2月10日、日本記者クラブ主催で、海岸林再生プロジェクトの報告の機会をいただき、
その模様をyoutubeで公開いただきました。(全1時間)
とくにご覧いただきたいのは、動画開始11分頃から、名取市海岸林再生の会の
櫻井重夫副会長が、ご自身で書かれた文章を読み上げる場面です。
ここでしか絶対見られません。
日本記者クラブHP 会見リポート
日本記者クラブの皆さま、諸事ご手配いただいたチーム海岸林の皆さん、
心から御礼を申し上げます。
ここでしか見られないのはもう一つ。
私が「TPP」を何度も「TTP」と言ったこと。
東京本部スーパーパートの和代さんからCメールで、ビシャリ!ご指摘(笑)
緊張して間違えたというより、根本的に間違えてました。
あと、燃料革命と木材自由化を言い間違えた自覚あり。
もう間違えません。恥ずかし~ みんなの代表なのに・・・
日本記者クラブでの報告を前に
植栽地実踏と2016年度の事業予定の打ち合わせを行いました。
その翌日、副会長の櫻井重夫さんと私は東京へ。
「お気の毒に…」、「吉田に関わるとホントに危ない…」と
みんなからシズラレながら。(*しずる=からかう)
上京目的は日本記者クラブ主催の活動報告会。
櫻井さんの奥さんも心配。
娘さんから「記者クラブってよくテレビで見るアレだよね…」と
メールがあったそうで。
ご本人は「眠れね」「ちゃんと帰りもホームまで送ってケロ。迷うガラ」
「やっぱイギタグネ(行きたくない)」と。
「ご安心ください。みんなを代表して、メディアを通じて5年の御礼を言うのが目的。
普段のまんまでイイんです」「人の批判はしない。嘘は言わない。それだけです」と。
新幹線の中で打ち合わせ。
櫻井さんは原稿を書いてくださったので読む練習。
途中で二人とも眠くなって。
揮毫するときも、挨拶するときも震えました。
二人とも、名取から会場に着くまでに3回もトイレに行ったし。
今回の会見は、コチラ主催ではなく、記者クラブの主催。
オイスカ55年でも初。
チーム海岸林で元フォーリンプレスセンター職員の鈴木昭さんと、
元日経新聞論説委員の小林省太さんの後押し、そしで記者クラブのご理解のおかげ。
「現場の人の話を聞く機会を設けたかった」と石川企画部長。
部長や小林さんからコツやアドバイスもいただきました。
今度の3.12以降は、震災復興の露出は一気に落ちるでしょう。
発表の模様は後日。youtubeにも出ます。
櫻井さんの話、感動して、涙が出そうになりました。
Post2020雑感⑪連載最終 海沿いの賑わい、沿岸活性化
連載の最終回にします。
ノンビリ書いているうちに2月になってしまいました。
宮城県石巻市では、暖冬の影響で、例年より1か月早く梅が咲いたそうです。
現場の速い動き出しも覚悟しつつ、春の寒の戻りも頭に入れつつ。
昨年8月から、普段の力を一部割いて「海岸林の将来と地域のビジョン形成調査」を少し
前進させたので、個人的な意見も含め、アウトプットしようとブログに書きました。
これからじっくり時間をかけ、多くの人と話し合いつつ、官民協働の成果にしたいです。
名取市は全国住みやすい街ランキングで第4位。東北では第1位という報道がありました。
しかし、繰り返し申し上げていますが、被災地の海沿い、波打ち際から幅数kmは農地・産業用地、
公園・スポーツ施設など公共施設は立つものの、人は住めない居住禁止区域ができます。
海沿いの賑わいはほんとうに取り戻せるのか、創造的復興は実現するのか不安にもなります。
仙台空港は民営化第1号。30年後には現在の倍の600万人利用を目指すと先週報じられました。
商業施設も充実し、東北から世界に向けた物流の一大拠点として、さらに魅力を増し、
海沿いのにぎわい創出の有力な拠点となるでしょう。
先日、閖上の漁港に水揚げされる赤貝を見る機会がありましたが、漁業・水産加工の復活も
少しづつ前進しています。
空港の北側では、TPP対応の農地整備が進んでいます。昭和40年代の木材自由化により、
外材輸入が一気に進み、国内林業が廃れた状況と同じことが農林水産業全般で起こらぬよう
大区画化、法人化、グループ化、機械化、大規模化が進み、若者の雇用も少しずつ進んで
いるように見えます。あくまでも名取の一部ですが。一法人で水田200haの取り扱いを目指す
法人もあります。
もう十分復興したのではないかと言うムードを被災地以外では感じますが、現場の立場から
言えば、これからが再建への本番です。
連載の最後は、「名取市地方創生総合戦略」「名取市沿岸活性化ビジョン」なども参考に、
「人の流れがどうなるか」という視点から、希望を込めて予想してみたいと思います。
●沿岸域の人の流れはどうなるだろうか?
