風が障害物にあたると、障害物の後ろにも、前にも風が弱まる場所が生まれることをイメージしてください。
北海道森林管理局日高南部森林管理署の皆さんが大変わかりやすい資料を見せて下さいました。
お借りして少しだけ理論に触れたいと思います。
風下の防風垣が遠すぎると、最大の効果を生まず、垣根と垣根の間の苗木や土壌を損ないます。
風は地表をえぐり取り、苗木の根は露出してしまいます。
この冬、雪や砂が苗木に堆積し、埋めてしまった現場を見ました。
ですが、冬の間は植物は休眠状態です。ですから、春先に掻き出してあげればイイだけです。
その現場では、却って砂や雪が防寒具になって、青々した苗木がそこにありました。
強風による飛砂で苗木がズタズタに傷つくこともありません。
なるほどーって思いませんか?これが宮城の海岸林再生の基本になると私は思うのです。
安堵したという感覚です。ただ、心配の種はまだまだ尽きません。
今年は3月から「観測史上最高レベル」の乾燥続き。真夏の60℃、70℃にもなる土壌などなど。
お金をかければ何でもできるかもしれませんが、被害面積は甚大。
他産業と同様、林業マンは「低コスト」を常に意識せねばならないのです。
60年かけて生まれた豊かさ
襟裳では、「木」の植栽を急いではならないと英断し、20年かけて草で荒野を覆うなどの数々の「えりも式緑化工法」を確立。その上でクロマツ植栽を開始。植栽後25年~30年を経て、広葉樹の進入を促すために「本数調整伐」を行い、クロマツと広葉樹が混在する森を目指す展開を図っています。
「あわてる者は貰いが少ない、急いては事を仕損じる」とは、名取事務所の佐々木統括の口癖です。植物遷移を飛び越えたり、初期から広葉樹を混植させたり、広葉樹のみを植えるという意見もありますが、我々実践部隊は、しっかり傾聴した上で、全国の長い海岸林造成の知見を改めて噛みしめ、早急に結果を求められることにも丁寧に対応せねばなりません。大規模施業を志しているから尚のこと、他産業と同様、常に低コスト施業を意識していると行動で示してゆきたいです。
襟裳でも当初、販売されているあらゆる種類の苗木を試験植栽したわけですが、最終的にクロマツにたどり着きました。今も71%はクロマツを植えているものの、事業開始から60年を経て数えきれないほどの樹種、数々の生き物や高山系の植物も育っています。山が本来の姿に回復し、「泥昆布」と蔑まれたものが、日高昆布とブランド化し、鮭・マスなどの漁獲高も緑化に比例してトップランクまで伸びたそうです。
海を守るためには山を守らねばならない。生活を守るためには砂の移動を止めねばならない。襟裳では、森づくりの趣旨を、行政、地元の多くが共有していたのが成功の鍵だったと思うのです。計画に改良を重ねながらも根幹は不動で、100年の計を地で行く骨太の考え方を貫く姿勢に深く共感し、それを受け継ぎ進化させている人たちに、心から尊敬の気持ちを感じました。
とにかく、重要な視察だったのだと思います。
8月31日のクロマツ苗(昨年播種分)
8月31日の育苗場の写真です。
おかげさまで苗木はよく育っています。
草は地元の人がしっかり取っていますが、9月21日(土)除草ボランティアの日には、またがっつり「おがって」いることでしょう。
ただいま、草取りボランティア緊急募集中。拡散歓迎します。
0005:育苗場入口の県道に看板を設置しました。 0229:第1・2育苗場あわせて165,000本育てています。植栽は5,000本/ha 0217:平均は25cmというところでしょうか。最終的に25cm~45cmに仕立てるのが目標です。
育苗場より活動レポート
久しぶりです名取事務所の菅野です。
六月・七月・八月の活動報告です。
六月末に第一回の総会を無事に終えることができました。
自分も初めてのことでちょっと緊張しました。
二次回は盛り上がりました。
あの団十郎に会えるとは(地元ではちょっとした有名人)
ちょっと悲しいお知らせかも。
四月に床替えした抵抗性マツ・普通マツともに乾燥・寒風に耐えられず
枯れてしまうものが多く、抜き取り作業を行いこのような状態に・・・。
でも大丈夫。本来は移植しない小さすぎるものを
「もったいない」「育つかもしれない」と植えた結果なんです。
他の苗はちゃんと育っていますのでご心配なく。


