株式会社 仙台ニコンの三浦 隆です。

津波被災地 かつての黒松林、メロン・チンゲン菜畑、水田地帯


現地は海岸線沿いの黒松(クロマツ)林帯とメロン、チンゲン菜などの田・畑地帯です。
ツアー当日、被災された地元の方も話されましたが、私も震災前は旬になると、きのこ取りに松林によく行きました。またカブト、クワガタムシがたくさん取れた秘密の場所もありました。そんな思い入れのある場所が津波で見る影もなく地形が変わったままです。
がれきは片付けられてほとんど残っていませんが、田畑だった場所は復興事業待ちで、草ぼうぼうで荒れ放題です。
そのような場所を盛り土し、種から育てた黒松を50万本植林する計画の一端をボランティアが担うということでした。現在は黒松を50万本用意するために種から育てている最中です。生き物なので一気にはできませんので、一歩一歩ステップを踏んで進めているところでした。かなり地道な作業ですが、きちんとした計画で手を抜かず進める強い意志が必要と思いました。実際、事にあったっている方々にその意気込みが感じられました。
ボランティア作業は植林時を計画しているようで2年後の予定だそうです。

黒松育苗についての説明風景


黒松苗


 
 
 
 
 
 
懸念事項としては、時間経過と共に今回の災害が風化し2年後ボランティアに参加する人が減らないかです。
折に触れ現地を見に行く等忘れないようにしたいと思いますが、普段の生活を過ごしていると意識して収集しないと海岸林再生関連の情報が全くといっていいほど入ってきません。どのような状況なのかツアーに参加して現地で見て聞いて初めて分かりました。震災の風化にならぬよう、常に意識し情報を発信していただきたいと思いました。

株式会社 仙台ニコンの三浦 隆です。
「なぜ黒松か、黒松だけでいいのか」      
このことを確認したかったのが、最大の参加動機でした。      
その疑問はオイスカさんへのぶしつけな質問にもかかわらず根の深さに関する見解、知見、今回の津波被害を踏まえた改善策等を伺わせて頂き、私が持っていた人伝いの偏った一方的な情報で「なぜ黒松?」と思慮していた自分を恥ずかしく思いました。      
それまで私が持っていたのは、震災津波の倒木状況より黒松は根が浅く津波に弱いので、津波対策として植林樹種を黒松だけでなく広葉樹も植え多様性を持たせる情報でした。      

海岸林再生について説明風景


(当名取地区は震災前の景観に戻す目的のため、黒松の単一樹種の方針と地元では聞いています。この違いが参加動機の基となりました。)今回確認できたのは、黒松の根が浅いのは黒松が原因ではなく、地下水位が高く、深く根張りできない土壌側の原因で、2~3m盛り土をした上で黒松を粗植する津波対策も盛り込んだ改善策を実施するという自分なりにも理解できるものでした。
海岸林再生については専門家の方の見解もさまざまで、どの方法が適切かは、次に震災が起きてはじめて証明されると思いますが現時点では最善と思われる策を進めることが大事だと思いました。
 
 今回参加して、現地で見て、説明を聞いて自問に対し自分で確認し割り切りや方向性を見出せたことは大きな収穫となりました。
プロジェクト担当の吉田さんが最後の方にお話しされた、『確かな情報で行動するために勉強しましょう』という言葉が、今の自分に最も必要なことだと思いました。
また、地元でも海岸から離れて生活していると復旧、復興で現地が今どのような状況にあるのか知る機会がほとんどありません。かかわり始めた人達はじめ地元でも直接かかわっていない人達から、今の取り組みを風化させないためにも幅広い年齢層を対象に現地見学会、ボランティア募集等継続的な情報の発信をお願いします。
今後も機会があれば参加します。
    

被災家屋 背景に仙台空港


被災倒木 背景復旧工事最前線 防潮堤工事


津波被災地 以前は黒松林、メロン畑、水田地帯


 

