3.11 震災から5年
こんにちは。浅野です。
今日で震災から5年です。明日は定期報告会、13日は植栽現場を歩こうツアーを行います。
どんどん時間が経ち記憶から薄れていく人も多い中、3月7日と8日の1泊2日でオイスカ西日本研修センターの研修生たちが現場視察に来ました。
家老のブログにもあったように研修生の来訪目的はオイスカの海岸林再生プロジェクトを知り、その意味を理解してもらうこと。また同時に、被災しても前を向いて復興する日本人の姿を学ぶことでした。
昨年4月に来日し、11ヶ月の研修を行ってきた中で震災のことを耳にしたことはあったようですが、研修場所は福岡ということや震災から4年が経っていたということもあり、ほとんどの研修生がぼんやりとした輪郭しか持っていなかったようです。
せっかくここまで足を運ぶのだから何かを感じて帰ってほしいと思い、震災当時の映像を閖上のメイプル館で見てもらうことにしました。
引率のスタッフも含め、全員が初めて見る映像だったようで衝撃を受けていました。
研修生の中には、国に帰って日本で5年前に何があったのか、そこからの復興をどのように進めているかをちゃんと伝えたい!という気持ちからDVDを買う研修生もいました。
そのあと現場に行き、この小さい松が大きくなってしっかりとした松林になればもし次に同じような災害が起きても被害は今回より小さくなるだろうということを伝えました。
有限会社耕谷アグリサービスでは代表の佐藤さん、前代表の大友さんに震災から今までどのように農地を戻してきたのか・どういった点が大変だったか・現在の状況など、色々なお話をしていただきました。研修生は自分たちも農業を行っていることもあり、熱心に耳を傾けたくさんの質問をしていました。
ミャンマーやフィジーのサイクロン、フィリピンの台風、インドネシアの地震・津波など研修生の国でも大きな自然災害はあります。今回の視察で感じたことが帰国してから少しでも役に立てば…と思います。
今回、震災当時の映像を見せていただき私自身も多くのことを感じました。幼馴染みの祖父祖母がなくなったこの震災。まだ行方不明の方が2500人以上、身元が分からない方も70名以上います。
もう5年、まだ5年、人それぞれ感じ方は違いますが忘れずに過ごしていってほしいと思いました。
「5年間の実績」要約版
【2011年~2015年度実績総括】
7つのシステムを確立しました。
1.大規模官民協働の協定締結(約100ha)
2.大規模苗木供給体制(宮城県必要本数600万本中、50万本生産目標)
3.地元に雇用創出(2014年:1,402人、2015年:1,400人)
4.効率的な一貫施業の実施体制(育苗~植栽~育林)
5.低コスト林業(自家生産の育苗は、購入より低コスト)
6.市民参加の実現(年間ボラ1,600人、視察年500人、報告会年5,000人)
7.民間活力・民間資金導入(寄附金目標額10億円)
●協定締結面積 94.74ha
内訳:国有林:2.91ha、県有・市有林:89.98ha、内陸防風林共有林:1.85ha
*2016年度に内陸防風林市有林1.87haへの支援追加など、今後も増える見通し。
●植栽完了面積 25.49ha
*初播種は2012年3月。2年の育苗を経て、植栽開始は2014年4月。
*2016年度も前年同様、約10ha、50,000本植栽予定
●植栽完了本数 131,416本
*宮城県産マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ、宮城県産精英樹クロマツ等
*植栽直後活着率は、2014年度:98.4%、2015年度:99.1%
●総雇用数 3,647人(8時間/日人)
*育苗、植栽、施肥、下刈、除伐、各種工事で、2033年までに約11,400人の雇用計画
●現場ボランティア・視察受け入れ人数 6,400人(うち外国人55ヵ国221人)
うちボランティア参加人数 3,318人(2013年~)
●活動報告会・講演会参加者 23,731人(18県137回実施)
●海岸林HP 活動報告blog更新回数 1,120回
●写真パネル展開催回数 57回(㈱ニコン支援)
●国内メディア掲載回数 193回(新聞・TV・ラジオ等)
海外メディア掲載回数 62回(32ヵ国)
●寄付金・民間助成金総額 405,418,335円(2016年1月末現在)
*2021年~2033年に活用する育林等の費用として、現在126,139,115円の積立を
すでに行っており、目標として最低2億円の積立を計画している。
*上記は、2016年3月8日現在の速報値です。
*ホームページトップ「インフォメーション」にも実績報告を掲載しています。
みなさんこんにちは。
啓発普及部の家老です。