七月初め事務所も夏バージョンに!
海の家みたいでしょ。
よしずを掛けると中の温度が2度ほど下がるんですよ。
エコでしょ。
七月は雨の日が続き液肥を散布することができませんでした。
いまいち伸びも悪く葉の色も薄く・・(大丈夫かな)
八月に粒状の肥料を追肥しました。(要観察)


四月に播種したコンテナ苗は七月は雨の日が続き、
八月は日照りが続き成長に差が見られるようです。

コンテナ苗の伸びの悪い床に粒状を追肥しました。

この仕事、敵は天気?それとも草。心配事が多いこの頃です。

海岸林ブログのお手伝い
ボランティアの木邑です。
来月からお仕事が変わるため、海岸林ブログ掲載のお手伝いは今日までとなりました。
大好きな作業でした。この機会に感想を書きますね。
2011年3月11日の地震のあと、
オイスカにいる友人に「何かお手伝いできることがあれば」と連絡を取りました。
1995年の阪神大震災のとき、関西研修センターに行き、
被災地の避難所でいろいろなお手伝いをさせてもらったことがあったからです。
6月に2人目の息子が生まれ、しばらくして、
オイスカの広報業務をお手伝いすることになりました。
東日本大震災のオイスカの支援は、『海岸林再生』プロジェクトとして進んでいて、
いろいろな中で、海岸林ブログの掲載もお手伝いしました。
海岸林に関わる方々の声、クロマツの成長、全国の海岸林について、
私も興味津々に読んでいます。
現場のレポートはドキュメンタリーな感じで…、”事実”はおもしろいですね。
担当の吉田さんの想いも、すごくよく伝わってきて、
写真や文章の体裁を整えながら、
たくさんの方々に読んでいただけるといいなぁと、作業をしました。
「海岸林あれこれ」もおもしろく、
全国の海岸林から学んで、宮城の海岸林がよりよくなっていくことを感じています。
そして、自分も海へ行くときは海岸林が気になります。
最近、”ハードルフェンス”を知りました。
今まで写真やいろんなろころで存在は知っていたけど、そんな役割があったのかぁとか。
”展望台”は景色を見るためだけじゃないんだぁと、今さらながら防災の役割に気づいたり…。
東日本大震災の支援として、この先10年、襟裳岬のようになるには60年・・・、
長い間かかる『海岸林再生プロジェクト』を、
オイスカだからできることをやっているのだなぁと、いつもいつも心に思うのです。
そして、そのブログ掲載という小さな作業だけど、
私も、東日本大震災の支援をさせてもらってるのだなぁと、時々思うのです。
これからも海岸林ブログ読みますね。どなたかにお手伝いいただけるといいですね。
ずっと海岸林のこと、オイスカのこと応援します。いい活動つづきますように。
木邑 優子 ばう 2013年8月28日
追伸:吉田さんとくみちゃんと写真を撮っておけばよかった。ブログには写真があったほうがいい。
おしぃです。今、二人はオイスカを支援してくださってる企業へお出かけしています。
宮城の木材で強風対策を
宮城の海岸林を案内して、がれきの活用に比べて「全く質問がない」のが、 この「ハードルフェンス」、「チップのマルチング」など、地元の木を使った海岸林再生の技法です。
木を植えることだけでなく、木を使って森林を回復することが社会的にいかに意義あることか、私たちは「ボキャ貧」を改善し、もっと伝えてゆかなければいけませんね。
「風極の地」襟裳で、木材構造物の「耐久性」について聞いてみましたが、「10年は持つ」と。
木が一定の高さになるまで幼木を保護してくれればいいのですから安心です。
私たちは既に宮城でも設置されている「ハードルフェンス」は見ていますし、
今後の幾つかの改善策も知っているので、最大の関心は「防風垣」にありました。
プロの方たちも「襟裳の成功のカギは、防風工と排水工」と重要項目に挙げました。
宮城中央森林組合の佐々木さんも、
この仕様なら「これなら他県の参入にも対抗できる」と感じたようです。
丸太と違い木材の素材も供給しやすいし、接続の金具も簡易なもの。
素材生産者にとっても大量供給しやすく、優位なのかもしれません。
