復興まちづくり事業カルテ(2015年以降の名取市の見通し)
宮城県のHPに「復興まちづくり事業カルテ」というページがあります。
http://www.pref.miyagi.jp/site/karte/high.html
それなども参考に、すこし頭を整理してみました。
これから更に、2018年以降のことが少しづつ見えてくるのだと思います。
すごく楽しみです。2014名取市復興計画進捗カルテ
2015年 3月 常磐高速自動車道300kmが全線開通(埼玉・三郷IC-宮城・亘理IC)
(H27)
7月 「下増田地区災害公営住宅」完成
8月 仙台空港民営化運営業者を決定
2016年 3月 「仙台空港民営化」
(H28) ・空港と海岸林周辺の復興計画はこれからです。
「閖上漁港災害復旧事業・防波堤・防潮堤復旧事業」完了
・これが終わると、海岸林造林が閖上漁港の真横で開始。
「南貞山運河堤防整備」完了 (貞山運河拡幅。育苗場近くの飯塚大橋通行再開)
「増田川堤防復旧事業」完了
・この完成を経て、防潮堤に続く第2次防御ラインの
かさ上げ道路工事が始まります。我々にとって閖上地区が近くなります。
「名取市防災公園・ 慰霊施設」「市民墓地公園」完成(小塚原地区)
・閖上と下増田の間。第2次防御ラインのかさ上げ道路に沿う。
4月 「名取市サイクルスポーツセンター」の再建着工
・周回の4.2kmの自転車専用道は全国唯一。
・全室オーシャンビューの宿泊施設、天然温泉を整備予定。
施設は避難タワーにもなる。宿泊できる日が楽しみです。
7月 名取市長選挙
2017年 3月 JR常磐線開通予定(浜吉田-相馬のみ。茨城方面への見通しは未定)
(H29) *日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2202L_S4A520C1000000/
「閖上地区・土地区画整理事業」完了
・対象地域57ha中、約32haの地盤を平均3mかさ上げし、
231区画の宅地造成、災害公営住宅524戸整備。居住人口2076と推計。
「閖上地区外災害公営住宅整備時事業」完了
・地区外、仙台東部道路の西側に移転。
「川内沢川捷水路(バイパス)」整備完了
・オイスカ第1育苗場付近の工事。もともと洪水のリスクがある地域で、
震災で地盤沈下しており、排水施設の充実は重要な課題です。
貞山運河とつながっており、運河拡幅の目的は排水にあります。
*宮城県土木部河川課HP
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/snd-doboku/river02.html
4月 宮城県震災復興計画「発展期」へ
2019年 3月「閖上かわまちづくり」計画完了(国土交通省)
(H31) ・洪水などの河川防災拠点として7.2m高で盛土、水防防災備品備蓄
・名取川堤防沿い全長2.4kmの河川敷を親しみやすく整備するようです。
・防災学習もできる水防センターを整備
2021年 3月「名取地区農山漁村地域復興基盤総合整備事業」(県)完了
(H32) ・現在、大規模農業化が進む一方、米価下落が気になるところです。
このまま数年下落が進めば、大規模農業従事者が稲作を諦めるという
声も聞きます。
「海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」完了
・名取市海岸林再生の会は「名取市海岸林を守る会」に名称変更し、
民間の活力を活かし行政当局とともに育林を継続
復興まちづくり事業カルテ(2014年の名取市を振り返り)
宮城県のHPに「復興まちづくり事業カルテ」というページがあります。
http://www.pref.miyagi.jp/site/karte/high.html
それも参考に、冬休みの間、2014年を振り返ってみました。
2014年 3月 宮城県における東日本大震災発生のがれき処理完了
(H26)
4月 宮城県震災復興計画「再生期」へ
「海岸林再生プロジェクト」植栽開始(約16ha、78,500本)
8月 閖上地区に「東日本大震災慰霊碑」建立
*河北新報社 944人の芳名も刻まれている。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201408/20140812_13007.html
「下増田地区防災集団移転促進事業」着工(美田園駅北側・災害公営住宅)
*河北新報社
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201408/20140812_13007.html
10月 「閖上地区防災集団移転促進事業」着工
*河北新報社
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201410/20141021_11018.html
