振り返りブログ 21 激しい議論
(新年早々、激しい議論の話題ですみません)
自分の誕生日でもあったのでよく記憶している。
9月6日夜、仮設住宅集会所で、名取市東部震災
復興の会との意見交換の場が持たれた。
7月11日にも東京でのシンポジウムに40人で来て、
オイスカ本部で飲み明かした人たちが大半だ。
仕事を終えた皆さんが続々集まって始まるや否や、
一番奥にいた方が延々怒鳴りだして、一言だけ覚えているのは
「そんなものやれるかー」と、席を立って帰ってしまった。
根底から誤解され、唖然としたが、受けて立とうと思った。
「俺たちがボランティアをするわけにいかない」と言う方もいた。
いつもよく会う方は議論の前面に立とうとしない。
地域の中の上下関係もあるだろうし、人間だから心の波もある。
生活再建への焦りもある。
「オイスカは思いが強すぎる。一体いくらもらえるのだ?
二重で被災を受けるわけにいかない。」
堪えに堪え、冷静に応対することだけ考え、ひたすら答えた。
激しい議論につかれてきたころ、この場が初めての大友班長が
「そうは言ってもなー、俺たちはやらなきゃいけないんだよー」
という発言を始め、ほかの意見は鳴りを潜めた。
よく覚えていないのだが感動した。救ってもらった。
横にいた女性の同僚がその発言を聞いて泣いていたことを
市議から後で聞いた。
会議の後で、数人の方から「すまなかった」とお詫びを言われたが
一つの修羅場を無事切り抜けたことに安堵して、
腹など一つも立っていなかった。
この日の議論で、ただの通行人と思われていないことを確認できたから。
約20日後、それはもっとはっきりした。
おめでたい「まつ」のお話
本部の林です。あけましておめでとうございます。
お正月なので、縁起物とされている「まつ」のお話です。
お正月のお飾りとしても使われる松ですが、なぜ縁起物とされているのか。
諸説ありますが、まずは常緑であることが挙げられます。
枯れない→不老不死のイメージになるのでしょうか。
また、松の葉は対になっていて、夫婦和合の象徴でもあるそうです。
そして、昔から神様の依代(よりしろ=神様が降りてくる目印のようなもの)とされていて、それでお正月の歳神様が降りてくるようにと松を飾るのですね。神様を「待つ」木なのだそうです。
私がお茶の先生からいただいたお道具には「敷き松葉」が描かれています。
敷き松葉は、庭の苔を霜柱で傷めないよう、冬の間に庭に敷く松葉のこと。
(・・・と教わったように記憶しています)
いただいた時には、こんなに松と関わるとは思ってもみませんでしたが。
松って私たち日本人の生活、文化、風習に深く深く根付いているんだなぁと
そんなことをお正月に思うのも「海岸林再生プロジェクト」に関わるようになったから。
今年もプロジェクトの推進に力を注いでいきます。
皆さんよろしくお願いします。
私たちも頑張ります! byマツの子たち
新年あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
昨年12月26日は、「12月はもう少し温かいはずなのに」と
地元も驚くほどの寒波で、路面は凍り、各所で渋滞。
加えて風速20m超の大荒れの天気。
夜はすさまじい地吹雪に。これが東北。
僕ら92,000本は、皆さまのあたたかいご支援に守られ、9月半ばからは、天水のみで、肥料をもらわずに鍛えた体で寒風にも雪にも耐えております。ご安心ください。
今年の梅雨入り前、僕らの「めんこい」弟たちが生まれます。
その時は、あらかじめお声をかけますので、ぜひ見に来てください。
それまで僕らは、名取市海岸林再生の会やオイスカのおじさんやおばさんたちにかわいがられ、鍛えられ、もっと逞しくなってみせます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
*子どものくせに随分一丁前な言いっぷり。
ANAすか仙台隊としての活動を振り返って
はじめまして、こんにちは。
ANA仙台空港の石川と申します。 ANAすか仙台支部として、 「海岸林再生プロジェクト」の活動をさせて頂いております。
私がこの活動に参加するきっかけとなったのは、 ANAすか羽田本部の櫻井隊長との何気ない電話からでした。 実は、櫻井隊長とは地元宮城の某高校の同級生。 ANAすか発足前、櫻井隊長がひとりで募金活動をしていた事を知り、 何か私も自らの手で復興に向けたお手伝いをしたい! と感銘を受けたことが、この活動への参加のはじまりです。
2011年3月。 オイスカの吉田さんと林さんにお会いできる機会を作って頂き、 直接現場視察に連れていってもらいました。 その時に改めて、海岸線にあたりまえにあった松の大切さ、 またこのプロジェクトの壮大さを知り、 この長いプロジェクトには沢山の人手が必要不可欠であると実感しました。 そこで、私たちの共通点であるANAとして オイスカさん主体の「海岸林再生プロジェクト」に参画し、 この長いプロジェクトを支えていける一員となれるよう、 まずは現場である仙台空港での広報活動にあたりました。 大きな資金投資等はできませんが、松ぼっくりイベントを開いたり、 何かみんなの興味を引けるような事を考えたりと、 私たちらしい活動ができたと思っております。 まだまだ始まったばかりですが、 このプロジェクトを代々受け継いでいける体制は作れたのでは・・・? と勝手に思っています^^笑
仙台支部の言いだしっぺは私ですが、 実際は周りの皆の協力が物凄く大きく、現場隊として楽しく活動できました。
どう切り出して良いのか分からないので、突然言ってしまいますが・・・ 仙台支部で活動してきた私ですが・・・ 1月から実は成田空港で働くこととなりました。 しかしANAすかは引退しません! 今後は、ANAすか成田隊として頑張っていきます!
