こんにちは
海岸林担当・・・そういえば、海岸林担当というのはなくなり、GSM(Global Sustainability Mission)担当となったのでした(^^;)
引き続き海岸林の仕事をするのは変わりがないのですが、海岸林の何でも屋からオイスカ全体の何でも屋になった感じかな!?
3月30日に埼玉県の三富新田に見学に行きましたが、春休みで暇を持て余しているこの4月に中学生になった子どもも一緒に連れて行きました。ブログを書くことを条件に(^-^;
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鈴木康祐です。
先日、三富新田に行ってきました。三富新田とは1694年から川越藩主の柳沢吉保が主導して開拓した畑のことです。しかし、武蔵野台地に位置する三富新田の開拓は難しいものでした。なぜなら、台地の上で水がないことや、栄養分が少なく水はけの悪い赤土であること、季節風が土を舞い上げるからです。
そこで、細長い区割りを作り北東から屋敷地、耕地、雑木林を順に作りました。そして、雑木林の落ち葉で黒土を作り、耕地の境に茶の木を植え、井戸を掘りました。
私は、今の人が考えつかないようなアイデアを考えつき、実行した江戸時代の農民たちは自然のことをよくわかっていたのだと思いました。このようなアイデアは他の地域にも生かされていると聞きましたが、もっと他の地域に生かされ、多くの生き物を育んでほしいです。
連れてってもらったピザ屋さんがおいしかったのと、11月に芋掘り大会があるのでまた行きたいです。(^_^)
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中学生になる息子、ただ食べ物に釣られているだけでした(-“-)
こんにちは
海岸林担当の鈴木です。
マメにブログを書こうと思うのですが、それがなかなか難しくて(-“-)
3月初め頃のある日、吉田さんが突然
「ボウチュウカンアリ」と・・・・???
浅野さんと顔を合わせてぽかーん
また変な事を言い出した(-_-;)
年度末で忙しいけれど、浅野さんが異動してしまうことだし、
Eco-DRR的に知恵の宝庫の埼玉県所沢市と三芳町に広がる「三富新田」を見学に行こう
ということのようでした。
「忙中閑あり」と言いたかったようです(^^;)
「三富新田」の話は何度も吉田さんから耳にしていました。
ここは絶対参考になる!
海外からのお客さんに日本のEco-DRRとして胸を張って見学に連れて行けるところだ!
わが社の職員も絶対に見学に行くべきだ。今、参考にならなくてもいつかきっと参考になるときがくる!
と、力説を聞くこと幾たびか
年度末日を翌日に控えた3月30日、実際に行ってきました。
百聞は一見に如かず
吉田さんの言う「すごい!」というのがひと目で理解できました。
江戸時代の1700年ごろ、今から300年前に開拓された農地が、所どころ工場などが建っているものの、開拓当時の区割りがほぼそのまま残っていることにまず驚き!
もともとこのあたりは武蔵野台地に位置し、土は栄養分が少なく、水も少なく、季節風が強く吹き付ける地域で農業には不利な条件がそろっていました。
当時の川越藩主 柳沢吉保の命で開拓がはじまったのですが、地割には知恵と工夫が詰まっていました。
6間の道路に面して、間口約72m、奥行約675mの短冊状に区画して1戸あたり約5haを配分
道路に面したところを屋敷地とし、家の周りには
竹、ケヤキ、ヒノキ、スギ、カシなどを植える
(竹は農具などの材料になり、ケヤキ、ヒノキ、スギは材木として売れる、カシは火に強いため、飛び火を防げること、飢饉の時には実を食べられる)
屋敷地の後ろを畑とし、強風で土が飛ばないように周囲にお茶の木を植えて土止めとする
(お茶は販売することができる)
痩せた畑を肥やすため、畑の後ろにコナラ、クヌギを植えることを 農民がこの地へ入植する時の条件としたそうです。
コナラ、クヌギは落葉樹のため落ち葉と堆肥にすることができ、材は販売でき、防風林としての役割も果たします。
年貢を現金で支払わなければならなかったため、とにかくお金になるものを考えて植えていたようです。
木を利用して
防砂、防風、防火をしつつ、堆肥で土を肥やし、快適に生活する
江戸時代からのたくさんの知恵が詰まっている場所です。
ここは、武蔵野の落ち葉堆肥農法として日本農業遺産にも指定されている場所

写真を撮り忘れてしまいましたが、
旧島田家住宅の学芸員の方のお話がとても参考になり、興味深かったです。
ここは知る人ぞ知るさつま芋の名産地だそうです。
川越芋と呼ばれ、スーパーには出回らず、百貨店で扱われとのこと
