名取市閖上(ゆりあげ)の海から1kmほど内陸には、
大正8年に人の手で作ったと「日和山」いう被災地を訪問する人が
みんな見に来る小さな築山があります。標高は6.3mとのこと。
閖上で漁業を生業にしている人は、日和山から海の様子を見たとか。
震災後ここに行ったとき、日和山の上にあった石碑は、8.4m高の津波により
山の下に落ちていましたが、気に留めることはありませんでした。
2ヵ月前の河北新報の全面特集に、
東北全域には明治以降の津波の石碑が300基以上あるという記事がありました。
私自身は岩手県田老町、塩竈市で見たことがあります。
田老町の石碑には、津波のことを「海嘯」と刻んでありました。
ちなみに、岩手のほうでは津波のことを「よだ」と呼んでいたそうです。音の響きが気味悪い。
その記事には、名取では閖上にあると書いてありました。初めて知った…
そして、もしやと思い、見に行くと、昭和三陸大津波を記した石碑でした。
「震嘯記念」 地震があったら津浪の用心

110609 IMG_4214 (1) (2)

山の下の3つの一番左。撮影:2011年6月9日


昭和8年3月3日午前2時30分 突如強震あり 鎮静後約40分にして異常の音響とともに怒涛○○し来たり水高10尺(約3m)
名取川を遡上して西は○○○に到り 南は貞山堀広浦江一帯に氾濫せり
浸水家屋20余戸 名取川町裏沿岸在りし30トン級の発?動機 漁船数隻は○原○の畑地に押上げられ小艇の破○せられたるも ○○からざりしも 幸 人畜には死傷なかりき
県内桃生 牡鹿 本吉の各郡および岩手青森両県地方の被害甚大なりしに比し軽少なりしは 震源地の遠く金華山の東北東約150里沖合に在りて 涛勢の牡鹿半島に遮断せられしその余波の襲来にすぎざりしと 河口の洲丘および築堤の これを阻止したるとに因るなり震災の報を一度天聴に達するや 畏くも天皇皇后両陛下より御救○として御内幣金を御下賜せらる聖恩の宏大なること ○に恐縮感激に禁ぜざるところなり
○うに天災地震は人力の予知に難きなるをもって緊急護岸の万策講ずべきはもちろん 素用心を怠らず ○に○ずる覚悟なかるべからず ここに刻してもって記念とす
昭和8年11月3日
閖上町長 渡邊卓郎 蒙額
従七位勲八等 加藤忠蔵 撰文
赤松喜一郎 書
宮城県本吉郡志津川村 石工 阿部清蔵 刻
※敢えて、常用漢字を使い、カタカナはひらがなに、漢数字は普通の数字にしました。
しかし分からない字が多すぎる…
『そもそも「石碑」というものは明治時代から一般化した。
津浪に関する石碑には、「記念」などと、今では違和感のある表現が使われている。
石碑の言葉の使い方が、まだ発展途上であることがわかる』
という意味のことが河北新報に書いてありました。
また、随所に石碑はあっても、その存在自体も風化し、忘れられていたのも事実のようです。
それはそうと、名取事務所からすぐ、広浦の湿地帯に
今も人知れず建っている「愛林碑」もそうですが、復興事業が進み、
その周囲の環境が整うなかで、これこそ震災遺構とされるでしょう。
日和山の上にあった碑が、波の圧力で飛ばされた事実が分かるように残されると思います。
DSC_0039

左隣に一つ増えた。海の近くなのに「山神」とある。春になると山から下 りてきて「田の神」になる信仰?


【余談】
名取市内の石碑についてもう一つ。
うちの事務所から1km南、仙台空港のすぐ北側、第1育苗場班長の大友さんたちの小松菜ビニールハウスのすぐ向かいに「国土緑化」という石碑が、津波で100m流されて倒れていました。佐々木統括と見つけて、上記のように記録しましたが、ある日突然、なくなっていました…誰も行方が分からない。
道路から近いため、きっと、誰かに持ち去られ、売り飛ばされたのでは。
昭和38年全国学校林コンクール最優秀賞の記念碑なのですが。(ちなみに前年は優秀賞)少なくとも100万円はするでしょう。

