11月26日、さいたまスーパーアリーナ4階 TOIROスペース4で「地球環境を考えるトークイベント2022冬 世界を幸せにする『 緑化 』成功への秘訣」を開催しました。会場65人、オンライン150人の合計215人にご参加いただきました。
オイスカは、世界各地で緑化活動に1980年ごろから40年以上にわたり取り組み、これまで23,332ヘクタールの緑化の実績があります。
このイベントでは、森林科学が専門で東京大学名誉教授の太田猛彦先生とともに、オイスカの緑化事業に長年携わってきたスタッフが「世界を幸せにする『 緑化 』の成功への秘訣」が何なのか語り伝えました。
<登壇者プロフィール>
【ファシリテーター兼コメンテーター】太田 猛彦 先生(東京大学名誉教授)
専門は森林科学で、山地の土砂災害について研究する第一人者。砂防学会、日本森林学会、日本緑化工学会の会長および日本学術会議会員を務めたほか、「東日本大震災に係る海岸防災林の再生に関する検討会 」座長を務めるなど、国や都県の関連行政機関とも関わる。
著書 『森林飽和-国土の変貌を考える 』(NHK出版)他多数
【コメンテーター】冨樫 智 氏(OISCA College LTD. 千葉大学非常勤講師)
中国内モンゴルで2001年から沙漠化防止活動を開始し、1,400ヘクタール、207万本の緑化を行う。2015年からウズベキスタンでもスタート。地元農牧民と漢方薬の栽培を行いながら、塩害や沙漠化防止の研究も行う。専門は林学、土壌学(農学博士)
【コメンテーター】長 宏行(公益財団法人オイスカ 海外事業部 調査研究担当部長)
緑化をはじめとした環境保全事業の責任者。海外でのマングローブ、海岸林、山の緑化を長年担当。
<全体のながれ>
1.オイスカとの関わりとイベント趣旨説明 -太田 猛彦 先生-
2.オイスカについて、ウズベキスタンについて -長 宏行-
3.内モンゴルでの緑化活動の事例とウズベキスタンのアラル海での取り組み -冨樫 智 氏-
4.世界各地で実践しているオイスカの緑化の特長 -3人のトークセッション-
① 長期継続
② 住民巻き込み
③ 技術と知見
1.海岸林再生プロジェクトにかかわった経験から、「とにかく立ち上がりが早い」印象
(オイスカとのかかわりとイベント趣旨説明 -太田 猛彦-)
本格的に国際NGOオイスカとお付き合いするようになったのは、2011年東日本大震災の後。巨大津波で破壊された海岸防災林の再生にあたり林野庁を中心として「東日本大震災にかかる海岸防災林の再生に関する検討会」が設置され、その座長を務めました。オイスカも海岸林再生事業を計画していたこともあり、プロジェクトの最初からお付き合いさせていただきました。
オイスカはとにかく立ち上がりが早かった。国の方針もわかっていないのに、もう地元民と話し合いの場をもっています。
NGOにありがちな独善的ではなく、林野庁とも綿密に協力しあい、それだけではなく、昭和時代中頃には海岸林そのものはすでにできあがっていたため、一から造る技術が継承されていない中で、オイスカは技術も開発しながらやっていて、いったい何者なのかと思いました。
2006年、当時所属していた東京農大の沙漠研究チームの内モンゴル調査に同行し、初めて沙漠を経験し、その際に初めて冨樫さんに会いました。
2.オイスカは大自然からの恵みをいただいての活動
(オイスカについて、ウズベキスタンについて -長 宏行-)
OISCA(オイスカ)は、Organization for Industrial ,Spiritual and Cultural Advancement-Internationalの頭文字をとったもので、Industrialにこの団体の特長が現れている。大自然からの恵みをいただいての活動という想いを込めての「産業」で、林業や農業、植林活動はその代表的なものです。
調査のため11月18日までウズベキスタンに出張したが、日本人にとってとても親しみを感じる国でした。親日感情がとても良く、戦後のシベリア抑留者が建設したナボイ劇場は、1960年代にタシケントの多くの公共建築物が倒壊する大地震が発生したが、この建物は残っていたというので、国民が日本人をリスペクトしてくれています。
3.薬草を育てるための植林という逆転の発想
内モンゴルでの緑化活動の事例とウズベキスタンのアラル海での取り組み -冨樫 智-
2001年から中国の内モンゴル自治区に入り、緑化に取り組んできて、失敗への秘訣はたくさん話せるが、成功への秘訣は一番遠いところにあります。
最初に内モンゴルに入った目的は植林でしたが、春先の一番忙しいときに外国人がきて、「植林しましょう」と言っても誰が一緒に木を植えてくれると思いますか?自分の生活さえままならない中で、木を植えるような余裕はないという状況でした。ここで本当に成功できるのか?と、人もお金も地元で協力してくれる人もない中で、2006年までの5年間はもがいて、どうやったらうまくいくかと考え続けました。
