2008年 岩手・宮城内陸地震の爪痕

2013年9月19日( カテゴリー: 本部発 )

先日岩手・宮城内陸地震の「震災遺構」について紹介しましたが、
今日はその爪痕について(本当はこちらを先に紹介するべきでした・・・)ご紹介します。

震災遺構として残されている祭畤大橋。栗駒山に向かう国道342号線沿いに造られた東屋から目前に見ることが出来ます。    残そうという深慮にも感服します。

震災遺構として残されている祭畤大橋。栗駒山に向かう国道沿いに造られた東屋から目前に見ることができます。
残そうという深慮にも感服します


岩手県一関市から栗駒山に向かって車で1時間、ここを通りがかる人は、かつて大変な何かが起こったことは一目でわかります。
2008年に地震は発生しましたが、日本最大、世界トップ級といわれる無数の地すべりなどが、栗駒山周辺で起こりました。
ズタズタになった山肌の航空映像が皆さんの記憶にもあるかもしれません。
私は当時林業会社に勤めていましたが、翌週から我々労働者は、この話題で持ちきりでした。でき
「平日だったら山の労働者も亡くなったかもしれない」と。
 
関東大震災でも、丹沢は何千か所とも言われる無数の山地崩落が起こり、
その爪痕は今でもたくさん残っています。
深層から崩壊し、植生が回復しない場所に、林業の仕事を通じて遭遇しました。
数年たった今も、地盤が安定せず、入れない山もあるのだと想像しました。尾根のてっぺんから崩落している場所も。

数年たった今も、地盤が安定せず、入れない山もあるのだと想像しました。尾根のてっぺんから崩落している場所も


ここ栗駒山では、東日本大震災の宮城南部と同様に、甚大な被害からの復旧のために、国有林だけでなく、あらゆる森林所有者に関わりなく、国が中心となって事業を進める「民有地直轄治山事業」が行われました。
「10年かかる」といわれた大事業を前倒しで完了したと、しばしば聞きます。人材難、資材難が今後も続くだろうこの東日本大震災でも、最後はきっと前倒しになると思いたい。
「復興が遅れている」という指摘は現実かもしれませんが、聞くたびに悔しく思うこの頃です。
最前線で任に当たる人たちの「今に見よ」と声なき声も聞こえます。
 
直後に調査に行った人、測量に行った人、のり面工事を行った人、みんな怖かったと思います。

直後に調査に行った人、測量に行った人、のり面工事を行った人、みんな怖かったと思います

クリ・コナラ苗

2013年9月18日( カテゴリー: 広葉樹, 現場レポート )

先月末に撮影したクリとコナラの苗です。
種子を採取する仙台市市有林の森林整備から育苗まで、三井物産環境基金の助成を受けています。
もちろん、名取市海岸林再生の会の農家の皆さんが、隣の畑のクロマツと同様に
水遣り、除草、消毒をしてくださっています。
先日は事務所に来て下さった宮城中央森林組合の皆さんが、
広葉樹苗の除草作業に加勢していただいたそうです。

クリはよく伸びています。
幸いなことに、今のところ、うどんこ病などの虫も出ていません。

クリとコナラ

コナラ


クリとコナラ

クリ


DSC_0260

また先月行った襟裳岬の話ですが・・・。

予定の時間を遥かにオーバーして質問に120%答えてくださいました

予定の時間をオーバーして
質問に120%答えてくださいました


私たちには「名取市海岸林再生の会」がありますが、2020年に海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画が終わったら、「名取市海岸林を守る会」に名称変更し、運営形態を新たにすることを念頭に置いています。
今回の襟裳岬訪問の目的は強風対策などの視察はもちろんですが、「えりもの緑を守る会」の運営や地元と行政の協働について学ぶことも大きな目的の一つでした。行政マンや森林組合の主軸の方が、見ず知らずの我々に時間を割いてくださいました。
一言で言って、「先人の取り組みへの深い敬意」「行政と民間の一体感」という非常に強い印象を受けました。プロ中のプロが一生懸命説明してくださる熱意に、直接触れることができたのは大きな収穫です。これが核心部分ですから。人を残すという事が最も難しいことだと思うのですが、長い年月をかけて若い世代に受け継ぎ、また、皆で協働して取り組んでいるからこうなるのでしょうね。最高のお手本でした。
尾根上の最も強風域のハードルフェンス(防風垣)

尾根上の最も強風域のハードルフェンス(防風垣)


