盛土の姿が見えてきた
11月4日に林野庁が主催する海岸林再生キックオフ行事会場の仙台市荒浜に行ってきました。
当日はオイスカのトップが招待されており、皆様に代わって、
地元の小学生とともに植栽をさせていただきます。
海岸線からおよそ600m。 相当内陸に入った国有林の「跡」です。
産業廃棄物とその清掃に関する法律(通称:廃掃法)に沿い、およそ3haに、 ダンプ10,000万台分の「震災由来」の土と購入土(山砂)が高さ2mで築かれていました。
防風垣は県産材の杉丸太。現実に大造林を行うときは、形状が少し違うかもしれません。
ですが相当な量だと作業している方が唸っていました。
工事は最終段階と言ってもまだ途中。 私にとっては、千葉県九十九里浜、大網白里で見た 盛土上の植栽現場とイメージが重なりました。
今年の種子は凶作ではないか
吉田です。 先週、名取の山、広葉樹の伐採現場に行って種子の様子を見に行きました。 稲刈りも終わり、すっかり秋の気配です。
昨年の猛暑が影響したのかもしれません。 (前年の気候が影響するのだそうです) クヌギ、コナラ、クリ、ヤマザクラ等の50年生の立派な森でしたが、 ものの見事に種が付いていません。 残った海岸林の桜の種も初夏になかったので予感してました。
ここには獣という獣はみんないるそうで、熊も、カモシカも。 名取にはそんなところもあるのですね。 マムシはたくさん。ちなみにどんぐりは「即」拾わねばなりません。 案外大変なんです。すぐ虫や病気が入ります。リスも来ます。 拾ったら水に一晩漬け、消毒し、一冬冷蔵庫。 今年は熊がムラに降りてくるでしょうか。 残念ながら、クロマツ種子は大凶作。 来年春の播種量は今年春と同じ規模になりそうです。
倒伏木の片づけ開始
吉田です。
被災した木はキレイに片づけられるとお伝えしましたが、
いよいよ始まりました。いとも簡単に整理整頓されてゆくことでしょう。
現場に従事している方は、頭と体が同時に動く人ばかりですから。
なにせ早いんです。それがプロです。
「ゲーセン」にUFOキャッチャーってありましたよね。
私はゲーム嫌いでやったことはないのですが、
この「クラップル」の操作は面白いんです。
むかし、TVチャンピオン「全日本木こり選手権」(第2回は聞いたことがない)で、
巨大積木を積む競技がありました。
今回の出張ではチェーンソーの音や、グラップル(写真)を見ることが多く、
復興の現場が止まっていないことを感じるとともに、
元林業労働者としては、自分でやりたくてやりやくて。
(前にいた会社では先輩がたくさんいて、なかなか触らせてもらえず
皆が昼寝している昼休みに練習したり。社長に見つかって怒られたり)
ここ最近ずっと悩まされている胃痛から解放されました。
今日は邪魔になるといけないから遠くから見ました。
この者は毎日毎日現場を見ていると思います。
ご当地看板 「香川人は、うどんも海岸林もセルフ好き?」
吉田です。
香川出張前にネット検索していたら、土木学会四国支部の
「津田の松原」に関する記述がヒットしました。
その記事を読んで、直感でこれは行かねばならないと。
そこで見たもの・・・
海岸林の管理もセルフにて。この発想には感心しました。
防災林的機能を重視される巨大な海岸林では、今の時代に「落ち葉掻き」まで追いつかないのですが、
各地で落ち葉を堆肥化する努力は行われています。
落ち葉掻きをしないと、土壌が良くなりマツの競争相手が次々生まれます。
その森をどう仕立てるのかという目標によって管理方針は異なります。
ここでは、天橋立や気比の松原のように、景観維持が求められる森だからこそ、松葉掻きが求められるのだと思いました。
市民に親しまれるための、ちょっとした工夫が随所に見られ、とっても参考になりました。
例)吟行ポスト(短歌・俳句・川柳)by文化協会
クロスカントリー大会 by陸上競技協会・体育協会
子どもたちのための遊具
昔遊びが書いてあるベンチ などなど
吉田です。
香川県で開催された「第20回オイスカ四国の集い」で講演の時間をいただき、
500人を前に「海岸林再生プロジェクト」についてお話をしてきました。
そして、いつものように出張の折は海岸林を視察に。
今回は、観音寺松原(観音寺市・琴弾公園)と津田の松原(東さぬき市・琴林公園)。
ともに白砂青松100選に入っています。
観音寺松原では、落ち葉掻きをしていたシルバー人材の方たちから貴重な話を伺うことができました。
10数年前の高潮、松くい虫対策、落ち葉掻き後は堆肥化されること、シルバーの勤務体制、海浜植生、干潮時の干潟のこと。
そして、後背地の農業について。
疎になった所の植栽は、枯死が目立ちました。
推測するに、植えた苗が大きすぎたのではないかと。
カラダに対して根の張りがついてこれず、
乾燥著しい海岸林の環境に対応できなかったのでは?
