大禮(大正)記念植樹碑 津波で流された先でようやく発見
2016年8月1日( カテゴリー: 名取市海岸林の歴史 )
7月28日、「大正記念植林碑」とうとう発見しました。
盛土工事の三和建設の現場監督の方に石碑がなくなったと伝えていたので、
探してくださっていて教えてくれました。
北釜の方たちや、市役所にも報告します。
やはり100mほど、広浦の水辺にまで流されていました。
あんなに大きくて重たい石碑が。
名取沿岸には、このプロジェクトにも大きく関連する4つの石碑があります。
・海嘯碑(明治三陸大津波の被害記録など。津波で閖上日和山の上から転落)
・大正記念植林碑(津波で流された後、所在不明だった)
・国土緑化碑(昭和28年下増田小学校の全国学校緑化コンクール第1位記念。
津波で100m流され倒伏していたのを確認したが、いまは所在不明)
…ブログ「全国学校緑化コンクール特選(全国第1位)」http://www.oisca.org/kaiganrin/blog/?p=13410
・愛林碑(昭和32年まで10年間の植林記念碑)
…ブログ「愛林碑とは」http://www.oisca.org/kaiganrin/blog/?p=2135
…ブログ「愛林碑が見つかった時」http://www.oisca.org/kaiganrin/blog/?p=2132
名取市海岸林再生の会の鈴木英二会長が公民館長の時に編纂した。
「ふるさと下増田物語」に下記のように記述されています。
大禮記念植樹
(即位の儀式を記念し植樹したことを記す)
大正四年乙卵十一月
現在の天皇が行幸し、即位の儀式を京都、大空のもとにおいて行われ
この祝いを真心から讃え歓ばない者はなく宮城懸名取郡下増田村長阿刀田義潮君と有志が
相謀って言うには、私たちの村は早くから自治模範の村とほめ讃えられ今がある。
まさにこの盛典を前にしてこれに答えるよい企画、永遠への事業がない。
天皇の恩恵をもし我々の子孫が知らないとしたら知らせるべきだ。
有志一同、謹んで話の内容を理解したいと言った。
そこで村議会を招集し、満場一致で協賛、すなわち、土地を選び定めることになり、
同村下増田字須賀に松の樹、三十万株を植えることになった。
即位記念儀式祝いに面積凡そ三十六町八反歩(36ha)、経費約千六百余円、
その植樹には老若男女相競い仕事に就いた。大正五年三月十一日に始まり、
其の十五日に終わり、その間、僅か五日間村民同心を一つにしての思いがこもっていた。
天皇の恩恵をすぐにこのようにかなえたのであろうか。
親しき友阿刀田君に請われ、私が其のことつまり松の樹がすべて翠となり、
盛んに茂る春夏秋冬変わらずその幹抜きんでて高くそびえるさま百尺に及び、
むなぎ(棟木)とはり(梁)の材としてその、固くて変わらないことに配慮すべき。
天皇恩恵に対してその祝いに今ここに君が松の樹を選んだことはそもそも有意義というべきである。
大正五年四月 仙台 民間人 今泉彪謹 撰書丹