現場視察に来てくださった住友化学労組の全国各地の役員のみなさんに1時間お手伝いいただき、
広葉樹の種子拾いを行いました。現場は名取市高舘熊野堂の山の中。
ぼさぼさの山を2haほど整備して、毎年春・秋に拾いやすいように、宮城中央森林組合に除伐・受光伐(広葉樹間伐)・枯損木処理・地拵え(集積)などの整備を委託しました。

整備前


整備後は作業しやすく見つけやすい


 
 
 
 
 
 
 
 
 
ターゲットは、クリとコナラ。
ケヤキは種苗組合から購入します。
既に20,000粒、43kgを確保しています。
ミズナラやクヌギも拾ってあり、多めに育苗して、各方面に寄贈し、内陸や山間部の造成地などにも活用いただくことも検討しています。

虫はめざといのです!


なんといっても、落ちたものを即拾わないと、すくに虫が入ります。
リスが持ち去ります。即水につけ、良い種を選別し、消毒します。
そして一冬、湿らせて保存。乾燥が禁物。
採取時期も前年・当年の気候によって左右されます。なかなか「何月何日ボランティアで……」というのは難しい面もあります。ですが、ヤマザクラの種を、来年は夏になる前にこの山で拾おうかと。(マツとサクラは相性が良いという話を聞いたことがあります)
皆さん、その時はぜひ来てくださいね。

名取市西部にはこのような里山もあります

チラシ設置協力者、続伸中

2012年11月14日( カテゴリー: 本部発 )

新しい寄附のお願いのチラシを50,000部印刷しました。
連日、郵便払込票を挟み込み、設置先に宅急便で送る作業を
行っております。チラシはA3版の2つ折りで、一か所に平均して
200部程度をお送りしています。
設置協力を思いついたのは、宮城と川崎の方の行動がヒントになりました。
一人の力は大きいなあと。
今は被災地に行っても、少なくとも海岸林では何もできません。
しかし、それでも育苗という、植栽に向けた長い準備は続いています。
従ってコストはかかり続けます。
オイスカ会員、現場を見た方、話を聞いてくれた方、その方から紹介された方。
置いて頂く場所は、空港利用者の駐車場、病院、街の不動産会社、
ガソリンスタンド、建築会社、大会社の休憩スペース、公共施設、レストラン
自動車販売会社、森林組合、農協の販売所、幼稚園など様々です。
もし、身の回りで置いて頂くだけでも協力していただけそうな
場所があれば、是非お願いしてくださいませんか?

ANA機内から撮影した日本各地の美しい風景のうち、投票で選ばれた人気の6枚が
カレンダーになっています。このカレンダーの売上金の5%が「海岸林再生プロジェクト」に
寄附されます。
ANAショッピングAstyle  HP
http://www.astyle.jp/category/anaoriginal/goods/Q00171652.html
HPには、下記の通りしっかり事業目的も書いていただきました。
本当にありがたいことです。
~海岸林は大切なインフラ~
海岸林またの名を防風林は、その名の通り、私たちの生活や農業を海からの強風や潮風、
塩害および飛砂から守ってくれる大切な森林です。霧の内陸への侵入も防いでくれる役目もあり、
空港における航空機の安全運航にも寄与しています。
寄附付きカレンダーと言えばこちらも。
「めぐろのy子ダイアリー2013」
http://ykomeguro.blog84.fc2.com/blog-entry-1184.html

 お久しぶりです。本部・啓発普及部の池田です。
 今回は、10月30日~31日にかけて、海岸林再生プロジェクト担当 Y課長の代理として同行した秋田県の海岸防災林視察研修についてブログさせていただきます。
 「一燈照隅・萬燈遍照(いっとうしょうぐう・ばんとうへんしょう)」…この言葉、ご存知でしょうか?
 先ず自分が居る場所を明るく照らせる人間と成れ。おのおのそれぞれが一燈となり、この一燈が萬燈になり、遍く(あまね)世を照らすようになれば、一国否、世界の国々も変わっていく、という意味なのですが、有難い事に私の周りには、この言葉を実践していらっしゃる方が、数多くいらっしゃいます。
 昨年3月11日、1000年に一度と言われる未曾有の大地震と津波に襲われた東北太平洋沿岸地域(海岸林全被害面積:3,660㏊)ですが、とりわけ宮城県においては、1,750㏊の海岸防災林が失われ、住民の方々の生活を脅かしていることは、皆様ご存知の通りです。      
 そこでオイスカでは、宮城県内でも甚大な被害を受けた仙台平野南部・名取市の人々の海岸林再生活動支援を機関決定し、各方面から継続してご支援ご協力いただいております。
 実質的な活動1年目である今年は、春のクロマツ播種に始まり雨が少なかった夏の水遣り他、視察者の対応や各種会合での説明など、非常に忙しい現場だったそうですが、作業が落着いたこの時期に、海岸防災林の先進地の一つ、秋田県を視察することとなりました。
 一日目の30日は、米代西部森林管理署の方々に案内いただき、能代市の「風の松原」を視察しましたが、立派に育った松原を目にして、参加者からは植林後の維持管理に市民がどのように関わっているのか、多くの質問が寄せられていました。(林帯幅は0.4 ~ 1.2㎞)
 

