下半期の先陣を切ったUAゼンセン24名 ~イネ科植物との闘い~
植栽現場は1ヵ月除草なしで迎えた8月21日、先陣を切ったのはUAゼンセン24名。
今年はイネ科植物の繁茂時期が遅かった。
植栽直後の施肥した個所に、オヒシバ、メヒシバなどイネ科植物類が文字通り群がる。
去年も少雨ながら、比較的コンスタントに雨が降ったため草の出足は早く、
施肥直後の6月第3週にはすでにイネ科植物類と格闘していた。
もちろん、葛、小さなつる草とも。
ニセアカシア以外は森林組合の手は借りず、16haをボランティア1,400人でやり切った。
今年上半期の頑張りもあって、イネ科植物は殲滅し、クロマツが草に勝っている!!
今年の雨の傾向は、21日のブログでお伝えした通り、極端な少雨。
植栽後の5月~7月で、過去5年比「59%」しか降っていない。
しかし、8月10日以降、一気に雨が増えた。
今年7月18日のボランティアの日にはまだ出ていなかった「イネ科植物」が、
爆発的に出てきたと思われる。
クロマツがまったく見えない。
このイネ科植物は、1本の草で占める面積は直径・高さともに1mにも及ぶ。
ハンパない。去年の植栽地よりも草の出方が激しい。
クロマツ根元に生えたものは女性陣の鎌で、それ以外は男性陣に唐鍬で根ごと断ちます。
午後作業前に、一人一人中間の感想をコメントする機会があった。
「無事、早く帰りたいと思います!!」(笑)
「すでに握力がないでーす」
ちなみに、去年最も印象に残るコメントの1つは
「なめてました!!」(90度のお辞儀付き)
最後の山場を15時ごろにしようと、午後はちょっと調整し、午後一番は「溝切り」など違う仕事を体験していただきました。
その山場を始める時、予報より遅く雨が降ってきた。
第2育苗場班長の櫻井重夫さんから突然の電話。
「今日もやってんのか?! 何人だ?! スイカあるんだ。何時に行けばいい?!」
冷えたおっきなスイカを3つも。地元を代表し、みんなに感謝の言葉を伝えてくれました。
重夫さんの奥さんの顔が浮かんだ。
ダイエー労組の「食品売り場」経験者がスイカをカット。みんなで3切れぐらいいただいた後は、いつもの反省会。
今回で10回目のリピーター、名古屋からいつも来てくださるカルビー労組、嶋瀬さん(女性)に太田猛彦先生の著書「森林飽和」をプレゼント。
「皆さん、募金にも協力ください」と嶋瀬さんからもプッシュしていただき、合計15,983円も皆さんから募金。
現場での現金募金、僕たちこだわってますから嬉しかった。
(大阪マラソンに2度目の出場となるチャリティランナー藤澤さんのチャレンジを通じたプロジェクトへの寄附とさせていただきました)
藤澤さんのチャレンジはこちら
ゼンセンの皆さんが先陣を切って下さったおかげで、
この状況下でのボランティアの仕事量を把握できた。
24名の皆さん、いい仕事をありがとうございました。
続きは任せてください。いつかまた再訪ください。
ボランティアの皆さんへ
8月20日午後、2014年植栽地16haを踏査しました。
(仙台育英vs東海大相模(実家の近所)6対6までは把握してました)
昨年1,400人、今年度上半期700人、1年半2,100人。
ここまで多くの皆さんに現場で草と格闘していただきました。
割り切って7月18日を最後に1ヵ月、ボランティアを入れませんでした。
途中に投入するかどうか迷ったのですが。敢えて我慢してみました。
私自身も震災以来、1ヵ月も現場に来なかったのは初めてです。
オイスカ方式は、人件費も投入して初期生長を期して「施肥」をしています。
苗から20cmに3ヵ所、3角形の頂点に穴を掘って、1本あたり50gを3点に分けて。
よく見ると明らかに苗の周りに草が出ます。他と草の出方がまったく違います。
その肥料の影響は短期的かもしれませんが、何事も最初が肝心と考えています。
今日は当然、真っ先に2015年植栽地に行きました。
想像はしてましたが、草のスゴさに一人で笑ってしまいました。
続きはまた明日。
もっと、はるかに驚いたのは2014年植栽地。
徹底した「つぼ刈り(下刈りの1つの方法。こちらに参考写真あり)」の結果は抜群でした。
100%ボランティアの皆さんと行いました。
【ここで私が考えたこと】
