緑化技術担当の参事を務める清藤です。
4月30日付のブログの中で
「・・・盛土の土は採取した場所によってさまざま。
大きな石がごろごろしていたり粘土質だったり砂地だったり……。
硬いところは植えるのに手間がかかりますが、柔らかいところは作業がはかどります。
“1m毎に硬さが違う”“粘土はきつい”(作業員さんの声)・・・」と植栽地の土壌の状態を伝えました。
少し詳しくその土壌を解説します。
盛土は凝灰岩質といわれています。
礫、粘土、砂ということから恐らく新生代水成岩地帯、
一般に標高500m以下の丘陵山地を造った土だと推測できます。
「礫」は土層の深さ1m以下から掘られた基岩の部分です。
「砂」はその上層の60~100cm部分の柔らかく砕けた基岩鉱物砂の集合体です。
「粘土」はさらに上の40~60cmの気候に支配されてできた層です。
クロマツのようなマツ類の生理的特性をみると、根の張り方は細根では表層部にかたより、
支持根となる太根は深いところまで達します。
土壌の水分・養分の要求量は、スギ、ヒノキに比べ低く、
土の中の酸素要求量(好気性)は、スギ、ヒノキに比べて高いです。
こう考えると土壌からみたクロマツの適応地は「土の空隙」が鍵になるでしょう。
そのためには土壌の物理性を把握する必要があります。
「土壌」は「土壌の粒子」と、小さな粒子が集まったその「すきま」からできています。
土壌の粒子は砂・粘土などの無機物と腐植からできているので専門用語では「固相」と呼びます。
すきまは「空気」と「水」から出来ていて、それぞれ「気相」、「液相」とよばれており
これらの総称として「土の三相」と呼んでいます。
ではその三相はこの盛土ではどの様になっているか、
その分析の結果を次に図示しました。

よく発達したスギ林などの柔らかな土壌では、
固相、液相、気相の割合は、30,40,30%程度になります。
アカマツでは50,20,30%程度といわれております。
今回の結果は63、10、27%でした。
固相が多くなっており最適とはいえません。
固相に粘土が多いと空隙も少なく、根の再生と働きが悪くなることから植栽木の成長を遅らすことになります。
空隙は土壌の気相で知ることができます。
気相の割合は十分ではないものの予想していたよりも高いことがわかりました。
固相の多い部分、気相の不足部分は、植栽時に耕して植えることにより改善することも可能です。
現在、植林に当たっている方々は、活着するようにと丁寧に植えている状況をみると、土壌改善にもつながっているでしょう。

5月24日、「海岸林再生プロジェクト」初の植樹祭が開催されました。
何度もブログでお伝えしてきたとおり、植栽はプロの手で行う
というのがこのプロジェクトの基本的な考えです。
ただ、「名取市民の森」をつくるためには、どうしても市民の
参画が欠かせません。これから10年、20年と続いていく森を育てる活動に
主体的に、継続的に関わっていくのは地元の方々です。
そこで、宮城県民・名取市民の方々に植栽を体験していただこうと
植樹祭を企画しました。全国の支援者の方々の中には、木を植えたいと
思っていらっしゃる方が多いのは承知していますが、まずは地元、という
考えで参加者募集は宮城県内でしか行いませんでした。
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当日集まったのは約350名。
普段は強風で砂が舞う中の作業となるのですが、この日は風もなく快晴。
10班に分かれて作業が行われました。
CIMG5404親子で参加してくださった方もいらっしゃいました。(下の写真も親子です。4月のボランティア活動日にも親子で参加してくださり、高校生の息子さんが「また来たい」と感想を話してくれましたが、本当にまた来てくれました!ありがとうございます!!)
植林なんて初めてだという方も大勢いらっしゃる中、指導員としてついてくださった森林組合の方に「参加者の皆さんの植え方、大丈夫でしょうか?」と確認したところ、「ここは土がやわらかくて作業がしやすい。みんなきちんと植えてくれているので、根付いてくれると思います」との言葉が返ってきました。
 
 
 