*自動車
・第2次防御ラインのかさ上げ道路が、空港北側、東側を通り、物流の重要インフラにもなる。
・高速道路の名取スマートICなど、空港インフラがさらに整備される。
・閖上には慰霊碑や、水産加工場、朝市、防災ステーション、スポーツ公園など、人が集う
拠点化されるでしょう。
*電車⇒歩く
・環境省「みちのくしおかぜトレイル」(全長700km)が、海岸林の真ん中を通る可能性がある。
トレイルステーション、道標、休憩小屋、トイレも整備され、空港駅を拠点にして千年希望の丘や、
閖上港への日帰りウォーキング客が増える。蔵王連峰と海岸林と空港のビューポイントを
見ながら飛行機の真下の防潮堤も歩ける。トレイルが盛んな外国からも来るだろう。
*自転車
・宿泊も可能な名取市サイクルスポーツセンターが閖上にできる。全長4kmのサイクリング
ロードコースは、2016・2017年に植える場所の真ん中を通り、松原にもサイクリング客が
増えるだろう。ボランティアも風呂に入り、宿泊もでき、草刈りも自転車に乗って?
・サイクリングロードでは、毎年9月「8時間耐久ままちゃりレース」が復活。我々は草刈り
しながら、それを応援。それとも、チームとして出場?
*飛行機
・LCCや国際線が増便されると思う。国際線はまずタイ国際航空が復活するのではないか。
外国人観光客を増やす流れは進むだろう。空港から歩いて行ける被災地は、外国人も
見たいかもしれない。海岸林にも外国語による説明はもっと必要になる。
「火気厳禁」「地震が来たらすぐ逃げろ」など中国語でも書かねばならないか。
*商業施設
・「仙台国際空港㈱」の主軸である東急グループのホテルが空港内にできるのではないか。
仙台空港アクセス線の鉄道沿線活性化策は、それこそ東急グループが本領発揮。
・拡幅された貞山運河に船着き場ができて休日は閖上~空港~岩沼南部への貞山運河
遊覧船ができたらイイなあ~
・かさ上げ道路が完成した後は、大型トラックの運転手ターゲットの、大きな駐車場がある
食堂ができるとイイなあ~。野菜直売所や釣具屋もできるかもしれないなあ。
●海岸林の防災以外の価値
多くの方がふらりと訪れる憩いの場でもあり、遠足や学習で子どもたちが来られる場であって
ほしいと心から思います。きっと四季折々、多くの生き物を見ることもできるはずです。
海岸林の価値は防災だけではありません。観光や商業振興面の価値もあると考えています。
かつて戦争の惨禍から立ち上がったように、多くの方のチカラで震災から復旧した真の証し
でもあります。再生の会は2020年に「平成の愛林碑を立てる」と意気込んで積立しています。
それとともに、地盤沈下した湿地の真ん中にある昭和32年の「愛林碑」を救出して、一緒に
並べたいとも考えています。歴史をイメージできる場にもしたいです。
この5年、全国のさまざまな海岸林も見てきました。
人知れず、地域を守る機能を果たし続けているのに、何処に行っても見向きもされていない
きわめてマイナーな扱いをされている印象を持っています。
以上、縷々連載したように、名取の海岸林は全国の人々への格好の啓発の場でもあり、
それを活かすことは全国の海岸林の存在意義を知らしめる場でもあります。
また、これからは、「南海トラフへ対策へのモデル」にもならねばと思っています。
連載おわり
Post2020雑感⑩ 森づくりは人づくり ~不断の人材育成の必要~
●ベテランと中堅・若手の組み合わせ
私はプロジェクト全体を預かっているものの、現場では佐々木統括の指揮下に入ります。
この5年、多くの関係者に鍛えられ、支えられてきましたが、佐々木統括、清藤参事、
松島森林総合の佐々木勝義さん、東大名誉教授の太田猛彦先生なしに、この事業はあり得ません。
実践型のベテラン、シニア層の活躍・活用は社会にプラス。それに脚力のある
中堅・若手が、時々叱られ、ぶつかりながら、主体的に従うという図式でした。
技術の柱、理論の柱はベテランに、行動の柱は中堅がという分担はこれからも変わりません。
●いわゆる専門家と、実践家の違い
「事業規模・実践論で考える人が少ない」ことに苦労した5年でもありました。そういう私も、
反対側に陥ることもありました。佐々木統括にも、その点の甘さを見抜かれ、鍛えられました。
2011年7月、法人寄附第一号の三菱UFJニコス㈱の佐々木宗平社長が「これは大変だぞ」とコメント
したと、直後に社員さんから聞きましたが、非常に嬉しく思いました。規模感、コスト感を一瞬で