秋のさつま芋の季節にぜひもう一度行ってみたいと思っているさつま芋好きの私です。

江戸時代に書かれた地割図の写しですが、文字の書き方、文字の形にとても惹かれるものがありました。江戸時代には、ここを馬や荷車、籠などがとおったのだろうなぁなどと妄想するのがとても楽しい。「みをつくし料理帖」の本にはまっている私・・・
第2次10ヵ年計画、スタートします
吉田です。
あっという間に3月が終わりました。本当にたくさんの方から励ましの言葉もいただき、ご寄付も驚くほど寄せていただきました。皆さん本当にありがとうございます。
今年オイスカは創立60周年を迎えます。次の10年はSDGsの10年でもあります。
タイ駐在代表の春日智実さんが会員向け月刊誌3月号に、「タイから名取へ、名取から世界へ」を寄稿してくれました。2018年9月、春日さんの文章の通り、「次の10年でオイスカは世界にどう貢献すればいいか」、私自身も行動開始しました。2020年からは、東京本部内のタスクフォースメンバーとなり、2021年から2030年までのオイスカ全体の10ヵ年計画の立案(10月6日の創立記念日に発表予定)に関わっています。昨年からは一気に海岸林以外の業務が増え、なんといっても他部署や、東京以外のスタッフとの連携に日常を費やしています。
今日から海岸林チームと広報室などが一つになり、Global Sustainability Mission という部署を設け、その責任者となりました。わが職場全体で、間違いなく最も英語が出来ない私ですが、肩書に英語が入りました。海岸林と並行して、オイスカ全体の資金獲得、内部広報、外部広報を担い、数多の現場をバックアップします。浅野さんは東京本部海外事業部に異動し、フィリピン国籍のマリア・グラゼン・アセリットさんが海外事業部から私の部署に来てくれました。グラゼンさんは、海岸林にも10年関わり、国際広報、海外や外資系企業からの資金獲得を担いました。二人も、私たちみんなも本気で心機一転です。経済同友会の前代表幹事、小林喜光さんの言葉の「今までの延長線上に未来はない」という気持ちです。
宮城は地震に続き、コロナ禍で大変な状況になりました。4月17日のボランティアの日の実施可否も、週明けには決定します。第2次10ヵ年計画、心して頑張ります。
こんにちは、浅野です。
久しぶりのブログですが、お知らせがあります。
4月1日付で啓発普及部から海外事業部へ異動となります。
海岸林にはバイトで半年、その後2015年10月から今までのトータル6年間携わらせてもらいました。
最初はちんぷんかんぷんでしたが、佐々木統括をはじめ、プロの皆さんや再生の会の皆さんに技術面だけではなく、震災当時のことや地元の人間としての想いなど、多くのことを教えていただきました。
ボランティアでは参加者の皆さんにご協力をいただき、大きなケガや事故もなく受入れを行うことができました。
リピーターの皆さんには温かく見守っていただき、グダグダになりそうな時も助けていただき、感謝しかありません。
私は担当ではなくなりますが、ツルマメの抜き取り・溝切などなど…作業はまだまだたくさんあるので、
これからも松のお世話をしに来ていただければと思います。
吉田さんの最初の印象はデカい(いろいろと)、圧がすごい…ではじめはどうしたらいいか分かりませんでしたが、
関係者の皆さんやボランティアの皆さんに支えられ、強く…というか図太くなりました。笑
今では吉田さんに「俺が不祥事を起こしても浅野が全部できる」と言ってもらえるくらいに成長しました。
(不祥事は起こさないでほしいですが…)
私の後任はいないので、今後何かあるときは吉田さんに直接連絡をするか、
kaiganrin@oisca.orgにメールをお願いします。(浅野に連絡をしていただいても大丈夫です!)
とはいえやっぱり名取が好きだし、松の様子も見たいし、何よりボランティアの皆さんに会いたいので
行けるときは行きたいと思ってます!もし、現場にいても不思議に思わないでくださいね。
あと、大阪マラソンは引き続き私が担当するので、来年2月ぜひ皆さん走ってくださいね!
また名取か大阪かどこかで皆さんにお会いできることを楽しみにしています!
本当にお世話になりました。ありがとうございました!!
吉ちゃんアイコン!?
こんにちは
海岸林担当の鈴木です。
3月11日の昨日、吉田は午後からずーーーーっと外で電話をしてました。
窓を閉めているのに、時々、ばかでかい笑い声がこだましてました(^^;)
道を行く人たちに怪しまれるんじゃないかと思うほどの大声で会話してるので、
通報されてしまうのではと内心ヒヤヒヤ
誰に電話をしているのだろう?
