ANAすか仙台隊としての活動を振り返って
はじめまして、こんにちは。
ANA仙台空港の石川と申します。 ANAすか仙台支部として、 「海岸林再生プロジェクト」の活動をさせて頂いております。
私がこの活動に参加するきっかけとなったのは、 ANAすか羽田本部の櫻井隊長との何気ない電話からでした。 実は、櫻井隊長とは地元宮城の某高校の同級生。 ANAすか発足前、櫻井隊長がひとりで募金活動をしていた事を知り、 何か私も自らの手で復興に向けたお手伝いをしたい! と感銘を受けたことが、この活動への参加のはじまりです。
2011年3月。 オイスカの吉田さんと林さんにお会いできる機会を作って頂き、 直接現場視察に連れていってもらいました。 その時に改めて、海岸線にあたりまえにあった松の大切さ、 またこのプロジェクトの壮大さを知り、 この長いプロジェクトには沢山の人手が必要不可欠であると実感しました。 そこで、私たちの共通点であるANAとして オイスカさん主体の「海岸林再生プロジェクト」に参画し、 この長いプロジェクトを支えていける一員となれるよう、 まずは現場である仙台空港での広報活動にあたりました。 大きな資金投資等はできませんが、松ぼっくりイベントを開いたり、 何かみんなの興味を引けるような事を考えたりと、 私たちらしい活動ができたと思っております。 まだまだ始まったばかりですが、 このプロジェクトを代々受け継いでいける体制は作れたのでは・・・? と勝手に思っています^^笑
仙台支部の言いだしっぺは私ですが、 実際は周りの皆の協力が物凄く大きく、現場隊として楽しく活動できました。
どう切り出して良いのか分からないので、突然言ってしまいますが・・・ 仙台支部で活動してきた私ですが・・・ 1月から実は成田空港で働くこととなりました。 しかしANAすかは引退しません! 今後は、ANAすか成田隊として頑張っていきます!
仙台での活動がありましたら、積極的に参加していきたいですし、 耕人会の方々ともとても仲良くしていただいているので、 またボランティアできることがあれば、すぐに飛んでゆきます! 仙台⇔成田は直行便が飛んでいるので直ぐ駆けつけますからね!
これから現地での活動が増えていくという時期に、 仙台を離れてしまうのはとても心苦しいですが、 これからも私に出来る事がありましたら、 全力で取組んでいきたいと思っておりますので、今後とも宜しくお願い致します。
成田にいても、気持ちは仙台のままです! 海岸林再生に向けて成田でも仲間を増やしてサポートしていきます。 皆さんとこういった形で復興のお手伝いができることに感謝しております。 櫻井隊長をはじめ、皆さんと力を合わせて そしてこうやって出会えた沢山の繋がりを大切にしていきたいと思っております。
どんどん前へ!進んでいきましょう!
ANAすか 石川裕美
ANAすか隊 仙台空港クリス“まつ”イベントで海岸林再生プロジェクトのPRをするの巻
みなさま、こんにちは。
ANAすか隊 HND支部の庄司です。
今回は先日、仙台空港で行われたクリスマスイベントについてのご報告です。
12月23日~25日まで仙台空港にてクリスマスイベントが行われました。
内容としましては
仙台空港をご利用いただくお客様に対して
スタッフ手作りの【まつぼっくりのクリスマスツリー】の配布。
そして配布をしながら海岸林再生プロジェクトの宣伝をする。
といった「クリスまつをしよう!!」と仙台空港スタッフが企画し、
東京スタッフも絡んでの企画実施となりました。
仙台のスタッフは仙台空港 空の日と同じように
まつぼっくりを白くペイントし、ビーズ等でかわいくデコレーション。
かわいい、かわいいクリスマスツリーを作成。

東京スタッフは仙台スタッフから、ツリーと一緒に配布する
海岸林再生プロジェクトの広告を作ってほしいと依頼されました。
私の所属する、毎度のANAすか 羽田本部ミーティングにて
さて、どんな広告を作ろうかな~?