1.これからの後半戦、とにかく去年の16haより今年の10haが最優先。ほぼ専念できる。
2.去年の16haのうち、北端南端(1区・6区合計3.32ha)はもう少し手を入れよう。
3.厄介なシリーズ、①小つる、②メヒシバなどイネ科系、③葛に強烈に打撃を与えた。
4.それでも下半期、16haすべてを、最低一巡、点検下刈することを目標にしよう。
「種が成熟し、飛散する前に!」(これが大事)
→仕事の優先順位を誤らず、限られた戦力を投入しよう。
5.とにかく、植栽初年度の下刈りを徹底することの大切さ。
→将来的にみて、必ず低コストにつながると思います。
6.「造園と造林は違う」。美しい100点満点を目指さない。余計なことはやらない。
佐々木統括から、プロの投入を改めて検討しようと言われました。
私たちオイスカ方式は、あくまでも、プロとボランティアの併用方式を極めます。
プロにも苦手なものがあるけど、プロの必要性も感じました。
このように草が生えているところもあれば、一見草がないように見えるところも。
そういう現場でも小さな草の芽を見逃さないようひたすら歩いて探してやっつけてもらいます。
達成感を感じられる作業ではありませんが、黙々と作業に没頭するボランティアの皆さんに
ただただ感謝し、その集中力に感動しました。
「為せば成る」。また、明日来る方と頑張ろうと思いました。
無駄なことを人にさせないように、自分の思い込みを排除して、草からも人からも学ばねば。
カウンターを持って、1年半後の「活着調査」をやろうと思いましたが止めました。
枯れたのを探すのは難しい。去年も今年も植えたマツは、皆立派に育っています。
多くの人に世話してもらって、幸せなクロマツたちです。
広葉樹のことも続報します。
数少ない生き残った者たちの頑張りも伝えねば。
広報室の林です。
タイトルの「ハンパない!」は昨日一ヵ月ぶりに現場入りした
吉田から届いたメールのタイトル。
添付されていた写真はこちら。
苗が完全に見えない!!
本当にハンパない!
草の生命力ってすごいですね。
どこにマツが生えているのか分からない・・・・・・。
今日はUAゼンセンの皆さんがボランティアに来てくださいます。
やりがいがありますね。
皆さん、マツを草むらから救出してください。
よろしくお願いします。
こんなやりがいのある現場で作業をしてみたい方、
8月29日のボランティアに参加してみませんか?
お待ちしています!
今年は本当に雨が降らず
昨日の甲子園は仙台育英vs早稲田実業。
早稲田の4番主将は、うちの息子と娘の少年野球の先輩。
僕も彼と3年一緒に野球やってましたので、早稲田応援してました。
1ヵ月ぶりに名取に来ました。
震災以来、1ヵ月現場に来なかったのは初めてです。
東北新幹線は満席。
迷いなく廊下にゴザを敷いています。
私にとって、名取と言えば「乾燥」。
今年はそれにしても雨が降っていない。
8月11日以降は降っていますが。
野菜も出来が良くなかったでしょう。
気象庁の名取のデータをチェックしました。
●植栽完了後の「5月~7月の3ヵ月間の降水量」、震災前の2010年までと比べて…
2010年~2014年 3ヵ月総降水量の平均 386.9㎜
2015年 3ヵ月総降水量 210㎜(過去5年平均比:59%)
*調べてませんが、観測史上最少レベルではないでしょうか。
●その3か月で「10㎜以上/日」降った日数
2010年:11日
2011年: 9日
2012年:12日
2013年:12日
2014年:10日
2015年: 6日 ‼
*我々にとって10㎜/日以下では、雨が降ったうちに入らない。表面が湿るだけ。
●植栽開始後「14日以上連続で降水量合計10㎜以下」の回数
植栽1年目・2014年4月1日~8月20日: 4回 (連続16日間、19日間、15日間、17日間)
植栽2年目・2015年4月1日~8月20日: 3回 (連続25日間、14日間、18日間)
*この2年植栽直後の連続少雨。クロマツはこれにも耐える。
しかしそれでも…
「草がスゴイ。ボランティアだけじゃ無理かもな」(今朝の佐々木統括からの電話)
私と同様、本部の林久美子広報室長も、ずーっと現場が気になっています。
統括は、クロマツのことは何も言ってませんでした(笑)
まもなく仙台。
今日は隅から隅まで歩くぞ!
