海岸林再生プロジェクト担当も兼務している啓発普及部の鈴木です。

先日、8ヵ月ぶりに子ども2人同伴で宮城に行ってきました。
主な目的は、「北釜地区震災メモリアルゾーン完成披露記念式典」への出席。
この式典の詳細は、吉田さんがブログに詳しく掲載していますので、私は気の赴くままに綴っていきます。

何より嬉しかったことは、
ずっとお付き合いのある名取市閖上出身のイラストレーターのico.さんがとても喜んでくださったこと。
式典は、「一生に残る素晴らしい機会だった」と。
これまで、ico.さんに数々のイラストを手掛けていただきました。
海岸林再生プロジェクトのパンフレットなどのイラストのほとんどはico.さんの作品。
プロのイラストレーターですから、雑誌やリーフレットなどの印刷物への掲載も数多くあるようです。
数々のお仕事の中でも、今回は
「半永久的に残るものですよね。嬉しいです」とも。
半永久的にというのは、ちょっと大げさ(^^;ですが、
確かに、紙のように捨てられることなく、雑誌のように一過性のものでもありません。
長い年月にわたって公園に遊びに来た親子連れに見ていただけるという意味では、これまでお願いしてきたお仕事とは違い、喜びもひとしおだったようです。
1歳の娘さんが本調子でなかったこともあり、ゆっくりお話しもできずじまいでしたが、対面でお元気なのを確認できただけで嬉しい時間でした。

右側がico.さん。いつも明るくお元気なので、お会いすると元気をいただけます

もうひとつ
お元気なのを確認できたといえば、元日経新聞論説員の小林省太さんが、プロジェクトの記録誌「よみがえれ!海岸林」を執筆するために2016年にインタビューをした88歳のおばあちゃまに会えたこと。
北釜で生まれ育ち、北釜の家に嫁いだおばあちゃまです。
私をまったく知らないのを承知で声を掛けると、インタビューのことを思い出してくれました。
北釜の歴史が残ることをとても喜んでおられました。

中央が88歳のおばあちゃま 「ここに写ってるよ!あっここにもいるよ~」などしばし見入っていました。写真はみな無くなっちゃったから、懐かしいねとも

忘れてはならないのは、
この「北釜地区震災メモリアルゾーン」設置のために尽力され、名取市海岸林再生の会の会長でもある鈴木英二さんの存在。
北釜地区は居住禁止区域となり、ここにかつて集落があったとはとても想像できません。
集落の500年の歴史を何とか後世に語り継ぎたい。
その強い思いが名取市を動かし、メモリアルゾーンの設置に至りました。
メモリアルゾーンから、震災の津波で殉職した消防団の慰霊碑と、北釜地区の方の慰霊碑へと続く小道が「天にも昇るような道です。昇天するよう」
「この上な喜びです」と、挨拶の言葉を結んでいたのがとても印象的でした。

ふるさと北釜を残す会の会長でもあり、名取市海岸林再生の会の会長でもある鈴木英二先生。
津波から間一髪のがれ、「生かされた人生」を地域のために尽くしておられます。
ベンチは、英二先生の旧宅の玄関の上がり框(かまち)部分を再利用して作られたもの

式典で流れていた森山直太朗の「さくら」
そのフレーズ
「またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で」
今は、ばらばらになってしまった北釜のみなさんが、
さくらの季節
この場所でみなさんが笑顔で集えるようになるといいな
そう願っています。

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