  二日目の31日は、甚大な松枯れ被害に遭った由利本庄市の海岸防災林について由利森林管理署の方々から被害の状況やその後の対応、そして現在の取組みについて説明していただきました。
 以前は、クロマツと広葉樹を混植していたそうですが、クロマツ以外は、ほぼ枯死してしまったため、現在はクロマツの植樹とマツクイムシの防除に力を注いでいるそうです。
 また、視察当日の午前中に地元の小学校児童を中心としたグループがクロマツを植樹した直後だったことが分かり、参加者一同、海岸防災林再生への想いを強く抱かれたようです。


 上記二ヶ所の視察が今回の研修の主な目的でしたが、同じ秋田県内の象潟(きさかた)の視察も、非常に有意義な内容だったように思います。
 その昔、「奥の細道」で有名な俳人・松尾芭蕉を始めとして多くの文人墨客が訪れ、「東の松島、西の象潟」と呼ばれたように、かつては松島同様無数の小島が浮かぶ入り江でしたが、文化元年(1804年)の大地震(象潟地震)で干潟に変わったそうです。

 昨年の東日本大震災でも地盤沈下や亀裂が発生し、未だ傷跡が癒えない地域もありますが、同じような体験をした先人が、多くの困難を乗り越えて、現在の美しい象潟の地を築いたことに大きな感銘と刺激を受けると同時に、再生の会の皆様の決意を感じた研修でした。
 尚、インターンの秋山君については、改めて記す予定ですので、楽しみにお待ちください。

株式会社 仙台ニコンの三浦 隆です。

津波被災地 かつての黒松林、メロン・チンゲン菜畑、水田地帯


現地は海岸線沿いの黒松(クロマツ)林帯とメロン、チンゲン菜などの田・畑地帯です。
ツアー当日、被災された地元の方も話されましたが、私も震災前は旬になると、きのこ取りに松林によく行きました。またカブト、クワガタムシがたくさん取れた秘密の場所もありました。そんな思い入れのある場所が津波で見る影もなく地形が変わったままです。
がれきは片付けられてほとんど残っていませんが、田畑だった場所は復興事業待ちで、草ぼうぼうで荒れ放題です。
そのような場所を盛り土し、種から育てた黒松を50万本植林する計画の一端をボランティアが担うということでした。現在は黒松を50万本用意するために種から育てている最中です。生き物なので一気にはできませんので、一歩一歩ステップを踏んで進めているところでした。かなり地道な作業ですが、きちんとした計画で手を抜かず進める強い意志が必要と思いました。実際、事にあったっている方々にその意気込みが感じられました。
ボランティア作業は植林時を計画しているようで2年後の予定だそうです。

黒松育苗についての説明風景


黒松苗


 
 
 
 
 
 
懸念事項としては、時間経過と共に今回の災害が風化し2年後ボランティアに参加する人が減らないかです。
折に触れ現地を見に行く等忘れないようにしたいと思いますが、普段の生活を過ごしていると意識して収集しないと海岸林再生関連の情報が全くといっていいほど入ってきません。どのような状況なのかツアーに参加して現地で見て聞いて初めて分かりました。震災の風化にならぬよう、常に意識し情報を発信していただきたいと思いました。

株式会社 仙台ニコンの三浦 隆です。
「なぜ黒松か、黒松だけでいいのか」      
このことを確認したかったのが、最大の参加動機でした。      
その疑問はオイスカさんへのぶしつけな質問にもかかわらず根の深さに関する見解、知見、今回の津波被害を踏まえた改善策等を伺わせて頂き、私が持っていた人伝いの偏った一方的な情報で「なぜ黒松?」と思慮していた自分を恥ずかしく思いました。      
それまで私が持っていたのは、震災津波の倒木状況より黒松は根が浅く津波に弱いので、津波対策として植林樹種を黒松だけでなく広葉樹も植え多様性を持たせる情報でした。      