CIMG5401しかも、皆さん真剣に作業にあたってくださり、予定していた時間よりだいぶ早く作業が終了。ケガ人が出ることもなく植樹祭を終えることができました。
名取市の佐々木市長も最初から最後までご参加くださいましたし、いつもプロジェクトにさまざまなご指導をくださる東京農業大学名誉教授の太田猛彦先生も奥さま同伴で来てくださいました。
 
作業が終わるころ、空には虹が!
太陽の周りに輪ができ、その下に弧を描くような虹が出ていました。
強風も吹かなければ、虹までがこの植栽を天も祝福してくださっているような
そんな気持ちになる植樹祭でした。植えられた5千本すべてが根付いてくれる気がします。
参加してくださった皆さま、指導にあたってくださった森林組合の皆さま、
ありがとうございました。
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第2育苗場での播種

2014年5月25日( カテゴリー: 現場レポート )

5月15日、第2育苗場のクロマツ播種作業を、
海沿いの北釜地区に住んでいた19名とともに行いました。
もちろん、ボランティアではありません。来月、手当を支給します。
これもすべて、皆さんからのご寄附が原資です。
このコンテナの培養土詰め作業を数日かけて行ったうえでの当日です。
誘われて、今日はじめて来たという人もたくさんいました。
やっぱり集まれば、「津波」という言葉が、そこかしこに出てきます。
そして昔話と、お互いの近況。

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孫誕生の喜びの朝。奥さんと一緒に撮りたかったんですが。


「あのさー、今朝、孫、産れたんだー」と桜井班長。
「そんな小声で俺ばり(だけ)に言わねーで、皆の前で言ったら-。2年後、記念日に種蒔きした苗になりますねー」
「んだなー」
ANAすかの桜井君、おめでとう。
ご両親にとっても、この前は結婚式で、今度はお孫ちゃんで、嬉しいことが続きますねー
 
 
2011年5月24日、名取市立第2中学校の仮設住宅で、
初めて名取市民と海岸林再生について話し合った時の方の大半が来てくださいました。
海岸林の内陸側で農業再開を期しているSさんも来て、
解決がなかなか難しい問題もあり、「実現はまだまだ先の話」と言っていました。
土地を借りて農業をやっていて、思い切り元気なことは十分知っています。
震災から1年後、初めての種蒔きの日のこと。
作業後の宴会で、
「この一年、一度も唄う気になれなかった」という祝い唄を唄い、皆の涙を誘った方です。
名取市海岸林再生の会会員で、美田園駅の近くの「本村」と言われる地区の自治会長は、
第1・第2両方の育苗場の作業に来てくださいます。
両者の連携という意味で、重要なポジションを担っていただいています。
作業が終わった後、「お茶でも」と呼ばれ、自宅の縁側で、一服。
「小学生の頃の夏の想い出はイグサ干し」
親と一緒に朝から海岸までイグサを運んで、浜に並べて干した後は、
海で泳いで、松林でご飯を食べて、昼寝して、その後干したイグサを積んで家に帰ったんだ。
(美田園の駅付近)はイグサの田んぼが多く、畳屋さんがたくさんあったんだ。
よそから買ってきた畳と、地元で作った畳では、持ちが全然違うんだ」などと教えて下さり、
やはり、松ぼっくりを燃料にしていたことなど教えていただき。
今度、インタビューさせていただくことを快諾くださいました。
「仮設住宅の自宅に籠って、なかなか表に出てこない」と言われている女性を
途中まで送りましたが、
「第一育苗場の近くにあった老人ホームで働いていたんだけど震災で解雇になってしまって。
今仕事もしてないの。そろそろ定職を見つけようと思ってる。初めて来たけど楽しかったー。
また声かけてください。植樹祭にも行きますから!」
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大勢で取り組む作業は社会の教科書に書いてあった
「結い」のような共同作業です。奥の田んぼ2枚先は仙台市。

そんなこんなで、無事25,000粒の抵抗性クロマツ種を播き終わりました。

 

