今年は全国的に雪が多いようですね。
広報室の林です。
名取もめずらしく、だいぶ雪が降ったようです。
2月23日、視察ツアーの際は、だいぶ雪はとけていましたが、
それでもハウスに積もったのが滑り落ちてきたと思われる
数十センチの山がハウス脇にできていました。
育苗場の隅の方にまだ雪が残っていて、そこからクロマツが顔を出していました。
やっぱり生きてるから、松の体温で雪がとけるのだろうか・・・・・・そんなことを考えるのは木のことや雪のことを知らなさすぎるからでしょうか。
ネットで少し調べてみると「木の根開き」という季語が出てきました。大きな木の根元の雪がとけてくぼんでいたり、この写真のように花や植物の周りだけ雪がとけていることをそういうのだそう。
雪の白い部分より、木の黒い部分の方が太陽の熱を吸収して温まって雪をとかすとか、木が吸い上げる地下水が雪よりも温度が高く、それで植物が雪をとかすのだとか、そんな説明がなされていました。(植物自体が熱を発するものもあるようです)
でもやっぱり、私は人間と同じように生きているクロマツの、
その強い生命力が発する“あたたかさ”で雪をとかしているに違いないと思うのです。
・・・・・・そう思わせてください。
雪をとかして太陽を浴びるクロマツの苗、なんともたくましいじゃないですか!
本部・ボランティアの徳田です。
今回、「海岸林再生プロジェクト10カ年計画・活動報告会」
およびバスツアーに参加させていただきました。
盛会のうちに無事終了した報告会、ツアーの報告を
印象に残った言葉でご紹介します!
「植樹はほんの一部のことなんですよ」
――このプロジェクトを引っ張ってきた吉田さんが口癖のように繰り返す言葉。
ボランティア活動にもさまざまありますが、「植樹」は何だか達成感があって、一度はやってみたい魅力ある活動です。
でも、植樹に漕ぎつけるまでに水面下でやってきたことが山ほどあるのです。過酷な暑さのもとでの草取り、防風ネットの整備、作業小屋の建設・・・。そのどれにも汗を流していない私です。
「子どもは手もかかるし、お金もかかるでしょ?木も同じです」
――木を知悉しているあるオイスカ職員の言葉です。
たくましく育つまで、気を抜けないのはマツも同じことだというのです。
ところで、植林には一部、抵抗性マツ(マツクイ虫に耐えられるマツ)
を用いることが決められています。
その場合、抵抗性マツのタネをただ撒いたのでは、そのマツを抵抗性マツとはいえないのだそう。
インフルエンザ・ワクチンを打つように、マツ1本1本に傷をつけ、線虫を植えつけてみて、それで生きのびたものを抵抗性マツというのだそう。オイスカ名取事務所統括の佐々木廣一さんは、「そんなことをしたら、8割のマツがやられてしまう。今回の海岸林再生に向けて苗が不足している中、この方法は現実的ではないので、それはカンベンしてもらった」と言っていましたが、第一、何十万本ものマツ1本1本に生体を埋め込んでいたら、天文学的な日数を要するのではないでしょうか。
「名取の海岸林がこんなことになっているのは知らなかった」
――「活動報告会」の翌日、植林をする場所などを見学するバスツアーを催行しました。
名取の広報誌でバスツアー開催を知った市民の方たちも多く参加されていましたが、その中に、名取が丘という地区から来たという男性がいました。名取が丘は、被災を大きく報じられた仙台空港の西、4、5kmにあり、地名の通りやや高台にあります。津波の被害からは免れました。
しかし、沿岸部のマツが根こそぎ流されたことを知らなかったから、この目で見るために参加したとおっしゃるのです。同じ名取市でも、内陸と沿岸部ではこうも被災体験に違いがあるのかと思いました。
広報室の林です。
週末、「海岸林再生プロジェクト」の視察ツアーに同行してきました。
植栽がスタートする盛土の上に置かれた木でできたコレ、なんだか公園にある遊具のようで楽しそう。
いつもは正面からしか見たことがなかったのですが、名取市長さんがこんなアングルで撮影をしていて、私も横から覗いてみたら何とも楽しそうな世界が広がっていました!