本部・人材育成部(現在は啓発普及部で研修中)のシスカです。
10月26日にオイスカインターナショナル国際理事会の参加者のうち
6ヵ国(インド、インドネシア、USA、タイ、フィリピン、パプア・ニューギニア)の19名が、
名取市被災海岸林を視察しました。晴れでしたので、あまり寒くなかったです。

海岸林などを見た後、育苗場の防風のために「マサキ」を植樹しました。
記念に英語や各国の言葉で小さな葉っぱの形をした木の板にメッセージを書きました。
育苗場ではプロジェクトの概要の説明があり、「すごい!」というみんなの反応でした。
みんなが自然に感想を言い始めました。
「このプロジェクトは長期間で、日本の復興のためにとても大事だと思います。
そして、日本だけの努力だったら、多分たいへんだと思います。
ですから、みんなで考えて、各国で寄附を集めて、支援活動をしましょう。
金額は小さいか、大きいか、そういう問題ではなく、
気持ちが伝わるのがもっと大事なことだと思います」
オイスカ・タイランドの事務局長 見原アイサさんが声を上げると
オイスカ・USAのアンジェラさんも後に続きます。
 「昨年の災害のことは想像できませんが、実際の現場を見てちょっとびっくりしました。
津波で流されたクロマツがこれからの地域の再生を支えるのかと思うと成長が楽しみです。
みんなで努力すれば、将来、クロマツは順調に成長してくれると思います」
 「みんな健康で、それぞれのオイスカの仕事を頑張って、
少しでも日本の復興のためにも協力して、またここに来ましょう」
とパプア・ニューギニアのオイスカラバウル農林業研修センターのフランシス所長が
大演説をすると、インドやインドネシアなど参加者が、その場で寄附をしてくれました。
とても一体感がありました。
やはり現場を見るということは気持ちを高めることにつながります。
みんなが各国へ帰ったら、海岸林再生のプロジェクトのための支援活動を行ってくれるはずです。

倒されたクロマツを前にする参加者たち


大演説中のパプアニューギニアのフランシス所長

11月5日は何の日?

2012年11月6日( カテゴリー: 本部発 )

昨年、「津波対策推進法」が制定されて、「津波防災の日」と定めたほか、
国や自治体に津波災害に強い街づくりの推進や、津波の観測体制の強化を
求めたということを、読売新聞の夕刊で初めて知りました。
ネットを見ると、『「津波防災の日」浸透せず』との見出しが一斉に。
一方、読売は『「津波防災の日」備え新た』と詳しく取り上げています。
今の東北ではやはり3.11でしょう。
しかし、同じ東北でも明治29年6月15日の夜に、陰暦の端午の節句の
お祭りで酔いつぶれた人を飲み込んだ悲劇があります。
和歌山県広川町では、以前紹介した1854年11月5日の安政南海地震での伝承
「稲むらの火」の故事や、広村堤防と海岸林造成の功績を、「津浪祭」等によって
永く伝えてゆく努力がなされております。
横浜駅周辺では、「海抜表示シート」が設置されたそうです。
新聞の見出しよりも、その大きな写真が最初に目に留まりました。
全国の海岸林周辺でも、しばしば見る表示です。
その土地に合った考え方や方法で、備えを新たにしてほしいと思います。
余談)
2005年1月、インド洋大津波をうけてジャカルタで 開催された東南アジア諸国連合
緊急首脳会議でシ ンガポールのリー・ シェンロン首相が当時の小泉純一郎総理大臣に
「日本では小学校教科書に『稲むらの火』という話があって、子供の時から津波対策を
教えているというが、事実か?」と尋ねた。(引用:Wikipedia)
日本人の多くが知らないことを外国の方から突然尋ねられたら、当事者は驚くでしょうね。

25年ぶりの名取の海

2012年11月5日( カテゴリー: お助け隊員の声 )

株式会社ニコンの山縣雅彦(やまがたまさひこ)です。

2012年9月15日(土)にオイスカ主催の名取市海岸林踏破ツアーに参加してきました。
現在私はニコン相模原製作所(神奈川県相模原市南区)に勤務しています。
名取市にはニコングループの仙台ニコンがあります。
仙台ニコンでは、一眼レフカメラを生産しています。