と思っていたら、
今日は再生の会の人たちに片っぱしから電話をして、
お世話になった人たちにも電話をして、
やっとひと段落したところ~
と言いながら戻ってきました。
10年の区切りに、お世話になった方たちに電話でお礼を伝える・・・・吉田らしいです
37万本を植え終えたということに特別な感情はないようですが、
10年ともに乗り越えてきた方々には、やはり特別な感情があるようです。
わが家の2人の子どもたちは’吉ちゃん’と言って、まるで友達のように慕っています。
海岸林であげているYouTubeの動画のアイコンを吉ちゃんの顔にしたらいいよ~
と、色々と描いてくれました。
さすがにアイコンにするのは(^^;)
いずれどこかでちらっと登場させようと思います。
最近、動画を3本あげているのですが、こちらの動画の宣伝を忘れていて、再生回数が少ないので、こちらの吉田も見てください!
家の子どもたち、吉ちゃんをいじるのが好きで、動画の中の吉ちゃんをポンッと切っちゃいました(*_*;
10年となる今日、思うこと
海岸林担当の鈴木です。
震災から今日でちょうど10年
今日は大学生インターン3人が、
「震災から10年を経て、未来のためにできることを考える」
というオンラインイベントを開催してくれました。
オイスカスタッフは完全にオブザーバー
若い世代をプロジェクトに巻き込んでいきたいと思い続けて6~7年が経ってしまったかな?
名取北高校で講演をさせていただいたり、
ボランティア募集チラシのデザインを若者向けにしてみたり、
中学生や高校生の団体のボランティア受入れは率先して受け入れてきました。
それでも、なかなか大きな広がりは見えてきませんでした。
今日の大学生インターン主催のイベントをオブザーバーとして参加してみて、
私たちがやってきたことは、若い人たちに届いているようで届いていなかったのかもしれないなぁと反省しました。
若い人たちが自分のこととして、主体的に動いて、経験してはじめて、その場が抱えている「課題」が見えてくる。
体験することでしか、いわゆる社会的にいわれている「課題」を自分の「課題」として捉えることはできないと、講演をした小林省太さんも語っていました。
震災関連の課題を広く浅く知ることは大事なことですが、
もっと大事なのは、「課題」を自分の「課題」にすること。
頭でっかちではなくて、自分で実際に体験して、自分のことばで「課題」を語ることができるようになることが大事なこと。体験することしかわからないことがたくさんある。
それが次の世代に語り継ぐ力となっていく
さて、私はもう一歩進んで、若い世代を巻き込んでいくために何をしなければならないのだろう??
話はかわって~
今朝のNHKラジオで語っていた大越キャスターの言葉がずっと引っかかっています。
復興
被災者
被災地
絆
寄り添う
などという言葉を使っていればなんとなく安心、うわべだけで使ってはいないだろうか?と問いかけていました。
そういえば、私も何となく使っている・・・
被災地の復興が〇%というメディアから流れ、目にする言葉に、生活する人々にとってどれほどの価値があることなのだろう?
となりの住人と、今日も元気に「おはよう」と言い合えることの方が、よっぽど「絆」で「寄り添う」ことなんだとうな・・・
「絆」が大事、「寄り添う」ことが大事と、うわべだけのことばで気軽に使ってはいけないと、
こうして文章を発信するものとして、心に留めておかなければならないと強く思っています。
3月11日の今日、ぜひ視聴していただきたい動画をアップしました。
次の10年はどんな景色になっているのだろうか?
笑顔があふれる景色であってほしい・・・
震災から10回目の3.11
こんにちは、浅野です。
今日は3月11日。東日本大震災から10回目の3.11です。
今年に入ってから【震災から10年】というワードの元、報道・特番がされています。
テレビだけでなく、ネットニュースやSNSでもこのワードで色々な記事が出ています。
10年経ったのは事実で、復旧は確実に進んでいると思います。
でも、このプロジェクトに携わってたくさんの方からお話を聞いて
復興が何かというのは、当事者とそうでない人では全く違うなと感じています。
今日、大学生インターンが企画してくれたイベントの中で
参加者の大学生の1人が「自分は宮城県出身だから、震災のことを片時も忘れたことはない。多分、実際に被害を受けた人はみんなそう。報道を見るだけではなく、旅行でもいいから実際に見に来てほしい」と言っていました。
一方で「自分は福岡出身だから、当時もニュースで流れる映像しか見ていない。時間が経つにつれて報道もあまりされなくなるし、関心が薄れてきているという感じがする」という学生もいました。
・物理的な距離の問題
・親族や友達がいるかいないか
・行ったことがあるかないか
などで、感じ方やその後の行動が変わってくるんだなと感じました。
ニュースやSNS、ネットで調べることもいいことだと思いますが、