見抜かれたのだと思います。この言葉は私にとって何よりの励みになりました。
しかも、銀行家の中の銀行家から言っていただいたのですから。とにかく試験レベル、イベントと、
事業は根底から違います。肝心要では、ちょっとした失敗が、大きな損失に繋がるのですから。
●技術者の不足
行政は世論からも、公務員改革、人減らしの流れをたどり、結果、復興最前線は苦境に立ちました。
阪神大震災の時、某自動車会社はタイヤの多くを被災地に主力工場を持つメーカーに頼っていたため
大損害を受けました。あの時、「あそびのない現場はこうなる」と父が言っていました。
農林水産業全般において、現場に精通した人が不足してゆくでしょう。一人前になるのに10年は
かかるでしょう。バブル崩壊後、新卒採用を手控えたため、どこの組織も中堅の人材不足、
若手の育成が遅れている。海岸林のボランティアの日には、他県の行政マンが来ることもあり、
視察も相次いでいます。実践論・技術の研鑽を希望する人が集う場所でありたい。
●技術の継承
「海岸林施業は忘れかけられた技術」と言った方がいました。佐々木統括はご自身の経験に加え、
独自で技術の掘り起こしをしてきました。それを「次世代につなげる」という意識を強く持って
います。その対象は、私たちであり、「事業規模の植栽自体、ほとんど経験がない」森林組合の
作業班であり、行政当局でもあると思います。オイスカ版「宮城県南部海岸林再生マニュアル」は
必ず作りたいと思います。佐々木統括への聞き書きになるかもしれませんが。
また、私自身が佐々木統括の立場を担うことは能力的にできません。経験した世界が違います。
生半可の経験ではとても太刀打ちできない。佐々木統括とともにしてきた5年を振り返ると、
「統括はこのために生まれてきたのではないか」と思うほど、人生のすべてが生きて、あらゆる
ことを応用していると思います。鍛えていただいている今、本当に幸せに思います。
先輩から盗むしかないのですから。
●人づくりは大きく3つ
①野戦を担える実践家の育成
②経営・運営ができる市民の育成
③市民ボランティアの育成、市民全般への啓発
●若い世代へ
正直なところ、子どもたちにわが現場に来てほしい。ですが、教育の現場からも、親からも
そういうリクエストは全くないに等しいのが現状です。昨年、初めて仙台市、松島町、大河原町の
小中学校からオファーが来ましたが。まず、一人でも多くの教員、父兄に情報が届くよう努力を
します。海へのナーバスな感情が多々あるのは事実ですが、もう、震災から5年です。
ただ、「子どもたちのためにと言いながら、大人が上げ膳据え膳するイベントが多い」と、
私がPTA会長をしていた時の校長先生が言っていました。全く同感です。新学習指導要領の柱は、
「アクティブラーニング」。自分で考える力をつけるのが主眼と理解しています。
また、震災の時に小中学生だった子たちが、大きくなっています。何かしたいという気持ちがある
若い衆と出会いたいですね。農林水産業の担い手になろうという人が増えるといいなと思います。
いずれも地道ですが、意識的にコツコツ進めております。5年、10年かかると思います。
私自身の立場も①②でもあります。成長しなければならない立場。
今年はどんな出会いがあるのか、どんな出来事が起こるのか、楽しみです。
雪の中でもマツは頑張っています
こんにちは。浅野です。
今年初!名取に行ってきました。
というのは、1月24日の話ですが…更新が遅くなってしまいすみません。
先月の大寒波で名取も雪に覆われていました。
今回、いくつかの業務のために現場に来たのですが、その中の一つに
「3月13日の歩こうツアーの下見」がありました。
植栽完了地を端から端まで歩こうというツアーなのですが、
説明をしながら歩くということで、どこがどのくらい成長してるのか、
といった確認をしてきました。
雪の中、てくてく歩くこと数分…何かの足あとが。
さらに数分…また足あと。しかも違う種類。
動物・鳥…大小さまざまな足あとがいたる所で見られました。
約3kmの中にこんなにたくさんの生き物が帰ってきてることをすごくうれしく感じました。
それと同時に雪の中でも力強く生きているマツたちに元気をもらいました。
ということで、みなさんにも見に来ていただけたら…と思います。
3月13日に歩こうツアーを予定していますので、ぜひご参加ください!
