岩手県産アカマツ5,750本到着→仮植
4月8日、岩手県産の種子で、育ちは宮城県の
マツノザイセンチュウ抵抗性アカマツの稚苗(1年生)5,750本が、
宮城県農林種苗農業協同組合を通じ、
宮城県北部、加美町在の「宍戸苗園」(種苗組合員)から届きました。
配達前日になって、「5,000本追加購入を!明日配達」と組合から連絡が入りました。 750本が5,000本です! 突然系、この世界よくある話です。我々は困るわけでもないので即対応。
いつ来るかわからないから、と朝7時からトラクター耕運をして待機しようと決めました。 朝なら風も吹かないし。 感心してしまったのは、オール8の化成肥料を軽く撒いておくことを、佐々木統括はやはり忘れなかった。 こういうことを統括より「先に」気付けるようにならねば。
苗が届いたのは朝8時。私にもトラクターの乗り方を教えながら、耕運をしてくれた再生の会の森さんが朝飯に帰った直後。 まず、蒸れないように段ボールを開封し、乾かしてはいけないから日陰へ。事務所に泊まっていてよかった。 「何時に来るかわからないからスタンバイを」と予め予想していたので、森さんはすぐに来て、9時過ぎには、3人で仮植開始。
並行して、事務所2階では内装工事が続行。
私は森林組合と、①広葉樹の植栽と育苗、②育苗場横の20m以上の松の大木数本の伐倒と、
③道路をふさいでいる倒木の枯れ松2本処理の打ち合わせをし、
その後大急ぎで仮植に合流。12時前には完全に終了。
べとべとになるぐらい苗にも土にも水掛けを。乾いた土を被せない。深植えは窒息死、浅植えは乾燥死。 一本づつ馬鹿丁寧でなく、手早く丁寧に。根の向きに注意。などの声を掛け合って賑やかに。
苗が紫色なのは、内部充実度が高く、良い苗の証拠。 それにしてもアカマツ苗はクロマツと比べて柔らかい。 皆さんもいつか触れて見て下さいね。
4月15日になるのに、天気予報通り昨夜は寒かった。日中は初夏の模様とラジオで聞きましたが、 早起きして温度を見てみると氷点下。水道の水が凍っていました。 去年は4月21日に雪が降りました。
震えながら苗木を観察に行くと、苗木も凍りついていました。しかし健気ですねー。
今年は蔵王おろしが少ないものの、4月に入って乾燥注意報が続いています。 湿度は50%を下回っています。
今日は第2育苗場で、コンテナ苗の土づめ作業。7時半には現場に大勢集結します。 1人80ケース/日ぐらいで飛ばすつもりでしょう。第1育苗場は事務所の電話設置工事です。 昨日、コピー機を無事2階に上げました。お客さんも多かったですね。
さて、一日頑張ろう。
先週の宮城滞在の間に、東京では桜が満開となり、
愛でる暇もなく散ってしまいました。
新幹線の車窓からは、宇都宮の桜が見え、
福島の梅を見て、仙台一高校庭の桜が開花寸前の様子が見えました。
思えば宮城には梅が少ない?
