東京にもあったんだ…

2013年5月27日( カテゴリー: 本部発 )

お台場フジテレビとマツ

お台場フジテレビとマツ


国際協力ボランティアの木村です。
日曜日に友人と一緒にお台場で散歩&ビールを楽しんできました。
お台場海浜公園を散歩しながら自分の目に飛び込んだものは、 なんと、青々とした「マツ」!
大きいものは10mぐらいのものも。
東京に住むのは初めてで、あまり東京を知らないのですが、こんなところにもマツがあるのだと驚きました。普段は、育苗場でまだ小さいマツの苗を必死に「海岸林再生の会」やボランティアの方と育てているので、フジテレビを前に堂々と立つマツはまるで日本の遺産のように感じられました。ただ、調べたところ、このお台場のマツは誰がいつ植えたのか文献がないそうです。
おそらく、「海岸林再生プロジェクト」に関わっていなければ、素通りしブログの記事にもしなかったことでしょう。
なんか、ブラブラ、歩いていても、ふと、仕事のことが気になってしまうんですね(笑)
日曜日の夕方にマツを背に芝生で寝転んで海風を感じ、つい、福山雅治の「東京にもあったんだ」という曲が頭の中で流れていました。 だから、このタイトルです!(笑)
その後はビールをビアガーデンで飲んで、気持ちよくなって帰りました。
皆さんもこんな休日を過ごしてみては…
Good Sunday Afternoon !!

Good Sunday Afternoon !!

左・中は生育。新芽が伸びている。右は枯損

左・中は生育。新芽が伸びている。右は枯損


今回の床替移植は、昨年播種をして育ててきた9万本の苗の根を15cmに切り詰め、 スペースを広げて植え替えを行ったものです。
 機械を使い、またボランティアさんも借り、一部人力で丁寧に植え替えました。
この9万本というのは苗木専門の業者さんでもこんなに広い面積 で栽培しているところは稀です。
その床替の結果を5月中旬に見てきました。
残 念ながら、1ヵ月後の結果をみると約3割が枯損しておりました。
普通は1割程度ですので、少し高い枯損率です。その原因はいつか考えられます。
①土壌の「乾燥」に 耐えられなかった
②床替直後、雪が降るほどの寒波など、「気温の乱高下」に見舞われた
③スギの植付機(マツ用はない)にあわせて「根を切り詰め過ぎて」、
水分養分を吸収する能力が必要以下となった。
④機械植え の為、苗木の床固めが不十分(植える穴と苗との間に隙間が多い。
人力の場合は足で踏み固めます)なため根からの水分養分吸収を妨げた
今後、窒素肥料 の追肥をおこなって体内の充実をはかることが必要です。
第一育苗場西側半分

第一育苗場西側半分


真心を込めて、初めてクロマツ育苗に取り組んだ被災地関係者一同、 枯れた苗を見て胸を割かれるような思いをしました。私自身、落胆した声 も聞き、顔も見ました。
そもそもの海岸林再生の厳しさに加えて、津波で遮るものが一切なくなった荒野で、 種子から稚苗を育てる現実と改め て向き合いました。ですが、障害を経て経験を積み、心豊かになると思います。
今後も数々の困難が待ち受けていると 思いますが、今回の反省を十分生かし、 誠心誠意取り組んでゆこうと考えております。
 
 
今日は仮設住宅に住むお二人が草取り・散水などに従事。「今年は草取りが大変だねー」

今日は仮設住宅に住むお二人が草取り・散水などに従事。「今年は草取りが大変だねー」


枯れているようでも、活性剤などの措置で持ち直すものもある

枯れているようでも、活性剤などの措置で持ち直すものもある


 
 
 
 
 
 
 
 
通常だと、未成熟と判断した小さな苗は捨ててしまうが、大事に移植まで行ったが、小苗の成績は芳しくない。

通常は捨ててしまう「未成熟」な苗も今回は大事に移植したが、やはり成績は芳しくない


これは見事。嬉しいですね。

これは見事。嬉しいですね。

「ハジメちゃん」を超えるか?

