岩手県田老町を歩きました

2015年2月26日( カテゴリー: 海岸林あれこれ )

またとない岩手出張。
大槌町のシンポジウム終了後、宮古から北へ足を延ばし、
岩手北部の復旧の状況を見にゆきました。

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「X堤防」のX上部。右上が直撃を受け壊滅。           中央上が田老観光ホテル。


日曜日にもかかわらず観光客は決して多くなく、「春節」とも無縁。
世界最大の堤防と言われた「X堤防」を一目見たいと思い、 三陸鉄道「田老駅」にただ一人下車。
高台の駅からは、復旧の真っ只中の町全体を一望できる。
はるか先に見える住宅高台移転先は大工事中。
この町では海近くの平地に戻る人はなく、土地利用計画は徹底されているように見える。
駅は居住区から離れており、人々の営みは海から遠くにしか見えない。
宮城・岩手・福島いずれとも同様の、
私にとっても「いつもの荒野」を海の方向に歩き始め、
河口部の川と並行した小規模な松林に向かう。
津波でさらに疎林化するも、すでに林床はクロマツとタブノキを混植済み。
浪板海岸も同様の樹種。いずれも試験植栽の模様。
川の水がとてもきれい。遡上したサケの死骸が多数。見かける鳥も、宮城とは違う。
田老町の市民球場のグラウンドは、復興事業用のセメント工場に変わり、
ズタズタになった観客席が残る。
海面高10mの「X堤防」の上に立つ。
今はまだ、Xのどこが破壊されたのか、津波のエネルギーの方向がよくわかる姿で残っている。
有名な「田老観光ホテル」の1・2階の柱の一本一本もここから見える。
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昭和8年の雛祭り未明に900人が亡くなった


電車の時刻まで少し余裕があり、海から1キロほど先の集落へ向かう。
その入り口には大きなお寺があり、入り口にたくさんの石碑が。
「海難殉職者供養」もあるが、多いのは「津波供養塔」。
よく見れば、それに並んで東日本震災の石碑も。
田老町は、明治38年、昭和8年、昭和34年、平成23年の大津波が直撃している。
津波を指す「海嘯(かいしょう)」という言葉は、宮城よりも岩手の言葉だろうか?
震災直後に読んだ、『三陸海岸大津波』(著:吉村昭・新潮文庫)でこれを知った。
2月22日の岩手日報は、「津波供養塔」を1ページ全面を使って特集記事。
「県内の明治昭和チリ地震の津波碑は225基」。宮城84基、青森4基と比べて多い。
私が見たのは、塩竈市の浦戸諸島の「チリ津波慰霊碑」に続いて2つ目です。
「津波碑」について詳しくは
国土交通省東北地方整備局HP
岩手日報HP

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