3月7日から3月8日、西日本研修センターの研修生が現場視察及び、
被災地の見学を行いました。目的は、オイスカの海岸林再生プロジェクトを知り、
その意味を理解してもらうためです。
また同時に、被災しても前を向いて復興する、日本人の姿を学ぶためです。
オイスカは、国内外で活動を行っていますが、
環境や貧困などの問題を根本から解決する本質的な取り組みとして、
農業が指導できる人材を育てる人材育成事業が柱のひとつです。
詳しくはこちら→http://www.oisca.org/project/human.html
今回は、その人材育成事業で行っている研修を福岡県にある西日本研修センターで修了した
13名の研修生が現場に来ました。彼らは、10の国と地域から1年間農業を学ぶために日本に来た青年たち。
彼らのほとんどが環境保全型有機農業の指導者育成コースの研修を受けた研修生です。
母国の農業発展を担う人材となるべく日々研修に励んできました。
また、日本の文化を通して、日本人の生き方や考え方も学んできました。
今回はその研修の一環として津波で被災し、復興していく日本人の姿を学びました。
初日は夕方に空港に到着したため、現場には行かずに、担当の吉田が“迎賓館”と呼ぶ
松島の霊泉亭へ直行。あっっつ~~~~い温泉に入り、松島の会員さんとの交流を楽しみました。
そして、次の日の視察、見学に備え、早めの床につきました。
次回の西日本研修センター視察②で詳しい内容をお伝えします。
「道の駅」へのローラー作戦
こんにちは
またまた久しぶりの登場の鈴木です。
プロジェクトでは、海岸林再生プロジェクトのことや日本各地にある海岸林の存在、
海岸林の役割なども含めて、多くの方に知っていただくためにパンフレットを使って広報活動をしています。
ブログでも数回、「パンフレットを設置してください!」というお願いを掲載しましたので、
記憶の片隅の隅の隅辺りに残っている方がいるかもしれません。
パンフレットを設置してください!と呼びかけるのみで、他力本願ではいけないと思い、
まずはオイスカの関わりの深い宮城県、東京都、神奈川県、愛知県、香川県、福岡県を中心に
「パンフレット設置のお願い」という手紙を公園管理事務所、日帰り温泉施設、
道の駅にテスト的に送らせていただきました。
この手紙で設置していただけると連絡があったのは2%程度・・・悲しい現実です。
そうはいっても、せっかく手紙を送ったのだからと、
次は比較的反応の良かった道の駅に電話かけ作戦をしてみることにしました。
電話をしてみると、「えっ?そんな手紙見てませんねぇ」
「手紙を送っていただいていたんですか?」とがっかりの反応。
でも、プロジェクトの簡単な説明をして、パンフレット設置をお願いしてみると、
「パンフレット置きますよ。どうぞ送ってください」という、
ありがたい対応をしてくれるところが多くありました。
打率は8割くらいです。高打率にびっくりするやら感謝するやら。
そんなこんなで新たに43件に設置していただきました。
【宮城県 11件】
道の駅上品の郷、あ・ら・伊達な道の駅、道の駅三本木やまなみ、道の駅おおさと、道の駅村田、道の駅林林館、道の駅路田里はなやま、「道の駅」津山もくもくランド、道の駅米山、道の駅七ヶ宿、道の駅大谷海岸
【愛知県 10件】
道の駅伊良湖クリスタルポルト、道の駅どんぐりの里いなぶ、道の駅デンパーク安城、道の駅つくで手作り村、道の駅立田ふれあいの里、道の駅あかばねロコステーション、道の駅柿筆の里・幸田、道の駅にしお岡ノ山、道の駅瀬戸しなの、道の駅藤川宿
【香川県 10件】
道の駅瀬戸大橋記念公園、道の駅津田の松原、道の駅ことひき、道の駅ふれあいパークみの、道の駅空の夢もみの木パーク、道の駅滝宮、道の駅ことなみ、道の駅うたづ臨海公園、道の駅たからだの里さいた、道の駅ながお
【福岡県 9件】
道の駅小石原、道の駅しんよしとみ、道の駅うきは、道の駅おおむた、道の駅たちばな、道の木うすい、道の駅くるめ、道の駅みやま、山田緑地
【宮崎県 1件】
道の駅ゆ~ぱるのじり
【熊本県 2件】
日向サンパーク温泉お舟出の湯、四季の里旭志
道の駅の方とお話する中で、
「ウチ(道の駅)は海とはちがって山にあるんですよ。そんなところに置いてもいいんですか?」と
おっしゃる方がいらっしゃいました。「私たちは日本全国の多くの方にまずは知っていただきたいので、
海だろうと山だろうと構わないんです」と。
でも、少し理解をしていただいた上での問いのようで、質問していただいたことがうれしかったです。
快く応じてくださった道の駅のみなさん。本当にありがとうございます。
まだまだ道の駅へのローラー作戦を続けていきます。
道の駅でプロジェクトのパンフレットを見つけたときには写真にとって送ってくださいね!!