2つの地元ボランティア団体からもお話を伺いました。
「八八松甦会」(はちはちしょうそかい)
こちらは30年以上にわたり、毎月8の付く日に落ち葉掻きや林内清掃のほか、
小・中・高校生に年3回松原の授業も行っている実働部隊。もちろん無給。
元役場職員の方からお話を伺いました。
「メンバーは10人ぐらい。みんな高齢なんだけど、やめるにやめられないんだ」
また「松原をよくする会」は、公園の無料案内所管理、林内の見届けを行っている。
再生計画立案の旗振りをした元町議会議長さんや、メンバーの元漁労長さん、社協支所長さん、
また、香川大学名誉教授の増田拓朗先生もご同席くださいました。
なんと、地表直ぐ下にグライ化(酸欠)の土壌があり、ここの松の根は、直根がなく、地面の下20cmの表層を這っている状況と対処法など、現状と課題を増田先生から聞きました。つまり、樹齢数百年の巨木の多くが震災前の宮城南部のマツの根と同じような根の形。
し かし、ここでは太い根が幹を中心に360度円形に根を張っているため簡単には倒れない。ですが、私の視察2日前に、クロマツ生木の巨木が突然倒伏した。 「よくする会」が即通報。行政も即対応。幸い県道に倒れなかったため被害なし。この実物は、根の範囲が小さい上、一方に偏った鳥足状に見えました。
「再生計画」の詳細が、ネットに掲載がないことが少し気になっていました。
ここで冊子を初めて拝見し、民間の旗振りで、民間助成金で立案されたことが分かりました。
委員一覧表が幾つかに分かれていることに注目しました。
私たちのPost2020において、このあたりが慎重を期する重要なポイント。
被災地宮城に置き換え、我がこととして考えてみました。
公有地ですから民間主導でありすぎると、官民の一体感や推進力を損ねる。
民間が先に進み過ぎてはいけないのだと、改めて肝に銘じたい。
何人もの方から時間をいただき、それぞれの体温を感じながら拝聴し、
ペーパーだけでは想像しえない大きな収穫がありました。
関係する皆さまの長年のご尽力を想うとともに、
私どもにお時間をいただいたことに心から御礼を申し上げます。
8月7日、オイスカ四国支部、池田次長の斡旋で、香川県内5か所で活動報告会と並行して
「津田の松原」で、「海岸林の将来ビジョン形成調査」を行いました。
2012年10月、高松で500人を前に活動報告するチャンスがあり、その際以来の再訪。
「私を5分間使ってください」の看板ともに、熊手がたくさん立っている松原です。
(過去に吉田・林ともに紹介)
何故こんなに「公園化」できるのだろうか? 保安林ではないのでは?
土地所有者がどこなのか? 地目は? 電話して聞いてもよい内容でしたがずっと疑問でした。
また、「津田の松原再生計画」が2012年に策定されたという四国新聞の報道を知りました。
その実施状況はもちろん知りたかったのですが、最も知りたかったのは、
多様な主体による森林の利活用と、森林保全の組織や、その仕組み、維持コストでした。
ビーチバレー大会に凧揚げ大会、林内では、文化協会の「吟行ポスト」、
陸上競技協会は「クロスカントリー大会」。
ロケ地としても年10件前後の利用。遊具もあり遠足の児童も多く、
道の駅もあり、駐車場も食堂もあり、観光地として十分。
以前、隅から隅まで歩いているので、今回は複数の方からの聞き取りに専念。
まず、県・市の担当課をそれぞれ訪問。いわゆる商工観光課です。
真っ先に大きな疑問が解決しました。
所有者は四国財務局。
廃仏毀釈の流れからか、明治初期に国有地になったのではないかという推測。
財務局から県が、公園として借りていました。
地目は「公園」。「森林」ではないので、保安林ではないということか。
だからこういう使い方ができるのか~ 納得。
名取はすべて保安林。それでも一部だけでも親しみやすさを加味できないか…
松くい虫薬剤防除の地上散布年間費用、公園維持管理費用とそれに含まれる
市シルバー人材センターへの管理業務委託費用なども、
詳細にわたり丁寧に教えていただきました。
年間維持コスト、シルバー人材センターを通じた雇用量など
大まかに推測する根拠、今後他の地区と比較するための情報を得ることができました。
これからじっくり、3年ほど時間をかけ、「海岸林の将来ビジョン形成調査」と題して、
Post2020年以降の計画を行政などに提案すべく、具体的な動きを始めました。
年間100万円強の費用は、新たに使途指定寄付を求め、すでに半額は快諾いただきました。