Post2020雑感⑨ 資金をどう調達するか
●2020年以降は、官が出来ることは官で、民が出来ることは民で
あと5年で復興交付金は終わる。東北はいつまでも国税をアテにしてはいられない。
地主の応分の負担、自らの出費を覚悟いただかねばならない。オイスカも協力継続が
大前提だが、あらためて、地権者の「自助」の覚悟、応分の負担を再確認しなければ
ならない。「自助自立精神」に協力するのが、オイスカ創立来55年の不文律。
その上で、当方も覚悟して協力させていただく。これまでは民間資金で実施していたが、
今後は行政の施策・制度を駆使することも考えねばならない。
官が出来ることは官で、民が出来ることは民で。
●収入源の分散化
Post2020は、宮城県南部に広大な面積に植栽された海岸林が生まれる。
しかし、あまりに広大。十分な公的資金が、名取に供給されるとは思えない。
まず、毎年、下草刈りを行わねばならない。公的資金はNPOに投入されるのではなく、
地権者が所有する森に直接投入される。しかし、まずそれを第1の収入源と考える。
行政から林業事業体への委託の他、NPOに委託される部分もあるかもしれない。
第2に民間努力による収入。まず、名取には育苗~植栽~2034年までの育林費用として
10億円目標で募金を募っており、最低でも2億円は、オイスカで管理する「積立金」
(内閣府にも「特定費用準備資金」として計画を提出している。
それは、「仮称)名取市海岸林を守る会」の活動資金・運営にも活用する。
この積立金が第2の収入源となる。
そして、第3の収入源は、寄附金・民間助成金収入。寄附金募集は半永久的だろう。
収入源の分散化・多様化は、運営の独立性・安定性の意味で重要と考える。
●地元NPOの自己資金率
全国の地場NPOの自己資金率(公的資金に頼らない部分)は、依然として「極めて低い」
というのが、NPOコンサルの多くの所見。志で立ち上げても、公的助成、委託事業
による補助金収入が大半を占めるという状況。
①公的助成・補助金収入、②寄附・民間助成収入、③事業収入
以上の3本柱が考えられる。収入源の分散、②③が半分以上となる高い自己資金率が
安定経営には理想的。しかし、②だけでも相当の労力が必要となる。
また、③については、海岸林の諸資源による取り組みで、ビジネスベースに乗った
事例は聞いたことがない。
●資金獲得の手法
どのような目標を掲げ、どのような経過で目標に辿り着こうとするかと、資金獲得
の手法は大いに関係があると考える。結論から言えば、名取の海岸林の場合、
「出来るだけ多くの方から少しづつ」という手法で森づくりの労力も、資金も募るのが
妥当だと考える。しかし、きれいごとばかり言えないので、官民にある良い施策に
アンテナを張り、あらゆる制度を駆使しながら、やり繰りすることになるのだろう。
また、オイスカを通じて東京をはじめ国内外のパイプを利用してゆく必要もある。
10月の大阪マラソン、私と一緒に出場しませんか?