羽田メンバーは必死で構想を練ります。
★結論★
せっかくのクリスマスイベントだし、広告だけじゃもったいない!!
スタッフが手書きで一言添えたクリスマスカードを作ろう!!
そして、クリスマスカードの裏に広告を載せよう!!
みんなの意見がまとまりました!
クリスマスカードは名刺サイズの大きさに
Merry Xmasの文字とご搭乗の感謝の気持ちを添えて…
裏面には海岸林再生プロジェクトを印象付けて頂くために
ストレートなメッセージを添えて…
表面のクリスマスカードには東京地区のANAすか隊員が集まり
気持ちを込めてクリスマスのメッセージを記入。
そしてシールを貼ってカードをデコレーション。
かわいいカードをクリスマスツリーの数に合わせて、約300枚作成しました。


完成したカードは羽田空港から仙台空港に空輸し、着々と準備をしていきます。
そ・し・て
★クリスまつキャンペーン 本番★
仙台空港のANAチェックインカウンター前に
まつぼっくりツリーと、翼の王国(ANAの機内雑誌)に掲載された海岸林再生プロジェクトの記事を設置。
係員の時間が空けば直接、お客様にまつぼっくりツリーを手渡ししました。


ご搭乗されるお客様・お子様にANAからのクリスマスプレゼントは大好評★
約300個作ったクリスマスツリーはいつの間にやらすべてお客様の手に♪
このクリスマスツリーとメッセージカードを手にされたお客様が
少しでも海岸林のことを思っていただけるように…。
そして良いクリスマスを過ごせたことを願って…★
今後もANAすかは積極的に海岸林再生プロジェクトのPRを実施していきたいと思います。
次回の報告をお楽しみに~♪
ANAすか隊 仙台支部 防風ネットを取り付けるの巻
こんにちは、ANAすか隊 仙台支部の田山です。
※ANAすかとは…ANAがオイスカさんのプロジェクトを応援する といった意味合いで名づけたチーム名です
12/11 名取市高館地区にある、第二育苗場にて防風ネットを張るお手伝いをして参りました。
名取市の農家「北釜耕人会」の皆さんとの初の共同作業です!
この防風ネットは、クロマツの苗木を育てるビニールハウスが風で飛ばされないようにするものです。
高さ4メートル、3メートルの鉄のポールを畑に打ち込み、土台からしっかり建設しました。
はじめはどうしていいのか分からなかった私達も
男性陣は鉄パイプによじのぼり作業を、
女性陣はパイプをつなぐ金具を手際よく取り付けたりと徐々にできるようになりました。
作業後に耕人会の方々が
「海岸林はおれだづのあどのあどの世代の為だがらや~
(海岸林は俺たちの後の後の世代の為だからさ)」
と、仰っていたのが印象的でした。
冬本番を迎え、寒さが日に厳しく感じられます第一育苗場のクロマツ達も毎日、上を向いて成長。
私達も負けないように元気に冬を乗り切りましょう!