また、沙漠化と貧困の負のスパイラルから抜け出すにはどうしたらいいのかをずっと考えて活動していた。
そんな中で、サクサウール という植物のところに生えていたニクジュヨウを収穫している牧民を見て、木を植えるという発想ではなく、漢方薬を育てるという逆の発想にすれば木を植える人が増えるのではないかと考え、戦略的にニクジュヨウをサクサウールに人口寄生する方法を研究していました。
薪にするため、サクサウールを伐ってしまい、私が行った時は800キロにわたって伐ってしまっていて砂嵐が起こっていました。
一方で、私がなぜこのような植林活動をするかというと、ひとつは在留邦人の安全を守るためでもあります。反日運動が中国のあちこちで起きた時、上海の(オイスカカレッジが運営する)オイスカ日本語幼稚園 のまわりにも集団が来た時、地元住民が人間の壁を作り防いでくれました。近所の人たちはオイスカの活動を良く知ってくれていて、関係のない子どもたちを守ってくれたというエピソードがあります。単なる緑化だけではなく、海外の日本人の安全を守るという意味でも非常に重要な例だと思います。
内モンゴルアラシャンでの植林本数の変化グラフでは、2001~2009年まで植林がほとんど進んでいないが、地元の人たちの収益になるとわかった2009年からいっきに広がり、コロナ前まで増えてきている状況でした。2018年は174,666ヘクタールと東京都に近い面積の緑化が1年で進んでいます。これだけのムーブメントを起こせば、アラル海の緑化は難しくないと個人的に思っています。必ずできると思っています。
中国 内モンゴル自治区 アラシャンでの植林本数の変化
食糧需要は2000年に45億トンだったものが2050年には70億トンになります。これ以上、生産面積は増やせない一方で、1.7倍の食糧が必要です。今、取り組んでいる乾燥地、半乾燥地で緑化が進み、土壌ができれば、食糧生産基地としての可能性もあるというのが非常に重要です。
なぜ、ウズベキスタンで植林プロジェクトをしようと思ったのか?
1ヵ国でやっていくところの限界と、北緯40度ラインの同じような気候の国にも乾燥地の緑化の技術を広めていけないかと考えました。中国・新疆ウイグル自治区のウルムチからカザフスタン、ウズベキスタンと回った中で、一番適した場所がウズベキスタンでした。
日本は環境先進国ではありますが、インパクトのある場所で(日本の技術を活かした活動を)やっていないため、世界から評価されていません。日本の技術を活かしてアラル海の環境緑化がうまくいけば、かなりのインパクトになると絶対思います。
ウズベキスタンのアラル海は冬に雨が降るので蒸発量が低く、飛行機播種ができます。水分が多い分、PHが高く塩害が起きています。ウズベキスタンはモノカルチャーで綿花を栽培し続けてきたため、国中の土地が荒廃してしまっていますが、それを戻す方法は必ずあります。
アラル海が琵琶湖の100倍くらいだったのが10分の1になり、湖底の砂が巻き上げられ砂嵐が発生していることで、肺病 高血圧 腎臓病などの病気の方が多く、平均寿命が65歳。カラカルパクスタン農業大学でも、卒業しても仕事がなく、今まではロシアに出稼ぎに行っていましたが、今は仕事も産業もない中、緑化をしながら産業を創っていければ、かなりのインパクトがあり、必ず成功すると思っています。
4.世界を幸せにする緑化の成功への秘訣は「長期継続」「住民巻き込み」「技術と知見」
世界各地で実践しているオイスカの緑化の特長 -3人のトークセッション-
【長】最初に、ウズベキスタン以外の国々の緑化事業の事情を説明します。
<インドネシア >
マングローブ植林は1999年から本格的に初め、23年間で3300ヘクタールの森をつくりました。プロジェクト 開始前は、海からあがって養殖池の水で長靴を洗おうとすると、「やめろー!」と管理人が怒ってきました。その当時は抗生物質をどんどんいれて滅菌状態のような状況で外から泥を入れては困ると、ちょっと異常な状況でした。ところが現在では、多くの養殖場オーナーが周囲にマングローブを植え、共生型の養殖池になってきました。長くやっていると周りの方々もだんだん変わってくるのだと思います。
<フィリピン >
(ヌエバビスカヤ州 植林プロジェクト ) もともとここはとんでもないはげ山。毎年台風に襲われ、乾季はカラカラで熱帯雨林というより熱帯乾燥林に近いようなエリアでこの状態までくるには本当に大変でした。はじめは10種くらい植えたが台風で倒れ、残ったのは1種類だけ。それを10年間くらいやり続けて、やっと土壌ができ、今は固有種などを植えて多様な森となっています。
<タイ >
チェンライの山の森づくり 近隣のモデルプロジェクトとして、いくつものはげ山を再び緑に戻しました。ただ木を植えるのではなく、山菜を採れるようにするなど、住民が生活できるようにするところまでケアしています。