この防風垣工は宮城南部で実際に使われるかわかりませんが。
ハードルフェンスと併用するかどうか、設計がどうなるか、とても楽しみです。
「木を使うことが山の整備、山を守ることにに繋がる」という理屈は、
一般消費者には伝わりにくいかもしれませんが、
ぜひ、震災復興に宮城の木材がたくさん使われて欲しいと私は思います。
植栽の10年・20年・60年後in襟裳岬
「海岸林再生は一日にしてならず」と心底思うのですが、
川上と川下の間に入る者としては、「わかりやすさ」や結論を早急に求められるのが宿命と思っています。
すでに何千人という人と接していると思うのですが、よくある質問TOP5の中に、
「どのぐらい経つと元のようになるのですか?」
「何年ぐらい経つと森らしくなるのですか?」
というものがあります。
この二つの質問にはまだまだビクッとしてしまいます。本当に修行が足りません……
ちょっと、写真でご容赦を。
昨日の続きです。
その4
秋田県能代市・風の松原
日本海側ですが、ここにも当然、津波の歴史はあります。この展望台は港湾内にあり、漁港関係者のシェルターにもなります。海岸林の標高最高は海抜50m以上。海岸林造成前は巨大な砂山だったのでしょう。
その5
静岡県・遠州灘海岸林
湖西市~御前崎まで全長約100kmの海岸林があります。「遠州の空っ風」と呼ばれる西風による飛砂の害から内地を守るため、主風に対して35度の「人工斜め砂丘」を江戸時代から長年かけて造成しました。
その6
北海道えりも町・襟裳岬海岸林
冬以外は入れるようです。今回の視察では襟裳岬名物の「霧」で遠くまで見れませんでしたが、鳥の目でこの地を見るに十分のものでした。記帳ノートに我々も一言記載しました。
いろいろな海岸林を見てきましたが、案外「展望台」があるものです。誰にでも来てもらえるのでいいですね。津波シェルターの役目と観光施設、研究者のためにもなりますね。
その1
タイ南部マレー半島西側ラノーン県、オイスカマングローブ植林地
(2000年~現在、植栽面積約1,100ha。沿岸資源環境省等と協働)
インド洋大津波もこのマングローブで食い止めました。私は2007年にここに行きましたが、津波で大量の砂の流入があり、漁獲高は30分の一に激減と住民から聞きました。出稼ぎに出る人が増えてしまう中、マングローブの保全事業により、半漁半林の雇用を創出しました。村人は襟裳岬と同様、豊かな海のために、将来の村のために、収入を得ながら主体的に森づくりを行っています。昨年、政府のモデルプロジェクトに認定。多くの企業団体、国内オイスカ会員からなる各支部の支援を得て実施してきました。
その2
千葉県九十九里浜、山武市「蓮沼海浜の森」
ここにも東日本大震災の津波は到達し、海岸林に大きな被害を与えました。ですが、後背地は大きな被害を免れたものと思います。ここは楽しい海岸林でした。公共の遊園地があり、親子連れがたくさん。駐車も無料。森の中には管理道を兼ねた歩道が縦横に。海への道もS字状に曲がっており、津波が真っ直ぐ進入するのを防ぐ計算をしたのだと思います。展望台の避難者収容人数は、相当な数に対応できる設計に見えました。全体像は愛情をこめて、様々考えて作られた気がしました。
その3
宮城県名取市・閖上浜サイクルスポーツセンター
名取市海岸林の最北部、閖上漁港前にあり、市内海岸林をほぼ半周する広大なサイクリングロードの起点だったそうです。ガラス片などが散乱し、半壊の建物でしたが、高所から全貌を見渡すためにも、オイスカの中野会長や、林野庁「東日本大震災に係る海岸防災林の再生に関する検討会」座長の太田猛彦先生をはじめ、多くの方をご案内しました。ここで難を逃れたという話は具体的には耳に入っていませんが、そうであっても不思議でない立地にあります。いつか、このような施設が復活するのだと思います。



























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