振り返りブログ 20 初の名取市との協議
8月、宮城県庁と合意ができた。
そして9月5日、ようやく名取市役所へ。
県から面会を調整してもらった。
少なくとも私だけはとても緊張していた。
半年かけて辿りついた場所だから。
眺めはよいが、不具合に広い会議室だった。
ぞくぞく役所の職員が入ってきた。
ありがたいと思ったが……
名刺交換をした。
しかし、私は間違えて、表参道の「もつ煮」のサービス券を
出してしまった。しかも、一番偉い人に。
さすがにその方はリアクションできなった。
仕方ないから、続く人は付き合いで型どおり爆笑していただいて。
それで我に返った。普段通りに戻った。
「サービス券」は今でも記念にとってある。
もつ煮を見るだけで名取市役所を思い出す。
意図せず、完全にこちらのペースになった。
説明と議論は始まった。
ただ、奥にひとり、ものすごく真剣なまなざしの人がいた。
真剣のレベルが違う。どう考えても一番若いのだが。
彼は終始頷いていた。しかし、睨みつけらているようにも見えた。
その気合を計りかねた。
しかし、後ですぐわかったのだが、
彼が海岸林のまさに担当者だったのだ。
並々ならぬ愛情を持った担当者だった。
その後については記すこともない。
我々気合の塊の皆に愛される一人になったのはもちろんの事。
振り返りブログで何度も言っていることだが、
ご縁というものだと思う。
オイスカだけで仕事しているのでない。
彼に限らず、どれ程のかたに協力してもらって歩いてきたことか。
北釜地区農業のデータ
10月24日のオイスカ国際フォーラムでの発表等をもとにお伝えします。
北釜地区人口 380人(107世帯) *54 人死亡確認
農業就労人口 約350人(85世帯)
専業農家 25世帯
兼業農家 60世帯
これまでの年間総生産額 約4億円
〃 専業農家一戸当たり生産額 約1,000万円
〃 専業農家最高額 約1,500万円
海岸林西側農地面積 約50ha
〃 ビニールハウス棟数 約1,000棟(全壊・復旧見通し不明)
被災後農業再開世帯数 10世帯
再開していない多くの方は農地復興に関する日雇い労務
約3,500万円/年(農地復興組合約200名)
名取市下増田全体の主力青果物5品目平成23年度共販実績(販売金額)
チンゲンサイ H22:129,533,037円 ⇒ H23:25,473,460円(前年比20%)
*単価前年比:91% ただし今年度は他県シェア増大。
小松菜 H22:43,140,027円 ⇒ H23:9,245,890円(前年比21%)
*単価前年比:93% 現在の地元主力品目。
トマト H22:36,204,521円 ⇒ H23:0円(前年比0%)
*単価前年比:0% 出荷数は依然増えていない。
ブロッコリー H22:22,991,799円 ⇒ H23:6,176,850円(前年比 27%)
*単価前年比:761% ただし 今年度は価格が良くない。
ミニトマト H22:9,049,289円 ⇒ H23:0円 (前年比0%)
*単価前年比:0% 出荷数は依然増えていない。
*その他の青果物品目
カリフラワー、ホウレンソウ、レタス、みず菜、とうもろこし、かぼちゃ、
雪菜、きゅうり、メロン、米
*平成24年度実績については、来年春までに情報入手次第お伝えします。
ありがとうございました!
インターンをしていた秋山です。
今月7日のトークイベントで海岸林再生プロジェクトインターンのすべてを終えました。
今年2月の名取に引越した日は雪が積もるとても寒い日でした。それからあっという間に次の冬がやってきました。
私自身、最初は海岸林が再生されるイメージがなかなか湧きませんでしたが、播種や発芽、盛土工事など現場の動きを見てきた今は、その再生された姿を想像できるようになってきました。
終わってみれば短い10ヵ月だったと感じます。
しかし、いろいろな人と出会い、たくさんの経験ができた中身の濃い10ヵ月でした。
名取市海岸林再生の会の皆様
現場等でお会いした企業の皆様
オイスカ会員の皆様
ブログ読者の皆様
吉田さん・佐々木廣一さん・林さんをはじめとするオイスカの皆様
など、多くの人にお世話になりました。本当にありがとうございました。
現場の仕事はもちろんのこと、これだけ多くの大人と会ったことも最高の経験でした。
10年間のプロジェクトの最初のたった1年で退くことは残念でもありますが、海岸への植林など現場が忙しくなるのはまだこれからなので、そういう時にボランティアとしてできる限り参加するつもりでいます。それに名取はまた帰りたい場所でもあります!
これからは大学に戻り、就職活動に入ります。このインターンでの収穫と反省はきっと今後に生きてくると思うし、生かさなければと思います。
そして、インターンで出会った人々のような魅力ある人間になれるように頑張ります!
