岩手県田老町を歩きました
またとない岩手出張。
大槌町のシンポジウム終了後、宮古から北へ足を延ばし、
岩手北部の復旧の状況を見にゆきました。
日曜日にもかかわらず観光客は決して多くなく、「春節」とも無縁。
世界最大の堤防と言われた「X堤防」を一目見たいと思い、 三陸鉄道「田老駅」にただ一人下車。
高台の駅からは、復旧の真っ只中の町全体を一望できる。
はるか先に見える住宅高台移転先は大工事中。
この町では海近くの平地に戻る人はなく、土地利用計画は徹底されているように見える。
駅は居住区から離れており、人々の営みは海から遠くにしか見えない。
宮城・岩手・福島いずれとも同様の、
私にとっても「いつもの荒野」を海の方向に歩き始め、
河口部の川と並行した小規模な松林に向かう。
津波でさらに疎林化するも、すでに林床はクロマツとタブノキを混植済み。
浪板海岸も同様の樹種。いずれも試験植栽の模様。
川の水がとてもきれい。遡上したサケの死骸が多数。見かける鳥も、宮城とは違う。
田老町の市民球場のグラウンドは、復興事業用のセメント工場に変わり、
ズタズタになった観客席が残る。
海面高10mの「X堤防」の上に立つ。
今はまだ、Xのどこが破壊されたのか、津波のエネルギーの方向がよくわかる姿で残っている。
有名な「田老観光ホテル」の1・2階の柱の一本一本もここから見える。
電車の時刻まで少し余裕があり、海から1キロほど先の集落へ向かう。
その入り口には大きなお寺があり、入り口にたくさんの石碑が。
「海難殉職者供養」もあるが、多いのは「津波供養塔」。
よく見れば、それに並んで東日本震災の石碑も。
田老町は、明治38年、昭和8年、昭和34年、平成23年の大津波が直撃している。
津波を指す「海嘯(かいしょう)」という言葉は、宮城よりも岩手の言葉だろうか?
震災直後に読んだ、『三陸海岸大津波』(著:吉村昭・新潮文庫)でこれを知った。
2月22日の岩手日報は、「津波供養塔」を1ページ全面を使って特集記事。
「県内の明治昭和チリ地震の津波碑は225基」。宮城84基、青森4基と比べて多い。
私が見たのは、塩竈市の浦戸諸島の「チリ津波慰霊碑」に続いて2つ目です。
「津波碑」について詳しくは
●国土交通省東北地方整備局HP
●岩手日報HP
岩手県大槌町に行きました
2月21日(土)、「岩手の海岸・森の再生シンポジウム」(主催:国土緑化推進機構)にて事例報告・パネルディスカッションに加わりました。
森林総研の坂本様が「ここで海岸林のことを話すのは難しいな」と言っていた通り、岩手県は山が海に迫り、平地の少ない所です。港町がわずかな平地を占めています。
髙田の松原は岩手の海岸線のなかでも例外で、松原を形成できる場所もなく、宮城南部とは、まったく状況が違います。
パネルディスカッションでは、当然、海岸林ではなく「里山の99%は漁師所有」といわれる
民有林整備が焦点になったと思います。
漁協の方は、多くの支援のお陰でという感謝の言葉を冒頭から口にし、
「森は海中林の素と思っている」と発表しました。
NPO「吉里吉里国」理事長は、「最後の引き波で船は2隻しか残らなかった。
何もかも無くなったが里山は残った。慈善ではなく、林業のプロを目指し、
これで食べてゆく」と話しました。
まとめのところで、マイクが回ってきましたので、
「民間は行政を信じて理解する努力が必要で、行政もボランティア市民の力を、
本気で活かす努力が必要。すべての力を結集する取りまとめを誰かがしなければならない」と発言させていただきました。
「海中林」という言葉を浮かべながら、朝夕の海の幸をいただきました。
先日、お助け隊員のイラストレーターico.さんのお誘いでミニライブに行ってきました!