仙台での活動がありましたら、積極的に参加していきたいですし、 耕人会の方々ともとても仲良くしていただいているので、 またボランティアできることがあれば、すぐに飛んでゆきます! 仙台⇔成田は直行便が飛んでいるので直ぐ駆けつけますからね!
これから現地での活動が増えていくという時期に、 仙台を離れてしまうのはとても心苦しいですが、 これからも私に出来る事がありましたら、 全力で取組んでいきたいと思っておりますので、今後とも宜しくお願い致します。
成田にいても、気持ちは仙台のままです! 海岸林再生に向けて成田でも仲間を増やしてサポートしていきます。 皆さんとこういった形で復興のお手伝いができることに感謝しております。 櫻井隊長をはじめ、皆さんと力を合わせて そしてこうやって出会えた沢山の繋がりを大切にしていきたいと思っております。
どんどん前へ!進んでいきましょう!
ANAすか 石川裕美
ANAすか隊 仙台空港クリス“まつ”イベントで海岸林再生プロジェクトのPRをするの巻
みなさま、こんにちは。
ANAすか隊 HND支部の庄司です。
今回は先日、仙台空港で行われたクリスマスイベントについてのご報告です。
12月23日~25日まで仙台空港にてクリスマスイベントが行われました。
内容としましては
仙台空港をご利用いただくお客様に対して
スタッフ手作りの【まつぼっくりのクリスマスツリー】の配布。
そして配布をしながら海岸林再生プロジェクトの宣伝をする。
といった「クリスまつをしよう!!」と仙台空港スタッフが企画し、
東京スタッフも絡んでの企画実施となりました。
仙台のスタッフは仙台空港 空の日と同じように
まつぼっくりを白くペイントし、ビーズ等でかわいくデコレーション。
かわいい、かわいいクリスマスツリーを作成。
東京スタッフは仙台スタッフから、ツリーと一緒に配布する
海岸林再生プロジェクトの広告を作ってほしいと依頼されました。
私の所属する、毎度のANAすか 羽田本部ミーティングにて
さて、どんな広告を作ろうかな~?
羽田メンバーは必死で構想を練ります。
★結論★
せっかくのクリスマスイベントだし、広告だけじゃもったいない!!
スタッフが手書きで一言添えたクリスマスカードを作ろう!!
そして、クリスマスカードの裏に広告を載せよう!!
みんなの意見がまとまりました!