ラノーンのマングローブの森づくり もともとはエビ養殖やスズの採掘、違法伐採、違法居住などで穴だらけでした。今では、立派なマングローブ林になりました。県をあげて世界遺産登録を目指しています。
これらの国での森づくりに共通している3つのキーワードがあります。
①長期継続性
長くやっていればいいというものでは必ずしもありませんが、20年、30年継続するのは当たり前。緑化だけでは住民がついてこないため、生計向上の道もあわせてやっていきます。
緑化活動は、現実には簡単に終われないことが多い。そのため私たちは独自で覚悟してやります。助成金3年間、次に他の助成金、次は企業さんから5年間など、さらに募金でもお願いする。労働組合さんは長く継続していただけるところもあり、色々な資金ソースを考えながらプロジェクトを継続します。NGOならではだと思います。
②住民巻き込み
とにかく住民が暮らしていけなければ森の持続可能性はないという決意で、人材育成事業や農業研修事業もあわせて、徹底して住民を巻き込んで色々な発想でやっています。
③技術と知見
長期継続しているから色々なノウハウが生まれてきます。かつ、人材育成事業や農業研修事業と色々なことをやっているので発想が豊かです。現地のニーズからすると、緑化だけではなく、貧困問題もあり、緑化活動だけしかやりませんというのはやはりおかしい。現地を見て本当のニーズを探り地域を包括的にケアしているからこそ、森の維持にもつながっていると思っています。
【太田】
オイスカの長期でやるというということはどういうところかきているのでしょうか?
【長】
支援企業や労働組合さんが現地にツアーに行き、ウズベキスタンへもNPOグリーングラスロッツ さん(オイスカ愛知県支部役員が会長を務める法人)が訪問し、こうした方々の熱意や継続性に後押しされて、それがエネルギーとなり、プロジェクト推進の原動力となっています。日本人がわざわざ訪問してくれ、しかも毎年というのは、現地の方々にとってエネルギーとなり、友情になり、継続力になっているように思います。
また、一定期間オイスカが実施した後、現地に移管できる状況であればバトンタッチする場合もありますが、緑化は、木が一人前になるまで10年以上かかります。森になってからも色々と脅威や責任があるので、長くお付き合いすることの必要性とメリットと両方あり、長期継続するようになったのかなと思います。
【冨樫】
熱帯と違い、内モンゴルは3~4年でも腰高くらいにしかならず成長が遅いので、結果が目に見えるまで時間がかかり、どうしても長期でやらざるを得ないというところがあるのかなと思います。
ウズベキスタンでも、アラル海で採ったサクサウールの種を選抜して塩害に耐性の高い種を作ることも手付かずなので、これをやらなければと思う。
サクサウールという木はエンドファイトという植物と共生する細菌があると、これを使って日本の農業にも応用できるとか、色々な発見がたくさんあると、毎日、毎年が新しい発見の連続で、新しいもの見つけた!と宝探しみたい。そうなると、楽しい。新しい発見で継続してきた面もあります。
【太田】
私が見ていて、最初の計画が大胆ですが、自信があってやるのか、相当覚悟をしてやっているのではないかと思うのですがいかがでしょうか?
【長】
ウズベキスタンは2014年から入り、はじめは色々な場所に行き、2~3年前にアラル海に行きつきました。去年、アラル海での4万ヘクタールの緑化計画を打ち立てましたが、11月に現地に出張し、再調査をしてこの計画を変えました。アラル海は、最大で干上がった湖底の540万ヘクタールの緑化が必要です。いちNGOで4万ヘクタールは大きいのかもしれませんが、オイスカ単体でやったとしても、大きなインパクトが期待できるというものでもありません。
現在、現地の林業局や国連機関、色々な機関が540万ヘクタールの緑化をしています。行政的なこともあるだろうと思いますが林業局は灌木林、木本類の植林しか行っていません。冨樫さんは大学や内モンゴルでの経験があり、灌木林、木本類だけでなく、グランドカバーしPHを下げる薬草類も合わせて行うなどして緑化に貢献することができます。
NGOだからこそ、これまでの技術と発想を活かして、色々な機関とつながり、もっと実質的な大きなことをやろうということになってきました。
【太田】
最初にもいいましたが、海岸林再生プロジェクトは行政が動き出す前から10年計画を出し、地元民を巻きこみ、資金も自前で手当てし、なかなかこういうNGOやNPOはありません。しかも10年計画をぽんと打ち出すというところがすごいなという感じがしました。
オイスカは何といっても住民を巻き込んでいる。現地の人との関係。オイスカはどのような主義で現地の人との関係を築き、どのように実践してきたのでしょうか?
