2019年5月7日

ポスト海岸林について ~ECO-DRRの知恵を求めてNo.1~

  • ECO-DRR
  • 本部スタッフ
  • 海岸林担当の吉田です。
     
    社会人1年目のこと。関西研修センターが即刻始めた緊急支援活動の
    後方支援として、資金獲得、物資供給、関西以外からのボランティア派遣などの
    阪神大震災の復興支援に直接関わりました。
    「オイスカは災害支援の素人。4ヵ月以内で一切終了」と言い切って始めました。
     
    それから14年後の東日本大震災。再び国内の大災害に関わるとは思いませんでした。
    プロジェクト立ち上げのくだりは、海岸林再生プロジェクトのHPなどに
    書いているので割愛しますが、
    直感的で、猛烈に沸き上がった闘志は、片時も忘れません。
     
    去年、社会人最初の後輩で、タイ駐在代表の春日智実さんの一押しもあって、
    「10年のプロジェクトが終わるまでは海外には行かない」と何度も言っていた計画を、
    2年半前倒ししてタイ北部と南部、今年はフィリピン北ルソンをじっくり出張しました。
     
    オイスカタイの同僚。外洋アンダマン海に面したマングローブ造林計画地、インド洋津波が再度来れば死者多数が確実の村にて(2018年12月)
    オイスカタイの同僚。外洋アンダマン海に面したマングローブ造林計画地、インド洋津波が再度来れば死者多数が確実の村にて
    (2018年12月)
    オイスカフィリピンの「子供の森」計画コーディネーター。1993年から540ha造林したヌエバビスカヤ州キラン村(水無村の意味)にて。この翌日からの山火事で120haに延焼(2019年3月)
    オイスカフィリピンの「子供の森」計画コーディネーター。1993年から540ha造林したヌエバビスカヤ州キラン村(水無村の意味)にて。この翌日からの山火事で120haに延焼(2019年3月)
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
    令和を迎えたいま、東日本大震災と同等の闘志と動機を自覚しています。
    海岸林は、2021年から第2次10ヵ年計画として続きますが、
    色々な人の意見を聞きながら、今後オイスカに期待されること、
    オイスカだからできること、端的に言うとポスト海岸林を考えてきました。
    この8年、災害復旧の厳しさや、強い風、吹き付ける塩、多すぎる水、少なすぎる水と接し、
    世界の気候の変化、国内外のさまざまな災害も自分事になりました。
    ですが、思いとは裏腹に、これまでの経験では未熟。
    伊能忠敬は50歳から日本地図への道を歩みました。
    令和を迎えたいま、私も今年50歳ながら一から勉強したい。
    内外の仲間とチームで頑張りたいと思っています。
    後々の記録と、多くの支援者・ボランティアへの情報公開・報告義務遂行のために
    はじめた海岸林HPブログは、チーム力でもうすぐ2,000回ですが、これから取り組む
    国内外のECO-DRRについても、備忘録を兼ねて、時折書いてゆこうと思います。
    私は、誰かの支援のおかげで出張もできるし、仕事もさせてもらえると思っています。
     
     
    *ECO-DRRとは「(森林など)生態系を活用した防災・減災」
     
     

     

     

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