DSC_0002


DSC_0003

「高校生の孫の入学祝いを買わねーと」(ご本人)


今日は4月2日。明日あたり仙台の開花宣言らしい。
でも、うちの事務所は津波が来た場所。
花見どころか、花の木はすべてなくなっています。
仕方ないので、今年になってなぜか植栽現場の盛土に生えてきた、ふきのとうとか、たらの木でも愛でておきます。
今年は冷たい「やませ」のような風吹く日がとても多いです。
仙台市内と気温が全然違います。
現場は、彼岸明けからのコンテナへの土づめを、トップスピードで今日の昼前に早くも終えてしまい、
わたしびっくり。午後は、4月21日から植え始める2年生苗の掘り取り・仮植が始まりました。
今日は2,500本掘り取り・仮植。10人工。
先月分の給料が、いつものように早速払われて、みんな嬉しそうでした。
「毎月、ピシャッと支払い続けるのが大事」と統括はいつも言っています。
この原資は、もちろん全国からのご寄附です。
今日は佐々木統括との雑談に熱が入って、どさくさに紛れて、前から考えを擦り合わせたかった、植栽完了後30年の本間伐まで、シュミレーションしてしまいました。
私にとっては襟裳岬での視察がまた役に立っています。
今年は組織運営の点で、いつか佐賀、秋田などに再度学びに行きます。
事業が順調に進めば、2033年までの「つる切り・除伐(ニセアカシアなど不要な木を伐る)」だけでなく、植栽後30年、2050年まで続く本間伐の担保もできそうです。
まず今年度は、100年先に被災地で随一の海岸林にすべく、ポスト2020の計画第1次案をと思います。
植栽完了後14年は「つる切り・除伐」
植栽完了後20年~25年は「本数調整伐」(あっても意味がない未成熟・形状不良のクロマツを伐る)
そして、植栽完了後30年、その先の将来のすべてを決めてしまう「本間伐」(15%伐)時期が全被災地で到来し、一斉に間伐経費が必要になるのです。30万円/ha程度でしょう。そこには「東日本大震災復興支援」としての復興交付金も、世間の関心も支援もないと思います。
我々はそこまで見越して、実施する体制を整え、実行に移せる資金などの地力を2020年までにつけたいと思います。
もし30年先(75歳)も元気だったら、また与作に戻って、一日100本ぐらい伐りたいといつも思ってました。
私はチェーンソーですが、よかったら皆さんも一緒にノコギリでやってみませんか?
入りそめて 国ゆたかなる みぎりとや
千代とかぎらじ せんだいのまつ (伊達政宗公)
むかし仙台は、千代と書いていました。私たちもプロとして100年先、1000年先の豊かな国を想像して頑張ります。100年先に「名取の選択はアッパレ」と言われるように。

「畑入り」の朝

2015年4月3日( カテゴリー: 現場レポート )

彼岸明け、3月25日、18人、集合。(みんな、いつもより30分早いんじゃ??)
「佐々木統括の訓示を」。訓示ではないですが、いつもやります。DSC_0005
佐々木統括:
「基本を思い出してくれ。今日は初日だ。慌てないでくれ。競争じゃない。
外は風が強い。ビニールハウスの中で温かい中で作業してほしい。だけどハウスの中は埃っぽい。適宜換気を。これからまずコンテナ3,800ケース。
(一人全開で50ケース/日)ボチボチ、ペースを上げてくれればいいんだ。
DSC_0014来週は根切り、そして掘り取り、仮植、根の精製。4月中旬には多雨かもしれない
そして植付も始めねばならない。
4月末には播種。去年と同じように全てを並行してやらねばならぬ。
第一育苗場班長:
「去年は手が間に合わなかったけれど、今年はできれば、俺たちも森林組合と同じときに
同じペースで植付もやりたい。ついていけるかわからないけど。話してみれば、
森林組合もみんな百姓(県内各地からその気の衆が集まります)」
「とにかく、みんなで集まってやろう。みんなで話しながら、笑いながらが、
気持ちが明るくなる。一番疲れない」「集中的に集まろう。早くやろう。」
佐々木統括
「わかるよ。わかる。だけど、生もの扱いだよ」
「春は戦争。とにかく、まずは体に気をつけでボチボチやってくれ」
これが僕らの「畑入り」の朝です。