会場は彼女の個展が開催されている都内の喫茶店。
ピアノや歌、ダンスや詩の朗読などさまざまなパフォーマンスの飛び出すライブこの日のライブは、普段それらのものに無縁の生活をしている自分には新鮮そのもの。
また集まってきている方も普段自分たちが企画・実施するイベントに参加してくださる方々とはまた違った雰囲気。ico.さんと私たちのチャンネルは違うけれど、同じ目的のために何かをしたいという思いは同じ。いつかico.さんとコラボして彼女の地元名取でも何かイベントをやりたいと思っています。そのためのイメージが全く湧かないのが問題なのですが・・・・・・。
こうして違う世界に足を向かせ、目を向けさせる人がたくさんいてくれることはありがたいこと。ico.さんも自分の世界を広げてくれる人の一人です。
2月13日、緑水工業(新潟県長岡市)から汚泥発酵肥料500袋(@15kg)をご寄贈いただきました!!
第1・2育苗場の土壌改良、今春の広葉樹植栽(約300本)などに活用させていただきます。
同社は新潟中越地震でも被災し、「その時全国の人からたくさん支援いただいた」からと、
私どものHPを見つけて直ぐにお問い合わせいただいて1ヵ月。スピード納品に至りました。
当日は、冬だからなのか力を持て余していたメンバーたちの
「まだでーじょうぶだ!まだでーじょうぶだ!」の掛け声の結果肥料を高く積み上げすぎて、
途中半分くらい雪崩のごとく崩れるハプニングもありましたが、無事受入れ完了しました。
その第1報のメールの紹介をご了解いただきました。
《全文》
ある日、環境をキーワードに検索していたところ、御社のHPに「海岸林再生プロジェクト」”クロマツお助け隊”が目に留まり、どのような活動をしているのか拝見しました。
活動の趣旨はすぐに理解でき、我々にも何か協力できないものかと見たところ、植栽に堆肥や肥料が使われていることに気が付きました。よくよく見ていくと、大手肥料メーカーから肥料の寄付の記事、お助け隊による堆肥の散布作業の記事を見つけました。
当社は、事業の一つにコンポスト事業において肥料(堆肥)を生産しております。
下水道汚泥を原料とし、普通肥料としての登録、環境基準の遵守、グリーン購入法特定調達物品「公共工事」の登録製品として、病院植栽工事、小学校外構工事、海岸護岸養浜工事、スポーツ公園芝生管理業務(ゴルフ場含む)等々に採用して頂いております。環境を配慮した肥料であり、特例子会社設立により採用した障がい者が、一生懸命に袋詰めした製品となっています。
当社の肥料でよろしければ、是非、被災地の海岸林再生プロジェクトに使っていただけたらと思っています。もちろん物品寄付としてです。
当社は、新潟県内を拠点に浄水場、下水処理場の運転管理のほか、下水道管路の維持管理を柱に行っており、バイオマス利活用を通じた地域社会との連携、貢献のためにコンポスト化事業も行っています。コンポストセンター敷地内には野菜や花き類の栽培もし、今後は農業参入も考えています。環境に関わる企業として、4回目を迎えた「緑水工業 水環境フォーラム」の開催、地域の小学校へ水の大切さ、循環を教える「出前授業」等のCSR活動なども行っています。
また、地元新聞社”新潟日報環境キャンペーン”「地球の守り人」のメンバーとしてCO2削減の活動にも取組み、地域の緑豊かな森を未来へつなぐ活動である「企業の森づくりアシスタント事業」など緑化保全にも取り組んでいます。
当社も、中越地震の時には、全国各地から沢山の元気を頂きました。
その恩返しとまではいきませんが、是非、当社の肥料を被災地の海岸林再生に役立てていただけたら幸いです。
詳しい当社紹介はHPをご覧ください。http://www.ryokusui-k.co.jp/
宜しくお願い致します。
緑水工業株式会社
ある日のこと。
仙台市の荒浜地区の植栽現場を視察しているとサイレンが聞こえてきました。
時計を見るとお昼の12時。
私が育った田舎では、お昼や夕方にサイレンが鳴って時間を知らせてくれますから、その時も12時のサイレンだと思いました・・・・・・が、鳴り終ったすぐその後にこれは津波を知らせる緊急放送のテストだとのアナウンスがありました。