行政各方面とは、6月に情報共有・意見交換しており、
一緒に知恵を出し合うことで、前向きな回答をいただいています。
断続的にコツコツ、全国の官民連携の好事例を学び直そうと思います。
これまで4年半、東日本を中心に活動報告会と並行して現場を「下見」してあり、
掘り下げるべき注目ポイントは抑えています。
焦点は、官民連携の組織運営や、市民を巻き込む仕組み、利活用など。
また、長期費用積算の精度を上げること。
これも全国の事例を参考したいので、意識して情報収集します。
先日香川県では、「松くい虫対策を若齢林のうちから進めてほしい」という
専門家のアドバイスをいただきました。
また長期維持には、オイスカが中心になって集めた費用だけを原資にするのではなく、
官民ともに応分の負担が必要と考えています。
そして提言、提案。
奇をてらった突飛なものは一切なく、先行事例を宮城的に創造的模倣し、
ごく当たり前の提言、提案になると思います。
これまでの歩みの中でも一定の成果を出せたと考えていますが、
Post2020以降の軌道を引くにあたっては、オイスカの役割は非常に重要です。
まず2016年3月までに、協議も繰り返しながら「第1次提言」を行い、
3月12日(土)午後、名取市文化会館で「全国の好事例を紹介するシンポジウム」を行い、
提言内容を報告するとともに、好事例から将来像を炙り出したいと思っています。
今年上半期も現場では存分に頑張ったので、
割り切って、7月20日から1ヵ月現場に行っていません。
東京を起点に西方面で活動報告を行ったり
学校林など海岸林以外のことにも費やしました。
8月14日、大阪マラソンを走って下さる久我君との打ち合わせと併せ、彼のチャレンジを応援し、寄附していただいている方が多い掛川市で活動報告会を行い、男女比半々、幅広い年齢、オイスカの中野悦子新会長を含む40名以上の方が聞いていただきました。
静岡県沿岸には、東から西まで広大な海岸林があります。
震災以降、遠州灘や三保の松原を何度も歩きました。
富士市から沼津沿岸は、新幹線や第1・第2東名高速の車窓から、沿岸部が盛り上がって見えます。
その自然砂丘上に松林が延々と続き、東端には沼津の御用邸があります。
そして何といっても御前崎から浜名湖西の湖西市まで遠州灘全長100kmには、
150年かけて編み出されたと地元で言われる「人工斜め35度砂丘」が幾重にもあり、
その上に海岸林が造成されました。「遠州の空っ風」という西からの強風の飛砂対策です。
掛川市もそこに含まれます。
南海トラフへの危機意識が高い地域です。
「地震・津波が来たらすぐ退避」という看板、海抜の表示板が、すぐ目に入ります。
すぐ近くに高い場所がない個所も多く、袋井市や磐田市などには先人が「命山」と呼ばれる
円墳のような築山を築いてきたことに習い、国道沿いに新たに造成中の箇所や、
鉄骨の避難タワーがいくつも造られています。
活動報告会はだいたい1時間。
「宮城の現場報告」「寄附への御礼」が趣旨ですが、
そのご当地ネタを話すのは、あらゆる意味でとても大事だと思っています。
「地元なのに知らなかった」と言われることがとても多いのです。
ただ、全国各地の海岸林を見ていて共通して思うのは、
看板だけでももう少し設置して、「何のためにこの森があるのか」、
できれば先人の労苦や技術、松くい虫との戦いの現状に触れればいいのに…
と思ってしまいます。税金を使った説明責任として。
海外からご支援いただいた皆さんに
海外からの多くのご支援に対して、下記のような英文のメッセージをお送りしました。
グローバルギビング レポート
*オイスカ本部勤務のフィリピン人スタッフ、グラゼン(名取にはもう20回ぐらい行っているか?)、
ボランティアの鈴木昭さんが発信・報告を続けてくれています。
————【原文】——————————————————————
Global Givingのサイトを通じてご支援いただいた皆さまへ
震災以降、Global Givingのサイトを通じ、海外からご支援いただいた皆さまに
心からの感謝を申し上げるとともに、近況をご報告申し上げます。
被災地は連日30℃を超える真夏日が続いております。
津波浸水域では東日本大震災から4年半を迎えても、早朝からたくさんの重機の音が響き、
炎天下の中で復興事業に従事する人の姿があります。
2011年5月、「農業再生にとって不可欠な海岸林再生の担い手になりませんか」との
オイスカの呼びかけに応じた宮城県名取市の被災農家とともに、そして行政当局、