東京本部横の神田川沿いのお宅にも梅がたくさんあり、
散歩しながらいつも眺めています。
我が家が青梅の近く。
青梅の梅は病気にかかり、多くが伐採されるので残念です。
荒野にも春の彩りが。
私は私なりに、名取の春を楽しんでいます。
今年は今まで以上に、春を嬉しく思っています。
集落は移転しても、水仙は2011年の春も、ツツジとともに咲いてくれました。
写真はみんな植栽予定地付近です。
2階建てになった名取事務所付近は、つくしがいっぱい。
心強い支援者 住友化学労働組合
彼らはこれまでの大事な場面に、いつも大阪から駆け付けてくれている。
我々が見てほしいことを見ようとし、感じよう、知ろうという気持ちが極めてよく伝わってきます。
会社とともに法人会員として、海岸林と同様に「労使一体」で、タイのマングローブ植林プロジェクトを長い間支援いただいています。真っ先に踏み込んできてくださったのは組合。もう10年ぐらい前のご担当も、見事なフットワークの素晴らしい方でした。お互いを訪ね合って、幾度も面会を重ねました。
2月22日の名取での活動報告会。
早々に出席のお申し込みをいただいたのは本当に嬉しかった。
念願の協定が叶い、名取市民にやっと正式に発表できる僕らの晴れ舞台ですが、わざわざ大阪から。
大阪マラソンのチャリティ寄附先団体に選ばれて、協働パートナーを探すにあたり、真っ先に頭に浮かんだ組織でした。お願いをするとやはり即応のお返事。
「賛同する組織・人を増やすことにも協力したい」と。
私も、住友化学労働組合としての日常的に目指していることも、ごく一部ですが聞いています。普段取り組んでいることが、宮城でもにじみ出る。
先日、大阪マラソンに関する打ち合わせのため、執行部のお二人が、オイスカ本部事務所まで来てくださいました。私と同様、自宅に帰る暇がない。「ない、ない」と言いながら、以心伝心。夜までご一緒。ですが、お互い働き盛り。人生は一回。なので、また今日もトコトン。
こういう住友化学労働組合とともに、大阪マラソンでのチャリティーランナーを探してくださる組織を、まず募集開始しました。
詳しくはこちらを。
4月3日チリ北部地震による津波到達
大雨や強風などによって災害が起こるおそれのあるときは「注意報」
重大な災害が起こるおそれのあるときは「警報」
重大な災害が起こるおそれが著しく大きいときは「特別警報」
(気象庁のHP)
4月2日(日本時間8時42分)チリ北部沖で発生した
M8.2の地震があったことはご承知のことと思います。
私は宮城に向かう新幹線の中で、携帯電話のニュース見出しで知り、太平洋津波警戒センターからの情報も取れました。念のため、その場で宿泊を仙台市内に変更しました。注意報レベルでしたから、現場周辺も平穏。
3日の朝、起きてすぐTVニュースを見ると「久慈市に到達」と既に報じられていました。
以下、河北新報社の4日朝刊より抜粋。
3時00分 :津波注意報発令
6時52分 :約22時間後、岩手県久慈市に津波20cmが到達
7時06分 :宮城県気仙沼市本吉海岸の海底の砂が巻き上がり茶色く濁る
8時22分 :宮城県内でも地震。仙台市内震度2
(車のラジオで「大きな揺れです」と放送。歩行者は揺れを感じている気配なし)
11時43分:チリではM7.6の余震
12時22分:久慈市最大値60cm
18時00分:津波注意報はすべて解除
その晩、清藤参事と私は仙台駅前の横丁の居酒屋。
誰一人話題にしていなかった。
でも、東京からは「一応」心配のメールがあり、少しうれしかった(笑)。
チリでは、2010年のチリ大地震の教訓を生かして避難訓練が繰り返され、
政府も適切な対応をし、住民は落ち着いて避難していたと同紙に報じられていました。
入りそめて 国ゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ 伊達政宗公が詠んだ歌です。 目的と目標をもって松を植えたこと、1,000年以上先を見据える気持ちを持っていたことが、明確ですね。 こういう思想で仕事に取り組まねばならないと教えられました。 目下、私たちは脇目も振らず、植栽成功の一点に集中して毎日を過ごしていますが、 NHK Eテレ「知恵泉」~伊達政宗~前編・後編の両放映を通じて、当プロジェクトに関わる 多くの方々が心の中で思っていることを、よくぞここまで表現して下さったと思いました。
