2020年公募ボランティア日程 アップしました!
こんにちは、浅野です。
ブログサボっていてすみません…。
企業・団体担当者向け情報交換会も終わり、大阪マラソンも終わり、
来年の大阪マラソンの申請も済ませ…。
落ち着いて事務作業に取り組んでいる日々です。笑
さて、すでにご確認いただいている方もいるかとは思いますが
2020年の公募ボランティアの日をアップしました!
http://www.oisca.org/kaiganrin/2994
来年も3月~11月までの9か月間に11回ボランティアの日を予定しています。
3月~5、6月までは溝切り、7月~9月はつぼ刈りとツルマメの抜き取りが
メインになります!(もちろん、ほかの作業もあります!!)
皆さま、ぜひご参加ください。
特に3月、8月は例年、人数が少ないですのでぜひ!!
お待ちしております。
台風から2ヵ月。名取のセリ田の水害被害
台風19号から2か月。NHK仙台のニュースで宮城県丸森町中心部を上空から映していましたが、あらためて、復旧には相当な時間がかかると思いました。
名取のセリ農家の被害についても紹介されていました。市内の農家は50戸。江戸時代に名取川に生えていたセリを移植して育て始めたとのこと。東北本線の南仙台~名取駅間でも見ることが出来ますね。良い地下水が出るのだそうです。
以前、「稲わら」によるさまざまな被害に触れましたが、今年2回の台風でセリ田にも稲わらが押し寄せ、ぐちゃぐちゃに覆いかぶさった中から苗を取り出して植えなおしたため、成長が非常に遅れているそうです。年末年始の最もニーズが高まる時期に生産量は40%減、値段は30%あがり、買い控えされてしまう悪循環。
ビニールハウスを使っていないセリ田では、温かい地下水をいつも以上に汲み上げて水温を高く保ったり、急遽防風ネットを張って、寒風から守りながら成長を急ぐ対策を取っていると、セリ農家の組合長の方が答えていました。
じつは、ほぼ毎年セリ農家のお宅に行って、直接買っていて、今年も「本部の忘年会用に」と目論んでいたのですが、この報道を聞いて、なんとなく今年は買い控えました。スーパーで買うかとも思ったのですが時間もなく。
東京でのセリ鍋はお預け。来年に出直すことにしました。
広報室の林です。
冬になると現場の動きがなくなり、
ブログの内容が薄くなりがちですがお許しください。
先日、吉田をオタクと紹介しましたが、
うちにはオタクだけではなく、アイドルもいます!
支援企業・団体のご担当者のみなさんやボランティアの皆さんから
「浅野ちゃん」と呼ばれ、愛されている女子です。
先日、大阪マラソン関連業務を終え、
関西地区の支援企業・団体を訪問していた際のこと。
やっぱり彼女がここでも人気者であることを確認。
夕食を共にしたとある労働組合の方が
すっかり浅野のほっぺを気に入ってしまい、この通り。
あんまりにも躊躇なく、ペタペタさわるので
やんわり「それはないんじゃない?」と伝えると
「大阪では普通。たこ焼きだから」と。
ほっぺのたこ焼きは知ってるけど、
そんなにさわるもの?? 普通??
