皆さん、こんにちは。
海外事業部の山本です。6月10日(火)~11日(水)、宮城県に出張しました。これまでは海岸林再生プロジェクトの現場に行ってボランティアさんと一緒に作業することが多かったですが、今回は海岸林視察のほか、宮城県支部の会合参加、近隣の震災遺構の見学などをしてきました。
支部の会合に出るのは今回が初めてです。会合でお会いした方々もほとんどが初対面の方でした。
「オイスカの活動は多くの方々に支えられている」ということは頭ではわかっているつもりでも、実際にお会いしたことで、顔を思い浮かべることができる方が増えたことがうれしかったです。これからも、こうして実感を持って考えられる範囲を広げていきたいと思います。
6月11日(水)は、海岸林のある名取市から北東に70㎞ほど離れた石巻市にある大川小学校に行きました。
私がこの小学校のことを知ったきっかけは、「子供の森」計画担当のスタッフとの会話でした。「子供の森」計画を実施している各国では、推進役となるコーディネーターがいます。そのコーディネーターを日本に招聘して研修を行うことがありますが、その研修での訪問先の検討中に、この大川小学校の話を聞きました。
オイスカは「子供の森」計画を含め、さまざまな活動の中で森林保全を行っていますが、その目的のひとつには、「森を育て災害に強い地域をつくる」という考えがあります。もちろんそこには、森と災害の関わりや防災に対する地域の人びとの意識や理解を深めることも含んでいます。
大川小学校は、2011年3月11日に発生した東日本大震災のときに、高さ8.6mの津波が襲い、児童74名、教職員10名が犠牲となりました。
当時の状況を伝え、いのちについて考える震災遺構として被害に遭った校舎が残されています。

残された校舎や裏山に記されている津波到達点などを見て、もし私が震災時にこの場所にいたとしたら、津波がここまでくると考えられただろうか、どんな判断ができただろうかと考えました。そして、もし今後大きな災害に直面したときに、どういう判断をすべきだろうかと考えました。
展示室で、遺族の方の記事を読みました。お子さんの遺体が見つかったときのことや、月日が経つ中でのお子さんに対する思いなどが書かれていました。
これまで、「震災」と言葉で言ってしまうとき、あまりにも漠然としすぎていて、そこで何があったのか考えないままになっていたように思いました。
たとえ、ほんの一部であっても、少しでも実際の状況を知る努力をしなければ、何もわからないままだと強く感じました。
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