海岸林再生について説明風景


(当名取地区は震災前の景観に戻す目的のため、黒松の単一樹種の方針と地元では聞いています。この違いが参加動機の基となりました。)今回確認できたのは、黒松の根が浅いのは黒松が原因ではなく、地下水位が高く、深く根張りできない土壌側の原因で、2~3m盛り土をした上で黒松を粗植する津波対策も盛り込んだ改善策を実施するという自分なりにも理解できるものでした。
海岸林再生については専門家の方の見解もさまざまで、どの方法が適切かは、次に震災が起きてはじめて証明されると思いますが現時点では最善と思われる策を進めることが大事だと思いました。
 
 今回参加して、現地で見て、説明を聞いて自問に対し自分で確認し割り切りや方向性を見出せたことは大きな収穫となりました。
プロジェクト担当の吉田さんが最後の方にお話しされた、『確かな情報で行動するために勉強しましょう』という言葉が、今の自分に最も必要なことだと思いました。
また、地元でも海岸から離れて生活していると復旧、復興で現地が今どのような状況にあるのか知る機会がほとんどありません。かかわり始めた人達はじめ地元でも直接かかわっていない人達から、今の取り組みを風化させないためにも幅広い年齢層を対象に現地見学会、ボランティア募集等継続的な情報の発信をお願いします。
今後も機会があれば参加します。
    

被災家屋 背景に仙台空港


被災倒木 背景復旧工事最前線 防潮堤工事


津波被災地 以前は黒松林、メロン畑、水田地帯


 

本部・人材育成部(現在は啓発普及部で研修中)のシスカです。
10月26日にオイスカインターナショナル国際理事会の参加者のうち
6ヵ国(インド、インドネシア、USA、タイ、フィリピン、パプア・ニューギニア)の19名が、
名取市被災海岸林を視察しました。晴れでしたので、あまり寒くなかったです。

海岸林などを見た後、育苗場の防風のために「マサキ」を植樹しました。
記念に英語や各国の言葉で小さな葉っぱの形をした木の板にメッセージを書きました。
育苗場ではプロジェクトの概要の説明があり、「すごい!」というみんなの反応でした。
みんなが自然に感想を言い始めました。
「このプロジェクトは長期間で、日本の復興のためにとても大事だと思います。
そして、日本だけの努力だったら、多分たいへんだと思います。
ですから、みんなで考えて、各国で寄附を集めて、支援活動をしましょう。
金額は小さいか、大きいか、そういう問題ではなく、
気持ちが伝わるのがもっと大事なことだと思います」
オイスカ・タイランドの事務局長 見原アイサさんが声を上げると
オイスカ・USAのアンジェラさんも後に続きます。
 「昨年の災害のことは想像できませんが、実際の現場を見てちょっとびっくりしました。
津波で流されたクロマツがこれからの地域の再生を支えるのかと思うと成長が楽しみです。
みんなで努力すれば、将来、クロマツは順調に成長してくれると思います」
 「みんな健康で、それぞれのオイスカの仕事を頑張って、
少しでも日本の復興のためにも協力して、またここに来ましょう」
とパプア・ニューギニアのオイスカラバウル農林業研修センターのフランシス所長が
大演説をすると、インドやインドネシアなど参加者が、その場で寄附をしてくれました。
とても一体感がありました。
やはり現場を見るということは気持ちを高めることにつながります。
みんなが各国へ帰ったら、海岸林再生のプロジェクトのための支援活動を行ってくれるはずです。

倒されたクロマツを前にする参加者たち


大演説中のパプアニューギニアのフランシス所長

11月5日は何の日?

2012年11月6日( カテゴリー: 本部発 )