【長】
緑化事業で言うと、住民の方々を雇用します。雇用でなく、ボランティアでいいのではという意見を持つ方もいますが、しっかりと雇用すれば、彼らも生きていけます。オイスカは家族主義的なところがあり、現場でもビックファミリーのようになってきます。どこの国の植林グループも、みなさん結束が固く、パートナーとなってくる。そうなると、彼らからニーズがあがってきます。例えば、インドネシアでは、自分たちでモデル養殖やらせて欲しいなど、いくつもでてきます。
【冨樫】
内モンゴルは、私が最初に入った時は、内モンゴルには金山があり、あいつは金をねらいにきたという噂が流れ、木を一緒に植えようというと、緑化という概念がないのであいつは頭がおかしいと言われながらも入っていったのですが、地元に人との関係をつくるのは時間がかかります。地元の人たちと一緒に毎日お酒を飲んで、羊の肉を食べて、車で一日700キロ走って村を訪ねる中で、地元の人たちにとって私にどういう役割があるのかということを考えながらいくと、地元の人たちが、あっまた来た!とだんだん歓迎してくれるようになります。
【太田】
地域の生活をどうするかという上での植林でないとうまくいかないとなると、地域の人と一緒に、あるいは生活を組み込んだプロジェクトでないとうまくいかないということなのだろうと思います。
ウズベキスタンのアラル海の問題は、砂が隣の国に飛んでいくとか、国際的な面があり、国家事業や国際事業のような感覚をもっているのですが、いかがでしょう?
【長】
アラル海は20世紀最大の環境破壊と言われるが、日本ではあまり馴染みがない。ヨーロッパや周辺国々では、とても知られていることです。アラル海の緑化に貢献すること自体、色々な関心を呼び込みます。
もう一つは、塩分を含む白い砂嵐は国境をこえます。時にはイランやサウジアラビアまで風に乗って流れます。まさに国際的な課題。これを緑化で止めることができれば、他の国々からも感謝いただけるのではないかと思っています。
【太田】
3.11の後、神戸や仙台で世界防災会議があり、Eco-DRR(生態系を活用した防災・減災)というのが取り上げられるようになってきました。マングローブ林は、津波の威力を軽減する。沙漠の緑化もEco-DRRそのもの。これが世界中に広がってきています。
今日、話を聞いていて、オイスカは研究をしながら進めていて、最後は地元の大学とも協働でやりたいという話をしています。このあたり、NGOやNPOにはなかなか見られない対応の仕方だと思うのですがいかがでしょうか?
【冨樫】
ウズベキスタンはカラカルパクスタン農業大学と連携してプロジェクトを実施しています。ウズベキスタンの最大の問題は塩害ですが、サクサウールはエンボクといって塩を排出する機能があります。アラル海にフェルーラという塩害に強く、認知症の薬草があり、インドの人が来て、インドに輸出しています。現地には葉が1メートルもあるルバーブがあり、これも塩に強い。これらを合わせることでPHを下げることができます。単に木を植えるだけではできませんが、大学と一緒に研究することで、PHを下げながら食糧を作り、さらに生産効率をあげることで産業化することができます。試行錯誤はしますが、アラル海でもニクジュヨウ栽培の産業化はできるのではないかと思います。
【太田】
国際NGOオイスカの仕事の特徴は色々ありますが、長期的に考え、住民を巻き込み、積極的に挑戦しているということです。技術に対してもできるだけ先進的なことを考えていこうとしています。覚悟をもってやっているみなさんがいます。私も色々な団体の方とお話しして、一生懸命やっていらっしゃる方がたくさんいらっしゃると思っています。掛値なしにオイスカもそのような集団のひとつだと感じています。この10年間のオイスカとのお付き合いで学ばせていただいたと思います。
YouTubeでのアーカイブ視聴ができます。上記レポートに掲載できなかった話もありますので、もっと深く聞きたい方はぜひご視聴ください。
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