復興の現場最前線を伝えて、ブログまもなく1,120回…
2011年10月だったと思います。仲間たちから勧められ。ひどく不承不承だったけど。
並行して個人のFacebookも試しましたが、二兎を追うのはやめました。
読んでもらえないんじゃないか。ブログなんて柄でもないし…
最初は習慣がなく、途切れ途切れ。
「誰か読んでくれるんだろうか」と、移動の電車の中で書きながら。
今でもそう思う時もあるけど、やっぱりそうではない。
書き続ける目的は数多くあります。
仕事としても、自分個人としても。
ですが、多くの人のおかげで存分に仕事させていただいているのですから、
何が何でも続けねばならぬことと考えています。
もし、これを始めていなかったら…
「即アウトプット。説明責任、情報公開を極めよう」なんて思わず、
むしろもっと、それらを軽んじていたでしょう。
記録という面でも、将来は手がかりを随分失ったでしょう。
このブログは、多くの人で書いています。
そして遠くの支援者含めて、みんなのものになっています。
海岸林ビックチームの統率の源にもなっているでしょう。
「最近、オイスカは何をやっているんだろう」と、
時々でも、1年に1回でも、訪ねてくれている人は必ずいると勝手に思い込んでます。
取材する人も、仕事で関わって下さる人も情報源にしてくれています。
もうすぐ5年、もうすぐ1,120回。この面でもよく頑張った。
とにかく何でも続けることは大事ですね。
やってみてわかりました。
あの時始めて本当に良かった。
第32回オイスカ愛媛の集い
3月4日、オイスカ四国研修センター職員・農業研修生とともに、32回一度も休まず開催され
続けている「オイスカ愛媛の集い」に招かれ、プロジェクトの活動報告をしてきました。
主催はオイスカ愛媛県支部、共催は愛媛新聞社、
後援はNHK松山放送局、あいテレビ、FM愛媛、南海放送などマスコミ各社。
単なる後援名義ではなく、かなり実質的に協力をいただきました。
会場は伊予鉄高島屋ホール。伊勢神宮式年遷宮の一連の流れを追いながら
日本の文化を考えるドキュメンタリー映画「うみやまあひだ」の無料上映も。
出席者は150名。9割はオイスカの会員以外から。
宮嶋会長は伊勢神宮の地元から日本酒3本を取り寄せ、休憩時間にふるまって。
みんな飲みたいんですね。2本は空っぽになりました。
愛媛県支部の皆さんと一緒にがんばった甲斐がありました。
プロジェクトへの募金も、63,801円ご協力いただきました。
愛媛新聞の若い女性記者さんからみっちり取材を受け、
翌日は愛媛新聞に掲載。

終わってからは、支部役員と若い会員さんと打ち上げ。
この1年で愛媛にもしっかり基点が出来ました。
4月は徳島、6月は高知から活動報告会の依頼が来ました。
南海トラフ対策を、私たちも可能な限り意識して進めてゆこうと思います。
オイスカ四国支部常任幹事会での報告
3月3オイスカ四国支部常任幹事会(実働部隊)に出席するため、まず高松に。
少し時間があったので、トレーニングと思い、市内で歩き始めたのですが、
思いきり反対方向へ歩いていたことに気付き…
出席者は当然石井会長、河崎事務局長など15名。
各地区の代表が高松に、月1回集合する強烈な熱心さ。
私もほとんどの方と面識がある。名取にも来ていただいている。
それに四国研修センターの萬代所長と支部事務局の池田事務局次長。
隣の部屋にも聞こえる大きな笑い。
会議は皆がバンバン発言。ものすごくテキパキ進む。
数字もキッチリ出てくる。聞いていて面白い。
海岸林・東京本部の報告時間もいただいた。
香川は、首都圏、宮城、愛知に続く寄附者の数。
支部と事務局の池田さんのご尽力のおかげ。
会員以外からの寄附が多いのは会員のおかげ。

夜は、オイスカ綾川推進協議会の皆さんと急遽食事会。
今日はやっと、まとまった睡眠がとれる。
明日は愛媛。報告会

3月1日、名取事務所で佐々木統括、再生の会の菅野さん、森さんと、
ありとあらゆる打ち合わせをした。お互いにやっとタイミングがあった。
毎年5月末までは、現場実務に、各種事務・要請対応、行政手続などが怒涛のように続く。
名取事務所と再生の会が、現場実務に集中出来る体制を取るのがオイスカ本部の役目。
毎年春は、諸事スピード解決するために、私自身も在京勤務を捨てて、本陣を一本化する。
名取での指示命令系統も佐々木統括に集中させている。私はその傘下に入る。主役は地元。
最繁忙期直前の3.11に向けて、全国めがけて各種対応するあまり、名取事務所との連携に隙間が
数多くできてしまった。今回139回目の出張の最大ミッションはこれを完全に埋めること。