「俺たちの林業労働者の生き様を、社会に伝えてほしい」
神奈川の林業会社を退職し、オイスカに戻る時、
そして戻った後の社長からのメッセージ。
「たとえペットボトル一本でも、現場の地元で買いなさい」
「川上(山側・現場側)と川下(都会側・支援者側)の
どちらかを優先しなければならない時は、迷わず川上を選択してほしい」
これはオイスカの元上司。
振り返れば、まさに「ご縁」という以外の例えは見当たらない出会いが震災1年前にあり、
先のような気持ちを持って、宮城中央森林組合との深い付き合いが始まりました。
2010年1月、オイスカ宮城県支部小野喜代寿事務局長の紹介で、
仙台市立三条中学校の学校林を 佐々木勝義さん(佐々木廣一名取事務所統括の弟)
とともに雪降る中を実踏。
その場で強烈に意気投合。
まず、松島町立第5小学校(童謡「どんぐりころころ」の作詞家の母校)の
学校林整備をともにし、「学校林・遊々の森」全国こどもサミット」in東北での
同校の発表をしました。
2人で一緒に秋田から帰り、山に入って天然秋田杉をとくと拝見したり。
飲み二ケーションに明け暮れたり。

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「クロマツは根が浅いのではない。地下水位が高いところに盛土なしで植えられたから、3m以上になる深根性が発揮されず、このようになった」このように話した勝義さん(2011年5月25日 於:東松島市野蒜)


震災直後、林野庁東北森林管理局の知人とも、海岸林再生に関して電話のやり取りをしましたが、 松島町に住む佐々木勝義さんと全く連絡が取れなくなり、週明け数日後、ようやく連絡が取れたことを思い出します。
そして5月24日、国・県・森林組合・種苗組合との初協議、 名取第2中学校での地元農家の方たちとの初協議、 26日までの初めての陸上踏査、 26日の佐々木廣一名取事務所統括との初めての出会い、 その一切を、佐々木勝義さんとともにしました。
2011年の震災により、県森林環境税の凍結などにより、 あとわずかで整備完了のところ森林業務が停止してしまい、 くわえて文化庁からの整備許可期限が迫っていた 松島の4大観の富山整備と、仙台市立三条中学校学校林整備を、
三菱UFJニコスさんと、三井ガーデンホテルズさんのご理解により、整備を継続できました。
この山は僕にとって一息入れる場所でもあります。整備後の推移を楽しみに観に行っています。
「うちの兄貴を説得するべ!」
また、佐々木廣一さんのオイスカ入りを必勝を期して、
半年かけてじっくり根回ししてもらい、
パートナーとなる私自身とオイスカを知ってもらうべく、
ダミーとして僕の息子と娘を連れて泊りに行ったり。
まさに全ての行動を、宮城中央森林組合と行動してきました。
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毎朝7時半、今日植える苗木の積み込みに立ち会う秀義君
(2014年5月20日於:オイスカ第一育苗場)


そして今、勝義さんの息子さんである秀義さんが、海岸林再生プロジェクトの植栽現場を切り盛りしています。
震災前、彼が東京農大の学生の時、オイスカへの就職も視野にあり、東京本部に来たので
「やめたほうがイイ。森林組合がイイ」と言った記憶も。
彼がまだ前職にいるとき、飲みながら、森林組合の社会における存在意義を話し、
「宮中(宮城中央森林組合)に入ってくれ。そして俺と一緒に海岸林をやろう。こんなに大きな仕事はないぞ」 と言った記憶も私にはあります。
そして今、描いたイメージ通り、森林組合と種苗組合、
名取市海岸林再生の会、国・県・市、そして支援者との仕事に至りました。
育苗を担う名取市海岸林再生の会と、植栽を担う森林組合は、当プロジェクトの両輪。
かつての上司や林業会社の社長の教え通り、森林組合を通じて、川上(被災地の復興)にお返しし、 林業労働者の人間臭さやプロの凄味をお伝えしたいと思います。

明日5月24日の「名取市民の森」初めての植樹祭を前に、
思っていることを書かせていただきます。

偶然ですが5月24日は、震災後に行政等と初協議、
住民と初協議、初実踏調査した日。(空からは4月21日)
また、1960年のチリ津波が東北など広範囲を襲った日でもあり、                                        伊達政宗公の命日でもあるそうです。