私もこの3年、治世家としての政宗公の話を、広報室長相手に何度もしてきました。 日本一の運河「貞山堀」をわたる度に、政宗公の背中を意識するぐらい、 想い続けた3年というのが事実です。 物事はさまざまな背景、一言では言えない長い経緯があって、今に至ります。 そもそも伊達政宗公が政策の一環として海岸林植栽を命じた理由を知ったのは、2011年の震災直後。 愛林組合をつくり、村人の手で植栽し、愛林碑を建てたことを初めて知ったのは5月。 宮城の海岸林を調べれば調べるほど、その記述がありました。その頃の人も政宗公の思想を意識したことでしょう。 前編後編を通して今回の番組で紹介されたように、彼のもっていた理念、政策や施策は、 私たちの今にも将来にも、必ずつながると思ってきました。 着眼大局、着手小局。 皆さまとともに被災地全体の復興・発展への道のりの一端を担いたいと考えています。 また、ここに海岸林があった背景や、再生の目的を理解する市民を増やしたうえで海岸林を再生させたいと考えています。
この仕事を通じて、国づくり、ふるさとづくり、そしてそのための人づくりを志しています。 私は「それを実践する組織が世の中に必要」と思って、オイスカで働いています。 最後に「愛林碑」が紹介されたときは、思わず涙が出そうになりました。 「全てが流されても、流されなかった」あの石碑は、僕らのバイブルのようなものです。 放送を見て、想いを共有してくれる人がまた増えるだろうと思いました。 取材のお話は、治山技術者が我々を紹介して下さったと聞いています。 光栄に思うとともに、これからしっかりやらねば。 15日(火)朝5:30~6:12に、NHK Eテレ「知恵泉」~伊達政宗~後編再放送があります。 1人でも多くの方にご覧いただきたいです。
4月23日(水)17時頃ラジオ関西558khzに生出演
4月23日(水)17時ごろ ラジオ関西(558khz)の
ニュース番組 「時間です!林編集長」(16:30~19:00)の
「つながる東日本」のコーナーに、2012年5月16日に続き、2回目の電話生出演をします。
新たに2階増設と電気配線、電話などの工事、机などの引っ越しを終え、
広くなった事務所の2階から、兵庫をはじめとする関西地域の皆さまに、
海岸林再生や復興の様子をお伝えしようと思います。
再生の会、森林組合、オイスカの合同事務所ですから、
電話をオンフックにして、みんなでやっちゃうかもしれません。
「5時だっちゃ! おばんでがす!」
兵庫全域と周辺地域、558khzです。
この地域は支援者が極めて少ない地域ですが、
震災から4年目となって、なぜか関西にご縁が多くなってきました。
住友化学と労組さん、JR連合さん、産経新聞労働組合さん、ネクスタさん、
そして、寄付先に選ばれた大阪マラソン。。。まったく理由も脈略もない、単なる偶然だとおもいます(笑)
4月に新たに就航した仙台空港-神戸空港のスカイマークに乗る機会もでてくるか??
それにしても仙台空港は次々と新たな便が就航する。
兵庫の人に話す機会をいただいたのですから、
まだ行ったことのない日本海側の香美と、瀬戸内側の須磨の海岸林についても
少し勉強しようとおもいます。
名取事務所 2階増設
前田建設工業㈱様のご支援により、いよいよ宮城中央森林組合の作業班を迎え、名取市海岸林再生の会、オイスカとの三者体制の
環境整備として、今週月曜日、名取事務所に2階を増設しました。
2階が合同事務所、1階が作業員さんの休憩所兼休憩室と物置になります。
「宮城中央森林組合と組む」というのは、計画の1丁目1番地。
