振り返りブログ 14 マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ母樹園
2011年5月26日。
チーム海岸林一行は宮城県林業技術総合センター(大衡町)のマツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ母樹園を視察した。
すでに、我々の関心は育苗にあった。
しかも、宮城県産のマツノザイセンチュウ抵抗性種苗の供給力がどのぐらいあるのか。
我々を非常に好意的に迎えていただいている感触を感じた。
量は少ないものの、幸いな事に宮城県産抵抗性の開発は成功したばかり。
しかし、やはり種子、技術を持った担い手ともに不足 は明らかであった。
抵抗性クロマツ母樹園を見るのは初めて。
オイスカの清藤参事が球果(松ぼっくり)を指して
『来春、この中の種を我々が蒔く』と言ったのを聞き、実感が湧い た。
以降、ここには皆で代わる代わる足を運ぶことになる。
振り返りブログ 13 シンポジウム開催に向けて
2011年4月4日、林野庁長官に面会して
海岸林再生への協力の申し出に関する説明を行った際、
半年以内に海岸林被災の実情と再生を呼び掛けるための
海岸林『シンポジウム』開催を提案した。
その場で『できるだけ早く』との逆提案をいただき、震災から4ヵ月の
7月11日の開催を決め、その日から会場探しを開始、突貫工事に入った。
ここで短時間で最も得たい成果として、
人脈を広げることと、心から応援してくれる人を探す必要性があった。
そして、長期間の目標として、そもそも何で海岸林が必要なのか、
ということを多くの方にご理解いただくことを重視しようと考えた。
この事に徹底的にこだわる長い道のりの始まりとなった。
海岸林は東北だけにある訳ではない。日本中が海岸林に守られている。
オイスカの立場から言えばマングローブもある。
私を含めて、存在理由を薄々でも理解している人は少なく、
『白砂青松』(はくしゃせいしょう・はくさせいしょう)を読めない人は多かった。
マツで海が見えないから全部伐採してくれとクレームを付ける人もいるそうだ。
全国で保全に取り組む団体や技術者は苦労しているはず。
木を植えるだけで良いのではない。仕事の意味を深く考える必要があった。
振り返りブログ12 初の現地入り~航空調査②~
2011年4月21日、航空調査の朝、新木場の東京ヘリポートに着いた。
スウェーデン人のパイロット、整備士に搭乗の目的と希望する経路に加え、どのように飛んで欲しいか伝えなければならなかった。
私は英語を話せない。オイスカで一番駄目なのは間違いない。前の日に『海岸林』だけは何と言うかだけは調べた。でも何故か通じた。
最も強調し、希望したのは、波打際に沿って、その外側を飛んで欲しいこと。名取市上空を低空、スローで飛んで欲しいことと、その際ドアを開けて撮影すること。我々が何をしようとしているか、最後までしっかり聞いてくれた。
ミッションを伝え切れた手応えがあった。多分エリクソンのご担当には、飛び方や撮り方は別として、目的を伝えてあったので、会社として予め指示してくれたのだろう。
給油のため一度福島のヘリポートに降りる。東北の寒さを感じた。普段ビデオなど使わない。この時間も撮影の練習をした。
まさに千載一遇。ワンチャンスをモノにしなければならない。現地入りは目前。絶対に使える画像を撮る。パイロットが気合いを入れてくれた。
太平洋が見えてきた。地図は頭に叩き込んでいた。操縦席のモニターも見ながら、宮城最南端の山元町に入ろうとしている事がわかった。狂いなくリクエスト通り。
眼下には津波で壊滅した荒野。あっという間に海岸に出て機首を北に向けた。ほぼ全ての松が西に向かって倒れている。観察は度外視した。役に立つ画像を収める事に専念した。
ヘリコプターは速い。すぐに仙台空港が見えた。段取り通り150mの低空。撮影を動画に切り替える。ドアが開く。昔もやった。怖くない。プロカメラマンの塚本さんに教わったコツを頭の片方で唱えた。
しかし、倒れていない森の一群が時折見られる。何故残っているのだろう?誰でもわかる事なのだが、その場所を地図で探し、初陸上踏査を行ったことで、極く短時間での大きな発見に繋がる。我々のスピードダッシュは更に加速した。鳥の目で見ることの大切さを身を持って感じた。
ヘリは最大限、海岸林に沿って飛行した。気仙沼市大島で引き換えし、再び宮城南部を往路同様に飛び、二度目は少し観察の目を持ちながら撮影した。もう陸上踏査のポイントは決まった。
この動画はホームページで見ていただくことができる。
振り返りブログ11 初の現地入り~航空調査①~
2011年4月半ば、計画停電やら余震やら不安定な日々。通常業務に加えて、海岸林の論文や資料を読み漁る日々が続き、最早、残業続きで生活は一変していた。
ある夜、共に残業の池田課長に第一級情報が入った。国際協力NGOセンター(JANIC)より、『宮城に救援物資を運ぶ民間ヘリコプターに空きがある』という。池田課長に即リアクションを頼んだ。『荷物でなく俺達を乗せてもらい、海岸林の航空調査を頼もう』と。正直言って駄目で元々と思っていた。しかし、待たされることなく、実現の方向に動いた。
混乱の最中を避け、被災地入りを調整するのは連休明け以降と決めていた。しかし航空調査ならば話は違う。
実は経験が一度だけある。2001年にオイスカが20年間植林してきたタイの東北部スリン県で全ての植林現場26個所の植林前の写真を、歴代県知事の家に訪ねてまでかき集め、陸上踏査しbeforeとafterの写真を揃えた。その後、県知事を訪ね、はしご消防車があれば(ある訳ない)、高い所から主要植林地の写真を撮りたいとお願いしてみたところ、『ヘリコプターならある』と真顔で言われ面食らった。翌日、タイ駐在員の春日さんと国軍のヘリに乗り、航空調査の意味を体で理解した。
どちらかと言えば、悪戯心が先に立っていたその時とは違い、どう考えても日本の森林史上、類のない被害を、この目で俯瞰して見ることを心から求めていた。
協力してくれたのは日本エリクソン(株)。2・3往復のメールのやり取り程度、実にシンプルで、短期間の調整の末、搭乗は2011年4月21日に決まった。
タイについては後日談があり、その県知事は2ヶ月後、『敬宮愛子様のご生誕のお祝いとオイスカの植林に感謝し日本に子象二頭を寄贈する』と記者発表。今も上野動物園で育てられている。あの航空調査のチャンスを頂いていなければ、今回も乗ろうとする発想は浮かばなかったかもしれない。
続