまいなものでしかないといった声を聞くことが
多かったので、何人かの生徒さんに「震災の時のこと、覚えている?」と質問してみました。

一人は、保育園の昼寝の時間、自分だけなぜかみんなより先に目が覚めてしまい、
着替えをして靴下をはいているところで地震が来たと話してくれました。
また、東京から来たと伝えた私に配慮しながら
「山元町ってわかりますか? 自分はそこに住んでいて、自宅が流されました」
「幸い、両親が保育園まで迎えにきてくれたんですけど……。
津波の被害を見たから、結構当時のことはよく覚えています」
「今は、えっと、村田って場所があって、そこに住んでいます」と、
ぽつりぽつり話してくれた生徒さんがいました。

高校生ぐらいだと当時の記憶があいまいだと決めつけていた自分を反省。
直接被災していない子たちは、そうかもしれないけれど、
被災した子たちは、忘れようにも忘れられない、
深く刻まれたあの日の記憶と共に生きているのだと強く感じました。

活動の最後にみんなを代表して挨拶をしてくれた生徒さんは、震災当時、
まさにこの日に作業をした閖上地区に住んでいて、自宅が流されてしまったのだそう。
「閖上がどんどん復興しているのを目にして閖上という町はすごいと感じている」と、
ふるさとへの思いを語ってくれました。

同じ高校生でも震災時の体験、そしてその記憶はさまざま。
そんな当たり前のことを教えられた貴重な時間でした。
あたたかな春を思わせる陽気の中、81歳のスーパーボランティア大槻さんほか、
地元のボランティアの皆さんのご導の下で、10代の高校生たちが作業をする光景に、
明るい未来を感じることができた3.11となりました。

 吉田です。震災後の12年、常に次世代を意識して仕事してきました。名取の現場は、森林組合のプロの若手の育成の場にもなっていて、新人時代から植付、施肥、下刈、除伐、そして本数調整伐の一貫施業をすべて経験している人が3人います。

 ボランティアに関しては、コロナ禍の3年は、順調に増えていたはずの若い世代の参加が激減しましたが、来てくれた数少ない人たちとは濃い目に過ごせたとも言えます。

 アフターコロナに向け、種まきも続けてきました。とくに昨年からは、IBEX Airlinesとサントリーみらい基金の協力を得て、宮城県内の高校生・大学生に対し「読書感想文コンクール」(「松がつなぐあした」著者:小林省太 元日本経済新聞論説委員)の取り組みを開始しました。しかし、文字通りの「大苦戦」でした。運を引き寄せるつもりで必死に取り組んだつもりですが、応募者が非常に少なく、苦しい日々でした。これでもまだ何かが足らないのかと思い知らされることが続きましたが、もしやっていなければ、出会うことはなかっただろう人たちと縁が出来ました。苦戦の過程で、押すべきボタン、押しても仕方ないボタンも多少は学習できました。(例えばその一つとして、そもそも「読書感想文」自体、われわれと違い若い人たちは馴染みがないのだと知りました。)

 今冬は、参加回数数十回レベルのベテランボランティア対象に、本数調整伐指導者講習会を初めて実施し、安全を意識しながら指導できる体制を目指しています。厳冬期でも伐採作業を志願するような地元の人が増えるよう、とくに若者にも来てもらえるよう努力します。

 振り返ると、2011年にプロジェクトを立ち上げて以降ずっと、どうしてこうなるのかわからないほどの幸運に、立て続けに恵まれたと思います。運とか縁などを考えさせられることが幾度もありました。

 そしてとうとう、片想いが3年続いた県立名取北高校からボランティア参加のオファーがありました。2018年3月以来、久々の野球部です。待ち焦がれていました。次世代への取り組みに苦戦し続けていたので、本当のサプライズ。正直なところ「私たちにはまだ運もツキもある」と思いました。そして12回目の3.11は、今までと違う時間を過ごすことができました。これまでの北高とのご縁の数々を振り返ると、海岸林再生プロジェクトにとっては「苦しいときの北高」「風穴を開けるのはいつも北高」という存在なのかもしれません。北高野球部にとっても、「海岸林ボランティアに行くと勝ち進む」という存在になればとイイのですが。(前回のチームは夏の県大会ベスト16!)