東京多摩地区育ちの私はあまり海に接する機会が無く、
水泳はもっぱらプール、子供の頃、海を見るのは夏休みの海水浴くらいでした。

昭和ですからもう25年も前になりますが、当時私は名取市内に住んでいました。
家から海までクルマで15分くらいなので、
日曜日にはよく市内の閖上(ゆりあげ)地区に海を見に行っていました。
マツ林を越えると大海が見えました。

鈴木会長のお宅


3.11の日は、東京都品川区にいました。
17時頃、ビル1階のロビーにある大画面テレビを見ると、
閖上地区を津波が上ってくる映像が映っていました。
海を見に行くときよく通った場所でした。9月15日、25年ぶりの名取の海です。集合場所の仙台空港の周りにはほとんど建物は残っていませんでした。空港と駅と1階が柱だけになった、クロマツ林を再生する会の鈴木会長様のお宅だけでした。 地図を見ると周りは住宅地だったようですが、すべて津波で流されてしまったそうです。 
 

倒されてしまったクロマツ


元気なクロマツ


 
 
 
 
 
 

ツアーの最後は、植林するためのマツの育苗場へ行きました。
高さ10cmほどのかわいいクロマツが元気に育っていました。
小さいけれど生き生きとした、とてもきれいな緑色でした

育苗場ではオイスカ名取事務所統括の佐々木さんから説明を受けました

当日参加したニコングループ社員

 

当日の名取市はとても良い天気で、日陰の無い(トイレも無い)場所を5時間歩き通しでしたが、とても充実した一日でした。

このプロジェクトは10年計画とのこと。ぜひ今後も参加したいと思います。
よろしくお願いいたします。閖上で、「はらこ飯」を食べたいです!

オイスカの皆様、参加者の皆様、ありがとうございました。

うっかり・・・

2012年11月2日( カテゴリー: 本部発 )

現在オイスカは「海岸林再生プロジェクト」に取り組んでいますが、
元々は国際協力団体で、今も変わらず「海岸林再生プロジェクト」と並行して
海外での国際協力活動に取り組んでいます。
そんなこともあってか、パソコン入力の際、ついつい「海岸林」を「海外林」としてしまうことがあり・・・。
そんな失敗も一度や二度ではなく、一人や二人ではなく、しかも先日電話でのお問い合わせの際にも
お相手の方が「オイスカさんが名取市で取り組んでいる『海外林』について教えていただきたいのですが」・・・
とおっしゃっていて、私たちだけではないんだなぁと。
ちなみに本プロジェクト担当の吉田の下の名前は「俊通(としみち)」。
みちは「道」ではなく、通るの「通」なのですが、これもよく間違えられるのだそう。
本人いわく「名前の漢字はこの40年間違えられっぱなしで慣れてきたからどっちでもいいけど、
『海岸林』は間違えないでほしい」とのこと。
皆さんも、キーボードを打つ時、書く時、話す時、「かいがんりん」「海岸林」「カイガンリン」と正しくお願いいたします!
 

芽生え

2012年11月1日( カテゴリー: 本部発 )

そろそろ「海岸林再生プロジェクト」動画第3弾をアップします。
前回は3月30日の播種の日の様子を中心にしたDVDでしたが、
今回は、その後クロマツが芽を出し成長する様子とともにそのクロマツを
一番近くでずっと見守り、世話をしてくださっている地元の皆さんの声が中心です。
3.11のことを思い出すと今でも涙が出てくると言いながらも、
少しずつ畑仕事を再開し、その中で考えたことなどをお話してくださっています。
ご期待ください!