実際に足を運んで、自分の目で見て、耳で聞いて、感じることはたくさんあると思います。
東日本大震災だけでなく、どこで災害が起きても当事者とそうでない人がいて、感じ方も何をするかもそれぞれだとは思いますが、できる限り自分の目で見て、直接聞かせてもらったことを大事にしたいと思います。
日本は災害大国ともいわれるほど、災害が多い国です。毎年、どこかで自然災害が起きています。
いつどこで何が起こるか分からないということを心に留め、日常を大切にしていきたいと感じた一日でした。
次の10年のはじまり
吉田です。10年の節目の3.11を迎えましたが、嬉しい出来事が、いくつもありました。富山の大江鉄工さんが「年に何度目?」という大きなご寄付を。元職員の男性後輩2人からも寄付。後輩たち、ありがとう。びっくりした。日本農業新聞の写真部記者の方をはじめとする方たちが、書籍「松がつなぐあした」の紹介を掲載下さったり。豊田市に住む会員さんが「矢作新報」にプロジェクトへの想いを書いてくださったり。
今日午前中、東京の大学生が中心になり全国の大学生40人が、小林省太さんを囲む形でオンライン意見交換会を。我々にとっては、次の10年は、若い世代とさらに一緒にやってゆく決意を新たにする日になりました。彼らのおかげです。こういう日になるとは・・・思いも寄りませんでした。なんと嬉しい。
そして、
海の向こうタイの仲間たちは、3.11に新たなプロジェクトに着手
タイ駐在代表の春日智実さんは、月刊誌3月号にタイのみんなの熱い気持ちを代表して、原稿を寄せてくれました。
SDGsの10年が始まります。オイスカは今年が創立60年でもあります。次の10年をどう頑張ろうかと、ECO-DRR(森林など生態系を活用した防災・減災)研修をするなど、とくにこの3年、海外の外国人の同僚たちとも随分話し合い、準備してきました。そして昨年からは、東京本部内のタスクフォースメンバーとして、2020年度までの中期計画の総括にはじまり、オイスカ全体の次期10ヵ年計画(作業中。10月発表)と中期5ヵ年計画の立案、財政健全化などの業務を並行してきました。
とにかく思うのは、海岸林再生プロジェクトのノウハウを世界のために活かすこと。そういう10年にします。
山本五十六さんは「男の修行」という言葉を残しています。これまで10年と同様、きっとそういう厳しい局面もあるでしょう。すでに、昔のように国内と海外の二刀流になっています。気合を入れて頑張ります。
まもなく、みなさんとともに静かに2時46分を迎えます。
3月8日(月)付 日本経済新聞社会面(全国版)で紹介されました
吉田です。自分のことも紹介されているので気が引けなくもないのですが、仕事ですから。
さすがに反響が大きかったです。企業の支援者の方から随分メールや電話をいただきました。「我がこと」として電車の中から速攻でメールくださったJR西日本労組委員長の方とか。高校の教員をやっている弟からは、おふくろと一緒に父親の墓前に持って行ったとLINEが来たり。日本経済新聞仙台支局長さんと東京本社の写真部記者の方の取材を受けたのですが、本当に光栄に思っています。「10年ということで終わりにするつもりはない」と言っておられたのが非常に印象的です。
明日は3.11。誰もが、静かに、それぞれの想いを新たにする日なのだと思います。私もお世話になった多くの方々に、お礼のメールやブログを書く日にします。また、東京の大学生たちが、宮城の大学生と小林省太さんを交えて、10時から学生だけのオンライン意見交換会をします。私も若い衆の声を静かに聴いて、今後の参考にしたいと思います。
最近、動画報告に力を入れています。今日の午後にはもう1本新作が加わります。
よろしかったら「チャンネル登録」をよろしくお願いします。
吉田です。
例年通り、去年11月にボランティアの皆さんにも手伝ってもらって実施した各種調査の取りまとめを、清藤城宏先生(農学博士・オイスカ緑化技術参事・元山梨森林総合研究所)が完成させてくださりました。ご関心の方は、下記ご覧ください。
内容はタイトルの通り3点が記載されています。
去年から②、今回から③が加わりました。クロマツは杉・ヒノキよりも吸収するようですね。あくまでも専門家が専門家向けに書いておりますので、ご容赦ください。清藤先生が本数調整伐を「動画」で解説していますので、ご関心の方は下記をご覧ください。
本数調整伐を行うと地中の根の範囲(根周り)が広がって、より強くなるんですよ!!地上部だけではなく、地面の下も重要なのです。根張りがポイントなのです。
我々から見れば、本数調整伐は震災以前の反省に則った「大進歩」なのです。林野庁が新たにまとめた「ガイドライン」や、宮城県の「管理指針」などに沿い、当局と緊密に連携をとって実施することになります。
調査の模様は、11月のブログ、広葉樹調査は10月のブログ、広葉樹の剪定作業は11月のブログに載せてあります。