今年も大阪マラソンの寄附先団体に選んでいただきました。
一流の企画に参加できることは、私たちにとって財産です。
2年前、まったく選ばれると思っていませんでした。
それ以降、チャリティマラソンというオイスカ初体験の大きな企画を、
「大勢の人がそれぞれできることを少しずつ」というプロジェクトの基本方針を
文字通りで行った結果、「チーム大阪マラソン」となったようにも感じます。
「みんなが少しずつ」だから、今度は私の番。
今年も何か、少しでも Something Newが必要です。
ですから、プロジェクト全体を預かる者として、今年は走ります。
最初から走ってみたい衝動があり、もう堪え切れなかった。
昔の自分のイメージで考えちゃダメなんですが。
東北全体の復興完了を目指す2020年まであと5年。
これまで5年と同様、さまざまな、予想しない事が待ち受けていると思います。
それらを乗り切るために、私自身がもっと成長しなければ。
走るのはその一環。決意に弾みをつけるために。
まずは、一生懸命歩くこと、鍛えてゆくためのカラダの準備から始めます。
10年前、林業会社に入る準備もそうでした。
まずは昼休みも真剣に歩くことから始めました。給料のイイ、
山専門の測量会社にバイトで入り、自転車で通勤し、
20kgの機材を背負い、杭に沿って山を直登する毎日でした。
夏は休みのたびに多摩川で泳ぎ、昼寝して。
その甲斐あって、山ではウリボウを素手で捕まえる寸前の
運動神経になりました。
でも今はまた、典型的なオジサン。
故障はバカバカしいので、じっくり準備します。
smoking、drinkingは、断固継続します。
名取の海岸林は、僕のトレーニングの場にします。
どなたか、チャリティランナーとして、
僕と一緒に大阪に出場しませんか?
大阪のビールも、串焼きも、イイですよー。
チャリティランナー詳細はコチラ→http://www.oisca.org/kaiganrin/3048
お問い合わせはこちらまで。
kaiganrin@oisca.org
Post2020雑感⑧ 宮城南部では誰がどのように担うのか?
●宮城県南の重要な特徴
「海から幅数km、人が住まない海沿いが何十kmも続く、今の、未来の被災地」
全国の海岸林の多くは沿岸部に住む人に親しまれ、守られている。数km先に住む人が
わざわざ海まで行って朝夕の散歩をするとは思えない。依然、海に行くことを避けたい
心情が色濃く残っている。市民の中で忘れられた存在になるのが現実だと思う。
だからと言って、市民参画をあきらめていいのか?また、役所任せでいいのか?
東北魂をここでも示さないといけない。海沿いの賑わいを取り戻したいはず。
人口統計などのデータを見ると県南は、仙台・名取・岩沼は増加が続き、亘理・山元は
大幅減の傾向は明らか。市民参画力もまちまちであり、公共工事中心で進めるゾーンと、
市民参加を期待するゾーンと色分けできる。
「壮大な規模の育林実務が待っている」
実質6年の短期間で1,000haを超える史上稀な造林を行っているのが今。しかし、海岸林は
将来木材になる経済林ではない。木材からは永遠に何の収入もない。復興交付金もあと5年。
その後は、地権者の負担。すなわち市民の税金。なぜ海岸林が必要なのか、市民に理解を
促進し、あきらめず参画を求めなければならない。まずは下刈・つる切り・除伐を確実に
進めなければ、これまで投入された資金が無駄になる。置き去りにしては、将来必ず
マスコミから叩かれる。
「国・県・市と、地権者が分かれている」
これは大前提となる、最も基本的で、重要事項。また、連携が滞ることを前提に、それに
対応した構想が必要。「その連携は役所同士の責任でしょ」と言うのはその通り。しかし、
「コミュニケーションが悪い」のは民間も同じこと。世の常。何が何でも連携を強めなければ
●再生・保全基本計画の立案を望む
2011年に林野庁「東日本大震災に係る海岸防災林の再生に関する検討会」の報告が、
被災3県全体の再生基本方針となった。Post2020に関しても、壮大な規模の植栽が完了した