津田の松原では、樹齢600年!!という約400本の巨木群。遠足で来ている小学生。
市民に親しまれるための数々の工夫。
鎌倉時代に防風林として造成が開始されたそうです。江戸時代には「十二里」あったのが、開発のために3分の一になったようです。
これらの森が存在する理由は、東北の海岸林とは少々違います。瀬戸内海に面しているので、風力も砂粒の大きさも違います。
しかし、植林の10数年後、20年後の森の姿をイメージに落とす上で見るモノ一つ一つが非常に参考になりました。
香川全土では、ナラ枯れはまだですが、松くい虫の被害が目立ちました。
海岸林も然りです。
ANAすか隊 仙台空港 空の日に参加するの巻 後編
みなさま、こんにちは。
ANAすか隊の庄司です。(ANAすかとは…前編を是非お読み下さい)
前編でご紹介したように我らANAすか隊は、10月7日に仙台空港 空の日に参加して参りました!!
活動の内容は
①色づけした松ぼっくりの傘を使って飛行機の貼り絵を作ろう!
②海岸林再生プロジェクトの募金をしてくれた方にカラフル松ぼっくりをプレゼントしよう!
この2点です。
さて、当日の朝、ANAすか隊とANA仙台空港スタッフは集合し簡単な打ち合わせを行いました。
しかし、当日になって予想外のハプニングが発生!!
ANAすかイベントを行う場所が予定より奥まった位置にあり、海岸林再生プロジェクトのブースに足を運んでくださる方が少ないという非常事態が…。
隊員たちに焦りの色が出てきました。
それでもお客さんを獲得しようと
手にイベントのポスターを持ち、人通りの多い場所に出向き、ANAすかブースの宣伝活動を行いました。
その結果、徐々にANAすかブースに人が集まり始め、隊員たちは一安心。
企画していた貼り絵は午前中に完成し、接着剤が乾き次第展示をしました!
午後になりプロジェクトの募金ブースを目立つ場所に移動する許可をいただき午後からは募金活動に力を入れることとなりました。
隊員は募金箱を手に取り、募金をしてくれた方に好きな大きさの松ぼっくりを選んでいただき、約300個用意していたカラフル松ぼっくりは午後3時にはすべて配り終えることができました!
ちなみに募金箱は飛行機の整備に使う「オイル缶」を使用し、前編で紹介したカラフル松ぼっくりのラッピングに使われているモコモコのリボンは飛行機の床のカーペット(未使用)の切れ端を細く切って使っているんです♪
今回の集まった募金はもちろんオイスカさんに寄付いたします。
今回、反省する点も多々ありましたが、今回の活動を通じて
募金してくださるお客様のあたたかい気持ち、笑顔に触れ合うことができ
私たちスタッフの笑顔も皆一段と輝いていました。
来年の仙台空港「空の日」も是非参加したいと思います。
来年はもっと準備期間を長めに取り、空の日の目玉イベントになるようなものを考案したいと思います。
来年の仙台空港 空の日をお楽しみに~♪
9月に育苗場に取材に来てくれたカメラマンの梅村さんが写真をたくさん送ってくれました。取材のあった日は海岸林踏破ツアーを1週間後に控え、畑の草むしりをしていました。 農家の人たちは普段、照れもあってか、あまり写真には写ろうとしません…。 今回のようなプロが撮ってくれるときは、渋りながらなんとか写ってくれます。 それに、年齢を重ねると自分が映った写真も少なくなっていくものかなと思います。 写真を撮られる機会も減るでしょうし、今は自分で現像することも少なくなっていますね。 だから、こういう写真をきれいに現像して送っていただくととてもありがたいです! 農家の皆さんに写真を配ると、やはり照れくさそうに喜んでくれました! いい記念になったと思います。 貴重な写真、ありがとうございました。
この石碑に書かれた歴史は、少なくとも我々にとっては
海岸林再生プロジェクトの推進に確信をもたらし、
プロジェクト案件形成に非常に大きな影響があった。
調べてみると、戦中に荒廃の一途をたどった全国の海岸林。
昭和22年、宮城県南部には17つのいわゆる「愛林組合」が
設立され、当時の営林署の発注のもと、海岸林の造成を
村中総出で行っていたことが分かった。
2011年9月6日、ぬかるみを歩き、初めて自分の目で石碑を見て、
更に歴史の繰り返しの因果を感じた。
以来、足場が悪い時以外には、
できるだけ多くの方に直接石碑を見てもらおうと思ってきた。
30年・40年前まで、煮炊きや風呂の湯を沸かす燃料として、
あるいは食卓に出すきのこを採取する場として、
日々、海岸のマツ林を利用していた生活のことを、
記憶を辿りながら地元の方に話していただくことに深い意義を感じている。
ここに名取市広浦にある愛林碑に書かれていることを記載する。
「愛林」(名取市広浦)
昭和十二年玉浦陸軍飛行場建設に当り農地を買収された北釜部落組合員は台林、
国有林約五十ヘクタールの所属替を受け当時の総代森良三郎氏を組合長とする
北釜開墾耕地組合を組織し、鋭意開墾を進め三ヶ年にして立派な耕地とした。
然し残された国有林のみにては数千ヘクタールに及ぶ名取耕土を潮害より保護するには
若干の不安を感じたので昭和二十三年潮害防備林の補強を仙台営林署に要請したところ
その必要性を認められ、十ヶ年計画の下に萱生湿地帯に盛土工事を施し防潮林を
造成することになった。この工事実施に当っては北釜部落組合員も積極的に協力し
昭和三十 三年十ヶ年にして今日の完成を看るに至った。
抑々この萱生地は明治末期まで鬱蒼たる防潮林であったが年毎の風水害と海水の侵入により
殆どの立木が枯死 し全くの低湿萱生地と化したものである。
そのため防潮林造成に当っては盛土植栽の外途なく完成までには当局の絶えざる御努力と
組合員の献身的な作業を必要としたのである。依ってこの経過を記録し組合員一致協力して
保護育成に努めその目的を達成すべく茲に組合員の総意により碑を建立し記念とするも のである。
昭和三十四年三月一日建之 大宮貞治書
この時も「盛土」をしたのか…….