被災地では今も「地元の海に気持ちが向かわない」という雰囲気を感じます。

「この機会に、地元の海に正面から向いてほしい」

ですから、まず第一に名取市内に、その次に宮城県内にと、
時差をつけて参加募集をかけました。
木を植えたい全国の支援者には本当に申し訳ないのですが、

「地元が主役」「地元やプロの役目を補完するのがここでのボランティアの役目」

これまで3年、常にそのように伝えてきました。
いつか必ず全国の支援者も、木を植える機会は来ると思いますから。

「海岸林は農業や生活を守るためのインフラ」

それをまず、地元の方に知って欲しい。
植栽の後も、ずっと長い育林の作業があります。
第一に地元の人がオーナーシップを持つための、
様々なアプローチを世代を超え、粘り強く行ってゆかねばなりません。
これが最上位の到達点であり、最も難しい仕事ということは、
全国各地の事例が証明しています。
各地の好例に学び、人が関わり、親しめる「名取市民の森」にしてゆきたい。

「植樹祭は、植林をするお遊びではない」

参加する主に地元の方たちには、多くの方がこれまでの3年間
支援してくれたおかげでこの場があります。
その大半はこの場には呼ばれてもいません。

参加者の皆さんには、指導者の説明や指示ををしっかり聞き、
お互いに気を配り、安全に、真剣に作業にあたっていただきたい。
お遊びでないボランティアの姿によって、
いつか森林行政と業界にも感動を与えるのが目標です。

そして、近年、全国でも類を見ない大規模なプロジェクトに取り組む機会を、
この名取でいただいたことへの感謝の気持ち。
私たちを信じて支援して下さる全国の支援者の皆さま、
そして関係する多くの方たちへの感謝の気持ち。
そういう気持ちで私たちは過ごしてまいりました。
最後まで粘り強く頑張って準備をし、静かな気持ちで当日を迎えたいと思います。

海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画を必ず成功させ、名取市民の森として再生し、
「名取耕土」復興の一端を担いたいと、関係者一同、強く思っています。

震災前航空写真(岩沼→名取仙台方面)

震災前の岩沼市・名取市の海岸林

入りそめて 国ゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ

伊達政宗公が、1000年先まで見据えてマツを植えたことが伝わってきます。

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2014年5月22日( カテゴリー: 現場レポート )

コンテナ苗植栽2日目の5月20日、
中野良子オイスカ会長・廣瀬道男常務理事が数ヵ月ぶりに視察しました。
「現場が忙しい時に本当にごめんなさいね」と
空港駅下のエスカレーターでの会長の第一声。
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「私、これまで何回来たかしら?」と問われ、
「10回~20回の間だとと思います」と大雑把に答えました。
森林組合、仙台森林アドバイザー会の24人は植栽作業。
再生の会4人は、前日に発芽確認したクロマツのコモ撤去・寒冷紗設置。
加えて、市議会議員と元下増田公民館長と自治会長の視察。
そして、仙台放送のテレビ取材とひとくくり同時進行の、
私たち流の対応でした。
みんな知り合いになれますし、時間に限りがありますし。
2011年創立50周年記念式典でも「組織をあげて取り組む」と
会長自身が宣言した当プロジェクト。
会長は、2011年の私たち調査団の初陸上調査から2週間後、
間を置かずすぐに、林野庁「海岸防災林検討会」座長の
太田猛彦 東京大学名誉教授にご案内いただいて。
トップの現場入りは早かったと思います。
今回の現場訪問は、儀礼的・表敬訪問的なことは一切省き、
林業労働者の身になって悪路を歩いていただき、
これぞ本物の鍬音を聞いていただき、
泥臭い現場で働く人たちの生の姿を見てもらうことが目的でした。
事前打ち合わせなどは一切せず、現場の手を止めることも、
一服する休憩する皆さんを邪魔することもなく、
す-っと溶け込んでいただきました(笑)
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そして作業班の横で、一本だけ植えていただきました。
「50万本分の1ですね」と再生の会の鈴木会長。
みんなが目を離したとき、中野会長は、ひとりマツに手を合わせておられました。カメラを持っていたのですが、シャッターを切ることはできませんでした。
こういうトップの想いを受けて仕事できるのは、担当者冥利に尽きます。涙が出そうになりました。
オイスカ職員・再生の会としての植栽第一号は会長です。
現場統括の佐々木も、私も、再生の会の誰もまだ植えていません。
24日、植樹祭終了後が我々の植樹祭です。
 