「畑入り」を前に

2015年4月2日( カテゴリー: 現場レポート )

防災会議関連行事に忙殺されていましたが、昨日(3/16)ですべて終わり。
新聞報道を除き、400人以上の方に、直接、活動を伝えることができました。
昨夜の宿は、いつもの松島「霊前亭」。
瑞巌寺の修験僧がはるか昔から泊まってきた、知る人ぞ知る由緒ある宿。
仙台市内は会議に合わせて宿泊費高騰。普段の倍以上。
ですがここは1泊2食6,000円。ご飯は本当においしい。風呂の熱さは手加減なし。
「吉田さん、青梗菜ありがとね~、もうめんどくさいから、宿代いらね~わ」とおかみさん。
この前は高級日本酒2本もいただくし。もう4年のお付き合い。
朝、佐々木統括に迎えに来てもらって、一緒に名取事務所に出勤すると、再生の会の車が9台。おもむろに、今年の本気モードが始まった。
なんだか緊張してしまう。

DSC_0175

コンテナの移動


DSC_0182

肥料散布


DSC_0192

耕運


林業の世界では「山入り」と言うそうですが、再生の会で言えば「畑入り」とでも言いましょうか。
とすると、間違いなく宴会の予感。
今日の予報は晴なのに、一転「濃霧」。ひどく底冷えする。
1km先の空港はまったく見えない。旅客機はこれでも通常通りの運行。
皆は口々に「やませ」という。東からの微風。海のほうが温かいのかもしれない。
再生の会は、打ち合わせの後、コンテナ苗の移動と畑に肥料を撹拌。
緑水工業㈱(新潟県長岡市)から寄贈の肥料を早速活用させていただきました。
佐々木統括と私は、市役所に「平成27年度計画と着手届、26年度報告」などを提出。
そのあとは、広葉樹植栽について段取り開始。
お昼はみんなで、ほっともっと美田園店の弁当を注文。
「20分の昼寝は夜の2時間の睡眠に相当する!」とは、佐々木統括のいつものセリフ。
再生の会の皆さんは、昼寝せず、2階にまで聞こえる大声で話し続けてる。いつも。
16時前に目標の仕事を終え、お茶で一服した後はなだれを打って帰宅。
17時は宴会開始の模様。私は欠場。10日ぶりに帰京。
コチラでは明日からお彼岸。
彼岸明け25日から、トップスピードでコンテナへの土詰め。
月末には根切り。

集中し粛々とこなせ!

2015年4月1日( カテゴリー: 本部発 )

沿岸部では花を愛でる場所はなく、開花が早かった東京の桜を運よく満喫できました。
職場の花見は今年も欠席ですが十分です。

パートの鈴木和代さんとご子息、中西君

パートの鈴木和代さんとご子息、中西君


私にとって3月31日は、客観的数字をもとに、自分に成績表を渡す日で、4月1日という日は、世間の企業戦士と同様、すべての数字をご破算にして、またゼロに戻る日です。
在勤20年、企業で言えば営業収益ですが、前年比を下回ったことないのです。
ですが昨年度はさすがに… 初めて下回りました。
それでも胸張れるのは、寄付者のリピート率を維持し、件数は依然続伸していること。
千代の富士だって54連勝はならなかったのだから、こういうこともある。
若いころから資金獲得の業務は、業界内でもだれにも負けないつもりで、アメリカの団体に対抗するつもりで執念を燃やしてきましたが、4月1日になると「またゼロからやり直しか~」とため息が出たことを思い出します。
今はため息は出ません。当然ですが。
今年の主な実務は、
・今年はまた10万粒の以上の種蒔いて、10ha植えて、26haの管理をやる。
・着々と進めてきた宮城県内、特に「名取市内」への浸透を、さらに駒を進める。
・今年度同様、1,500人のボランティア来訪、500人の視察、5,000人へのプレゼンを
いつも「一期一会」のつもりでやる。
・「Post 2020年」計画の立案をさらに具体化する。
・2014年度は「2億円集めます」と本部職員に豪語したけど達しませんでした。
2015年度予算はもう少し現実的な予算(新規積立含む1.3億)を遂行する。
新年度を迎えるにあたり、棚卸しも7割方終えて、非常にスッキリしました。
すでに現場は本格稼働している今、毎日毎日、一人勝手に武者震いしています。
集中し、粛々とこなす。ただそういう心境です。
エイプリルフールではありますが。