昨年、「津波対策推進法」が制定されて、「津波防災の日」と定めたほか、
国や自治体に津波災害に強い街づくりの推進や、津波の観測体制の強化を
求めたということを、読売新聞の夕刊で初めて知りました。
ネットを見ると、『「津波防災の日」浸透せず』との見出しが一斉に。
一方、読売は『「津波防災の日」備え新た』と詳しく取り上げています。
今の東北ではやはり3.11でしょう。
しかし、同じ東北でも明治29年6月15日の夜に、陰暦の端午の節句の
お祭りで酔いつぶれた人を飲み込んだ悲劇があります。
和歌山県広川町では、以前紹介した1854年11月5日の安政南海地震での伝承
「稲むらの火」の故事や、広村堤防と海岸林造成の功績を、「津浪祭」等によって
永く伝えてゆく努力がなされております。
横浜駅周辺では、「海抜表示シート」が設置されたそうです。
新聞の見出しよりも、その大きな写真が最初に目に留まりました。
全国の海岸林周辺でも、しばしば見る表示です。
その土地に合った考え方や方法で、備えを新たにしてほしいと思います。
余談)
2005年1月、インド洋大津波をうけてジャカルタで 開催された東南アジア諸国連合
緊急首脳会議でシ ンガポールのリー・ シェンロン首相が当時の小泉純一郎総理大臣に
「日本では小学校教科書に『稲むらの火』という話があって、子供の時から津波対策を
教えているというが、事実か?」と尋ねた。(引用:Wikipedia)
日本人の多くが知らないことを外国の方から突然尋ねられたら、当事者は驚くでしょうね。

25年ぶりの名取の海

2012年11月5日( カテゴリー: お助け隊員の声 )

株式会社ニコンの山縣雅彦(やまがたまさひこ)です。

2012年9月15日(土)にオイスカ主催の名取市海岸林踏破ツアーに参加してきました。
現在私はニコン相模原製作所(神奈川県相模原市南区)に勤務しています。
名取市にはニコングループの仙台ニコンがあります。
仙台ニコンでは、一眼レフカメラを生産しています。

東京多摩地区育ちの私はあまり海に接する機会が無く、
水泳はもっぱらプール、子供の頃、海を見るのは夏休みの海水浴くらいでした。

昭和ですからもう25年も前になりますが、当時私は名取市内に住んでいました。
家から海までクルマで15分くらいなので、
日曜日にはよく市内の閖上(ゆりあげ)地区に海を見に行っていました。
マツ林を越えると大海が見えました。

鈴木会長のお宅


3.11の日は、東京都品川区にいました。
17時頃、ビル1階のロビーにある大画面テレビを見ると、
閖上地区を津波が上ってくる映像が映っていました。
海を見に行くときよく通った場所でした。9月15日、25年ぶりの名取の海です。集合場所の仙台空港の周りにはほとんど建物は残っていませんでした。空港と駅と1階が柱だけになった、クロマツ林を再生する会の鈴木会長様のお宅だけでした。 地図を見ると周りは住宅地だったようですが、すべて津波で流されてしまったそうです。 
 

倒されてしまったクロマツ


元気なクロマツ


 
 
 
 
 
 

ツアーの最後は、植林するためのマツの育苗場へ行きました。
高さ10cmほどのかわいいクロマツが元気に育っていました。
小さいけれど生き生きとした、とてもきれいな緑色でした

育苗場ではオイスカ名取事務所統括の佐々木さんから説明を受けました

当日参加したニコングループ社員

 

当日の名取市はとても良い天気で、日陰の無い(トイレも無い)場所を5時間歩き通しでしたが、とても充実した一日でした。

このプロジェクトは10年計画とのこと。ぜひ今後も参加したいと思います。
よろしくお願いいたします。閖上で、「はらこ飯」を食べたいです!

オイスカの皆様、参加者の皆様、ありがとうございました。

うっかり・・・

2012年11月2日( カテゴリー: 本部発 )

現在オイスカは「海岸林再生プロジェクト」に取り組んでいますが、
元々は国際協力団体で、今も変わらず「海岸林再生プロジェクト」と並行して
海外での国際協力活動に取り組んでいます。
そんなこともあってか、パソコン入力の際、ついつい「海岸林」を「海外林」としてしまうことがあり・・・。
そんな失敗も一度や二度ではなく、一人や二人ではなく、しかも先日電話でのお問い合わせの際にも
お相手の方が「オイスカさんが名取市で取り組んでいる『海外林』について教えていただきたいのですが」・・・
とおっしゃっていて、私たちだけではないんだなぁと。
ちなみに本プロジェクト担当の吉田の下の名前は「俊通(としみち)」。
みちは「道」ではなく、通るの「通」なのですが、これもよく間違えられるのだそう。
本人いわく「名前の漢字はこの40年間違えられっぱなしで慣れてきたからどっちでもいいけど、
『海岸林』は間違えないでほしい」とのこと。
皆さんも、キーボードを打つ時、書く時、話す時、「かいがんりん」「海岸林」「カイガンリン」と正しくお願いいたします!
 

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