今秋の植栽地2.18haの盛土工事も終盤
昨日、一昨日のブログに関連して報告します。
北釜集落の一部、旧宅地・乗馬場跡が新たに保安林として指定されたのに伴い、
今春は1.57ha、秋は2.18ha植栽します。
下記が秋の植栽地です。
ブロックがたくさんでややこしい説明ですみません。
現実はそんなに難しくありません。
空港東の自然砂丘上クロマツ残存林2haのいま
先日、鍵をイタズラされた空港真東の北釜ゲートの近くのクロマツ残存林2haには、2019年5月に樹下植栽のため密度を落とし、3,000本/haとして合計6,000本植えてあります。篠竹がびっしりで、オイスカの予算で地拵え。地力は十分ありすぎと見て、施肥はせず。
「できたらあそこ、調査プロット作ってみて」(清藤参事)、「人工盛土でもなく、haあたりの本数を減らしてみたしなぁ」(佐々木統括)、「自然砂丘は根の生育も良い」「宮城は自然砂丘の調査地が少ないかも」(某専門家)→あちこち聞いてみたら、その通りでした。
「調査も大変だから、これ以上調査地を増やしたくないなあ・・・」(吉田)と思いながらも、3月28日の有志による軽作業として、No.27のプロットを作りました。そのすぐ東は、2020年5月植栽予定地。コロナ明け、No.28を設置します。これで最後でしょう。
この自然砂丘は、2011年9月末、清藤参事をはじめオイスカ調査隊で計測したところ、一番高いところで6m。震災前は、マツクイムシ被害などで「かなり疎林」だったと思います。おそらく合計1,000本(2ha)以下だったのでは。本来は合計2,000本(2ha)程度が妥当ですが。自然砂丘ゆえ根がしっかりしていますから、津波が来ても半分は残ったと思います。しかし、その後、海水を被ったことにより赤枯れ、弱体化し、病虫害にも犯され続けました。今も生きている残存クロマツは合計200本(2ha)。強い個体かもしれませんね。
以前、森林簿を見たところ所有者は個人多数。樹齢もまちまち。100年あまり。いまは、復興税で買い上げられ、市有林になりました。去年6,000本を植えた結果、いま2,3本しか枯れていないと思います。
ここは、海砂自然砂丘と人工盛土との比較や、3,000本/ha植えと5,000本/ha植えとの比較ができます。また将来、地中レーダでの「根」の調査にも良いと思います。
こんにちは
海岸林担当の鈴木です。
しばらく出勤を控え、おこもり生活のため、外に出るのは子ども達と家の前でバトミントンや縄跳びをする時と食料品を買いにいく時くらい。
バトミントンの羽根がご高齢のご夫婦でお住まいのお隣の敷地内に入ってしまいました。
ピンポンを押すと出てきてくださり、
「あなたたちが外で遊んでいる声がすると嬉しくなるのよ!誰も来る人はいないし、外にも出られないから」
と言って喜んでくださっていました。
ワイワイ言いながらバトミントンをしているのがカーテン越しに見えるのでしょう。
こんな姿が元気を与えることになっていたとは思わず、あたたかい気持ちになりました。
食料品の買い物は短時間で一度にと思い、開店直後の空いている時間を狙って行くも、すでに50人ほどの開店待ち;
買い物をするのにも覚悟が要ります。
家の中では、仕事の傍ら、趣味のお菓子づくり、大量の出番待ちの布を使って洋裁などをして楽しんでいるので、全く苦ではありません。
もともと家で過ごす時間が好きなのです。
そんなこんなで、近所を散歩することもなく、ごくごく狭い範囲で生活していました。
が、個人情報を扱う仕事をしなければならず、久しぶりに出勤しました。
家から出るのは覚悟が要ります;
歩きなれている徒歩通勤の途上、久し振りに歩いてみると、芽吹きの季節を感じさせる花々に出会いました。
ナニワイバラ、サツキ、モッコウバラ、銀杏の芽吹き、大好きなコデマリ・・・
春の花の季節に明るい気持ちになりました。人間たちの騒動には無縁の植物にほっとします。
東京本部で育てているクロマツの苗も春の暖かさで頂芽を大きいものは8センチほど伸ばしています。
この春、名取の海岸林に植栽する予定でしたが、移動が制限されている状況のため、秋まで植栽の時を待つことになりました。
もうしばらくここで成長を見守っていきます。