「何もない」と歌われた襟裳をはじめとする日高南部地域に、長い協働の結果、民有林と国有林の仕事が創出され、森林組合は半漁半林、45名もの雇用をもたらし続けています。地元経済における存在感も大きいことでしょう。また、森林組合が各方面に対する潤滑油や接着剤のような役割を果たしている印象も受けました。(私、森林組合に入りかけたことがあったので、余計に嬉しく)
「えりもの緑を守る会」は町役場が事務局となり、漁協や森林組合、地元の各団体が加盟し、国有林とは「協定」を結んで地道な活動を続けています。あくまでも「地元が主体」という明確な姿勢の一端も垣間見ました。
 
年に2回、植樹祭と育樹祭にはそれぞれ、
「浜の父さん」「浜の母さん」たち、住民の5人に1人が参加するようです。
要するに各世帯から一人。すごいことですね。
植栽後14年のクロマツ

植栽後14年のクロマツ


かつて自分が植えた木を見るのが楽しみなのだそうです。集合すると「勝手に作業をはじめて」しまうようなところがあると。ですが、作業が的確だから、進行する側は苦笑するしかないという様子が目に浮かびます。「ちょっと集まり過ぎ…」という裏方さんの声も聞こえてきそうです。
一日にしてならず。並大抵の事業ではないですね。
お世話になった林野庁北海道森林管理局、日高南部森林管理署、えりも治山事業所、えりも町役場、ひだか南森林組合の皆さま、ありがとうございました。いつか、海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画に関わる関係者にこの姿を見せたいと強く思っています。
 

震災から2年半が経った9月11日。
私も宮城にいます。
村井嘉浩宮城県知事は、県議会で3期目出馬を正式表明されました。(10月27日投票)
知事とは今年の3.11に経済同友会のパーティーでお話させていただく機会をいただきました。
真っ直ぐ正面から、穏やかに私の目を見て、話を聞いてくださったのが強く印象に残ります。
河北新報によれば、
「東日本大震災からの復興を担う大事な時期に、
知事という職務が私に与えられた天命であるとするならば、
県政運営の重責を担い、引き続き宮城県の復興のために命を懸けたい」

「復興途上にあり、これを再生期、発展期へと導かねばならない。
2020年度までの県震災復興計画は私がつくった計画なので、 その責任を負いたい」

と述べたそうです。
2020年は「海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」の最終年。
東京オリンピックも開催されます。
私たちも復興の一端を担う一員として、知事の言葉に共感し、気持ちを新たにいたしました。

昨日の続きです。
DSC_0063車で走っていると見えたのがこれ。
「祭畤(まつるべ)被災地展望の丘」。国道沿いにあるこの丘からは、真っ二つになった祭畤大橋や数々の復旧工事の様子が見渡せるようになっています。
DSC_0087
 
 
 
 
こうして後世に伝えていくことは大切なこと。
ここではうまく看板などを作り、ハイカーやツーリングの観光客が常に立ち寄り、関心を寄せられるようにしていました。
大変参考になるものでした。
 

DSC_0052

右の看板は建設業者さんが自主的に立てたのでしょう。
そう思うだけの困難が今もあるのだと推察します


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土木関係者などの専門家にも参考になる案内板があって見ごたえがある 作成:岩手県

先日、いつもの通り名取出張後の各地視察に出かけました。
栗駒山(秋田・岩手・宮城の3県にまたがる山です)に向かう国道沿いは、
世界遺産平泉との一体化を目指す骨寺荘園跡の素晴らしい田園風景もあり、見どころが満載でした。
骨寺を抜けると、2008年の岩手・宮城内陸地震の震源地に近づきます。
道沿いの全てが「震災遺構群」。山裾の「道の駅」の案内地図でもそれを知らせています。
話は変わりますが、9月1日の「防災の日」に合わせ、河北新報社は震災遺構について連日取り上げました。
■復興祈念公園 国、施設整備へ検討委 ~石巻と陸前高田 年度内に基本構想~ (8月30日)
「石巻では宮城県と市が共同で、陸前高田では岩手県が整備し、国は両施設内に祈念施設を造る見通し」
■海嘯記念館、現存一か所のみ ~昭和三陸津波後、宮城沿岸に33ヵ所に設置~ (9月1日)
「人は忘れやすく、体験を語れる人もいずれいなくなる。伝承のあり方を工夫しなくてはならない」
■きょう 防災の日 ~「メモリアル事業」のいま~ ~中越地震被災地の取り組み~ (9月1日)
1995年の阪神淡路大震災の震災遺構は、ほとんど残っていないようです。
それに対し、新潟中越地震、岩手・宮城内陸地震を経て、
東日本大震災に関してはほぼ全ての自治体でメモリアル事業が計画されています。
ですが着手に至っているのは岩沼市等ごくわずか。
優先すべき他の課題が山積している事情、メモリアル事業開始年度が遅く設定されている事、
事業費の確保が壁になっている事など、遺構整備はこれからの事です。