「これ、子どもが来たら絶対遊ぶよね、楽しいよね」
と参加者同士でわいわいわいわい言いながらこの角度でみんなで撮影会。
子どもじゃなくても遊びたいコレ、本当は遊具じゃないんですけどね。
何度かブログでも紹介しているハードルフェンス、防風柵で、大きな役割を果たす大切なもの。遊んではいけません・・・。でも遊びたい。
こんなふうにずら~~~~っと並んでいます。
ある人が言いました。
「津波があって、たくさんの被害を受けたのは本当に悲しい出来事だけど、海岸林の再生に向けた取り組みの中で地元の間伐材が積極的に活用されるのはとてもうれしいこと」
そう。このハードルフェンスは間伐材でできているのです。
「生育基盤造成工事」の看板にあった
(間伐材・合法材利用促進工事)
間伐材、合法材、持続可能性が証明
された間伐材を利用しています
の部分だけ大きく加工した写真です→→
看板にも間伐材が利用されていますね。
日本の森は飽和状態だと太田猛彦先生がいつも講演で強調されます。森はただたくさん木があればいいのではなく、手入れをしながら健全に育てていかなければなりません。海岸林も同じです。松葉かきをして、林床をきれいにするなど、長く続く管理には地元の人たちの参画が欠かせません。植えることを考えるのは誰にでもできること。でもオイスカは、何百年と守り、育まれる森づくりを考えたプロジェクトを展開していることが22日の活動報告会と今回のこの視察ツアーで名取市の皆さんに少しだけではあるけれど、お伝えすることができたのではないかなぁと思います。
名取市民向け視察ツアー 実施報告
2月23日、名取市民を中心に視察ツアーが開催され約50人が参加。
防潮堤や春から植栽がスタートする盛土などを視察しました。
ツアーは三井物産環境基金のご支援で実施いたしました。
写真は、いつも必ず視察の際に皆さんをご案内する模範となる地形。防潮堤から数十メートルですから当然津波がすごい勢いで襲った場所です。でもこれだけ松が残っているのは、小高くなったこの地形のおかげで、松のその最大の特徴ともいえる「直根が深く伸びる」性質が発揮されたからだとの説明が案内役の太田猛彦先生からなされました。だからこれから植栽するところには、このような盛り土工事をする必要があるのだとのお話に皆さん納得。
この日は私たちのためにお天気が良くなったかのような晴天。ところどころ雪は残っていましたが、風もなく、2月とは思えない暖かさ。
市長さんもダウンジャケットにジーンズ姿で大きなカメラを首からぶら下げ、市民のみなさんと一緒にバスに乗り込んで視察に参加してくださいました。
←ここも皆さんをいつもご案内するポイントです。
皆さんの視線の先にあるのは「愛林碑」。この地域の海岸林は伊達政宗の時代から造成されてきたものですが、戦争などで再造林が必要な状況に陥っても、市民が大変な苦労をしながら植林・育林に取り組んできた記録が刻まれています。
もちろん育苗場も見学。コンテナ苗について現場統括の佐々木から説明をしているところです。過去に何度か現場に来てくださっている方々も、初めてだという方々もやはりこの苗の姿を見ると「あ~プロジェクトが前進しているんだなぁ」というのが実感できるようです。
「よしよし」とチクチクする松の苗をやさしくなでてくださっている姿もたくさん見られました。
第1回定期活動報告会in名取市が開催されました
ご案内をしていました第一回定期活動報告会が2月22日、無事終了しました。
冒頭、「名取市海岸林再生の会」の鈴木英二会長から、今月13日に締結された協定に関する報告がなされました。宮城県、名取市、再生の会とオイスカとの四者による協定です。
今回の報告会は、名取市民の皆さんにプロジェクトのこれまでのあゆみとこれからの計画について知ってもらうことを一番の目的にしていましたが、協定締結の報告がその最優先事項でした。名取市長にも主催者としてのご挨拶をいただき、副市長にもトークセッションの中で市の復興計画の説明などをしていただき、市民の皆さんにも海岸林再生に向けた動きについて理解を深めたもらえたのではないかと感じました。
東京大学名誉教授の太田猛彦先生の講演、プロジェクトのあゆみやこれからの計画をお伝えするトークセッションなどについては、あらためて要旨をまとめて報告します。
会の最後には、これまでプロジェクトに顕著な貢献をされた個人・法人の皆さんに感謝状をお贈りしました。代表で地元からは仙台トヨペット(株)、東京から三菱UFJニコス(株)に受け取っていただき、支援者の方々を市民の皆さんにご紹介する良い機会となりました。
長く続く活動です。どうぞ皆さんこれからもご支援よろしくお願いします!