……まあいいか。みんなのアイドルだから。
駐日モルディブ特命全権大使イブラーヒム・ウェイス閣下の視察
イブラーヒム・ウェイス駐日モルディブ特命全権大使が、オイスカ中部日本研修センターの(愛知県豊田市)視察前日の12月9日、海岸林の現場をご視察くださりました。
オイスカとしては、インドとスリランカの間にある国ながら、60年ほとんどご縁がなかったものの、永石専務理事が7年駐在した前大使(現在国務大臣)と懇意で、その前大使や現大使が、オイスカとの協働を検討くださっている模様。永石専務はECO-DRR(*)についても説明し、視察が決まりました。私にとっては未知の国。来訪を楽しみにしながら、ほんの少々予習。
東日本大震災では、「異例」なほど国民が募金活動(4,600万円)を行い、政府はツナ缶86,400個、民間も60万個も送ってくださっています。「水産食品加工技術や企業化を指導したのも日本」(談:大使)。1987年の高潮壊滅的被害を受けて始まったODAによる首都マレなどの防潮堤のおかげで、インド洋大津波での壊滅は免れたようです。
数年前、国連のモルディブ駐在代表の日本人女性が日本記者クラブで講演で語っていたのは、
・「飲料水の確保」 海水の淡水化のための石油に国家予算の20%が使われる。
・「ゴミ処理」「海岸浸食」「サンゴ礁死滅」「若者の活用」「女性の社会進出」などが課題
・3kの仕事はバングラデシュ人などが担う向きがある
その他印象に残ったのは・・・
・人口40万人、観光客100万人(中国で3分の1、次いでインドが多い)
・平均海抜2.4m。2004年のインド洋大津波では死者わずか82人。首都マレは3分の2冠水ながら死者0。
・1,200の島国、有人島190.島ごとに用途を「分業」。1島1ホテル。
・国土の43%が農地。農民は2.7万人。主産品はココナツ、バナナ、タロイモ。主食は輸入。
視察では、海岸林の効果と機能ばかりではなく、仙台からの沿岸部の諸施設や現状を広くお伝えしましたが、最後に訪ねた宮城県支部亀井会長の応接室で、森林の防災機能とプロジェクトの規模への驚きを閣下は熱く語って下さりました。仙台駅でお別れしたときの表情からしても、何かを深く考えて下さったのだろうと感じました。会話の端々から「若者の育成」を特にお考えのようでした。
最後の強いまなざしと強い握手、嬉しかったです。
*永石専務、全部説明、通訳いただきすみません。ありがとうございました。(笑)
*オイスカ本部ブログでも、ECO-DRR(森林など生態系を活用した防災・減災)の連載を始めました。

広報室の林です。
大阪マラソン翌日、支援企業さんなどの訪問などをしながら
合間にとある場所を訪ねた吉田に同行してみました。
私はかねてより吉田を「海岸林オタク」と呼び、
休日を活用して、あちらこちらを見て歩く吉田の様子を
おもしろがってレポートしてきました。(海岸林オタクの休日)
最近の吉田は海岸林とあわせ、「Eco-DRR」に傾倒し(笑)
新たなオタクの道を歩み始めています。
(こちらのブログでは「Eco-DRRの知恵を求めて」と題して
投稿を続けています。その一回目のブログがこちら)
大阪マラソンの翌日に行ったのは毛馬閘門。
(こちらの説明は吉田に任せます)
申し訳ないけれど、オタクの道を歩んでいない私は
「わ~!紅葉がきれい」とか
「あ~!かわいい猫がいる」とか
水鳥の潜水すごい!とか
そんなことしか目に飛び込んできません。
そもそも「閘門(こうもん)」という言葉を初めて知りました。
そして、一番印象に残ったのは残念石。
何が残念なんだろう???と。
大阪城築城のために運ばれる途中に船から落ちたと思われる
川底から引き揚げられた石であるとの説明に納得。
オタクの道の入り口にも到達していない私です。
広報室の林です。
先月末、支援企業のご担当者の皆さんに集まりいただき
情報交換会をした時のこと。
元日経新聞論説委員で現在アドバイザーとして
プロジェクトに“がっつり”関わっていただいている
小林省太さんからのコメントが印象に残りました。
それは、小林さんが手がけている
『よみがえれ! 海岸林』の話をした時のこと。
「新聞記者時代、『3年たっても覚えていてもらえる記事を書け』と
いわれ、記事の賞味期限は3年かと思い、それを心掛けてきた。
それでも3年たって自分の記事を読んでも、あれ?これって
自分の記事だったのかなと思うようなものもあるのが実情。
でも『よみがえれ! 海岸林』は、それ以上に記憶に留めてもらえる
ものにしようと取り組んでいる」とのことでした。
私は小林さんが2015年の新年に書いた「春秋」をよく覚えています。
名取の人たちが使う「おがる」と「がおる」という方言を
交えた記事でした。私の印象に残る記事は、内容というより
着眼点に「へぇ~」と思わされるのかもしれません。
『よみがえれ! 海岸林』は小林さんの丁寧な取材をもとに
書かれています。プロジェクトの内側にいる私たちが
見ているものも違う視点で見ていたり、あるいは私たちが
まったく見ていないところを見ていたり。そんなところが
私にとっては新鮮さ満載の『よみがえれ! 海岸林』。
ぜひ皆さんもじっくりご覧ください!!