この日、森林組合の作業班が会長の帰りを見送ってくれたことも、
心が温かくなる、思わぬできごとでした。

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心強い支援者 化学総連

2014年5月21日( カテゴリー: お助け隊員の声 )

長くオイスカの活動をご支援くださっている化学総連の皆さんが
先週末、ボランティア活動に参加してくださいました。
事務局次長の木村さんがレポートをお寄せくださいました。

_____________________________________________

2014年5月16日(金)から17日(土)にかけて、
海岸林再生プロジェクトのお手伝いという事で、名取にお邪魔して参りました。
加盟組織15単組、また同じ化学の産別で、今後海岸林プロジェクトへの支援を
検討されているJEC連合様から先遣隊として2名、計55名での参加となりました。

私共の組織の中で、オイスカ様の活動については色々な場でご紹介をしてきましたが、
ほとんどの参加者は現地を自分の目で見るのも、作業に参加するのも初めてという事で、
色々貴重な経験をさせて頂いたと思います。

1日目、仙台空港にてオイスカの吉田様と合流し、まず育苗場の前に被災遺構、
防潮堤、植栽現場の視察ツアーをさせて頂きました。
吉田様の説明に皆さん、真剣な表情で耳を傾けておりました。

育苗場に到着後はグループに分かれ、IMG_1408
①クロマツ苗の計数
②クロマツ育苗場周りの除草
③広葉樹の苗の根切り、葉切り、選別し仮植、移植と新たに苗を育てるための畝づくりを行いました。
午前中の雨が嘘のような晴れ模様でしたが、
台風並みの強風、そして名物(?) の砂嵐に見舞われ、皆さん目をショボショボさせ
「ゴーグル要るんならちゃんと案内しといてよ~」とぼやきながらも和やかに作業していました。
畝づくりでは、鍬を持つ年季の違いが一目で分かります。
慣れた方は程々の深さでスムーズに道を作りますが、
一方では深く掘り過ぎ「川でも引くんか~?」などからかわれている方もいました。
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2日目は防潮堤前に繰り出して、植樹祭の準備と広葉樹の植え付けに従事しました。広葉樹植え付けのための穴掘りを440穴、鍬とスコップを用いて行いました。場所によっては運ばれた土に大きな石がゴロゴロ入っており、手にマメを作る方がいるほど。
翌日はキンニクツウ!
また植樹祭の準備として、植栽ポイントにマーカーとして割り箸を指すのですが、よりよい条件の場所に移すため一旦全部引き抜き、別の場所に指し直す作業にあたりました。
 

2日間の作業に従事させて頂き、素人集団の私共でしたが、
少しはプロジェクトのお手伝いになれたのでしたら幸いです。

化学総連はオイスカの海外も含めた植林活動に、
震災以前から寄付での支援を行ってきましたが、
震災発生を機に、身近な地で起こった惨状を目にしたことで、
是非現地に赴き体を使って支援したいという声が組織内から挙がっておりました。

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このような形で引き続き、支援をさせて頂ければと思いますが、作業にあたる一方、被災や復興の状況について少しでも多くの方が自分の目で見聞きし、その経験をまた皆さんに伝えて頂く事に、活動の価値があると考えております。
そういった目的上、リピーターだけでなく新規のボランティアが今後も多く参加する事になるかもしれませんが、引き続き宜しくお願い致します。

5月19日、宮城県産マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツのコンテナ苗床で、発芽を確認しました。
翌日播種したアカマツはまだ発芽していません。
5月2日に播種してから17日目です。
2年前の初発芽(2012年4月28日)の時は30日目に発芽だったため、
ダメなんじゃないかと一同本当に心配したことを思い出します。
育苗に専念していた昨年までと違い、今は必死の毎日で、喜んでいる暇もなく。。。
コモを撤去し、寒冷紗をかけ、散水作業。
目下の発芽は3割ぐらいですが、散水すると次々発芽するでしょう。
発芽直後は何とも頼りない姿ですが、これが40日後には、「めんこい」姿になるでしょう。
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伊良湖開拓海岸防災林