「国営排水施設」復旧完了
・名取土地改良区管内では3,600ha中2,900haが津波で浸水し、
全体の95%が農地復旧し、80%で耕作を再開。
12月 「仙台空港運営権」は4グループに絞られた
*河北新報社
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201408/20140812_13007.html
海岸林西側の下増田地区北釜農地が地権者に引き渡され、営農準備開始。
営農再開は感慨深いものがあります。農業の発展を祈るばかりです。
年末、再生の会の女性陣とゆっくり話す機会がたくさんありました。
やっぱり男性陣がいない時が一番いい。
その中で、11月末に読売新聞夕刊全国版、科学欄下のコラム「考差点」に
「再生の会」の森幸一さんが取り上げられた話になりました。
「あの記事を読んで、涙が止まらなかった」とOさん。
そこでまた何人かの女性が涙。
森さんは、津波が来たとき、目の前で奥さんを亡くしました。
自宅から車で逃げようと、車に夫婦で乗り込んだ時、森さんは自宅のカギを忘れたことに気付き、
奥さんを残し家の中に入った途端、津波が押し寄せ自分は2階に逃げて
難を逃れたものの、以来自責の念から、仮設住宅でもふさぎ込んでいたと聞いています。
再生の会には幼馴染がたくさんいますが、Oさん夫妻をはじめ、皆で「一緒にクロマツをやろう」
といって、仮設住宅から連れ出し、佐々木統括からも「作業がなくても育苗場に来てください」
と言われて、間もなく3年になります。
2012年2月1日、雪が積もる中、荒野の中の育苗場立ち上げ作業にも森さんの姿はありました。
以来、来る日も来る日も、育苗場で仲間と共にクロマツのお世話。
仮設住宅の表札には、息子さんと奥さんの名前。
その脇に極端に小さな字で、自分の名前が書いてあります。
小さな字の訳は、「自分なんてどうでもいいんだ」と。
みんなの前では強がりも言っていましたが、
草取りしながらも、投げやりなことを言っていた時期が長く続きました。
ですが、昨年春の苗の出荷ではその責任者に。
大車輪の活躍でした。目に見えて表情が変わりました。
そのころの様子は支援者に郵送した
DVDにも収録されています。コメントには「自負」が感じられました。
読売新聞には「できるだけ長生きをし、天国の妻と一緒に見守ってゆきたい」と答えたとあります。
励まし続けた女性たちは涙しながら、「幸一さんは乗り越えたんだね~」と言いました。
1月は仕事が少ないですが、2月になれば森さんの活躍がまた始まります。
心強い支援者 UAゼンセン
傘下に髙島屋、マルエツ、西友、ダイエー、レナウンなど全組合員150万人を抱える
産業別労働組合「UAゼンセン」の、組合誌「Yuai」新春号(25,000部)に 当プロジェクトを7ページにわたって特集していただきました。
私にとっても懐かしい写真がいっぱい。
UAゼンセン以外の方たちもたくさん映っています。
掲載内容→「Yuai 」UAゼンセン組合誌1月号
UAゼンセンは約20年オイスカ会員を継続し、
同時にバングラデシュのマングローブを資金的にも人的にも支援いただいています。
ご担当の方は何度も名取の現場に来てくださり、定期大会で支援を決定し、
今年度に入り、4月以降毎月、本部職員、各単組の幹部の方が、
全国から160人ボランティアとして参加いただきました。
2,000人も集まる定期大会では、逢見会長のご挨拶でもプロジェクトに触れていただき、
何万部も印刷する組合新聞には月2回も掲載くださり、
そして、上部団体の参画を機に、単組として支援につながり始めました。
例えば髙島屋は「労使協調」。
会社はオイスカ会員であり、カタログギフト「ローズセレクション」で
お客様に当プロジェクト支援を呼びかけ、当初より大きな支援をしていただいています。
そして組合と会社で、協働してボランティアを実施してくださいました。
マルエツ労組も会員となり、カンパを行って寄付を呼びかけ、
現場にも大型バス2台で、真夏に草と闘うために来てくださいました。
パートさんの定年は65歳とのこと。多くの女性が2日間、懸命にご尽力くださった姿が
非常に印象的です。
UAゼンセン本部を中心に、単組への広がり、労使協調の動き。
トップの皆様の深いご理解。組織の持ち味を生かした広報啓発。キビキビした現場での様子。
心からありがたく思っています。
あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いします。 昨年のブログは365日中275日掲載。全てにおいて頑張ります。
1月3日、日本経済新聞1面「春秋」に温かく紹介していただきました。 今年2回の「春秋」での紹介は、まだ日経新聞電子版で見ることが出来ます。
記事はコチラ *「春秋」では震災以降3回目です。
書いていただいた論説委員さんは既に6・7回現場に来ていただいています。