なお、開催にあたりましては、林野庁東北森林管理局、宮城県、経済同友会、仙台経済同友会からご後援いただき、名取市より会場を無償提供いただいた他、国土緑化推進機構、㈱ニコン、ボーイング社、三井物産環境基金などの皆様にご協力いただきました。
宮城県、名取市、再生の会、オイスカの「協定締結」(2月13日)
1月21日、宮城県議会・環境生活農林水産委員会で、「みやぎ海岸林再生みんなの森林づくり活動」という新しい制度が承認されました。海岸の県有林、市町村林、共有林、民有林に対し、民間の活力を導入する根拠となる制度です。(国有の海岸林は別制度「『みどりのきずな』再生プロジェクト」として、従来の国の制度「社会貢献の森」を適用し、別協定となります)
そして、2月4日、宮城県は四者協定を決済し、2月13日、晴れて「協定締結」となりました。名取市内の県有・市有の海岸林89.98ha。名称は「名取市民の森」。契約期間はまず5年。
海岸林の多くは、明確な目的を持って存在するため、大半が「保安林」に指定されています。しかも、県有林は管理が厳密で、安定感のある技術が必要となります。その上、宮城南部の気象条件は相当厳しいことはプロであればわかります。民間団体が、このような条件下で、植栽など一からの抜本的な再生、かつ、大面積施業の協働に加わった極めて稀な大型協定と自負しています。大規模な被害に対し、関係者一同、ダイナミックなアプローチと、スピード感を持って臨んできたつもりです。
調印式は事務的に行うのでなく、明日の定期活動報告会in名取市文化会館で、市民や支援者の前で、ご披露したいと考えました。結婚式のようなものに思えます。
2011年5月24日の初協議以来、我々を信じて、不退転の姿勢を貫いていただいた行政当局、全国からご支援をいただいた皆さまに深く感謝しております。
いろいろなことが頭をよぎりました。
遺体安置の業務を手伝いつつも、即行動してくださった市の職員、種苗講習会開催の願いを聞いてくださった県の職員、当初から常にご一緒いただいた森林組合の方、ともに歩もうと即断いただいた種苗組合長、修了証をいただいた時、県技術センターの部長さんに「頼りにしています」と握手して頂いたこと、再生の会定期総会での、県職員の方のご挨拶。「オイスカさんは大丈夫」「我々はオイスカがやってくれると信じている」と常に声をかけてくださった当局の方。あまたのプレッシャーを共にしてくれたわが社の職員。プレスリリースもしていないのに信じて寄付をいただいた大企業。ご支援いただいている何千人もの方から声をかけていただき、どんなに我々の力になったことか。
2月4日、北へ向かう新幹線の中で、県森林整備課のSさんから「決済」のお電話をいただいた時と、震災前から学校林の仕事をしてきた元森林組合のSさんに「締結」を伝えた電話で、「長かったねー」と言われた時だけは、嬉し涙がにじみました。
信じていただいている皆様のために、誠心誠意務め、初心を貫き、必ずプロジェクトを成功させてみせます。
宮城県の新制度「みやぎ海岸林再生みんなの森林づくり活動」の先陣を切り、
2月13日付で宮城県、名取市、名取市海岸林再生の会、オイスカとの四者協定が締結されました。
対象は、名取市内の県有林、市有林等、89.98ha。まずは5年契約。間違いなく大型契約だと思います。
私どもを見込んで託して頂いたわけだから、それに応えなければならない。
2月13日午後、私は支部の小野事務局長とともに、カメイ㈱にてボランティア保険の打ち合わせ、
仙台市財政局に「仙台市民税の寄付控除」申請、東北電力「電力ホール」での写真展開催説明会に行ったあと、
県庁に四者捺印済みの協定書を受け取り行けることになりました。