多くの市民、ボランティアの協働により、当プロジェクトは極めて順調に進んでおります。
2020年、東京でオリンピックが開催される年までが、行政が立案した復興達成の目標期間です。
当プロジェクトは、名取市の100haの再生に必要な苗木50万本を、被災農家自らが生産し、
その2020年までに植栽を完了。当面2033年まで管理を継続するプロジェクトです。
その実施に当たっては、復興交付金を頼らず、自助自立の必要性を重視し、すべて民間寄付金で、
被災地の雇用・生計支援を生み出すこととしており、2033年までに11,000人以上の雇用を創出します。
2012年3月、育苗に関する法律に則り資格を取った上で、初めてクロマツの播種を行い、
2014年4月、2年間育てた苗8万本を初めて植栽しました。
2015年4月、同じく5万本植栽し、これまで2年で26ha、計13万本を植えました。
潮風や乾風・寒風にさらされる防潮堤真裏の過酷な環境ながら、
生育率は運よくほぼ100%を維持しています。
年間1,400人の雇用、1日8時間除草などに従事するボランティアも年間1,400人。
活動報告会は年間30回、4,500人以上が聴講。
寄附金はこれまで4年で約4億円に達しています。
行政・民間ともに一丸となって復興を目指す日々は変わらぬものの、
全体の計画は順調に行っているものばかりではなく、
時が止まったままのような場所も、随所に見られます。
大地震に大津波が加わったことが、東日本大震災の大きな特徴であり、
極めて広範囲な被災地の、復興の道の大きな足かせ要因となっています。
土木・建築技術で世界のどこにも引けを取らないと自負する日本にとっても、
厳しい道のりを歩んでおり、技術者の不足、人件費の高騰、資材不足と価格の高止まりは
未だに続いています。
また、同じ市内においても、津波被害を受けた人とそうでない人、
仮設住宅を出て新居に移った人とそうでない多くの人などという生活格差は際立ち、
旧来のコミュニティーが崩壊したことにより、高齢者など生活弱者がとくに孤立化している
問題視されています。復興を目指す気持ちは一つでも、状況は決して単純なものではありません。
津波を目にし、まさに黒い波をかぶった多くの方たちは、未だに海に行く気になれないのが
正直な気持ちで、好きだった海釣りを封印している人をたくさん知っています。
その中で、私たちは100年、1000年先のためにも、海からの潮風から農業や生活を守る
古からの日本人の知恵の結晶である海岸林を、官民連携で再生させることで、
東北の創造的復興の一端を担いたいと考えております。
このプロジェクトは必ず成功させます。
これまでのご協力に深く感謝するとともに、ごれからもご支援いただきますよう
心からお願い申し上げます。
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「名取市海岸林再生の会」のメンバーは海外向けメッセージを手に持って写真撮影。
おい吉田君、これは『私は馬鹿ですって書いてあるんじゃないの?』(ご本人談)
香川県産抵抗性クロマツを採種した方と会えた
8月3日~9日まで岡山・香川に出張しました。
偶然にも、この2県から「被災地への協力」で、
マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツの種子が宮城県に送られ、
県と種苗組合を通じて払い下げられ、今春オイスカの育苗場でも播種。
しっかり育てられています。
残念ながら岡山県庁職員や、母樹林を管理し、種子を生産するいわゆる「県の林業試験場」
(県によって名称は違う。宮城の場合、林業技術総合センター)職員にお目にかかる機会は
ありませんでしたが、香川では、活動報告会に2度も職員が参加、
苗木生産農家の方も誘ってご参加くださいました。
民間に払い下げられた後、その後の様子を報告されるということはあまりないと思います。
「発芽率は90%以上。抜群の質の苗を目指して、被災農家の皆さんが本気で育てています」と
直接お伝えしたく、今回の出張間際に、育苗場の写真を収め持参しました。
マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツは、非常に長い年月を費やして、各県で開発しています。
いつ香川県の方が育苗場に来ても、2年後植栽された後も、
「これです」と指をさして報告できると思います。