2014年5月19日( カテゴリー: 海岸林あれこれ )

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風力発電の風車と、飛砂防備保安林の看板


5月11・12日、熱心なオイスカ支援者の多い地域のひとつ、愛知県豊田市で2ヵ所で200人にお集まりいただき活動報告会をさせていただきました。
講演に反映すべく、その谷間の時間、千載一隅と思って名取→東京→豊田→伊良湖の強行日程でしたが、やはりいつものように地元の海岸林を観に行きました。
行ったのは「伊良湖開拓海岸防災林」。
「伊吹おろし」「鈴鹿おろし」とも言われる三河湾を越えてくる北西からの強風が、 渥美半島に冬から春に吹き付けます。
 
「開拓」

名取も400年前の湿地の開墾、そして戦後も開拓でした。
静岡・浜松の三方原開拓内陸防風林も餓死者が出るほどの厳しい開拓でした。
ここも旧陸軍の大砲試射場跡地の開拓だったそうです。
渥美半島先端一帯の農地600haは、海岸林160ha(全長6km)+内陸防風林55haに守られています。
航空写真で見ると見事な内陸防風林と、モザイクのような農地です。

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空を飛べればモザイク状の畑と
マツ林の絶景が見れるのに


 
そこには1,400戸の農家の生業があります。
耕作放棄地は少なく、多彩な農作物の生産があるように見えました。
早朝から老若男女、至る所で出荷作業が行われていました。もっとお話を伺いたかったですが、時間的に叶わず…。
土地所有はリゾート地ですから、おそらく官民様々な事でしょう。
 
 
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キャベツ畑のほか、
トウモロコシ、西瓜、メロンなど実にさまざま


 
愛知県や田原市、「JA愛知みなみ」などが維持に取り組んでいるようで、育林がまさに進行している現場に見えました。かなり勉強不足。加えて十分な時間もなく、再訪を期して、次の講演に。昼食後の話を聞くには厳しい時間、100人中一人だけ鼻の穴も、大きな口も天井に向けて空けている人がいましたが、無数の真っ直ぐな目が私を見ているように話ながら思いました。
襟裳岬と並び、再生の会だけでなく、行政やJA名取岩沼の皆さんと研修旅行に行きたい現場です。 名取メロンとここのメロンは関係があったそうですし。

昨日は第3土曜日のボランティアの日でした。
16日にもプロジェクトに深くご理解をいただいている
組織で募集をしてくださったボランティアさんたちが
55名も来てくださり、16・17日で延べ155名が活動に参加されました。

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17日、作業を終えて記念撮影!

お手伝いいただいた活動は多種多様。

例えば広葉樹の苗を海岸に植えるための作業。
苗を掘り取って選別し、規格に合うものは仮植小さいものは移植。
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 また、播種作業も行いました。
種子の選別や畑の準備などなど。

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大変だったのは17日の午後。
職人さんたちが植えてくれたクロマツの根元に
チップをかき集めてもらいました。
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こうすることで乾燥を防ぐのです。

海岸の環境は、貧栄養、寒風、乾風、強風、潮風、飛砂、
直射日光などなど挙げればきりがないほどの過酷なもの。
その環境で苗を確実に育てるため、植栽はプロにお願いしました。
その高い技術とスピードに、素人が手を出すべきではないと思わされます。
ただ、そこにボランティアさんの、ゆっくりだけど丁寧な仕事が加わることで
クロマツの成長をより確実なものにすることができると考えています。
視界のはるか先で作業をしていたボランティアさんたちが、
鍬やスコップを手に戻ってきました。腰が痛い、腕が痛いと言いながら。

本当に、本当におつかれさまでした。
作業が進んだことも本当にありがたいのですが、
「クロマツたちが元気に育つように」と心の底から
我が事として感じてくださる方が全国に増えていくことが
プロジェクトとしては何より力になることだなぁと感じています。

来月のボランティアの日はおかげさまで定員に達しましたが、
7月以降の活動日にはまだ若干の空きがあります。
どうぞ、皆さんも現場で汗を流してください!

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