オイスカインターナショナル事務局長の木附文化です。
10月4日(水)、4年ぶりに対面のみで2023オイスカ国際理事会が東京で開催。理事会後には、海外出席者23名が参加し、静岡・浜松ツアーが実施されました。
前回は理事会の様子をお伝えしましたが、今回はそのツアーの様子を紹介します。
10月5日〜6日浜松ツアー
10月4日の理事会のあと、海外からの23名の参加者が浜松ツアーに参加しました。訪問先は、10月5日、御前崎市の有機産業、浜松市のオイスカ浜松国際高校(以下、オイスカ高校)10月6日浜松市の中村建設株式会社、スズキ株式会社、中野祐介浜松市長です。
有機産業は、本田浩次(農林水産業活性化構想研究所代表)著『日本の農林水産業が世界を変える』に紹介されている会社です。鈴木一良社長は、農業を始めて40年間良い堆肥作りを研究されています。そして、その堆肥による大変品質の高い農産物を栽培出荷され、そのノウハウをほかの農業者に積極的に教えたいと活動しています。その訳は、「決してビジネスだけのためにやっているわけではない。私には農畜産業を盛り上げたいという強い気持ちがある。私が長い時間かけて培った技術は全て無料で教えている」とのことです。
この農場の高品質生産物はたくさんあります。その一例がメロン。同書籍でも「静岡はメロンの生産地として有名です。鈴木氏は独自の生産方式を編み出し、他の農場よりも品質の高いメロンを生産しています。例えば土壌は消毒はしません。接木もしなければ農薬も使いません」と紹介されています。
鈴木社長は、自分のノウハウを特にインドの農業開発のために使いたいと言っています。現在日本国内では、大小約150の農場、会社が提携しているそうです。
オイスカ高校では、校内の施設を視察した後、タイからの留学生ほか3名の代表と対話をしました。
タイの留学生は、上手な英語で自分がオイスカ高校に入学した理由を「日本の美術や工芸品を見たい。オイスカ高校で日本の学生のほか、さまざまな国から来る学生を交流し、異文化を学びたい。そして農業の体験ができることを魅力に感じて入学した」と話してくれました。
また、寮生活については、「とても有益なことを学んだ。フィリピン人留学生は私に、難しいと思っていることでも自信を持って思い切ってやってみることを教えてくれた。日本の友だちは、自分が何か行動するとき、何を優先的にやるか、その次に何をするかなど計画してから行動することを教えてくれた」と、友人から刺激を受けている様子も語りました。また、「卒業後は学校の先生になりたいと考えている。タイはまだ教育の分野で改善の必要がたくさんある。将来は自分の研究、体験をもとに国の教育政策にも提言をしたい」という大きな夢も語ってくれました。
翌6日は、オイスカ会員で、長年技能実習生を受け入れてくださっている中村建設を視察しました。
まず、建設の現場を視察し、その後、社長はじめ役員の方々の歓迎を受け、事業内容の説明を伺いました。そしてマレーシアから来ている二人の技能実習生が、現場で行なっている作業について説明し、実践を通して技術を学んでいることを紹介しました。中村建設は、近年の気候変動による大災害、南海トラフ地震大津波などを予測し、そのような自然災害に耐え、かつ限りなくカーボンニュートラルに近い技法を研究するなど、重要なニーズにいち早く取り組んでいることでも有名な会社です。
午後は、スズキ株式会社の歴史博物館を訪れ、鈴木修相談役、鈴木俊宏社長らの歓迎を受け、参加者は大変感激しておりました。鈴木修さんは40年ほど前、インドに進出することを決定しました。
そのとき、オイスカのインドにおける活動推進者であった、D.N.シンハ氏は、浜松に来て鈴木修氏に会い、「スズキの軽自動車はインドの大衆にぴったりの車だからぜひインドに進出してほしい」と話したそうです。その息子アロック・シンハ氏が、今回のツアーに参加しており、そのようなエピソードを紹介していました。特にインドではスズキの名前は全国に知られており、そのインド進出立役者の鈴木相談役と一緒に写真を撮るなど、みんな興奮気味でした。
最後は、浜松市の中野祐介市長を表敬訪問しました。永石安明副総裁、アロック・シンハ副総裁が訪問の趣旨を説明した後、市長からは、浜松市にあるオイスカ高校が積極的に国際交流の役割を果たしていることがありがたいとの趣旨のスピーチがありました。アロック・シンハ副総裁は、「浜松から世界的に有名な山葉、豊田、河合、鈴木、高柳、本田などものづくりの創業者が輩出されていることを知り、とても感銘を受けた。今後もインドと浜松の深いつながりが育っていくことを念願する」という趣旨のスピーチをしました。
特に浜松の訪問先を決めるにあたって、オイスカ静岡県支部の内山事務局長が積極的に働きかけを行なってくださいました。こころより御礼申し上げます。