こちらのページにPDFデータを掲載しています。
大阪マラソンレポート マラソン当日編
広報室の林です。
昨日に続き、大阪マラソンのご報告です。
私たち応援スタッフは電車で移動しながら手分けをして、
各ポイントで応援&撮影を行います。
今年のチャリティランナー50名の中には2時間30~45分ぐらいでゴールするという
ツワモノが2名もいました。5時間~ギリギリ完走を目指すぐらいの
スピードのランナーなら、まずはスタート地点で応援、15キロ、30キロぐらいで応援、
そしてゴールで出迎えるという動きができるのですが、
速いランナーは途中の応援をスキップしないと間に合いません。
私はスタート地点、22キロ、37キロで応援。
スタート直後はこんな感じ。
今年からコースがかわり、昨年までと反対方向への走り出しです。
沿道では、いろいろな声援が飛び交います。
私たちもオイスカのランナーだけではなく、全員を応援したくなります。
大阪マラソン初体験のインターンMさん。
はじめは「がんばってくださ~い」と控えめ。
そのうち、隣で応援しているスタッフM(過去にランナーも応援スタッフも
経験している)にならい、ゼッケンに書かれた名前や
ニックネームを呼びながら大きな声で応援しだすインターンM。
こんなにかわいい女子大生の声援にみんな力を得て
わざわざハイタッチをするために寄ってきたり、
海外のランナーに多かったのは、立ち止まって一緒に写真を撮って行く人。
ランナーは沿道の声援にパワーをもらい、
沿道の人はランナーから元気をもらっている。
マラソンっておもしろいなぁと思う。
そしていつも感心するのが「力持ちボランティア」をはじめとする
大会運営を支えるボランティアの皆さん。
力持ちボランティアは交通規制のために道路が横断できない場所で
通行人の自転車などを担いで歩道橋を渡り、向こうまで届けてくれるお兄さんたち。
電動アシスト付き自転車はバッテリーが重いようで、
特に荷物もある場合は、3人がかりで担いでいきます。
インターンMは「すごいイケメンじゃないですか?」と。
顔まで見ていなかったけど、確かに行動自体がイケメンだよね~と同意。
そうこうしているうちに倉本がやってきた。
預かっていたペットボトル飲料を彼女の腰のポーチにある
小さなボトルに補充し、記念撮影。
しばらくオイスカのランナーさんを応援した後、37キロ地点に移動。
つらくて歩いているランナーが多い中、私の隣にいたおじさんが掲げていた
ボードに書かれていたのは
「足が痛いのは 気のせい!」
これを見たランナーの反応はさまざま。
「これ、気のせいちゃうで~」
「そっか、気のせいか」
「いや、マジで痛いから~~~!」
立ち止まっておじさんとボードを撮影をしていくランナー多数。
このおじさん、チョコレートを配り、ランナーに使ってもらおうと
スプレー2本を手に応援をしていました。
「気のせいか気のせいじゃないか分からんけど
ゴールは逃げないから、あと5キロがんばれ~」と声を張り上げていました。
200mほど離れたところで応援をしていた吉田から
「もうすぐ倉本行くから」と電話が入りました。
遠くに倉本の姿が見えてきたら、なんだか感動してしまいました!
あと5キロ頑張れ!と送り出すと、涙が出てきました。
(今こうして書いていても、思い出して泣けてくる……)
4月から地道に練習を重ねてきたのを間近で見ていました。
夏の暑さや海外出張の忙しさなどで思うように練習できずに
不安を感じていた時期もありましたが、ずっとコツコツコツコツ
この日に向けて、準備してきていたから絶対に大丈夫だと思っていました。
吉田が「倉本、すげ~泣いてたなぁ」と。
あまりに泣いていたので、遠慮して写真が撮れなかったのだそう。
私は気が付かなかった。私も泣きそうで、送り出すのが精一杯だったから。
本人もブログに書いていましたが、半分ぐらい過ぎたところから
ずっと泣いていたのだそう。沿道の声援に感動して。
特に子どもたちからの「がんばって~」には涙腺崩壊(笑)だったそう。
今年もたくさん感動する大阪マラソンでした!
ランナーの皆さん、おつかれさまでした。
そして、ありがとうございました!!
大阪マラソンレポート マラソン前日編
広報室の林です。
大阪マラソン、行ってきました。
昨日、広報室の倉本が完走の報告とお礼をブログに書いていましたが、
私はマラソン前日と当日の様子をご報告します。
11月29日に本部事務所での業務を終えて現地入り。
吉田・倉本・林はチャリティランナーの集合場所近くに
宿泊しており、前日に集合場所~スタート地点の下見&倉本のランナー登録へ。
集合場所の確認を済ませ、スタート地点の確認へ。
大阪城公園周辺の緑地で桜の開花を確認!