初めて「春秋」に書いていただいたのは2011年5月4日。
航空調査を終えて2週間後のことで、海岸林再生プロジェクトの立案段階を、
すべてのマスコミの中で最初に取り上げてくださいました。
同年10月30日にANAのご協力でボーイング787に無料で170人が搭乗し参加した
被災した名取市海岸林の視察ツアーの後は、大きなコラムの「中外時評」で、
海岸林の存在意義と、その再生がいかに難儀なものか、詳細にわたって報じられました。
文中の、東北の方言「おがる」「がおる」は、職場柄、私にとっても日常用語です。
年末の取材で、育苗場班長の大友さんの自宅の炬燵で、再生の会の女性陣数人の
話を聞いている時、この話題になりました。
名取市観光協会発行の「おはようござりす」というなとりの方言集の小冊子にも記載があります。
わたしがが理解できて、よく聞く名取の方言TOP10は
「あぐでつぐ」悪口を言う
「あっぺとっぺ」とんちんかん
「えずっぱり」強情
「おばんでございます」こんばんは
「おらいの」俺の
「おんつぁあん」叔父さん
「しずる」からかう
「しゃねー」知らない
「なして」どうして
「なっぱ」小松菜などの青物野菜
「はがいかね」はかどらない
最近教わったのが「ちょんてぬげ」(てぬぐい)
いつも気になるのは、電車のことを「汽車」と、 どうしても言ってしまう佐々木統括ほか数名。
今年もありがとうございました
昨年末、視察対応、取材対応の中で、
週に2度も佐々木一十郎(ささきいそお)名取市長にお時間をいただきました。
その際、市長が静かな口調で話してくださりました。
ひたすらメモしましたので、できるだけ再現したいと思います。
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伊達政宗が造成した海岸林に守られて名取市民は生きてきた。
震災で壊滅的な打撃を受けた海岸林に、今も市としては、残念ながら成すすべがない。
(そんなことはありません。一生懸命やっていただいています!)
オイスカは、自分たちだけで完結するのでなく、地元を巻き込んでくれた。
それに市民は応え、自らも立ち上がってくれた人たちがいる。
そこに大きな意味を感じる。
オイスカは市民自ら復興に取り組むきっかけを与えてくれた。
一番大きなプレゼントだと思う。
このプロジェクトは十分な計画、専門家の関与、過去の知見を活かしていることは勿論、
スケジュール通り進めている点、関わっている人たちの命を賭けた姿勢、何より将来の可能性、
私はいつもそのことを感じている。
広大な面積、膨大な仕事量。
しかも10億円という資金も行政をあてにせず、すべて民間の力で。
あまりにも当てにされていないので悔しさすら覚えるぐらいです。
名取市海岸林再生の会も設立してくれた。ありがたい。
そのことに素晴らしさを感じます。
想いのすばらしさは、何物にも代えがたい。
海岸林に対して、全国の多くの人の関心を寄せてもらうきっかけとなった。
本当にありがたい。
日本中に至る所に海岸林があり、日本人はそれに守られてきた歴史がある。
海岸林で津波を防ぐことはできないが、日々の生活が延々と守られてきた。
これからは(地球温暖化の影響で)高潮の恐れもある。
宮城南部沿岸は地下水位が高い。
そこにそのまま植えられていたため、深い根が生育しておらず、
今回の津波ではクロマツは流失し、散乱し、復興の妨げになったのも事実。
林野庁はその反省を活かして、植栽基盤となる盛土を造成している。
仮にまた大きなことがあったとしても……無いほうがいいのだけれども、
その時は必ず、さらに強い減衰効果を発揮すると思う。
しかし、それにしても、土木工事での災害対策をどこまで求められてゆくのだろうか。
そもそも日本は災害リスクの高い国。
日本人は大きな被害を受けてもその都度立ち上がってきた。
何でも行政、何でも行政が守れと言われているような気がする。
自分の命は自分で守るというのが人間ではないでしょうか。
命だけは自分で守ればあとは何とかなるという、日本人の楽天性はどこに行ったのだろうか。
何故こういう風になってしまったのだろうか。
人々も、マスコミも、非常に先鋭化していると思います。
そういう機運が当たり前となってしまっている。
こういうのが日本文化でしょうか。
何があっても生き延びるという気持ちを持つことが大事ではないでしょうか。
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震災復興の陣頭指揮を執る、トップの孤独さは想像を超えるものだと思います。 その中で、半年で現場に6度も来てくださる首長さんのもとで、
私は復興の最前線に携われて、心から光栄に思っています。
1月28日(水)市長の講演と、私たちの報告を東京で開催します。
(共催:経済同友会)
詳しくは海岸林HP「インフォメーション」を。
目下、申し込みは堅調です!