関連ブログ インターンを終えての感想(2012年12月27日)
振り返りブログ 19 宮城県庁との協議
新しい場所で立ち上げる場合、信用と信頼を得るのに、経験上、3年は必要だと思っている。
別の現場で、幾度もあんまりな言葉を投げかけられたことがある。
宮城県庁はいつ何時も面会に応じ、断続的に意見と情報の交換を継続していただいた。
以前、某商社から当該部署の雰囲気は聞いていた。
地域の森林計画は県が多くの実務を行うことから、市町村との接触の前に、
じっくり県当局と話し合う必要があった。大枠合意できてから、名取市と接触するのが妥当と考えた。
まず、私たちの計画の出発点、つまり苗木生産のスキームをよく理解していただき、
必要な存在と認めてもらう必要があった。被災地農家の技術と熱意を活かし、
早急に苗木生産の担い手を確保し、育苗のスタートを切ることである。
内部で「なぜそんなに急ぐのか」と問い正されたことがあった。
行政・種苗組合・地元と何度も腹を割って話し、ともに歩むと
実際の一歩を踏み出すのには時間がかかる。
まずは何より宮城県庁。それがなければ地元は翻意する。
そして、1年に一度の播種の時期を、万端で迎えなければならない。
簡単な仕組みではあるのだが、NPOの存在が不可欠であるし、
応援いただく寄附者が必要で、平時ではこの仕組みは認められないだろう。
平時は、商品である苗木を納品しないと、働く人は対価を手に入れることは
できないが、野菜と違い苗木は2年以上かかるのだから。
我々の試算で、最も大きな被害面積の宮城県だけで必要な苗木は
600万本。それに対し、震災前にクロマツを生産していた農家は7件のみ。
4月の時点で、担い手が不足しているのは明らかと把握していた。
担い手がいないという事は、いかに山に木を植える場所がないか、
いかに木が使われていないかの証明でもある。
産業とは到底言えない規模だ。
林業種苗法に明記されているものの、新規参入者がいないため数年間開催されていない
「山林種苗生産事業者登録講習会」を開催していただくよう宮城県に働きかけ続けた。
そのためには、建前でなく、本音の意味として、種苗組合全体から
「仲間」として認識される必要があった。
2011年8月11日の協議で、いよいよ講習会開催の方針が明確になった。
それにより、「海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」をプレスリリースし、
募金態勢にも入ることができると考え、9月22日にリリースを行った。
振り返りブログ 18 ~チーム海岸林コアメンバー紹介~ 佐々木廣一さん
※振り返りブログは、担当の吉田が執筆しております。
すぐにはお伝えできなかったことや後々のために記録しておきたいことなどを
時系列で振り返らせていただいております。
名取事務所統括の佐々木廣一さん。
初めてお目にかかったのは、2011年5月26日の初陸上踏査。
一服入れにご自宅に立ち寄った時、庭で一行はコーヒーをいただいた。
何となく、私は緊張しながら、廣一さんにオイスカの資料を手渡した。
宮城中央森林組合の佐々木勝義さんのお兄さんである。
勝義さんには、学校林の仕事で以前から懇意にしていただき、
「海岸林再生プロジェクト」でも、名取市が同組合の管区内でもあることから、
こちらの活動でもお世話になっている
廣一さんが「林野庁東北森林管理局を3月末で定年退職した」と
勝義さんから聞いていた。
2度目にお会いしたのは同年8月。
この時私は息子と娘を連れていたが、
別の目的も持って、ご自宅に泊めていただいた。
勝義さんと息子さんの秀義さん、おばあちゃんや廣一さんの奥様も交え、
深夜までオイスカのこと、海岸林のことをとことん話した。
佐々木兄弟と私が飲み出すと、しばしば、壁に穴が開くような音量になる。
「廊下まで声が聞こえる」的なネタには事欠かない人が3人も集まっても、