「私たちは企画力と実践力には多少自信がありますが、
あきらかに弱いのは広報力と資金力」いつも支援者の方に申しあげてきました。
また、「なぜ震災復興で海岸林なのか」「海岸林って何か」「なぜクロマツなのか」
まず企業であればご担当自身がよく理解し、できれば
「その企業らしい方法で、広報啓発に協力してほしい」
「隠匿の美学ではなく、会社の姿勢を、社会や顧客、従業員に示してほしい」
「本業を活かしてほしい。顧客はもちろん、最も大事な従業員への浸透度が高くなる」
そう一貫して申し上げてきました。
「何が何でも10億円集めなければならない。ボランティアも年間1,500人来てほしい。
ですが、よく意味を説明せずお金集めに走りたくない。ほとんど意味をわかっていない
ボランティアにも来てほしくない。仕事の質が落ちるから。
だから広報啓発、情報公開、説明責任の遂行を極めたい。
多くの人から少しづつ。どれだけ多くの方から寄附や支持を得たかが最上位成果指標の一つ」
「企業団体のご担当次第で、各組織の取り組みや社員ボランティアの良し悪しが決まる」
などとも延々申し上げました。
おかげさまで、巨大なチーム海岸林を築くことができたと感じます。
属する各支援組織・企業の取り組みは、熱意は申し分なく、内容も実にユニーク。
皆さんそれぞれ、「わが社らしさ」を存分に発揮して、常にSomething Newが出てきます。
各組織の横のつながりの形成にも力を入れてきました。
そこで前田建設工業㈱。IMG_20150326_144233
オイスカは創立54年。
工事現場の仮囲いを使って広報していただいたのはおそらく初めて。それができるのは建設会社だけ。いつもボランティアに来てくださる東北支店の皆さんの発案だったようです。設置第1号は、仙台駅東口のヨドバシカメラ南側のホテル建設現場。
「あまりに当たり前すぎて、そんなにお礼を言われると…」とご担当の方。よほど気に掛けてくだっているから、その当たり前のことを当たり前に発案できるのだと思うんです。
いや~こういうの嬉しいんです。発案から数日で全てが整ったと思います。IMG_20150326_144445
この4年で7つのシステムを構築したと自己評価していますが、その一つが広報戦略です。「囲い込み戦略」と自分では言っています。
法人・個人問わず、心からの熱意なしには、効果を発揮するには至りません。

(昨日からの続きです)
二日目は、松島の旅館を8時過ぎに出発して9時に北釜耕人会のビニールハウスに到着した。

P3100835

お世話になった霊泉亭の前で記念撮影


 
 
 
 
 
 
 
 
昨晩の大雨はどこかに行き、変わって山からの強風が私たちを迎えてくれた。
P3100836昨日に引き続き、私たちはハウス内の除草作業を進めた。
一部の者は桜井さんと一緒にバケットのついたトラクターを使って、昨日から取った草を片付ける作業を行った。
研修生の作業を進める手のスピードは、この日も衰えることなく、次から次へとハウスを移動しながら草を取り除いていった。
休憩をはさむことなく昼までの3時間みっちりと作業を行い、昼食には近所のコンビニで買ってきた弁当をハウス内に広げて食事をとった。
桜井さんのはからいで別の場所で出荷作業をしていたお母さん達も呼んで頂き、賑やかな昼食会となった。
 
名取市に赴く前に、研修生にはある程度の説明をしてきたが、
北釜耕人会の皆さんが被災されて避難所での生活からどのようにして自ら立ち上がり、
農家として誇 りを持って今日まで栽培経営をされてきたのか直接お話しを伺い、
改めてその強い思いにふれる事で、研修生も多くの事を学ぶ事が出来たのではないかと思われ る。
「避難所生活の中で朝昼晩食料が配給されて、
食べては寝る生活を送っては人間おかしくなってしまう。やっぱり人間働かなければダメだ」
家や田畑、身内の方を津波に流された方もおり、精神的にも追い込まれている状況の中で、
その言葉の持つ意味や力強さは普通の人では計り知れないものがある。
 
