貞山(ていざん)運河を知っていますか?
宮城県南部の阿武隈川から宮城北部の旧北上川までの
海岸沿いにある運河で、「貞山掘」と呼ばれています。
江戸時代に貞山公・伊達政宗の命で掘られ、明治時代に完成した日本最長の運河です。
宮城の海岸に最初にクロマツを植えたのも伊達政宗でしたね。
貞山掘は流通路としての機能しただけでなく、農業用の排水路にもなりました。
海からの冷たい風や潮風を防ぎ、作物を守った海岸林と同様に、
貞山掘も仙台平野が有数の穀倉地帯に成長したことと大きな関係があります。
海に近い第一育苗場の近くにも貞山掘が流れています。
堀の土手には立派なクロマツの並木がありましたが、津波で被害を受けました。
育苗担い手農家のある人は昨年の津波を振り返って、
「まさか貞山掘を越えてくると思わなかった」と言います。
この地域では昔から「津波は貞山掘は越えない」と言われてきたようです。
育苗場の近くの貞山掘ではシジミ漁が行われていたり、東北大学のボート部が練習したりしています。
震災前にはサイクリングロードが通っていたところもあります。
地元の人から親しまれてきた貞山掘は、これからも大切にしたい風景の一つだと感じます。
振り返りブログ1 起案の瞬間 ~直感~
海岸林再生プロジェクト担当の吉田です。
忘れぬように「振り返り」ブログも書かせて頂きます。
2011年3月13日(日)
震災直後、こんな時に野球をやっていてイイのか?
そういう意識もあったためか、息子・娘の少年野球の休憩時間に
なぜか直感的に「海岸林再生」を思いつきました。
それまで日本の海岸林には何の縁もなく、知識も全くありませんでした。
それまで学校林活動でご縁のあった宮城中央森林組合の佐々木次長の消息がつかめず、何度も何度も電話していたからか。
前の年まで2年間勤務した林業会社で叩き込まれた「スピード重視」が体に染みついていた?からか。
それとも、インド洋大津波の前も後も、長年オイスカと共にマングローブ植林に
取り組んでいる、タイ南部ラノーン県で行った住民ヒアリングが余程、印象に残っていたからか。
翌14日、2010年に学校林の仕事でお世話になった東北森林管理局の方と情報交換をし、同時進行で、その日のうちに職場の了解をとり、3月17日、皆川芳嗣林野庁長官宛に「海岸林再生への協力の申し出」として公文書をお送りしました。
ちなみに阪神大震災の時は新人1年目。
震災から1週間たった晩、親父に「お前はいつまで何をやっているんだ!」とド叱られ、即、当時の事務局長の自宅に電話して、オイスカとして、炊き出し・がれき撤去ボランティアを3月末まで期限限定で行うことを提案し、資金獲得・ボランティア募集などの後方支援を担当しました。
あのときは「怒鳴られてから」の行動でした。
写真は、タイ南部ラノーン県での住民ヒアリングの一こま。
マングローブのお陰で大津波から命は守られたそうです。しかし、津波と共に押し寄せた砂の影響で、「二つの籠」で示しているツモリの様に、漁獲高は30分の一になったため、男性が出稼ぎに出てしまい困っていると聞きました。
(撮影:2007年1月28日)
植林スタート時期は??
海岸林再生プロジェクト担当の吉田です。
「いつ植林するのですか?」
プロジェクトスタート時から何度も出た質問です。
最近はさすがに少なくなりましたが。
昨年の今頃は、日々情報の収集をしていました。
1年経った今もまだ今後の植林について何も公にはなっていない状況です。
私たちは、震災直後から、海岸林が流されたところに再植林するのは自明と考え、
苗も担い手も不足が疑いない、育苗を担っていこうと取り組んできました。
海岸林の被害が甚大な宮城県南部、仙台市七北田川以南は、
国有林、県有林、市町村林、共有林、私有林の如何に問わず、
国が直轄します。「民有地直轄治山事業」と言います。
国土交通省が昨年から懸命に復旧に当たっている防潮堤工事が終わった
箇所から、林野庁は部分的にでも海岸林再造林を進める事でしょう。
昨年から抱いている私のイメージは、始まったらものすごいスピードで事業を進めるのではないかと。
目に見えるその時が来るまで、黙々と準備しているように感じます。
技術者の総力を結集したような一大事業がいつか始まります。
多くの方が「植えたい!」と希望しているその作業そのものはお祭りの様な一瞬の出来事です。
しかし、その前後には、実にさまざまな工程があります。
そういう過程をお伝えしてゆきたいし、皆さんにも一つでも多くの準備過程を体験して
いただきたいと考えています。そして、行政や林業事業体にはそういう民間の考えを伝えていきたい。
公共工事だけでなく、民間活力を導入した復旧も行われる見通しですが、
我々は国の計画実施のスピードにに歩調を合わせれるような力量を持ち
合わせていなければなりません。
国と歩調を合わせつつも、地元や協力していただいている方々の多くの期待
にも応えられるよう、私たちも大きなピラミッドの石を一つづつ積み上げるような
毎日が延々と続いています。
海岸林再生プロジェクト担当の吉田です。
芽が出て、「おがって」一同ホッとしてます。
そんなところで。
見聞を広げようと、日曜日に九十九里浜の南部、一宮町、白子町、山武町を視察して参りました。
九十九里浜は、砂浜が少なくなっているんですね。
浸食を防止する「離岸堤」がたくさんありました。
一口に海岸林と言っても、場所によって全く状況が違うように見えます。
土壌・砂の状況、主たる風の方向、地下水位の高さ、地形……
従って、目標とする森のイメージ、そこに至るための手法も異なる事でしょう。
九十九里には九十九里に合った海岸林を目指してきたのだと思います。
昨年の津波は、北は八戸から、南は千葉・九十九里浜まで到達。
広葉樹の立ち枯れは、無残にも、まだたくさん残っていました。
マツくい虫との厳しい闘いの跡にも圧倒され、懸命に食い止めようとしている方たちの事を想いました。
蓮沼海浜公園では、多くの市民が歩いたであろう道が地図になっていて、造った人の考え方を垣間見た気がします。
一宮町では、震災前から多重防御を想定していただろう盛土もあり、またその土壌にも、工夫を感じる箇所を見つけました。
見るものすべてが勉強でした。
我々チーム海岸林は、手分けして各地の海岸林を視察しています。
本部啓発普及部緑化担当の清藤城宏参事は、今日は和歌山・三重に。
名取市海岸林再生の会も、農作業がひと段落したら、秋田県能代市の日本を代表する海岸林の一つ「風の松原」を視察しようと計画中です。
去年の3月から5月頃は、毎日海岸林に関する論文や資料を目を皿にして読んでいました。
これからも足を使い、五感を駆使して学ばなくては。
しかし、イイ天気で気持ち良かった―。
こんな休日久しぶり。
あらためて海岸林を知る
オイスカが毎月発行している月刊誌の4月号で海岸林の特集を組みました。
そもそも海岸林ってどんなものなのか、オイスカがこれまで取り組んできた海外での海岸林の再生のことなどが書かれています。
もちろんこの「海岸林再生プロジェクト」に関しても説明しています。
オイスカのウェブ上でも閲覧できますので(PDF)ぜひご覧ください。
→海岸林特集
以前もご紹介した無印良品の募金券。
あと1週間で「海岸林再生プロジェクト」への募金受付が終了します。
まだの方も、チャリンとしてくださった方もラストスパートにご協力を!!