植物たちは本当に健気ですね。
ご夫婦で医療関係に従事する友人が
「週末に家族で笑顔で食卓を囲めることが本当にありがたい」と言っていました。
出勤を制限することができる仕事であることは本当にありがたいことで、この情勢下でお仕事してくださっている方々に感謝の気持ちです。
感謝の気持ちを行動で示すには「家にいること。人との接触を避けること」だと思います。
そして、感謝の気持ちを表現すること
「心からのありがとう」
今春の植栽地は、空港東の旧乗馬場1.57ha
今春の植栽地は、空港の真東の北釜地区1.57ha。
もともとは乗馬場。今回、新しく保安林になるため、協定面積に新規追加されます。
連休明けには始まりますし、数日で終わりますが施肥もします。(東京本部はコロナで立ち会えないかも)
工事の方たちの中には2014年植栽地の盛土工事以来、知っている人もいます。
丁寧に仕上げてくださりました。周囲のゴミも拾ってくれていました。
ご尽力いただいた皆様、ありがとうございます!引き続きよろしくお願いします。
馬も人も犠牲になった場所ということ、忘れないようにします。
3月末のオタクの休日、「愛林碑」がどうなっているか確かめに、しばらく遠慮していた高潮対策護岸工事現場に入らせていただきました。普段は毎日工事で入れる雰囲気ではありません。場所は名取市海岸の中央、内陸側。貞山堀の赤い水門の近く。再生の会の櫻井副会長の畑から50m。今年もスイカ栽培の準備を始めていました。
工事関係者の方たちが、きちんとトラロープで囲って、管理してくださっていました。
この石碑については、元日経新聞論説委員の小林省太さんの「よみがえれ!海岸林」でも重きを置いて記述され、我々のブログでも過去多数。
今年は、広浦沿い海岸林の盛土下に、県の自転車道工事が本格化する模様。「愛林碑」とともに、閖上に近い広浦沿い海岸林盛土の下に水に浸かって倒伏したままの「大正天皇即位記念植林碑」を修復する機会になるといいですねと、3月末、4月初旬の市農林水産課職員の皆さんとともに、リマインドしました。
海岸林ブログ(2016年8月):大禮(大正)記念植樹碑 津波で流された先でようやく発見
海岸林ブログ(2016年4月):名取市海岸林の歴史調査について(東北学院大学 菊池慶子教授)
来年の5月頃、再生の会の皆さんは、どこに令和の愛林碑を建てるのかな?
襟裳や秋田や唐津の海岸林になくて、名取には常にあるモノ ~ゴミ~
3月28日のボランティアの日、じつは、ごくごく内輪で軽作業しました。その一つがゴミ拾い。
実質1年で100袋になりました。あんまりたくさんやると申し訳ないので短時間を何回も。もう慣れてきました。拾った後も、市のクリーン対策課の若い方(この春、異動してしまいました)や清掃公社の方たちがが、いつも迅速に対応してくださります。
盛土工事をやってる地元建設業者の職人さんたちも、自主的に拾ってくれています。聞かなくても、事務所の裏なんかにまとめてあるのでわかります。個人で一人で拾っているのも見たことあるし、大学生からどうすれば清掃活動ができるか、問い合わせもありました。浜ではいろんな団体も拾っています。
拾った後、10日間ぐらいはきれいです。でもすぐに・・・
4月7日には、名取市海岸林再生の会の櫻井副会長の旧宅(現在盛土工事中)から20m先には、まだ使えそうな洗濯機など家電3台が投げられてましたし、甘酒缶と栄養剤セットも50本以上。
ゲートへの悪質なイタズラ
つい先日、国が管理している空港東の北釜ゲートのダイヤルキーを切断し、自分が持ってきた南京錠に付け替える人まで出てきました。国とオイスカが同じ日に気付き、調べてみた結果は、当然どの機関も心当たりナシ。イタズラと断定するしかありません。国が新たに付け替えました。
昨年はこの場所のダイヤルキーの暗証番号を変えられました。しかも、ボランティアの大型バスが2台入った後で。当然出れなくなりました。きっと陰から見ていて笑っていたことでしょう。その時は運よく、同じ日に同じ目に会った測量会社の人に助けられました。宮城県南部の別の場所では、ゲートを破壊されたそうです。保安林を管理するのに、こういうことはこれから日常茶飯事でしょう。もしまた閉じられてもいいように、簡単な準備をしました。次に同じことをされたらどうするか、佐々木統括の考えも聞きました。国の役人さんで、何日もやぶの中に隠れて、本当に現行犯でひっとらえた人は何人もいるそうです(笑) 森林は、税務署などと同じで本当に警察権を持ってます。