2013年5月23日( カテゴリー: 本部発 )

当プロジェクトに新人選手、木村肇さんが入りました。
海岸林の本場、遠州灘を擁する静岡県浜松市出身。
現場に9ヵ月駐在した秋山君に続く20歳代です。
オイスカの「国際協力ボランティア」制度で採用され、
1年間オイスカの活動に従事しますが、当プロジェクトには当面7月末まで。
その後、国内外にて研修を行い、双方の合意があれば職員採用の流れ。
東日本大震災の時にはパプアニューギニアで青年海外協力隊の一員として、
2年間稲作の普及に従事していたそうです。津波はパプアにも到達したと彼から聞きました。
4月に着任して以来、すでに3回現場に入っておりますが、
来週は一人で現場に入ってもらい、再生の会メンバーからひざ詰めで話を聞いて来てもらいます。
目下、企業であれば、決算発表、株主総会、CSRレポート作成時期でしょう。
我々も似たようなものです。
振り返り、取りまとめ、計画など諸々のバージョンアップの時期です。
彼もその業務を一部担っていますが、出張レポートは、ブログでもアップします。
ご期待ください。

肇君、顔デカ!  バイトじゃないね。

肇君、顔デカ! 
バイトじゃないね。

海岸林として育苗する、植栽するという業務で最も難しい時期の
「春」について、この2年間感じたことをまとめます。
その厳しさを「襟裳岬の造林(NHKプロジェクトXでも放映)」
に例えて語ってくれた専門家もいました。

着ぶくれです(4月19日)

着ぶくれです(4月19日)


1「蔵王降ろしの凄まじさ」
寒風害そのもの。
蔵王降ろしとは、11月から5月第3週頃まで吹きすざぶ西風。
日本海を渡り、奥羽山脈を越え、風速を増し、刺すように寒い。
春先には瞬間風速30mを超えることも稀ではない。
その西風による、内陸からの飛砂の影響を思い知りました。
津波で周囲のすべてを失った荒野の真ん中、さえぎるものがない場所に 植栽された木を顕微鏡で見ると傷だらけという話も聞きました。
宮城南部は、地形的に山からの距離が離れており、 風の影響を受けやすいと感じます。
風が比較的静まる夜、工事の都合で一晩だけ育苗場防風ネットを 外したら、マツ苗が砂で埋没してしまいました。
名取沿岸部にだけ、内陸防風林が造成されたのが、よくわかります。
2「乾燥」
完全防寒体制(4月20日)

完全防寒体制(4月20日)


春先は降水量が特に少ない。寒風害に加えて、乾燥は海岸林造成の難敵。
床替移植したばかりの露地播き1年生クロマツを枯死させる元凶。
特に今年の3月は、0.5mmしか降水がなかった。
3「寒い!」
という人が多い。当然、東北より西から来られた方。
視察に来ても耐え切れなく、車に逃げ込んでしまう人も。
5月第3週ぐらいまでは防寒着が必要です。
宮城の内陸は気温21度、名取に戻ったら14度ということも度々。
また、気温の乱高下も激しさを感じた春でした。
来年以降は、この時期に皆さんが植栽するんですよぉー!
動いていれば寒くないのでご安心ください。
ただ、休憩のとき、避難する場所がない…… (どんまい)
床替移植翌日の第一育苗場に立つ新入スタッフ。 「着ぶくれではありません」(4月21日)

床替移植翌日の第一育苗場に立つ新入スタッフ。
「着ぶくれではありません」(4月21日)

仙台駅弁は日本一○○が多い

2013年5月21日( カテゴリー: 現場レポート )

仙台の駅弁は日本一「種類」が多いのだそうです。
テレビの受け売りですが。
本当かな?
でも、多いのは事実。
IMG_20130519_161343 smallこのお弁当、仙台駅の駅弁屋さんで、ひときわ目立っていました。 テレビで取り上げられているのを見たので、帰りに食べようと決めていました。
出張の帰路、緑化技術参事の清藤先生、木村君もこの弁当を食べたそうです。 石巻で被災した水産加工会社等が手を取り合い、 季節に応じて、具の一品一品を出し合って この弁当を作っているのだと放送されていました。
気がついたら食べ終わっていました。
売れ筋、新名物に間違いないでしょう。
「具」一覧
・石巻産アナゴ焼き
・くじら大和煮の天ぷら
・三陸産いくら
・三陸産つぶ貝煮
・宮城産炙り牡蠣
・石巻産金華さば酢〆
・三陸産花小エビ

地震発生!!!