そのため、名取市海岸林再生の会拡大役員会へのオブザーバー出席は取りやめ、
夜の部から合流。頂いたばかりの協定書を、真っ先に再生の会に見せることが出来ました。
いつも通り、当局職員の皆さんの迅速な対応と、ご配慮のおかげです。
皆でしばらくは、これまで3年を、しみじみ振り返りました。
やっぱり、震災直後の我々の出会い(5月24日)の頃と、初めての播種までの話が多かったですね。
地元からすれば、「オイスカって何スカ?」という頃です。
再生の会の方たちも、葛藤があったと思います。
心配もされ、冷やかしも、やっかみもあったという話も出ました。
でも我々は我々。すぐにボルテージがあがり、全くいつもの通りに。
まあ騒がしいこと。「何で皆こんなにでかい声で話すんだ??」
名取駅にも最終電車があるというのを、完全に忘れてしまいました。
僕もでっかい声で話していたのは覚えてますが、
僕も翌朝は声が出ませんでした。他の皆さんも、次の日はガラガラ声。
その名取から18時発で帰京。
2週連続の週末の大雪。
国立駅で電車は1時間以上立往生。
西武新宿線を大迂回して、帰宅したのは午前2時。
我ながら相変わらずご苦労なことで。
国際協力ボランティアの小礒です。
先日、NHKの取材に同行する形で初の名取入りを果たしました。
「伊達政宗の治世」をテーマにした番組の取材の中で歴史的な観点から海岸林を見つめることができました。伊達政宗と言えば武人としての印象が強い人物ですが、日本語教育に携わって来た身としては歌人としての政宗公が想起されます。
仙台開府の頃にこんな歌が詠まれています。
「入りそめて 国豊かなる みぎりとや 千代(ちよ)とかぎらじ 仙台の松」
教室ではないので解説は割愛しますが、要約すると「私が入府することで国を豊かにする魁(さきがけ)となりたい。千代(千年の世の中)と言わず、年中色濃く緑豊かな松のように、万年へと続く無窮の栄えとなって欲しい。」というものです。
未来へと続く繁栄を緑失うことのない松に譬えるあたりが、永きより松と共にあり、海岸林造成に携わった政宗公の「愛林」の想いを伝えているような気がして感慨深く感じます。
受け継がれていく「愛林」の想いと共に海岸林の再生が順調に進んで行くことを切に願うばかりの出張となりました。
2月22日 海岸林再生プロジェクト 第1回定期活動報告会
国際協力ボランティアの木村です。
いよいよ、今週、2月22日(土)に海岸林再生プロジェクト「第1回定期活動報告会」が行われます。私はこの2か月間、参加者の取りまとめ、報告会の全体的なストーリー作り、配布資料の準備、依頼状等の文書作成など事務的な作業をしてきました。
私の業務内容だけを綴りましたが、この報告会は多くの方の想いが詰められています。特に3年かけてようやく締結した名取市と宮城県との協定について詳しく、説明が行われます。ステージにはいろんな人が立ち、話をされます。その人たちの想いを感じてほしい報告会です。
第1回定期活動報告会:http://www.oisca.org/kaiganrin/1600
伊達正宗公に想いを馳せた一日
今日は写真をたくさん。
NHK「Eテレビ」の歴史番組「知恵泉」のディレクター酒井さんの取材を受けました。宮城で3年仕事を共にしてきた方が、我々をご紹介くださったようです。
「伊達政宗の治世」をテーマにした番組で、4月1日・8日(23時~23:30、前・後編)の仙台南部の海岸林も取り上げられます。
わたしは武人としてより、治世家の政宗公に興味があります。当時の海岸林造成はもっと苦労したと思います。全くすべて人力ですから。昔やってきた ことを現代の我々が引き継げること、何と光栄なことか。あっという間の一日でした。