クリスマスカードは名刺サイズの大きさに
Merry Xmasの文字とご搭乗の感謝の気持ちを添えて…
裏面には海岸林再生プロジェクトを印象付けて頂くために
ストレートなメッセージを添えて…
表面のクリスマスカードには東京地区のANAすか隊員が集まり
気持ちを込めてクリスマスのメッセージを記入。
そしてシールを貼ってカードをデコレーション。
かわいいカードをクリスマスツリーの数に合わせて、約300枚作成しました。
完成したカードは羽田空港から仙台空港に空輸し、着々と準備をしていきます。
そ・し・て
★クリスまつキャンペーン 本番★
仙台空港のANAチェックインカウンター前に
まつぼっくりツリーと、翼の王国(ANAの機内雑誌)に掲載された海岸林再生プロジェクトの記事を設置。
係員の時間が空けば直接、お客様にまつぼっくりツリーを手渡ししました。
ご搭乗されるお客様・お子様にANAからのクリスマスプレゼントは大好評★
約300個作ったクリスマスツリーはいつの間にやらすべてお客様の手に♪
このクリスマスツリーとメッセージカードを手にされたお客様が
少しでも海岸林のことを思っていただけるように…。
そして良いクリスマスを過ごせたことを願って…★
今後もANAすかは積極的に海岸林再生プロジェクトのPRを実施していきたいと思います。
次回の報告をお楽しみに~♪
ANAすか隊 仙台支部 防風ネットを取り付けるの巻
こんにちは、ANAすか隊 仙台支部の田山です。
※ANAすかとは…ANAがオイスカさんのプロジェクトを応援する といった意味合いで名づけたチーム名です
12/11 名取市高館地区にある、第二育苗場にて防風ネットを張るお手伝いをして参りました。
名取市の農家「北釜耕人会」の皆さんとの初の共同作業です!
この防風ネットは、クロマツの苗木を育てるビニールハウスが風で飛ばされないようにするものです。
高さ4メートル、3メートルの鉄のポールを畑に打ち込み、土台からしっかり建設しました。
はじめはどうしていいのか分からなかった私達も
男性陣は鉄パイプによじのぼり作業を、
女性陣はパイプをつなぐ金具を手際よく取り付けたりと徐々にできるようになりました。
作業後に耕人会の方々が
「海岸林はおれだづのあどのあどの世代の為だがらや~
(海岸林は俺たちの後の後の世代の為だからさ)」
と、仰っていたのが印象的でした。
冬本番を迎え、寒さが日に厳しく感じられます第一育苗場のクロマツ達も毎日、上を向いて成長。
私達も負けないように元気に冬を乗り切りましょう!
振り返りブログ 20 初の名取市との協議
8月、宮城県庁と合意ができた。
そして9月5日、ようやく名取市役所へ。
県から面会を調整してもらった。
少なくとも私だけはとても緊張していた。
半年かけて辿りついた場所だから。
眺めはよいが、不具合に広い会議室だった。
ぞくぞく役所の職員が入ってきた。
ありがたいと思ったが……
名刺交換をした。
しかし、私は間違えて、表参道の「もつ煮」のサービス券を
出してしまった。しかも、一番偉い人に。
さすがにその方はリアクションできなった。
仕方ないから、続く人は付き合いで型どおり爆笑していただいて。
それで我に返った。普段通りに戻った。
「サービス券」は今でも記念にとってある。
もつ煮を見るだけで名取市役所を思い出す。
意図せず、完全にこちらのペースになった。
説明と議論は始まった。
ただ、奥にひとり、ものすごく真剣なまなざしの人がいた。
真剣のレベルが違う。どう考えても一番若いのだが。
彼は終始頷いていた。しかし、睨みつけらているようにも見えた。
その気合を計りかねた。
しかし、後ですぐわかったのだが、
彼が海岸林のまさに担当者だったのだ。
並々ならぬ愛情を持った担当者だった。
その後については記すこともない。
我々気合の塊の皆に愛される一人になったのはもちろんの事。
振り返りブログで何度も言っていることだが、
ご縁というものだと思う。
オイスカだけで仕事しているのでない。
彼に限らず、どれ程のかたに協力してもらって歩いてきたことか。
北釜地区農業のデータ
10月24日のオイスカ国際フォーラムでの発表等をもとにお伝えします。
北釜地区人口 380人(107世帯) *54 人死亡確認
農業就労人口 約350人(85世帯)
専業農家 25世帯
兼業農家 60世帯
これまでの年間総生産額 約4億円
〃 専業農家一戸当たり生産額 約1,000万円
〃 専業農家最高額 約1,500万円
海岸林西側農地面積 約50ha
〃 ビニールハウス棟数 約1,000棟(全壊・復旧見通し不明)
被災後農業再開世帯数 10世帯
再開していない多くの方は農地復興に関する日雇い労務
約3,500万円/年(農地復興組合約200名)
名取市下増田全体の主力青果物5品目平成23年度共販実績(販売金額)
チンゲンサイ H22:129,533,037円 ⇒ H23:25,473,460円(前年比20%)
*単価前年比:91% ただし今年度は他県シェア増大。
小松菜 H22:43,140,027円 ⇒ H23:9,245,890円(前年比21%)
*単価前年比:93% 現在の地元主力品目。
トマト H22:36,204,521円 ⇒ H23:0円(前年比0%)
*単価前年比:0% 出荷数は依然増えていない。
ブロッコリー H22:22,991,799円 ⇒ H23:6,176,850円(前年比 27%)
*単価前年比:761% ただし 今年度は価格が良くない。
ミニトマト H22:9,049,289円 ⇒ H23:0円 (前年比0%)
*単価前年比:0% 出荷数は依然増えていない。
*その他の青果物品目
カリフラワー、ホウレンソウ、レタス、みず菜、とうもろこし、かぼちゃ、
雪菜、きゅうり、メロン、米
*平成24年度実績については、来年春までに情報入手次第お伝えします。
ありがとうございました!