研修生も数日後に帰国を控え、
「日本での約1年間の研修の成果を国の発展に貢献したい」
「村人たちに有機農業を教えたい」
と軽い気持ちで話しているが、人のために何かしたいと考える前に、
自分自身がどう生きていくべきなのか、その本質の部分を考えるきっかけになれば良いと、
話を伺っていてつくづく感じた。
そして、話の後半で津波に襲われた時の生々しい体験談を伺った。
目に涙を浮かべる姿を見て、心の中で申し訳ないと思いながら話を伺いました。
今もなお心に重く残っている記憶や身内を亡くした強い悲しみを抱えながら
必死に頑張ってこられた耕人会の皆さんの強さに・・・・・・(適当な言葉が出てきません)
短い時間ではあったが、一緒に作業をさせて頂きながら、
このようにお話を伺う事が出来て本当に貴重な時間を過ごさせて頂いた。
もし、作業も何もしないでただ来て話を聞いて帰るだけでは、
恐らく伝わらない心の部分があると私は思っている。
何でも体験して、少しでも同じ空気を吸って、
その時間を共有する事で深まる理解度は計り知れないものがある。
今回2日間にわたって、短い時間ではあったが研修生それぞれの心の中に
刻み込まれた思いがあったのではないかと思われる。
大きな希望と不安を抱きながら帰国を控えている研修生に対し、
今回の海岸林再生プロジェクトの視察は本当に有意義で、
今後彼らが高みを目指して進んでいくための大きな力となりました。
今回このような経験をさせて頂いた北釜耕人会の皆様と、
案内をして頂いた本部の吉田副部長に心より感謝申し上げます。

はじめまして。西日本研修センターの豊田です。
3月9日~10日にかけて、オイスカ本部の吉田副部長の案内のもと、
帰国を直前に控えた研修生12名を連れて、海岸林再生プロジェクトの視察と、
再生の会のメンバー(北釜耕人会)が栽培している小松菜ハウスでの農作業体験に
参加させていただきました。感想など含め、報告させていただきます。
 

左からマレーシア、ミャンマー、モンゴルの研修生

左からマレーシア、ミャンマー、モンゴルの研修生


今回で3回目となる名取市の訪問は、昨年と比べて被災された地域における農地の復旧、ビニールハウスの建設など、見違えるほど作業が進められていた。
そして、昨年に植樹されたクロマツの苗は、素晴らしい活着率ですくすくと成長していた。
過酷な条件の中でも力強く成長していくクロマツを見て、多くの人達の思いが沢山つまったこの命の成長が、復興のシンボルとなっていくと強く感じた。
 
P3090792 - Copy
 
 
徐々に被災当時の傷跡が消えていく中で、吉田副部長の案内のもと、再生の会鈴木会長の被災したご自宅や閖上地区を回る中で、当時の津波の被害状況やそのすさまじい威力を目の当たりにして、研修生も津波の恐ろしさを改めて実感することができたようだった。
 
 
被災地の見学を終えた後、私たちは北釜耕人会のメンバーの農園に行った。
P3090829北釜耕人会の皆さんのビニールハウスも栽培面積が増え、3家族で80aのハウスで年4回小松菜の栽培を行っているとの事であった。
1日目の農作業体験では、桜井さんから指導を頂きながら収穫を終えたハウス内の除草作業を実施した。研修生とスタッフ合わせて15名と、MUFGより参加された3名を含む計18名の作業
チームは、いつも以上にギアの入ったスピードで次から次へと草を土から取り除いていった。
今回は小松菜の出荷作業が忙しく、桜井さんのみが対応して頂けたという事で、作業を進めながら話を聞くことが出来たのは数人の研修生ではあったが、桜井さんの方から研修生の国の様子などの熱心に問いかけて頂き、研修生も耳をいつも以上に大きくしながら受け答えをしていた。
午後2時から作業を始めて4時過ぎに終了したが、
研修生の作業を進めるスピードは最後まで衰える事なく、
6棟のビニールハウスの除草作業が終了した。
帰国前にも関わらず、研修生の作業に対する集中力は、こちらが関心するほど強いものがあった。
食事がおいしい! お箸だって上手に使えます