聞こえてきたのは背後に見える小学校(の近く?)にあるスピーカーから。
常にテストをしているのか、たまたまその日がテストの日だったのかは分かりませんが、大事なことだと思いました。
ただ、震災当日もアナウンスはあったと聞きます。それでも逃げなかった人、逃げ遅れた人が多かったのは「大津波なんて来るわけがない」という思い込みがあったからだと地元の人たちは言います。
一千年に一度の大津波。次の津波は、今回の震災を記憶にとどめる人がこの世から
いなくなって何百年もたってから襲ってくるのかもしれません。
その時、遠い未来の人たちはアナウンスに従ってちゃんと逃げてくれるでしょうか。
もしかしたら、想像もできないほどの発展を遂げた未来の住人達は、津波がきても
びくともしない頑強な建物に住んでいて、津波なんて何も案ずることはないのかもしれません。
もしそうであっても、ここにかつて大津波が来たこと、人々がそれをどう乗り越えてきたのかを
未来の人たちもみんなが心に留めておけるようきちんと伝えて、残していかなければ・・・・・・。
そんなことを考えさせられたサイレンでした。
広報室の林です。
プロジェクトの対象エリアの海岸は約5キロ。
現在活動している植栽地は名取市の南側に位置しています。
先日久しぶりに北側まで車を走らせ、様子を見てきました。
現場に来てくださる方をいつもご案内する防潮堤の上で必ず吉田が説明する
「プロジェクトの対象エリアはあの、クレーンが見えるところまでです」の
遠くかすんで見えるクレーンのところです。
(分かる人にしか分からない説明ですみません・・・・・・)
ここは閖上の港の近く。さまざまな工事が進行していました。
気になったのはたくさんのテトラポットが並んでいるところ。
ずら~~~~~~~~~~~~っと。
圧巻です。
よく見たら、ここでテトラポットを作っていました。考えてみれば当たり前ですよね、こんな重いものを遠くで作ってこんなに大量に運んでくるのは大変ですから。
左がテトラポットの型。右は恐らくコンクリートを固める間、風雨にさらされないようカバーをかけているものと思われます。
(小さい写真で分かりにくいかもしれませんね・・・・・・すみません)
自然災害というのは本当に大きな損害をもたらすのだとあらためて感じました。
あの日の津波によって、家屋や道路など、私たちの生活に身近で
普段の生活に直結している物だけではなく、
私の思いの及ばない多くの物が壊され、そしてまた私の知らないところで
それらが修復されているのだということを知りました。
資材の調達も大変。人の調達も大変。
大変なのは海岸林再生の現場だけではありません。
復興(という言葉が最適ではないような気がします)や再生に携わる多くの人たちの
努力や存在をこれからもしっかりこの目で見て、発信していきたいと思います。
国連防災世界会議in仙台(3月14日~18日)まで1か月。
身辺が騒がしくなってきました。
期間中の我々の予定はコチラです。http://www.oisca.org/kaiganrin/2482
この会議の存在を知ったのは2012年秋。
IMF・世界銀行の年次総会in東京でのことでした。
「観音寺松原」「津田の松原」視察を踏まえて、高松市で「オイスカ四国の集い」の500人を前にプレゼンし、直後、狭い夜行バスで急ぎ帰京して、クタクタで臨んだことを思い出します。
私にとってこの年次総会で最も印象に残ったのは、「国際援助機関は、重点配分先を災害復旧から減災・防災重視にシフトする」という大きな潮流。
起きてからでなく、起きる前に。そりゃそうだ。
オイスカは緊急支援、災害復旧の畑ではないとしても、20年近く国際協力の仕事に携わりながら、私自身は全体が見えていなかったこともわかりましたが、
そんな当たり前のことが潮流になっていなかったんだ~と、びっくり。
今回の仙台の会議は、300以上のシンポジウムが開催されます。
それら通称「サイドイベント」は、どこの国際会議でもこういうものですね。
時間が許せば、興味あるテーマをのぞいてみようと思います。