後の、堅実な育林を保証するための指針・目標が取りまとめられることを期待したい。
同じ場所で国有林・民有林が接する現場でもあり、しかも壮大な規模の復旧を今後も滞り
なく進めるため、各森林管理署や各県を中心に、地域の実情にあわせ、中長期基本計画が
つくられることを期待したい。佐賀署では日本森林技術協会に委託して調査を実施し、
その報告書が基本計画となった。
●人が代わっても不動の、核となる実行体制、実行計画が必要
提案:「宮城県海岸林保全連絡会」
市町村行政には実務に精通した人は極めて少なく、その上、林業は兼務で優先順位が低い。
広域連携・情報シェアを行い、全体方針確認システムが必要だと思う。各市町村担当者同士
も顔が見える関係になり、互いを参考にし、地区毎の施策の凹凸を減らす森林育成につながる
のではないか。各市町村ともに、地元にNPOが育っていなくても、林業・造園会社への委託など
日常業務を、担当者自らが、根拠を理解して発注できます。
実行部隊の編制方式、具体的方法は複数考えられる。シミュレーションや、議論はまだ
これから。しかし「たたき台のたたき台」として気負わず言えば、現時点では大きく2案。
各地の事例に学びつつも、行政や関係者との意見交換に時間をかけて、当地なりにアレンジ
することができる。
●名取での方法論
A案:「協議会」方式(虹の松原型)
国・県・市を含む官民で協議会を編成する。協議会事務局は市。協議会内部に技術部会や、
市民参画部会を設ける。市民の窓口・参画受付・サポートは「守る会」に、ボランティアに
担えない部分はプロに、それぞれ協議会から業務委託する形式。緻密な連携・分業が重要で、
協議会事務局のハンドリングが鈍いと業務が滞りやすい。
B案:「直接協定」方式(えりも型)
現在のオイスカ&再生の会と地権者との協定を発展的に解消。国・県・市も森林組合も
各種団体もオイスカも一員である「守る会」を再編成し、地権者と協定締結。
プロの活用なども「守る会」が一手に担い、各市民団体、企業なども、守る会のもとで参加し
ます。極めてシンプル、責任も明確ではあるが、守る会にお任せになりやすい。
B枝案:オイスカ直接関与方式
新団体を立ち上げるのではなく、オイスカ宮城県支部内に、①支局(当法人では推進協議会と
呼び、全国に約50ヵ所の会がある)、または、②海岸林部会を設置するという手法も考えられます。
メリットとしては、オイスカ内なので、会計管理・監査などに代表される、事務の単純化・
軽減になり、新団体を立ち上げるよりもスピーディーに移行できます。
●核となるNPOの育成
NPOは何のために世の中にあるのか?多くの存在意義があるが、この場合で言うと「接着剤」
「潤滑油」「コーディネート」という言葉が当てはまる。串刺し的に様々な関係者を横断的に
繋ぐ。駆けずり回るのは森林組合、行政、企業でもやることだが、仕事によってはNPOに期待
されている部分。行政も補助金・助成金・業務委託という典型的な方法だけでなく、具体的な
協働実務を通じて技術力向上などNPOを育て、NPOも経営努力して若い人が生涯働ける場に
成長しならなければならない。
中野悦子会長、永石安明専務理事の名取訪問
専務理事の永石安明です。
海岸林ブログに初めて寄稿させていただきます。
1月12日~13日、中野悦子会長に同行し視察しました。ご存知のように、オイスカでは
東日本大震災直後からクロマツ苗木を自家生産し、10年間で50万本、100haの海岸林再生を
目指す、という当時の状況から考えると途方もない目標を掲げて今年で5年目になります。
当初は専門家でさえ、危ぶむ声の中でのスタートでした。しかし、現場で既に植栽が終わった
26ヘクタールの植林地と、そこに隣接する新規植林予定地を見学し、そこで立派に育つクロマツの
幼木を見たとき、これは本当に日本だけではなく、世界にも誇れるものであると確信しました。
現場責任者の説明によれば、植栽されたクロマツ苗木は補植前時点で98%の活着率(2014年度)、
2015年度は99%以上と聞き、それを目の前にして、それが確かな事実と改めて分かりました。