いまは見る影もない。
おそらく、それほど高くなく、時の経過や
震災の地盤沈下に耐えられなかったのではないか。
全国津々浦々の海岸林造成の厳しさと、ここも同様と感じる。
なお、この間昭和27年・28年に、全国学校緑化コンクールで
再生の会の皆さんが通った、名取市立下増田小学校が
準特選、特選の栄誉に輝き、全国植樹祭で表彰を受けている。
昭和28年は千葉県富津の海岸で、天皇皇后両陛下ご臨席のもと
全国植樹祭が行われ、戦中戦後に荒廃した海岸林の造成が加速した年でもある。
しかし、特選を記念した「学校植林」碑は未だにどこにあるかわからない。
(さっき、学校にも聞いてみた)
我々の育苗場の近くにあるはずなのだが。
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10月24日(水)午後、東京・代々木のオリンピックセンターで開催する
「防災と森林復興に関する国際フォーラム」では、以上の知られざる
歴史的な背景、生活との関わりを紐解きながら、海岸林再生を考えたいと思う。
高梨さん、鈴木会長、佐々木さん、当日はよろしくおねがいします。
cf.ちなみに、こののち、岩沼市であと3つ「愛林」碑を見つけました。
ということは、宮城南部にあと13の石碑があるかもしれません。
10月24日(水)の国際フォーラムのパネリストになる
地元農家の高梨さんの紹介でもあります。
2011年8月12日、高梨さんから忘れられない情報が入った。
「やっと愛林の碑をみつけた。しかも(津波で)倒されていない」と。
ビニールハウス団地の北はずれにあったこの石碑のことは、
地元の人たちと会うたびに話題になった。
しかし、みんな「海には行ぎたぐねっ」と言っていた。やっぱりまだ怖いから。
そんな会話をしていたから私はその連絡に驚いた。
高梨さんは、真夏のさなか一人で、高さ2m以上の葦原を掻き分けて探したはず。
2度目のチャレンジだったと思います。
その前の日、私は仙台・名取にいた。
県や種苗組合などと会議をして、訴えていた県種苗生産講習会開催と、
我々の基本コンセプト細部の理解が得られ、
いよいよプレスリリースに踏み切ると宣言した日だった。
だからその翌日の高梨さんの、この行動。これは本当に嬉しかった。
2011年5月24日の東北森林管理局仙台森林管理署での話し合いの中で
署長さんが使った「愛林組合」という言葉が、とても印象に残った。
戦後も、地元の人は組織的に海岸林に関わっていたことが分かったからだ。
のちに、その言葉がもとになり、「名取市海岸林再生の会」設立に繋がった。
高梨さんと初めて出会ったのはその日の午後だった。
我々にとっての初めての被災地住民との話し合いの場で。
高梨さんたちは、自分の子どもの頃からの、マツ林との関わりを話した。
その日の晩に、名取市の居酒屋で、高梨さんをはじめ、鈴木さん
(再生の会会長)、森さんからさらに詳しく聞いた。
公民館長として地元史の編纂に関わった鈴木さんからは小冊子を頂き、
そこにも愛林碑や、昭和20年~30年前後のマツ林にまつわる記述があった。
初めて会う我々に、しかも被災して2ヵ月しかたっていない体育館の避難所暮らしの環境の中、
こうも明確に、良い収入になるわけでもない海岸林再生を誓った訳を
私たちもだんだんと理解していった。
「愛林碑」の碑文はまた後日。
石碑の後ろには、会議にきた人たちの祖父の名がたくさんあったのだ。
初めて見た名取市広浦の「愛林碑」(撮影:2011年9月6日)
この場所で津波に倒されなかったことに巡り会わせを感じた。