海岸林担当の吉田です。
オイスカ全体の次期10ヵ年計画立案に関わっています。
コロナ禍寸前の1年前、ミャンマーのわがオイスカ研修センターに行ってから、
ここ三富新田(さんとめしんでん/三芳町・所沢市)を再訪したいと思い続けました。
ミャンマーのあの地は、車で5分行けばサボテンの世界、半乾燥地を通り越し、
沙漠化の最前線です。トゲのある低灌木と豆類しか育たないと言っても過言ではありません。
三富新田に初めて行ったのは1997年ごろ。
オイスカの「子供の森」計画の林業研修の一環で、外国人スタッフと一緒に行きました。
本部事務所からは1時間半以内、関越道の 三芳SAの西。
当時は視察の意味もここの偉大さもわからずでした。
小学校の屋上 から1,000haと言われる新田と、平地林の雑木林を見て、
農家の軒先でサツマイモをいただいたことだけは覚えています。
あの時、教わったことを、20年経って少しわかるようになった・・・
東武東上線「柳瀬川」駅前でレンタル自転車「ダイチャリ」を借り、
途中の三芳町歴史民俗資料館に寄って、ネットに出ていない知識を稼ぎ、
テキトーに方向を定めて自転車を半日こぎました。
鍛えていないので、尻の皮が剥がれそうになります。
でも電動自転車だし、風もなく穏やかで、カラダは余裕でした。
この辺りは青梅に端を発する扇状地の末端で、かつて玉川上水、野火止用水のように水を引こうとして失敗したと博物館で知りました。関東ローム層の赤土の台地、冬は秩父おろしの強風で、細かい赤土は乾燥して「赤い嵐」と言われる状態になります。私は同じく関東ローム層で台地の相模原市出身。
目に砂が入るのはカラダで知っています。
三富新田は1700年頃に柳沢吉保の手で開墾され、「川越いも」で今も有名。
「武蔵野の落ち葉堆肥農法」として日本農業遺産です。
開墾後数十年は、粟や稗しか 採れなかったそうですが、
甘藷(サツマイモ)を導入してから、暮らしがよくなりました。
この土地、この農法では、畑とほぼ同じ面積の雑木林が必要だそうです。
荒れてしまった林もありましたが、林内に集められた落ち葉の山々、
まさに落ち葉搔きをしている農家さん、圃場には堆肥置き場の数々・・・現役で300年以上続いています。
開墾当時は地下20m~40mまで井戸を掘った形跡があるのが、
雑木林のおかげで地下水位は10mまで上がっているそうです。
家々には常緑樹と 落葉樹を組み合わせて配置した、多機能な屋敷林もあります。
圃場用の雑木林は 林帯幅が非常に分厚く、
落葉していても防風林の効果もあると思えました。
また、圃場の畦道に換金作物になる茶が植える工夫があり、
せっかく作ったよい土が飛ばぬように小さな防風林としています。
私の自宅近所でもそうですが、茶やツツジを畔に植えるのが武蔵野流なのかもしれません。
森林が生活の基盤となり、維持される姿。
まずオイスカ本部や研修センター農場 スタッフ、海外駐在員を連れてきたい。
みんなと議論してみたい。
オイスカミャンマーのスタッフはもちろんですが、
新田を作るようなものですから、農業灌漑省や現地WFPに見てもらいたい。
どう思うかな?
名取や内モンゴルで培ったオイスカの乾燥地造林技術を応用して、いつか挑戦してみたい。
ちなみに、NHK「逆転人生」のつい最近の再放送でも紹介された、
産業廃棄物処理の有名な会社「石坂産業」もこの三富新田にあります。
従業員さんを一目見たら、社員研修とかで教わって繕ったのとは違う立ち居振る舞いに誰もが驚くでしょう。
相当な自主性と誇りを持っているように見えます。
オッちゃんたちの表 情がカッコよかった。今度は予約して工場見学したいです。
東京ドーム数個分の 「今昔村」(有料)を設置しながら、森林保全にお茶目かつ、
本気で取り組んでいる様子がわかります。林内にミニ機関車も走らせてます。
運よく空席があり、ヨソの幼児と乗っちゃいました。
cf.「柳瀬川」駅周辺及び、三富新田とは逆方向の地区は、関東有数の水害地帯でした。
いずれ書きます。昔の工夫を。志木市宗岡という地域で、岐阜のような 「巨大輪中」「水屋」「水害防備林」の世界が残っています(激安で抜群の味 の蕎麦屋もあり)。関東にも輪中はたくさんあります。
コロナ禍におけるオタク のECO-DRR研究は、行くアテがゼロなのに、
その地のうまい店も無駄に予習。印のない県はナシ。
携帯のGoogle Mapで完全管理。