また、 育苗場で生育中のコンテナ苗(抵抗性クロマツ)も発芽率も93%を超え、県内トップを
維持しているとのこと。これには地元の林業専門家も驚くほどの成果で、全国の自治体はじめ
各界の専門家の訪問も後を絶たないとのこと。寒風、潮風、栄養分不足などの過酷な
条件下としては驚異的なことなのだそうで、これを見て、やはり専門家の叡智と地元住民
現場担当者の熱意が、生き物であるクロマツに伝わったものではないかと感じました。
今は亡き、池田広志フィリピン・ミンダナオ島エコテック研修センター所長が常々言っていた、
「植林とはただ木を植えるのではなく、人のやる気を植えなければ本当の森には育たないんだ」
という言葉が私の脳裏によみがえって来ました。これこそが、正にその言葉を地で行くプロジェクト
ではないかということです。
現場視察の後は仙台森林管理署、宮城県森林整備課、若生宮城県副知事、佐々木名取市長などを
表敬訪問しました。訪問の目的は、昨年6月に新しく就任された中野悦子会長の挨拶と、海岸林再生
プロジェクトが6年目に入るのを前に、国民の記憶から大震災が薄れる中、「オイスカはこれからも
腰を据えてこのプロジェクトを実施していきます」との意思表示と、現地でお世話になっている
関係者への感謝の気持ちを伝えるためでした。会見の席上では、名取市海岸林再生の会代表の
鈴木会長も同席され、地元住民やオイスカ関係者の現場での血と汗の滲むような努力があって
今日に至っているので、継続的な支援をお願いしたいと訴え、これに対し、林野庁関係者、
宮城県、名取市関係者からは、プロジェクトを高く評価するコメントをいただくと同時に継続的な
支援の要請を受けました。
オイスカでは設立当初から現場主義を唱え、1960年代のインドへの農業技術指導者派遣を皮切りに、
東南アジア各国へ農林業の指導者を派遣すると同時に、アジア太平洋、アフリカ、中南米からの
青年を日本へ受け入れ、農業を通じた人づ くりに携わってきました。
そして、1980年代以降は従来の活動と並行して、環境保全の一環としての植林活動を世界35カ国で
展開しています。途上国における植林活動を30年以上続けて導き出されたものは、現場地域住民の
理解・協力なくして プロジェクトは成功しない、ということ。それは、ただ単にお金だけの関わりに
止まらず、住民との固い絆・信頼関係があって初めて成り立つものです。そのような海外での
経験をもとに海岸林再生プロジェクトが実施されていることを改めて実感した訪問となりました。
Post2020雑感⑦ 残念に思えた各地の事例・・・
●学びの場への工夫不足・・・
海岸林の存在意義、造林史の紹介の不足は、どこの海岸林も共通。「学びの場」への
工夫が著しく欠如しているのは非常に残念です。歴史的文化的価値の高い石碑等の扱いは、
目を覆いたくなるし、悲しくなることは多い。千葉県館山市平砂浦では、心ある人が
個人のブログで苦闘の歴史を刻んだ石碑を紹介していたので、知ることが出来た。
また、何処に行っても林業部署、観光部署、教育委員会の足並み不統一を常に感じる。
あまりにバラバラ。哀しい世界。少しの想像力、少しの思い遣り、少しの助け合いでいいのに。
市民やNPOも、役所任せにせず出来ることがあるだろう。海岸林は一部の人しか
関係しない、あってもなくても関係ないマイナーな存在なのだろうか。労せずして
多くの人が海に来るのに、誰もが無意識に通り過ぎるだけ。極めて勿体ない。
山形県庄内海岸では「先人の苦労を知り、守ろう海岸林」と豪快に書かれた
看板を見て、ここの歴史に相応しい看板と感じた。海岸林ではないが、
岩手宮城内陸地震の地滑り現場には、栗駒山登山や湯治客の多くが立ち寄る場所に
技術者も唸るような説明が多数設置されており、読み耽る人の多さにも驚いた。
海岸林の現場もアカウンタビリティー(説明責任)を果たそうという感性が必要だ。
●海にレジャー来た人は全員素通り・・・
香川「津田の松原」では、海開きに来た人やトライアスロン大会に来た人などまで
短時間でも「落ち葉掻き」をするそうだ。唐津「虹の松原」でも来訪者を活用している。