表立って具体的に申し上げたのは、2011年5月24日の国、県、林業事業体、地元市民との初協議の際です。勝手流ではない、事業規模の推進であるということは、なかなか信用してもらえないだろうと思っていました。これまで行政各方面から幾度となく裏を取られ、確認されました。「信頼を得るのに3年」と思っていた私どもにとって、その問いは何の苦でもなく逆に行政の状況や、信用度を推し量るバロメーターとして、安心材料になりました。
また、万が一でも森林組合幹部が心変わりしないよう、無数の交流もしましたし、(接待ではありませんよ)、宮城県の森林環境税が凍結され、数年がかりの森林整備を途中中断されてしまうと数年後大変なことになってしまう現場のお手伝いもしました。
以来、無我夢中で駆け抜けた3年が経過し。
いよいよ本番を迎える準備は、時間との勝負を迎えています。
この日も暖かく、いい天気の名取でした。
それにしても今年は、去年と真逆の天候です。
第2育苗場の土壌調査サンプル採取と苗の様子を見てもらうため、
清藤城宏緑化技術参事を第二育苗場にご案内しました。
班長の櫻井さんは前夜、寒風の中、楽天vsオリックス戦を観に行って、
当日は高梨さんがデーゲームに行っていたそう。
こちらは海から9km。第一育苗場周辺と違い牧歌的な田園風景です。仙台駅の手前です。東北新幹線からも見えるんですよ。
大分県豊後大野市の「みらい蔵」さんに分析をお願いしています。普通は乾燥した状態で送ると思うのですが、「乾かしちゃダメ!」ということで再度の送付。
送った土が乾かなかった第一育苗場の結果は既に出ているのですが、ありとあらゆる条件が絡み合い、予想と反対の結果でした。やっぱり確認というのは大事ですね。我々は、昨日から施肥設計を始めました。
何しろ土がイイ。フカフカです。
こちらは第一育苗場と違い、海から離れているので井戸水の塩分混入などもなく、予想と大きな違いが出ることもないでしょう。
およそ2万本の植栽目前のクロマツ苗木と、1年生の抵抗性クロマツコンテナ苗が育っています。
本日4月8日(火)23時~23時42分のNHK Eテレ「知恵泉」~伊達政宗~ 当プロジェクトが紹介されますので、ぜひ放送をご覧ください!(再放送もあり)
4月3日、清藤緑化技術参事、佐々木統括と
広葉樹生育状況を実査しました。
海岸林再生プロジェクトの広葉樹に関しては、
「三井物産環境基金」の助成をいただいております。
昨年5月18日にクリとコナラを播種して1年。
今日半日は、全数調査と、1年で植栽に使えそうな苗の有無の確認、掘り取りと床替、出荷・植栽、圃場の改良、今春の播種などを検討し、森林組合との協議資料をつくりました。この環境ながら、200本程度使えるものがありました。
多くのものは2年かけて育てる予定です。
昨年以来、海岸から1.4kmの位置にある第1育苗場で0.07haだけ拡張し、地盤沈下して雨が降れば田んぼのようになる土地ですから50cm厚に客土。
植栽盛土と同じ環境の凝灰岩や礫交じりの、まさに「無機質」な土を。被災地においていい土は、依然「高価」ですし。
「植栽できる場所が明確になるまでは本格生産しない。
とにかく試験」と思いながら、先行実施してきました。
全く施肥せず、趣味的にお金や手間をかけず、
敢えて厳しい環境のなかで実施しましたが、
海からの十分な距離もあることからなんとか生育していると思っています。
植え付けの事を思うと、海岸のあの環境下での広葉樹はお金がかかり、どうしたら低コストになるか、今後のこともいろいろ話し合いました。
津波で遮るものを失ったため、内陸からの寒風が「吹きっさらし」の荒野を背にした海岸では、植栽箇所も極めて限定的です。
東京の横田基地の近くにある私の自宅や、永福町のオイスカ本部の近くの梅や桜を少しだけ見る時間がありましたが、
名取の被災地は花木を全て失い、季節感のない荒涼たる光景です。移動中の車窓から、栃木や福島で花が見えるといつも目が行ってしまいます。内陸7kmの名取市役所の桜もまだ開花していません。
私たちは海岸林再生に集中せざるを得ませんので、
範疇外のことに手を出すゆとりなどありませんが、
いつか季節の花がたくさんある、もとの「ふるさと」になって欲しい、
僅かながらお役にたてないかと思い、
ニーズにアンテナを立てながら名取の日々を過ごしています。