鈴木英二氏の元自宅

鈴木英二氏の元自宅


名取市でのメモリアル事業の情報は目下とくに聞いていませんが、
復興計画ではメモリアル公園の記載はあります。
仙台空港横には名取市海岸林再生の会の鈴木英二会長のご自宅が、荒野の中にただ一軒、今も屹立しています。
空港にほど近い、徒歩でも行ける位置ですので、最終的には公園になるなどの可能性がありますが、現時点では明確な指針はありません。残し続けていることで、様々な意見が寄せられていると推察しています。
新潟中越地震の復興において、「時の経過とともに、震災遺構を残そうという声が強まった」とのコメントが紙上に紹介されていました。
震災から2年半を迎えます。海岸林再生もまさに本番を迎えようとする時です。
我々復興に従事する関係者は、この災害をどのように伝えてゆくべきかも含め、
今こそ将来を見据えたグランドデザイン、将来イメージを共有したいですね。
岩手・宮城内陸地震の震災遺構については明日、写真を中心にご紹介します。

コネクターハブ

2013年9月10日( カテゴリー: 本部発 )

まもなく震災から2年半が経ちます。時期柄、世間では中間決算。
来年度の事も自然と気になりますね。 私にとっては棚卸しの季節でもあります。
NHKスペシャル 震災ビッグデータ File.2「復興の壁 未来への鍵」を見て、
「コネクターハブ」という新しい言葉を知りました。
「負の連鎖」ではなく、「活性化の連鎖」への道筋でしょうか。
たとえ今、まだ震災前の状況に遥か及ばなくても、優良な関係先と数多く接点を持ち続けることで、
知らずと自分も、周りをも伴って活性化に導くのが「コネクターハブ」と解釈しました。
私たちは被災地における鍵を握る「コネクターハブ」となって、復興に寄与出来ているか。志向しているか。
棚卸しをするにあたっての、恰好のチェックポイントのヒントを得ました。
この番組を作った人たち、すごいなあと思いました。
地場産業には「振り屋」と言われ、中小・零細企業に仕事を回す会社があるという。
製氷や製缶が多いというのはちょっとピンときませんでしたが、
全体の情報が入るという事のようです。
震災後、石巻では必ずしも大手ではない会社が、自身も自覚せぬうちに「振り屋」の役割を果たし、
企業同士を結び付ける存在になっていた。「コネクターハブ」になっていたというのだ。
たらこ製造の「湊水産」で、震災後に僅かに残った設備を活かしインターネット販売に力を入れた。
ネット通販を運営する東京の大手企業との結びつきを得たその先には巨大なネットワークがあった。
「湊水産」は9千社以上をつなぐコネクターハブになり、他の取引先にも活性化の連鎖が起きたという。
苦しんできた企業は「強いコネクターハブ」との取引が増えることで好調に転じる機会を得ているという。
こうしたコネクターハブを見出すことも「行政だからできること」
http://www.tdb.co.jp/report/specia/1309_media.html (帝国データバンクHP)

オリンピックが東京で開催される2020年、「海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」は節目の年を迎えます。
競技が行われる8月には全ての植栽を終えているはずで、
「名取市海岸林再生の会」は、「名取市海岸林を守る会」に名称変更し
次のステージである2033年までの管理計画を発表している事でしょう。
被災地でのテレビのインタビューでは、自分の生活再建で精一杯で、
オリンピックの日本開催が決まっても素直に喜ぶことができない気持ちを 伝える人もいました。
ほんの少しだけですが、その気持ちわかります。
しかし、私たちとしては、オリンピック開催が追い風になると信じて、粛々と仕事を進めていこうと思います。
震災から2年半が経とうとしていますが、 明日9月10日(火)10:00~ 名取市議会で
海岸林再生が取り上げられます。
市議会のHPより、その模様はネットでも見ることができます。
http://www.natori-city.stream.jfit.co.jp/
*録画でも見ることができます。

防風垣の効果

2013年9月6日( カテゴリー: 海岸林あれこれ )