寒い季節に咲く種類なのか、間違って咲いてしまったのかは
分かりませんが、なんとなくうれしい気分。
その後、ランナー登録を行うEXPO会場へ。
電車で移動中、倉本がランナーだと気が付いたおじさんから
話しかけられました。
「明日暑なるでぇ~」
「新大阪駅で551の豚まん買うて帰れや~」
東京とは違うなぁ~。
EXPOでは寄付先団体がこんなふうにブースで活動を紹介しています。
大賑わい!!
なぜこんなに人が入るかというと、
皆さん目的がありまして……。
それはこのように、自分の名前が掲出されている
ボードの前で記念に写真を撮影するためです!
今回、オイスカのチャリティランナーは50名でしたが、
一般ランナーもいずれかのチャリティーカラーを選び、
募金をすることになっており、オイスカのチャリティーカラーの
紫を選んだ人の名前は、紫のブースに名前が掲出されているのです。
オイスカとしては少しでも活動を知ってもらうため、
ご自身の名前を確認した後には、パネルなども見てほしいので
ブースに立ち寄るよう呼びかけをします。
今年は日本語と中国語、英語で書かれたミニ看板を用意しました。
無事登録を終えた倉本。
「ディズニーランドのファストパスを持ってるみたいでした」と。
というのも3万人以上が登録をするため、一般ランナーは長蛇の列。
その横をチャリティランナーは専用レーンですいすい進み、
あっという間に登録を終えることができるのです。
吉田も報告していた通り、この日の夜は倉本とうどん。
2人で並んで食べている様子、なんだか姉妹みたい。
(年齢は親子ほど違いますが……)
明日に続く
+42.195km 完走できました
広報室倉本です。
今年春、大阪マラソンに挑戦すると宣言した日からずっと、マラソン後の報告ブログに、何を書くことになるだろうかと考え続けていました。謝罪や残念な報告になったらどうしよう、書き出しはどんな風にしようかな、など……
しかし、終わってみると
「時間内に最後までたどり着くことができました」
「ありがとうございます」
の言葉以外出てこなくなりました。
本番当日、17kmを越えた時点で疲労感に足が重くなり、その後なんとか小走りを保って立て直せた時も、30kmを越え、足と腰を痛めて走れなくなった時も、これまでご支援、応援して下さった皆さまを思い出しなんとか前に進みつづけることができました。
また、大阪マラソン特有の沿道の途切れない声援がとても身に沁みて中盤から涙が止まらず、嬉しい気持ちで、かえってつらい気持ち一色にならずに済んだこともよかったのかなと思います。
そして一番強く思うのは、多くの皆さまの応援が活きたのは、この日の42.195kmだけではないということです。これまで取り組んだ練習やオイスカの㏚と寄付金集めなどの延長に、12月1日がありました。
半年以上に及ぶ私の挑戦を支えてくださった多くのみなさま、本当にありがとうございました。
加えて願わくは、今後とも海岸林再生プロジェクト(と私)をぜひ長い目で応援いただけますと幸いです。
………
本番前にずっと考えていた書き出しは、「12月1日、大阪城から始まり、大阪城で終わるフルマラソン。季節は冬ですが、気分はさながら初陣が『大坂夏の陣』となった豊臣方の一兵卒のようです」でした。それくらい始まる前は悲壮な気持ちでした…笑
豊臣時代から2度建て替わり、今もなお健在な大阪城のように、心が折れかけた時完全に落城せずに立て直せて本当に良かったです……
今日は大阪マラソン。寄付先団体指定6年目!
今日は我々にとって6回目の大阪マラソン!
関西以外では、把握しているだけで宮城・富山・愛知・香川・熊本・台湾から。
総勢50名が「新コース」を走ってくださります。
天神橋で有名なクレープ屋さん「クレープパル&カフェ天神橋ASAKUSA」を営む藤澤さんは6回目のエントリー。
2年、3年、4年連続のリピーターも数名。おかげさまで、オイスカ個人会員や支援企業・労組からのエントリーも年々増えています。ご理解いただいているネクスタ㈱、CKD㈱、矢崎エナジーシステム㈱大阪支店、㈱大江鉄工(富山)、化学総連、ダイセル労組、USJクルーアライアンス、UAゼンセン大阪府支部の皆さんに御礼申し上げます。
走るオイスカ職員は2名。中部日本研修センター研修課の安部君、東京本部広報室の倉本さん。
浅野さんはブース対応のため3日前から。その他応援チームは2日前に大阪入り。
今日は皆で分担し、5ヵ所を移動して応援します。
私は走りません!!今年は頑張って応援して、みんなで支援者訪問など12月3日まで続けます。
チャリティーランナーの無事と健闘を祈って! ではでは。