佐々木家は心配ない。隣家がない丘の上だから。
ご家族も平然としている。うちの娘だけが「昨日何で喧嘩してたの?」と。
勝義さんはいつも話していた。
「うちの兄貴を説得しよう」と。
私は現場にはプロ中のプロが必要と思っていた。
志だけではできない仕事だから。
オイスカも値踏みされていたと思うし、私は私で一緒にやってゆける人かどうか、
あの日以降も、間違いなくお互いに考えていた。
そののちも、9月の調査全行程、10月の170人視察受け入れ等々にご同行いただいた。
そして11月にまたご自宅へ。
その時は、もちろん廣一さんにお願いするのだが、
むしろご家族からも認めていただく気持ちで、
「オイスカの現場責任者になってください」と
静かな気持ちでお願いした。
既に「一の蔵」が2升置いてあり、話は20秒で終わった。
片手に余る、いくつもの引く手を断って、
最も条件の悪い、ゼロから立ち上げの私たちのところに来ていただいた。
「生半可な仕事と違う」
私にはもちろん、家族の皆さんにも言ったような、
あの時のこの言葉と、重みだけは片時も忘れない。
北釜耕人会の生い立ち その②
(昨日のその①の続きです)
我々北釜耕人会は、3夫婦6人で構成しています。
毎日何もすることがなく、ごろごろしていた時、
「このままでは人間としてダメになるのでは」と思い、
避難所近くを散歩して場所を探したり、近くの友人を頼り、
農地を貸してくれるよう場所を見せてもらいました。
(海岸より内陸に約10km。今、この農地は、第2育苗場でもある)
初めて見せてもらった時は「ここが畑か」と疑うような荒れ地で、
草が1mも生い茂っていました。
4月16日にその荒れ地に初めて手を入れ、5月には小松菜の種蒔きをしました。
震災前の海岸林横の農地は砂質土壌で、震災後に借りた農地の土と性質が全く変わり、発芽するまで皆はとても不安でした。
そして6月の初収穫。園芸課長に「苦難を乗り越えよく頑張った」との色紙をもらい、皆で涙を流しました。
その後、生協さんとのタイアップで仙台白菜の再生事業などの取り組みもしています。また、露地野菜中心では年間を通じて出荷できないため、国の補助事業などを利用しながらパイプハウスを20棟の組み立てを行いました。
来春からはハウスを利用した周年栽培で、安全で安心して食べられる野菜を
1年を通じて安定的に生産してゆくので皆さんにも利用していただきたいと思います。
北釜耕人会の生い立ち その①
※10月24日のオイスカ国際フォーラムでの発表をもとにお伝えします。
北釜耕人会 常務 高梨仁 (名取市海岸林再生の会 幹事)
名取市下増田北釜地区は、仙台空港の東、太平洋と貞山運河に
挟まれた、約800mの間に107戸、400人ぐらい住んでいました。
震災により住宅、車、農機具を失い、そして54人の犠牲者を出してしまいました。
集落の北に従前より耕していた農地25haと、30年ほど前に仙台空港拡張に伴い代替用地として国有林の払い下げを受けて開発した農地25ha、あわせて50haの農地に約1,000棟のパイプハウス(ビニールハウス)を建て、青梗菜(チンゲンサイ)をはじめとする小松菜・みず菜など軟弱野菜を仙台市場に年間を通して出荷していました。
青梗菜で仙台市場年間流通量の80%に達する産地が、一瞬にして瓦礫の山になってしまいました。林帯幅300mのマツ林も失い、農地から太平洋が見える状態です。
震災では、消防団として避難誘導に務めたため逃げ遅れ、波が来る一瞬前に、登ること自体考えられない高さの自治会館の屋根の上に登り、水が引かないため雪の中、2日間耐えました。
仙台空港で土産物の萩の月や笹かまぼこを分けてもらい、
3月13日に市の指定避難所の名取二中の体育館に移り、
5月31日までの2ヵ月半、雑魚寝状態でした。
その中、5月24日にオイスカと出会い、
海岸林再生に我々も協力すると、はっきり伝えました。