風が障害物にあたると、障害物の後ろにも、前にも風が弱まる場所が生まれることをイメージしてください。

防風垣の高さは1.2m。すると、防風垣の風下に7~9m、風上に2mの防風効果が生まれます。

防風垣の高さは1.2m。すると、防風垣の風下に7~9m、風上に2mの防風効果が生まれます。


そして風下10mの地点でもう1か所設置することで、吹き溜まりが生まれ、苗木を風から守ります。

そして風下10mの地点でもう1ヵ所設置することで、吹き溜まりが生まれ、苗木を風から守ります


北海道森林管理局日高南部森林管理署の皆さんが大変わかりやすい資料を見せて下さいました。
お借りして少しだけ理論に触れたいと思います。
風下の防風垣が遠すぎると、最大の効果を生まず、垣根と垣根の間の苗木や土壌を損ないます。
風は地表をえぐり取り、苗木の根は露出してしまいます。
この冬、雪や砂が苗木に堆積し、埋めてしまった現場を見ました。
ですが、冬の間は植物は休眠状態です。ですから、春先に掻き出してあげればイイだけです。
その現場では、却って砂や雪が防寒具になって、青々した苗木がそこにありました。
強風による飛砂で苗木がズタズタに傷つくこともありません。
防風垣が適切な間隔で設置された箇所では、雪が同じ高さで堆積。そうでないと垣根と垣根の中間部分が風で削り取られ凹状に。

防風垣が適切な間隔で設置された箇所では、雪が同じ高さで堆積。そうでないと垣根と垣根の中間部分が風で削り取られ凹状に。


なるほどーって思いませんか?これが宮城の海岸林再生の基本になると私は思うのです。
安堵したという感覚です。ただ、心配の種はまだまだ尽きません。
今年は3月から「観測史上最高レベル」の乾燥続き。真夏の60℃、70℃にもなる土壌などなど。
お金をかければ何でもできるかもしれませんが、被害面積は甚大。
他産業と同様、林業マンは「低コスト」を常に意識せねばならないのです。

60年かけて生まれた豊かさ

2013年9月5日( カテゴリー: 海岸林あれこれ )

襟裳では、「木」の植栽を急いではならないと英断し、20年かけて草で荒野を覆うなどの数々の「えりも式緑化工法」を確立。その上でクロマツ植栽を開始。植栽後25年~30年を経て、広葉樹の進入を促すために「本数調整伐」を行い、クロマツと広葉樹が混在する森を目指す展開を図っています。

森で働く人は小さな生き物をよく見つける。かつての「えりも沙漠」にクワガタが

森で働く人は小さな生き物をよく見つける。
かつての「えりも沙漠」にクワガタが


 
「あわてる者は貰いが少ない、急いては事を仕損じる」とは、名取事務所の佐々木統括の口癖です。植物遷移を飛び越えたり、初期から広葉樹を混植させたり、広葉樹のみを植えるという意見もありますが、我々実践部隊は、しっかり傾聴した上で、全国の長い海岸林造成の知見を改めて噛みしめ、早急に結果を求められることにも丁寧に対応せねばなりません。大規模施業を志しているから尚のこと、他産業と同様、常に低コスト施業を意識していると行動で示してゆきたいです。
 
「アミタケ」名取の海岸林にもたくさんあったそうです。きっと復活すると思いますね。

「アミタケ」名取の海岸林にもたくさんあったそう。
きっと復活すると思いますね


 
襟裳でも当初、販売されているあらゆる種類の苗木を試験植栽したわけですが、最終的にクロマツにたどり着きました。今も71%はクロマツを植えているものの、事業開始から60年を経て数えきれないほどの樹種、数々の生き物や高山系の植物も育っています。山が本来の姿に回復し、「泥昆布」と蔑まれたものが、日高昆布とブランド化し、鮭・マスなどの漁獲高も緑化に比例してトップランクまで伸びたそうです。
 
何の花かわかりませんが小さな花もたくさん

何の花かわかりませんが小さな花もたくさん


 
海を守るためには山を守らねばならない。生活を守るためには砂の移動を止めねばならない。襟裳では、森づくりの趣旨を、行政、地元の多くが共有していたのが成功の鍵だったと思うのです。計画に改良を重ねながらも根幹は不動で、100年の計を地で行く骨太の考え方を貫く姿勢に深く共感し、それを受け継ぎ進化させている人たちに、心から尊敬の気持ちを感じました。
とにかく、重要な視察だったのだと思います。

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