 *当日の様子は、サポートに来てくれた和泉君(宮城大3年)がブログで報告してくれます。

 年末には宮城のラジオ局が2回チャンスをくださり、3月2日には日経新聞が全国版で、3月10日にはRKB毎日放送(福岡)がTV放送と1週間限定でYoutube配信で、わたしたちの「次世代への取り組み」を紹介くださりました。夜には仙台東ロータリークラブ創立60周年式典で寄付金贈呈と、ロータリアン150人にプレゼンの機会をいただきました。今回の3.11を通じて、「いま海岸林再生プロジェクトは何に取り組んでいるのか」、世の中に発信できました。

 次世代への継承は、私たちにとって最も重要で、最も時間がかかる、極めて難しい仕事だと思っています。一朝一夕にできるわけのない、長い長い道のりとなります。尊敬しているオイスカタイの見原アイサ事務局長(故人)は「人の心に木を植える」と何度も言っていました。種まきは延々続きます。着実に布石も打ち続けようと思います。

 まっすぐ前進している「手応え」を感じた3.11でした。

<内容>
タイトル:「100年後の松原を」福岡出身の東北大生が取り組む
“防災林”の再生 若い世代の目に映る“大震災12年” 

本日(10日(金))、福岡RKB毎日放送「タダイマニュース」の中の
17:45~18:00の枠の4分間で、海岸林再生プロジェクトが紹介されました。

<内容>
タイトル:「100年後の松原を」福岡出身の東北大生が取り組む
“防災林”の再生 若い世代の目に映る“大震災12年” 

プロジェクトがアイベックスエアラインズと共催で実施した、
「松がつなぐあした」の読書感想文コンクールの入選者3人
(高校生1人、大学生2人)が、虹の松原(佐賀県)を訪問し、
松葉かきを行いながら、自分なりにクロマツを未来につなぐ方法を
探していく というような構成になっています。

Youtube動画で見ることができます。
https://rkb.jp/news-rkb/202303105195/

「100年後の松原を」福岡出身の東北大生が取り組む“防災林”の
再生 若い世代の目に映る“大震災12年”

ぜひご覧いただき、よろしければ他の方にもお知らせいただけたら
とても嬉しいです。

 吉田です。オイスカHPブログに、四国TCの安部副所長がサポートしてメキシコ研修生の紹介をしています。四国の二人から協力してもらえたことは、わたし個人としてかなり感慨深いものがあります。職員の協力に加え、9年目の大阪マラソンに研修生から協力してもらえたので。安部君は長い付き合いだし、名取にも来てくれています。二人とは去年の5月・7月にちょっと長めの四国研修センター出張で会っています。 

 超多忙の現場の合間を縫って、一生懸命練習したのでしょう。本当にありがとう。

 2人のブログ↓ 読んでもらえたら嬉しいです。

大阪マラソンを終えて その2

2023年3月7日( カテゴリー: 未分類 )

昨日に続き、大阪マラソンレポートです。

マラソン当日、私は夫婦ランナーのお嬢さん2人をお預かりし、
スタート地点からゴール地点まで移動しながらご両親を応援するという
ミッションを与えられました。
お姉ちゃんは3年生、妹さんは1年生のかわいい姉妹。
長くなりますが、彼女たちの長~い一日のレポートにお付き合いください。

私は過去に中部日本研修センターで彼女たちと顔を合わせたことはあるものの、
彼女たちからしたらほぼ「知らないおばさん」……。
仲良くしてもらえるかなぁと心配しながら当日を迎えました。