http://www.oisca.org/kaiganrin/2333
育苗場と植栽現場の今
OECD(経済開発協力機構、本部:パリ)の日本政府特命全権大使(前国連次席大使)兒玉和夫様、当プロジェクトにアメリカ国民等に支援を呼びかけ、大きな寄附をいただいているアメリカNGOのGroval Givingの日本人職員、中野良子オイスカ会長、渡邊副理事長の視察対応を22日に、2011年以降すでに6・7回現地取材をしていただいている日本経済新聞の小林省太論説委員の取材対応を24日に行い、名取市の佐々木一十郎市長にも2度面会しました。
第1・第2育苗場ともに、今月半ばに1年生のコンテナ苗を寒冷紗で覆い、1年生の一部はビニールハウスに収納してあります。再生の会が大勢集まって一気に。
植栽現場は、窒素不足などで葉が黄緑色に変色しているものも多くみられますが、春植え75,000本、秋植えコンテナ苗3,500本ともに寒風のなか、健気に頑張っています。
とくに植樹祭で市民に植えていただいた個所などは、水捌けも良く、苗も良く、コンテナ苗に関わらず、根元の太さ、枝張りの充実が際立ちます。
S建設の「防風柵」(静砂垣)工事も終わりました。
最近見た工事で最も過酷な、人力による8,000本の杭打ちです。
そういう工事関係者のご尽力もあって順調に育っています。
海岸林背後の農地は、除塩・客土・礫拾いなどが晴れて終了し、12月に地権者に引き渡されました。
いよいよビニールハウスの設置が始まり、春までに130棟が建つそうです。(震災前1,000棟)依然として荒野のようですが、防潮堤、貞山運河の拡幅、排水施設、農地、
そして2・3年後私たちが植栽する海岸林基盤の盛土などの工事が行われています。
海から数キロ先の仮設住宅は7割ほどの入居ですが、美田園駅すぐ近くの災害公営住宅も入居が始まり、建設も進んでいます。
今回来訪いただいた皆さまから、広く広報いただくことになっておりますが、来年も再来年も、一歩一歩ですが、全力の歩みは進めます。我々も復興の一端を担えるよう、しっかり頑張ってゆきたいと思います。
クリスマスプレゼント
12月22日、クリスマスプレゼントをもらいました。
今年の現場ボランティアに毎回参加してくれた名取市民のOさん作の湯のみ。
11月15日、今年最後のボランティアの日に、いつものように地元から参加してくださった皆さんで片付けを終えた終えた後、Oさんが「みんなで忘年会をやろう!」と提案してくださり即決。Oさんのほかは地元企業の社員さんのほか、大学生で来年からは名取市役所で働くことが決まっているこちらもOさん、そしてオイスカスタッフ。
Oさんは70代の男性です。実に多趣味でお仲間も多い様子がその会話から伝わってきます。そして何よりも現場でのフットワークの良さはナンバーワンでしょう。ご自身の道具持参での草取り作業など、ほかのボランティアの皆さんの先頭に立って汗を流してくださっています。
そのOさんが趣味で作っているという焼き物を皆さんに、と持ってきてくださいました。湯飲みやお猪口、一輪挿しなどさまざま。マツを窯に入れて焼くのだとか。釉薬を使わずともマツから飛び散った松脂?が焼き物に味を出しているのだと、私が酔っていなければそう説明を受けたように思います(笑)。
何よりも地元から継続的に参加してくださっている方がが、ほかの方にも呼び掛けて
忘年会を開催してくださったことがうれしいことでした。そこにいただいたこの焼き物ですから
本当にうれしくて・・・・・・。焼き物は使い込んで味が出ると思うのですが、もったいなくて使えません。
Oさん、ありがとうございました。
どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。
名取市海岸林の最新航空画像
約90haの海岸林整備協定を2014年2月13日に結んだ宮城県庁から、「天気が良くなくて画像が映えないけど…、何かにぜひご活用ください」と名取市の海岸防災林の航空画像(10月撮影)をご提供いただきました。
ありがたいことです。
一般市民でも、仙台空港を空路で利用すれば、着陸する寸前に見ることもできます。
縦の筋は、ご存じ「防風垣」(ハードルフェンス)です。
11月~5月末まで、特に春の西風「蔵王おろし」、その乾風・寒風から守るもの。
北海道・えりも岬の海岸林造成の際、開発されました。
この工事は仙台港~福島県県境まで。
さらに、北は東松島市・石巻市でも工事は開始されており、相馬市・南相馬市、いわき市などでも海岸林造成は行われます。
「ちっとも進んでないじゃないか!」と言った某県知事がいたそうですが、
名取では閖上港防潮堤工事が開始、海岸林背後の農地は地権者に張れて引き渡されハウス設置が始まり、閖上のかさ上げ住宅の盛土が着工するなど、日々復興事業が全力でおこなれています。