2013年5月20日( カテゴリー: 現場レポート )

クリの播種作業の様子

クリの播種作業の様子


国際協力ボランティアの木村です。
先週の金、土曜日と宮城に出張してきました。
今回は海岸林再生プロジェクトで広葉樹(クリ、コナラ)の試験的な種まきを主に地元の方、 専門家、森林組合の方々と行ってきました。
育苗場での作業を終え、昼ご飯を食べ終わり、片付けなどをしていた時のこと。
「ゴゴゴーガタガタ」と音がして、急に地面が揺れ始めました。立っていられる程度でしたが、プレハブの事務所が「ガタガタ」と揺れたときは飛び跳ねるぐらいに驚きを感じました。
名取事務所

名取事務所の外にいるとき、震度5の揺れが襲った


ラジオをつけたら、震度5で津波の心配はないということで、避難はしませんでしたが、東大日本震災規模の津波が来ていたら流されてしまったことでしょう。もし、名取事務所にいる時、地震がきて、津波警報が出た場合はやや高い位置にある美田園駅に逃げると助かります。
震度5の揺れには、正直、ビックリしました。しかし、なんの被害も遭わなかったため、そんなに地震に対して恐ろしさは感じませんでした。おそらく、そんな気持ちでいると命を落とすのだろうという気持ちもあります。
改めて思ったのは、海岸から近いところに位置する第一育苗場での仕事は、
命を落とすかもしれないという恐怖が少なからずあるということです。
未だに余震が続く東北、今後もアクシデントがなくプロジェクトが成功することを祈るばかりです。

山形のさくらんぼ

2013年5月17日( カテゴリー: 本部発 )

cherry
昨年に続き今年も、山形のさくらんぼの販売収益の一部を当プロジェクトに ご寄附いただけることになりました。
販売元は全日空商事。ANAショッピングサイト「Astyle」からは、 2013年度「機窓」カレンダー収益の一部もご寄附いただいています。

  http://www.astyle.jp/category/gourmet/sp/yamagata_cherry.html#02

我々にはこういう広報の力、気が遠くなるほど多くの顧客の輪はありません。
多くの企業や団体が、それぞれの持ち味を活かして、
「なぜ海岸林が必要なのか」を広報啓発してくださっています。
大きな組織だけでなく、全国の多くの方のあたたかい支援の輪が 広がっていることを、
寄附に添えていただいた一言やお手紙・メールなどから感じています。
今日からまた名取の現場に出張します。
たくさんの支援者の皆さんに支えられていることを、
いつも通り、現場の皆さんにもしっかりシェアしてきます。
できるだけ多くの方に少しづつご理解と協力をいただく。
 できるだけ多くの組織と歩みをともにする。
そういう全体コーディネートをしてゆきたいと思います。
皆さん本当にありがとうございます。

現場統括の佐々木です。
日頃よりご支援いただきまして御礼を申し上げます。
5月9・10日、第一育苗場で作業を進めてきたマツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ
13,500粒(300g)の、コンテナ565台への種まきが終了しました。
9日は講習から始まり、10日午前まで培養土詰めを行い、
午後から1つのポットに1粒づつ蒔き付け、
コンテナを苗畑に並べ、コモと寒冷紗で覆い完了しました。
第二育苗場でも9,000粒(200g)を375台のコンテナに播種する予定です。
昨日ブログでご報告の通り、おかげさまで発芽も確認されました。
今年の種は貯蔵種であるため発芽率が落ちることが予想されており、
種まきを3月に終了した県内の育苗農家からは、
「未だ発芽が見られず、大変心配している」との情報が寄せられていました。
無事発芽してくれほっとしております。
今週末、種苗組合講習会に、いつも通り再生の会各育苗場班長とともに出席します。
ニコン㈱からご寄贈いただいたカメラで作業を撮影したのですが、
まだ不慣れでお届けできません。写真不添付、あしからずご容赦ください。
そもそも、「コンテナとは?」
そのあたりは、後日吉田より。

祝!発芽確認

2013年5月15日( カテゴリー: 本部発 )