小さな応援団は元気いっぱい。意外にもお父さんお母さんとはあっさり別れ、
まずは15キロ地点の応援ポイントへ移動するため、駅まで歩きだします。

いろいろなものがめずらしく、気になる様子。
テレビ局前のコナン君の像と並んでみたり、きれいなビルの写真を撮影したり。

地下鉄の駅に着くと、「実はエスカレーターが苦手」とのこと。
降りる時が怖いようで、かなり早い段階からぴょ~~んとジャンプ。
そっちの方が怖い!!!手をつないでゆっくり降りるようにしました。

京セラドーム近くの応援ポイントに到着すると、風が吹き抜けて寒い!
ということで、ほかの応援団から少し離れ、地下鉄駅にすぐ避難できる日当たりのいい
場所で応援をすることに。しかし、なかなかお父さん、お母さんの姿は見えず、
しかも、雨がぱらついてきたので、地下鉄の駅に避難!

早起きをしてご飯を食べた子どもたちはお腹をすかせていました。
コンビニのサンドイッチを駅のベンチで食べていると
お姉ちゃんが「寒いからもう外に出たくない」と。寒がりの私も同感。
マラソンの応援がなければもう外には出ません。

しかし、ここで姉妹の意見の食い違いが!!!
「私はマラソン走っている人たちが気になる!」ときっぱり。
すばらしい!! 立派な1年生の意見を尊重したいが、
寒い中、無理やり3年生を応援に連れていくこともしたくない。
そこで、暖かく、長時間過ごせる場所を探すと近くにイオンを発見。
お姉ちゃんは携帯電話も持っているので連絡はとり合えます。
お姉ちゃんをイオンに置いて妹さんと再び応援ポイントへ。

最初はつぶやくような「がんばれ、がんばれ、がんばれ」だったのが
だんだん「がんばれ~、がんばれ~、がんばれ~」とランナーさんにも聞こえる大きな声に。

応援しながらも「富士山みたいな人がいる」「あ、トラがいた」と
仮装したランナーの様子も楽しんでいる1年生。
そんな様子だから、お父さんが通過したのを二人とも見逃してしまった……。
(お父さん、ごめんなさい💦)

苦しそうなランナーもたくさんいる中、
「走っている人みんな応援したい」と言い、覚醒した彼女。

「がんばれ~~~~~~~~がんばれ~~~~~~~~がんばれ~~~~~~~~」

心からの叫びといえるような応援に、ランナーさんたちも
「ありがと~」「がんばるよ~」と手を振って応えてくれる。

こんな小さい女の子が、全身で応援する姿、
目の前のみんなを分け隔てなく応援する気持ちの尊さに涙がこぼれそうになりました。
オイスカのチャリティランナーばかりを応援、撮影しようと、
そればかり考えてランナーさんを探していた自分の小さいこと……。
同じ部署の倉本が2019年に走った時は、中盤からは沿道の声援にずっと泣いてたと
言っていたのを思い出しました。特に子どもからの応援が涙腺崩壊ポイントだったと。納得。

そして、私の涙腺崩壊ポイントはこの後、やってきました。
お母さんが走ってきた姿を見つけた彼女が、全力で歩道を走りだし、
「がんばれ~~~~、がんばれ~~~~」と叫びながらお母さんと並走したのです。
あの全力の走りと応援は、今思い出しても涙が出てきます。

「あぶないよ」と娘(右)を気遣うお母さん(左)

お母さんを見送り、お姉ちゃんを迎えにイオンに行き、お花売り場の前を通ると
「お母さん、頑張ってたからプレゼントしたい」と。お父さんには?と聞くと、
「ビール……でも今日のおつかれさま会で飲めるから、お父さんにもお花!」と。