私たちにとって3月は、いよいよ現場が動き出す時期。
3月15日の一連の行事は「定期活動報告会」にかわる行事として組織的に実施。
我々はあくまでも実戦部隊らしく、戦略的に行事を行う。
早くから、こんな姿勢で臨むことに決めていました。
これまで、国際的発信については、そもそも国際協力NGOですから、理屈抜きで可能な限りの対応を行い、世界54ヵ国181人の視察対応をしました。
また、公益財団法人フォーリンプレスセンターと協働し、35ヵ国の報道機関を受け入れてまいりました。
今回3月15日のの「歩こうツアー」は、広くあまねく募集するのでなく、数は少人数でも、
目的をもって現場に来る人を積極的に受け入れたいと思います。
そして、主な参加者となる「名取市民」と触れ合い、1000年先まで生き抜くような松林を作ろうとしている人から、何かを得て帰っていただけるようにしたいです。
減災・防災への道は、住民の主体的参画なしには成り立ちません。
仙台ニコン、宮城ニコンプレシジョンでの活動報告会
2月6日、仙台ニコン(名取市・従業員1,000人弱)、宮城ニコンプレシジョン(蔵王町・約200人)の2拠点で、就業時間内に従業員向け活動報告会の場をいただき、村石社長、池田社長を筆頭に、本社ご担当3名を含む約70名がご参加くださいました。
2012年に続き2回目の開催です。
我々とニコン本社双方のの一貫した考え方は、「まず内容を知ったうえで、個々が自主的にボランティアに参加してほしい」ということ。
そのためにも、1年か2年に一度は報告会を実施しようと、強く後押ししてくださりました。
長いプロジェクトに欠かせない「人づくり」を考えると、この2拠点の戦略的重要性は非常に高いと考えています。
現場第一線で毎月活躍してくださっている数名がいるせいか、アウエー感が全くありません。
この70名の中から、新たに現場で活躍してくださる人が出てくると感じました。
ニコングループには、タイの「子供の森」計画、富士山の森づくり(2002年に病虫害によって大ダメージを受けた山梨県県有林の再生。2007年~、標高1,600m地点100ha)に加え、当プロジェクトをご支援いただいています。
なお、同社の協力で作成していただいた写真パネル(全110枚)は、今年度7県14ヵ所(これまで4年で10県47ヵ所)で展示をしました。
次回は3月16日(月)~20日(金)宮城県庁2階で開催します。
写真パネル展開催ご希望の方は、オイスカ本部海岸林担当まで、ご遠慮なくお申し出ください。
3月15日(日)再生現場を歩こうツアー参加者募集「どぶ板戦略」展開中
名取市は東西に長く、津波浸水地域は28%。
他市町村と同様、浸水しなかった場所が圧倒的に多いのです。
浸水しなかった地域にウエイトを置いて、ツアー告知を集中的に行いました。
市役所の2階から4階、別館、文化会館、学校、大学、農協、商工会、図書館、空港、駅、
全仮設住宅集会所、各町内会長、FMなとりなどを、本部の中西君と二人で手分けして。
こういう仕事は、「写真展」と並んで、「最新の市民感覚」を知るのに打ってつけ。
普段行くことが少ない、震災津波被害と全く無縁の地域住民と接しました。当プロジェクトの認知度、関心度も自然と分かります。独特の情報も入ります。良いことも、悪いことも。見たくない、聞きたくないことも・・・
今回は少しブルーになりました。
被災した人と、被災していない人の2極化なんてものじゃありません。もはや、「なんとなく海を見たくない」どころではありません。地元では風化というよりも、分断のようにも感じました。
当事者として関わる場所がなければ、そう思ってしまうのも無理もないと思います。「復興」という言葉に辟易し、関わろうという気力も萎えるのかもしれません。しかし、「郷土愛」のようなリアクションが希薄になったように思えます。
一日を振り返って思いました。被災地区では毎日交わされる「ごくろうさま!」って言葉が今日は記憶にないのは何故だろう...
とにかく、何よりも誰よりも、もっと名取市民に現場に来てほしいですね。
3月15日(日)「海岸林再生の現場を歩こうツアー」募集チラシはコチラです。