食事がおいしい! お箸だって上手に使えます


この日の宿泊は、いつもの松島の温泉宿「霊泉亭」にお世話になり、熱くて入れないお風呂と夜の懇親会におおいに盛り上がった。
明日に続く・・・・・・
 
 

三菱UFJニコス㈱のご配慮で、4月12日(日)21:00~21:55
「DEAR PARTNER」(Tokyo FM、FM Aichi/Osaka/Fukuokaで放送予定)でご紹介いただくことになりました。
番組ホームページ
三菱UFJニコス㈱のご担当者のみなさまには、
「私たちはたくさんの顧客がいますから。それを活かす形でプロジェクトに協力したい」と
啓発普及のための「囲い込み戦略」に深く共鳴くださっています。
カード会員情報誌「Partner」は確か年8回×100万部。
表紙を開けるとそこに毎号、当プロジェクトが出てきます。この刷り込みは効果絶大。
寄付額も、社員ボランティアも本当に大きな存在です。
何といっても、震災直後、真っ先に支援を決めてくださった御恩は忘れません。
3月23日、収録のため、同社ご担当お二人と一緒に東京・半蔵門のTokyo FMに行ってきました。
「今日はめずらしくスーツですね」と言われてしまった・・・・・・。
確かにめったにスーツを着ることがなくなった。
経済同友会などでも「奴は作業着がスーツ」と認知いただいている。
ワンチャンスの収録前に、情報交換をかねて昼食を。
お相手いただく松任谷正隆さんと中井美穂さんの役割分担や、収録の傾向など
事前にインフォームくださったので、不慣れなぶっつけ本番に心の準備ができました。
「収録は2時間かかると思っていてください」
10年以上前、NHKの取材と収録で、6時間×3日ぶっ通しというのも経験したので大丈夫。
収録はあっさり始まった。
流れに沿って、聞かれるがままと思っていたけど、
覚悟もしていた「脱線」には至らず、本当に丁寧に話を聞いていただきました。
全体的には、海岸林のことよりも、オイスカとはとか、私個人のことにウエイトが占める
流れになった気がします。なぜオイスカに入ったのかなど。
つくづく、自己採点は50点ぐらいです。
気が付いたら、地が丸出し。
言葉遣いが悪いし、話は下手だし~。
放送作家の平河みえ子さんが、
「私、オイスカの海外の現場に行ったことがあるんです」と言ってくださいましたが、
編集に苦労させてないかなあ~
本当は、NHK BS「(中井さんのご主人の)古田敦也のプロ野球ベストゲーム」の
感想とか、のどから出そうなぐらい話したかった。
近鉄の「代打、逆転、満塁、サヨナラ、優勝決定、ホームラン(2001年)」も
「ブライアントの4打席連続ホームラン(1989年)」の録画も見たばかりだったし。

お久しぶりの投稿です。
こんにちは 海岸林担当 鈴木です。
この3月11日で東日本大震災から4年という歳月が流れ、被災された方々の想いとは逆に震災の風化がささやかれています。
日々、海岸林再生プロジェクトと向き合っている私にとっては、何もなくなってしまったあの地に植えられたまだ小さなクロマツの成長、プロジェクトに携わっている方々の生活など、震災は常に頭から離れません。
日本全国の多くの方々に、プロジェクトについて、また震災について想いを寄せるきっかけになればという気持ちもあり、プロジェクトの写真などを掲載したニュースレターを3月6日に送らせていただきました。
NewsLetter
お手元に届いたと思われる数日後から、たくさんの想いがご寄附というかたちで寄せられています。
受領証をお送りする作業が追いつかないほどです。
一枚一枚、ご寄附くださった方のお名前を見ながら、感謝の気持ちを込めて、受領証にひと言お礼の言葉を添えさせていただいていますが、ついつい想いの分だけ力を入れてしまい、書く手が痛くなってしまうほどです。これも嬉しい悲鳴です。
改めて、ご寄附くださったみなさまに感謝です・・・本当にありがとうございます。
こうしてプロジェクトの輪がさらに広がっていることを実感しています。

2025年5月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  
月別アーカイブ

ページトップへ