秋山君のこと

2012年10月31日( カテゴリー: 本部発 )

吉田です。
現場の立ち上げに休学の上関わってくれた、筑波大学4年生の秋山君が
来月初めに大学に戻り、就職活動に入るため、現場から離脱します。
このブログでも彼らしい感性でずいぶん語ってくれました。
去年の9月中旬、私の上司の紹介で本部事務所に来ました。
まず、気象庁の仙台航空測候所のデータを見て、彼なりに分析を頼んでみました。
その回答の短いこと短いこと。でも、的を射た基本となる答えを出してきました。
着任を前に、現場出張の折、我々のホテル代わりにもなるアパートを探すよう指示しました。
見つけてきたのは、名取駅から徒歩20分。ロフト付き36,000円。
名取市中央部は水が良く、近くにはセリ田がたくさんありました。

アパートに泊まったら、いつもセブンイレブンのポテトチップを買って寝酒して、
翌朝は秋山君お手製の朝食。ロフトは温かく、冬の名取では最高でした。
6人で泊まったこともありました。僕は寝坊助でいつも起こしてもらいました。
2月、雪が積もる畑に堆肥を播いた時、秋山君はトラクターに乗って。
実に映えてました。
雪と言えば、前田建設工業の社員の皆さんと防風ネット設置の時も、
4mの単管パイプを数本かついで、よく動いてました。
「ホントよく動くなー」「僕は動いてナンボですから」

さすが農家の息子!


本当によく働く青年です


 
 
 
 
 
 
3月、播種の打ち上げ翌日は、彼の「お見舞い」にも行きました。
決して普通の状態ではない最前線、何でも聞こえてきてしまう現場。
しかも、当たりが強く、だみ声が飛び交う。
まだ社会人でない彼には、耳をふさぎたくなることもたくさんあったかも。
でも、羨ましかったですね。立ち上げ、現場、最前線。代わりたいほど。
先日、海外からの訪問団と別れるとき、
「皆さん是非また来てください。10年後には必ず見事な姿になっていると思います」
静かに迷いなく語った秋山君のこの言葉に、ぐっときました。
12月7日夜、都内で彼のトークイベントをやろうと思います。
詳細が決まり次第、このホームページの「インフォーメーション」で案内します。
乞うご期待。

「相棒」の麦わら帽子がよく似合います!

本部の林です。
昨日の続き、中田島砂丘での堆砂垣設置プロジェクトの報告です。
集まった人たちは地元自治会や中学、高校、企業でのグループ参加が多かったのですが、一般参加もありました。
5~600名ほどいたのではないでしょうか。
グループごとに80メートルの堆砂垣を設置。
2メートル間隔で杭を打ち、横に竹を通し、すだれを竹に結び付けていきます。

毎年参加している企業の皆さんは要領よく作業を進めますが、中高生はなかなか・・・。
それでもグループ内はもちろんグループ間でも協力し合い、2時間ですべて作業は終了。
「海岸林再生プロジェクト」で堆砂垣設置作業は必要ありませんが、いずれ植林などの活動に何百人単位のボランティア受け入れが必要になると思います。誰がどんなふうに作業の指導をするのかが一番重要なポイントだと感じました。
また、各グループへの備品配布やその管理、作業説明書の作成などいろいろと参考になる点が多くありました。
今後も各地でのさまざまな活動に勉強にでかけ、来るべきその時に備えたいと思います。

本部の林です。
昨日、静岡県浜松市の中田島砂丘で開催された
「堆砂垣設置プロジェクト」に参加してきました。
中田島砂丘は日本三大砂丘のひとつ。
浜松出身の私にとってはとてもなじみのある場所です。
高校時代は、休日に友達と自転車で1時間半ぐらい走って遊びに行ったことも。
大人になってからも地方の友達を連れて地元を案内するのによく行きました。
かつては沙漠の風景を撮影する映画のロケで使われたこともあるこの砂丘も
今では砂丘がやせてしまい、場所を変えても、見る角度を変えても、沙漠に見える場所はありません。
そこで、堆砂垣の設置が必要になるのです。
「堆砂垣」とは字のごとく、砂を堆積させるための垣根です。
堆積した砂が丘となり、美しい砂丘の姿を作りだすことができるのです。
高校時代、堆砂垣を見たことはありませんでしたが、昨日聞いたお話では昭和40年代頃にも地元の人たちが堆砂垣を設置していたとのこと。
私が子どもの頃見た砂丘も地元の人たちの努力によって美しく保たれていたのだと知りました。
活動の様子はまた明日ご報告します。

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