本部・広報室の林です。
先月下旬、ミャンマーの小杉駐在代表からとても考えさせられるブログの投稿をいただきました(ちなみに先月帰国した小杉駐在代表は、愛知県の自宅で2週間の待機を余儀なくされました)。
バングラデシュの駐在代表も経験し、現在もバングラデシュの業務調整などのためにミャンマーから出向いていかれることもあります。
今日は、そのバングラデシュが話題ですが、私たちの日常生活とも大きなかかわりのあるテーマです。
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4月24日の今日、考えたいこと
バングラデシュの首都ダッカ近郊、オイスカ研修センターのあるサバール地区には、縫製工場が乱立している。高層建築、従業員5千人以上規模の工場も数多く、バングラデシュ全体では500万人以上がアパレル産業に従事しており、縫製品は同国の輸出の80%を占め、中国に次ぎ、世界第2位の縫製品を作り出している。
そうした工場エリアでは、退社時間になると、人の波がそれぞれの会社から道路へどっと繰り出し、動きの取れない車やリキシャの間を、大行列の従業員がすり抜けていく。大方は地方からの出稼ぎ、8割方は女工さん。彼女たちは、サロワ・カミューズというカラフルな伝統服を着こなし、ヒラヒラとまた颯爽と歩く姿は、殺伐としたバングラの中では、華やかでさえある。
7年前の今日、2013年の4月24日、サバ―ルの町の中心地にある煉瓦造り8階建て、5つの縫製工場や銀行等の入った商業ビル「ラナ・プラザ」が崩落。死者1,134人、負傷者2,500人以上を出す最悪の惨事となった。世界のファッション産業の汚点が暴露される形となった。
※当時の写真がないため、現地の建築事情をイメージしてもらえそうな写真を掲載
元々5階建てだったビルを数回に渡り8階まで増改築、後に地盤の一部は池を埋め立てたものと判明。このオーナーは町の有力政治家であり、違法建築を推し進めた結果であった。前日には、建物に亀裂も発見されており、警察も危険と判断して退去を命じたが、会社側は納期があることから、それを受け入れず、従業員には避難を許さず、解雇をちらつかせながら勤務を強い、その翌日を迎えることとなった。9時頃、停電と同時に、階上の数台の大型発電機が一斉に稼働、同時に数千台のミシンも稼働したことで、建物全体が共振を起こし、数分でビルが崩壊したという。
また、この事故の少し前にも、近くのタズリーン・ファッションズの縫製工場で火災が発生し、少なくとも112人が死亡し、200人以上が負傷。その工場には非常口はなく、正面玄関の鍵はかけられたままで、労働者は脱出することができなかった。後に、火災で焼損した衣料品につけられたブランド名には、世界でも有名なアパレルが多数あった。
この後、事故をくわしく調査していく中で、労働コストの安さの名の下に、労働者たちは、経営者側から不当な扱いを受けていたこと、工場の劣悪な労働環境の改善や安全管理のための法整備も進んでいないことが、世界にも知れ渡るようになり、各国のアパレルメーカーとしても、その労働環境を監視する団体を作るなどの動きも出てきました。
農村から出てきた彼ら彼女らのトタンに囲まれた長屋での生活を見ると、その労働環境がどれほど改善されたかは疑問であり、今はまた、新型コロナウイルスの感染拡大により、欧米などのアパレル業界からの注文のキャンセルが相次ぎ、工場労働者は解雇、賃金未払いなどに遭い困窮している。守られない弱者に変わりはなく、田舎に待つ人も居るだろうにと思うと同時に、その貧しさからの脱却はあるのか、オイスカは何ができるだろうかと・・・思った次第です。
写真は、朝7時50分。工場に歩いて向かう人たちの様子です。
参考に。
ユニクロ製品などの製造国が記されています。
着ている服が、どこでどのように作られているのか、考えてみてください。