インターンをしていた秋山です。
今月7日のトークイベントで海岸林再生プロジェクトインターンのすべてを終えました。
今年2月の名取に引越した日は雪が積もるとても寒い日でした。それからあっという間に次の冬がやってきました。
私自身、最初は海岸林が再生されるイメージがなかなか湧きませんでしたが、播種や発芽、盛土工事など現場の動きを見てきた今は、その再生された姿を想像できるようになってきました。
終わってみれば短い10ヵ月だったと感じます。
しかし、いろいろな人と出会い、たくさんの経験ができた中身の濃い10ヵ月でした。
名取市海岸林再生の会の皆様
現場等でお会いした企業の皆様
オイスカ会員の皆様
ブログ読者の皆様
吉田さん・佐々木廣一さん・林さんをはじめとするオイスカの皆様
など、多くの人にお世話になりました。本当にありがとうございました。
現場の仕事はもちろんのこと、これだけ多くの大人と会ったことも最高の経験でした。
10年間のプロジェクトの最初のたった1年で退くことは残念でもありますが、海岸への植林など現場が忙しくなるのはまだこれからなので、そういう時にボランティアとしてできる限り参加するつもりでいます。それに名取はまた帰りたい場所でもあります!
これからは大学に戻り、就職活動に入ります。このインターンでの収穫と反省はきっと今後に生きてくると思うし、生かさなければと思います。
そして、インターンで出会った人々のような魅力ある人間になれるように頑張ります!
関連ブログ インターンを終えての感想(2012年12月27日)
振り返りブログ 19 宮城県庁との協議
新しい場所で立ち上げる場合、信用と信頼を得るのに、経験上、3年は必要だと思っている。
別の現場で、幾度もあんまりな言葉を投げかけられたことがある。
宮城県庁はいつ何時も面会に応じ、断続的に意見と情報の交換を継続していただいた。
以前、某商社から当該部署の雰囲気は聞いていた。
地域の森林計画は県が多くの実務を行うことから、市町村との接触の前に、
じっくり県当局と話し合う必要があった。大枠合意できてから、名取市と接触するのが妥当と考えた。
まず、私たちの計画の出発点、つまり苗木生産のスキームをよく理解していただき、
必要な存在と認めてもらう必要があった。被災地農家の技術と熱意を活かし、
早急に苗木生産の担い手を確保し、育苗のスタートを切ることである。
内部で「なぜそんなに急ぐのか」と問い正されたことがあった。
行政・種苗組合・地元と何度も腹を割って話し、ともに歩むと
実際の一歩を踏み出すのには時間がかかる。
まずは何より宮城県庁。それがなければ地元は翻意する。
そして、1年に一度の播種の時期を、万端で迎えなければならない。
簡単な仕組みではあるのだが、NPOの存在が不可欠であるし、
応援いただく寄附者が必要で、平時ではこの仕組みは認められないだろう。
平時は、商品である苗木を納品しないと、働く人は対価を手に入れることは
できないが、野菜と違い苗木は2年以上かかるのだから。
我々の試算で、最も大きな被害面積の宮城県だけで必要な苗木は
600万本。それに対し、震災前にクロマツを生産していた農家は7件のみ。
4月の時点で、担い手が不足しているのは明らかと把握していた。
担い手がいないという事は、いかに山に木を植える場所がないか、
いかに木が使われていないかの証明でもある。
産業とは到底言えない規模だ。
林業種苗法に明記されているものの、新規参入者がいないため数年間開催されていない
「山林種苗生産事業者登録講習会」を開催していただくよう宮城県に働きかけ続けた。
そのためには、建前でなく、本音の意味として、種苗組合全体から
「仲間」として認識される必要があった。
2011年8月11日の協議で、いよいよ講習会開催の方針が明確になった。
それにより、「海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」をプレスリリースし、
募金態勢にも入ることができると考え、9月22日にリリースを行った。