悪い鍵師がすぐ近くにいること、関係者一同でよく心得ておきます。
下2枚の写真は、壊されたまま、ずーっと直してもらえない。閖上港付近。管理者が不明。入ってはいけないのか、いいのか、それすらはっきり意思表示もない。少なくとも、森林行政ではない模様。管理者の境界って、細かく、複雑で難しいこともあるようですが。私が見たときは、入ってきた人にはいつも丁重に説明して、出て行ってもらっています。凄まれることもあります。岩沼の名取市境近くにも侵入口があります。入ってきた人から教わりました。
閖上の名取市サイクルスポーツセンター10月OPEN
津波から10年目。復興期間最終年。名取の海沿いは、北端の閖上も、南端の空港東の北釜も、その中間も、9年間、工事がないときはありませんでした。閖上は通るたびと言ってもいいぐらい、道路が変わりました。 今年10月、海岸林北半分はサイクルスポーツセンターopenで大きな変化を迎えます。 名取市HP 利用料金が細かく書かれています。温泉もあり、宿泊も可能。1周4㎞のサイクリング周回道も施設も、宮城で知らない人がいない有名旅館グループが管理委託で担うそうです。
2011年5月25日、オイスカ調査チームは、この屋上から全景を眺めました。同年10月の視察会では、参加者170人にこの屋上を案内しました。海砂を高く積んだ巨大仮置きが津波来襲方向にあったため、この程度の破壊で済んだと思います。それでも完全に大破・全壊ですが。建物の前にあった、若いクロマツはよく耐えて、粘って、流れず倒伏していました。
上記は私が撮ったものではありません。Youtubeには他にも震災前の様子が分かる動画がたくさんあります。
名取の海岸林北半分は、震災前から限りなく公園に近い潮害防備保安林でした。しかし今までと違うのは、これから延々整備が続くこと。管理者の市当局に深い理解を求め、協力し合い、万難を排して利用者への安全配慮義務を徹底し、感動してもらえる森林にしたいと思います。10月、私も真っ先にサイクリングしてみます。泊まります。いつか8時間耐久ママチャリレースも復活してほしいです。

近年、「親しまれる森林」の裏側で、林業の世界を震撼させた「奥入瀬渓流訴訟」のように、事故の場合、森林は訴訟で負け続けているという思いがあります。林業側から危険勧告を出し続けたのに、地主や歩道の管理者が取り合わず、枯損木が直撃して重大事故になったと裏話も聞いています。名取のこの建物、舗装された道路を見るたび、「リスクマネジメント」という言葉が浮かびます。
この工事の経過を振り返ると、近くを利用する人や観光当局から見た森林整備は、ボランティアだろうと、プロだろうと、立場などあってない扱いでした。森林法に沿って設置されているはずの名取の潮害防備保安林は、随分安易に、軽く扱われてきました。「保安林をなんだと思ってるんだ!」と怒鳴りつけた国の方もいますが、もうあの一喝は忘れられてしまってるのでしょう。昔、請われて担ったはずの八王子市の観光施設周辺の森林整備で経験し続けた、腸が煮え繰り返るような想いが甦ります。
ゴミひとつとっても、最近はひどくなってきました。閖上に設置した「名取市市民の森」の看板前だけで写真集ができます。産業廃棄物不法投棄、BBQフルセット投げる人、グレープフルーツとネギ多数、サーフボード・・・。ウンコを残していく人もいます。工事現場の人までが黙ってゴミを拾っています。大学生サークルから電話がかかってきて、ゴミを拾いたいと言ってくれたこともありました。でも、仕事できた人は、ご自分の用事だけ果たして、見向きももしないのでしょう。 絆という言葉は、ここにはもうありません。
今年から再び、力の半分ぐらい行政との連携、市民に向けた発信に注ぐ年にします。3月末~4月上旬の出張は、その幕開けという気持ちでした。利用と整備それぞれが、お互いを認め合い、協調しながら維持管理に努めたいと思っています。何人かの行政マンと会い、もう一度気を取り直して信じてみようと思いました。