本部・海外事業部の藤井です。
ミャンマーの情勢は不安定な状態が続いていますが、先日、現地の2つの研修センターの現状をご紹介をしました。(便り①、便り②、便り③、便り④)
今回は、今年25年の節目を迎えるミャンマー事業について、25年前の研修センター設立準備の頃の様子を、当時の懐かしい写真を元に2回に分けて振り返ります。
研修センターを設立することになった場所は、見渡す限りの赤茶けた大地が広がる場所でした。
現地に派遣された日本人開発団員(当時の呼称、以下団員)が測量をしています。
センター設立の場所は凸凹の場所で、最初は土地の整備作業から始めました。
作業には現地の人を雇用し人力で行いました。
日本から派遣された団員(大工)も、ミャンマーの硬い材木の加工には苦労しました。
日本人の団員(大工)が現地の大工に指導をしながら、一緒にセンター内の建物を建てていきました。
後ろに見えるのはミャンマー国内でどこでも見られるパゴダ(仏塔)。
センターの農場近くでの作業の様子。
当時、ミャンマー国内で珍しかった一般の農場用の灌漑水路(センター農場内)の建設の様子。
センター前の道路脇にもほぼ樹木(緑)はなかったので、近隣の村人と共に植林をしました。
作業中の休みの一コマ。
現地女性はロンジー(腰巻きスカート)に日焼け止めのタナカを顔に塗っています。
日本人団員も現地の人達と一緒に汗を流し、センター設立という同じ目標に向かって邁進しました。
作業終了後、日本人(肩の上で笑っている)団員とミャンマー人の交流の一コマ。
次回も、研修センター設立準備の頃の様子をご紹介します。