学びの場への工夫と同じだが、一人でも多くに森林に親しんでもらうだけでなく、
保全にも手を借りようという手を打つ、貪欲な現場は少ない。
隣接した観光地だけが突出し、森は無視され、荒れ放題という現場も多く見た。
林業部門も「ちょっと待ってよ!」と庁内で押し返す自信がないのかもしれない。
●団体の乱立と主義主張の対立・・・
しかるべき筋から、大きな松原の保全に関して「内部対立」のうわさを聞いた。
クロマツvs広葉樹論争が影響している地区もある。「リーダー」(総責任者)に
熱意も意識もなく、旗色が不鮮明で、おのずと配下は輪をかけて、熱意の欠片もない
現場も見た。資質を無視して充て職でリーダーを決めるとブレやすい。
自分の選挙に利用していると陰口をたたかれている地区もあった。「本当の専門家」を
見極め、重要なポジションで迎え、その発言を重視する必要がある。虹ノ松原の様に
「すべて協議会のテーブルで決める」と明言して、安定運営している例も。
●基本計画を公開しては・・・
基本的に全国森林計画、市町村森林計画は5年、10年単位で作られる。従って多くの
現場には「基本計画」はある。しかし、これからの時代は、専門性が高い現場や、
注力せねばならない現場、市民参加を特に必要とする現場は、ちょっとひと手間かけて、
現場第1線の専門家や、地元のキーとなる組織の代表を取り込んで策定しては。
オリジナルや読みやすい概要版を公開しても良いのではないか。ある場所では、民間が
進んで十分な「基本計画」を立てたものの、立案メンバーが「民間だけ」だったため、
拘束力が全くなく、お蔵入りしている残念な事例も見た。
●目標林型が定まっていない・・・
海岸林の整備方針立案の際、本当に精通してるわけではない先生が委員となり、
専門分野のバランスを欠く委員構成、一見して疑問な計画も幾度か見た。観光・
産業分野が妙に強かったり。従って、目標林型が明らかにおかしく、理解に苦しむ
施業をしていたり。自然砂丘が地盤なのに、海を目の前にタブノキを植えるのは
最たる例。やはり、基本計画、目標林型など大目標がしっかりしていない仕事は
後々仕事する人が苦労する。
●辞めるに辞められないんだ・・・
88歳のおじいちゃんのひとこと。30年も落葉掻きを続けてきた団体。その実績から
顕彰歴はものすごい数。自薦で獲得してきたとは思えない。現在メンバーは16人。
「毎年誰かが辞めるんだ・・・」。一方、無給で頑張っている人を尻目に、「ガイド・巡視」
と称して行政から「お小遣い」をもらって、毎日椅子に座っている団体が並立していた。
小さな街の両団体を、みんな見て見ぬふり。
●NPOの力量不足と社会的地位の低さ・・・
何でも行政が担うという時代はもう終わり。しかし、NPOも以前に比べ力量を付けて
いるが、その経営力、資金、雇用能力、自己資金が不足し、役所の委託事業が収入の
大半を占めるのが全国共通のNPOの姿。涙ながらの努力で無理矢理担うのが実態。
雇用の受け皿として成長途上で、若い人にとって職業として食っていけない。
立ち上げることは易く、続けていくことは難し。NPOを下請け扱いする世間の目、
社会的地位の低さもいまだに多々感じる。「彼らはボランティアで、好きでやってるんだから、
無給でさせればイイ」という見方。しかし、総務や事務力も強いNPOは現場でも強い。
何でも無給が当たり前ではなく、コアを担う人が安心して働ける人は安定雇用せねばならない。
●お互いを育て合おう!
「NPOに委託したら口を出さない。余計なことを言わず任せたくなる」というのが行政側
の心情だと感じる。行政側の人員不足から丸投げになるのだろう。「専門知識不足から
遠慮して逃げている」と口にしたNPOもあった。まともに協働してれば微調整や、細かな
協議、最前線からの情報提供、節目節目の確認など、無意識のうちに、ごく自然に
コミュニケーションは密になる。熱意に感化され、どんどん相手も変わってゆく。
NPOと行政が、互いの役割を補完し合い、教え合う、育て合うぐらいのおおらかさがないと、
協働出来ないのではないか。お互い万能じゃないのだから。