ご両親から預かっていた子どもたちの食費を切り詰め、お花を買うことに。
寒い中、ゆっくり座って暖かいものを食べたかっただろうけど、コンビニの肉まんを外で頬張る!
「貧しい食事になっちゃったね~~」と私。「肉まんが一番食べたかったんだよ~」と彼女たち。
そんな会話をしながら、ずっとコロコロと笑っていた健気な姉妹。
地下鉄での移動を繰り返す中で苦手だったエスカレーターも克服。
ジャンプをしなくても普通に下りられるようになった1年生の小さな成長!
普段はケンカもするという彼女たちですが、わがままを言うことなく、
姉妹仲良く、そして私とも仲良くしてくれました。
お父さん、お母さんの頑張る姿がそうさせてくれたんですね。

メッセージボードには「走るのおつかれさま」の文字が!
お父さん、お母さんが走るのを頑張っていた間、1年生と3年生の姉妹は、
「知らないおばさん」と知らない街で、寒さと空腹と人を応援する楽しさを感じながら
それぞれの大阪マラソンを楽しんでくれたのではないかと思います。


過去にもランナーさんのお子さんを、ゴールするお母さんのもとまで
送り届けたことが2度あります。
お子さんがいらっしゃるランナーさんにも安心して参加してもらえるよう
子ども係を定着させてもいいのかもしれません。来年も子ども係に志願します! 
ぜひお子さんと一緒に大阪マラソンにご参加ください。
子どもさんの小さな成長をお約束します!



大阪マラソンを終えて その1

2023年3月6日( カテゴリー: 本部発 )

本部・啓発普及部の林です。

先月末、大阪マラソンの業務サポートのため、大阪に出張しました。
私自身の当日レポートは後日「その2」として報告しますが、
まずは「その1」として事務局スタッフ、オイスカのチャリティランナーの
皆さんからの報告をこちらにまとめます。

まずはスタッフ、浅野のレポート
彼女は全ランナーさんとコミュニケーションをとりながら、マラソン前々日、前日の
対応もぬかりなくこなしており、朝早くから夜遅くまで大活躍でした!

そして、中部日本研修センターから夫婦で参加してくれた筑田(夫)さん
ランナーとして初めての参加だった筑田さん。走るだけでも大変なのに、事務局スタッフの動きにまで気を配っていただき、さすがベテランスタッフだなぁと思いました。昨年走るはずが走れず、今回は奥さんと一緒の参加。それもなかなかない体験でよかったのではないでしょうか。

続いては筑田(妻)さん
詳細はその2でお伝えしますが、私は筑田家のお嬢さん2人と一緒に応援しており、彼女たちの頑張りやお父さん、お母さんを応援したい気持ちに感動させられっぱなしでした。
お父さん、お母さんが大好きなお嬢さんたちと一緒に応援させてもらえて楽しかったです!

こちらは初となる研修生ランナーのブログです。
四国研修センターのメキシコ人研修生サライさんはみんなを驚かせる記録でゴールしました!
彼女は楽しむこと、感謝することの天才。ずっと笑顔で走っていたのも印象的でした。
マラソン前日、誕生日を迎えた彼女を吉田と一緒にお好み焼き屋さんに連れて行くと、お店の
お母さんもすっかり彼女のファンになってしまいました。メキシコに帰ってからも頑張れ!

サライさんを引率してきた安部さん。彼女が走ることを決意したのも安部さんがいてこそ!
ベテラン?ランナーの安部さんも今回のマラソンでは新たな気づきがあったようです。
昨年は、走っていないのに完走メダルをもらい、複雑な顔をしていた安部さんですが、今年は
しっかり完走して手に入れたフィニッシャータオルとメダルとなりました!


ランナーの皆さん、おつかれさまでした。
そして、応援してくださった皆さん、どうもありがとうございました。
オイスカでは、次回の大阪マラソンに向けて計画を練り始めています。
またチャリティ寄付先団体として参画できることになったら、ぜひ、皆さん、
チャリティランナーとしてご参加ください!!

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