発芽初日の写真

昨年の発芽初日の写真


名取事務所から電話がありました。
4月20日に播種した普通クロマツが、5月13日に芽が出たとのこと。 昨年は秋山君から電話を受けた直後、穴に片足落っこちたっけ。 (個人的思い出)
昨年は教科書通り3月末に播き、普通は3週間と言われているのが 29日もかかって発芽しました。
今年は異常な寒さを勘案し、少し遅らせて、地温が上がるだろう4月20日に播きました。
他地区の育苗農家も心配した寒さと、発芽の遅さでした。
まだ1㎡あたり3本ぐらいしか出ていないようです。
今年の種は広葉樹、針葉樹ともに不作。クロマツ種子は冷蔵保存モノのため発芽率は落ちると思いますが、しっかり芽が出るのを心待ちにしています。
今週末から現場です。
いろいろと現場レポート続けます。
播種後、寒冷紗をして作業完成

播種後、寒冷紗をして作業完成


 
 
 
 
*「寒冷紗」
野菜などの植物を覆う被覆資材。
遮光、遮熱、防虫、防鳥、防寒、保温、防霜、防風、蒸散防止の効果がある。

枯れてしまう現実

2013年5月14日( カテゴリー: 本部発 )

震災前なら、とっくに日焼けしていた時期なのに、
連休は犬の散歩に毛が生えた程度しか外出もせず、
ほとんどを家で過ごしてしまいました。
ブーイング浴びながら、松井秀喜のMBA全ホームラン175本のTVに没頭したり。
原人・裸族のような息子×2・娘×1の「獣電戦隊キョーリュージャー」の銃乱射にも
夜だけは完全無反応を決め込んで、読みたい本を一気によみました。
同じ本を立て続けに2度。

またいつか、きっと読むと思います

またいつか、きっと読むと思います


その本は、プロジェクトをご支援をいただいている企業経営者の方から 「是非読んでみて」「僕は涙が止まらなかった」と紹介いただいた、 出光興産㈱の創業者、出光佐三氏の実話「海賊と呼ばれた男」(講談社)。 目下、どこの本屋でも村上春樹さんの本と並んで「平積み」扱いですし、すでにご存知の方も多いかと思います。
ほぼ全て、今まで知らなかった昭和史でした。
「(戦争からの復興について)その道は死に勝る苦しみと覚悟せよ」
終戦直後、社員に向けて訓示したという序章の一行で着火しました。
 
 
ただ、心は仕事からoffへの切り替えが効かず、一つ、二つ気になることを抱えたまま。
私が気になっていた一つは、やはり床替後の苗木。
よっぽど、名取に行こうかと思ったぐらいに。
しかし、じたばたしても仕方ないし、電話すれば現場の休みにならないし。
床替直後、そして将来の植栽直後は、乾燥・寒風・強風に晒されるストレス。
現場統括の佐々木さんとは「どのぐらい枯れるモノだろうか」と床替のあとに話し、
1~2割の枯死は覚悟しつつ「やることはやったのだ」と思い、先月帰京しました。
連休明け、事務処理に追われるスーパーハウス(名取事務所)の3人を思いながら、
1日だけ間をおいて電話してみました。
Mさんの電話の最初の一声だけで覚悟した通りの現実を感じました。
僕ら育苗農家1年生ですね。心の中ではみんな泣いてます。
1980年。オイスカ・東北タイでの最初の植栽1年後の話もいつか紹介します。
「鳥も来ない荒野にてお坊さんが涙を流した」という名前の村にて、活着率10%というのが、                     オイスカの初めての植林だったそうです。今は成林した森があり、一等米の産地に。
枯死の現実は、来週末以降、状況をよく見て、正確に聞いてからレポートします。
課題に向き合い、それを知っていただくのも、このプロジェクトの意義と考えています。
ここは生半可な現場じゃないのです。
皆さんと同様、つかの間の休みは終わりました。
また、これからもずっと、膨大な仕事とがっぷり四つです。
ですが、良い本との出会いで知り得た昭和史の一面と、戦後を乗り越え、
より良い日本を築こうとした人達の生き様を、胸にしまいました。
僕らのこの程度が何だ。

2025年11月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
月別アーカイブ

ページトップへ