異動
東京本部の机の引き出しには、震災以降に交わした名刺3,000枚がビッシリ入っている。
使ったら手前に入れるので、手前ほど接触頻度が高いと言える。
その名刺を文字通り擦り切れんばかり使わせていただいた人が、異動になりご挨拶に伺った。
あらためて聞いてみたら、その方の仙台着任と、私が震災後初めて仙台に行ったのとは、
まったく同時期の2011年5月。
お互い組織を代表し、現場最前線で相対するということは、技術面から、組織運営面まで
打ち合わせのカバーエリアは極めて広い。浅く広くではなく、深く広く、どんな話でもできることを
お互いに求める。技術屋が軽んじられる昨今、技術の話になれば止まらない人が窓口であることは、
我々にとって最高に幸せなことだった。いつも会っているのに、今日も、あっという間の1時間半。
「オイスカさんは大丈夫だから」。2014年の整備協定締結前1年ぐらいは会うたび、話すたび、
そう言われた。「俺が責任もつから、一切心配するな」と言われているようにいつも感じた。
このプロジェクトが無事進んでいくように俺が守って見せると言っているように聞こえた。
プロジェクトの本質、どういう仕事でありたいか、大事なことは何か、一番深く理解してくれていた
一人だった。
「すぐまた来ますよ」と言ってくれた。
写真展や、シンポジウムには、いつも私服で来てくれた。
私にとっては「兄貴分」でもあり、「戦友」の様に思っていた。
とても残念だけど、私服でも会える人がまた一人増えたと思うことにしよう。
この方の他にも、風の噂が伝わってきた幾人もの、とてもお世話になってきた方に一言ご挨拶に伺う、
毎年恒例の宮城出張だった。