ディフェンスに回るときは回る。最前線でもディフェンスはできる。
でも私の仕事のスタイルと立ち位置は、断固オフェンス。
サッカーで言えば、ハーフラインを越え相手側の陣地内で働き続けること。
例え自陣内を強いられても、ゴールに背中を向けていても、常にゴールの枠をイメージして、
いつでもどこからでも枠内にシュートを打つ。
ディフェンス側の仲間からはわがままに見えるだろう。
メッシの様に全員がディフェンスに走っている時に歩いてるとは言わないが。
3月の1ヵ月間で、1年の3割の寄附を集めるのが、このプロジェクトのルーティーン。
この3月に向けて、どんな仕事をしているか、名取も理解してくれている。
しかし、ストレスも限界だったのだ。私も分かってくれていると油断・甘えがあった。
「嘘を言うな。コロコロ変更するな。その報告が足らない。信頼失うぞ。
お前とはタッグを組みたくないとまで思った。俺はいつ辞めてもいいんだぞ」
「何のためにお前を鍛えているかわかってるのか」と佐々木統括。
これまでも、いつも腹を割って、何度も議論を重ねてきた統括との5年間。
営業と製造、経営と現場はぶつかることもある。
何から何まで話し合う時間をいただいた。
ここ数ヵ月のオイスカ全体を取り巻く現状、その中におけるプロジェクトについて徹底的に。
各種行政手続き、今後の日程、資材関連、3.11関連行事の一切も、何から何まで情報交換した。
統括はいつものように大幅に歩み寄ってくれて、4時間も時間をいただき、
最後は、いつもの二人だけの世界で話し合い、18時を回った。
「これからまた忙しくなるな。吉田、仕事は楽しくやろう。俺たちもできることをやるから」
Mission Completed。重大ミッションは完了した。
今年も心をひとつにして、いつもの時期に突入する。
きっと、3月12日も13日もいい行事ができると思う。
苦境で迎えたJR名取駅での写真展
JR名取駅の無料市民ギャラリーを3月30日まで1ヵ月お借りして写真展を開催。
市内在住で、毎月ボランティアに来て下さっている大槻さんが朝から手伝いに来てくれた。
設置している時は市民から少しは声もかけられる。「苗は2年も育てるの~、大変だね~」
一方、「残念だけど、ホント関心ないんだよね~うちの市民は。」
海岸林に関わる名取市民からよく聞く言葉。その原因は複合的と私は思っている。
12時前、のんびり歩く50人のうち、立ち止まってくれたのは1人。
20時前、通勤の波もかなり落ち着いた時、15分間で2人。
それでも、この場所はこれ以上ない最高の場所。
写真パネルではなく、カラーコピーでも、年に2回開催するに足るだろう。
クロマツのモニタリングの様に、カウンターをもってデータを取ってみよう。
2001年、タイ東部スリン県から植林への感謝として子象2頭を上野動物園に寄贈される前年、
植林20年を記念して、1年間で26回、126日間、神奈川県内東部で写真展を開催し続けた。
横浜駅東口の最高の立地でカウンターを持った。
結果、立ち止まって2~3枚でも見てくれる人は200人に1人だった。
しっかり見てくれる人は……。
広報啓発は、資金獲得より難しい。
だから、オイスカの仕事の中で指折りの醍醐味があると今も昔も思う。
あの時は、嫌になってしまって、ちゃんと計測するのを止めてしまった。
今回はちゃんとデータをとろう。日を変え、時間を変え。
やっぱり数字は語る。
名取駅の20時前の15分、食い入るように見てくれた2人は、若い女性と、中年の男性。
カップルではない。嬉しくなって、声をかけられなかった。
鋭意募集中の、3月12日・13日の名取での行事は、集客が極めて悪い。
その先読みもあって、安定して名取市民が通るこの場所を確保していた。
集客の奥の手の一つとして。
「至誠をもって動かざる者は 未だ之あらざるなり」
苦しくても、最後まであきらめず、最善を尽くしてから、今年も3.11を迎えよう。
かつてオイスカの活動全体に極めて強い不信感を持ってしまったオイスカ神奈川支部会長
(大企業の会長でもあった)の評価を、あの2001年の過酷な連続写真展をきっかけに、
180度覆した経験が僕にはある。
私にとって、今もよく思い出す幾つもの薫陶を受けた、忘れ得ぬ方だ。
139回目の名取出張
年に数往復だけ、車で東京から名取に行く。荷物満載。写真展設置・撤去の時が多い。
3月1日~30日までの、JR名取駅の無料市民ギャラリーでの開催準備です。
6時間の車中一人。まず平均時速を決める。大概、何かテーマを考えながら運転する。
何もアイデアが浮かばない時もあれば、メモばかり取りたくなる日もあれば。
ほぼ無心。トイレにもほぼ行かない。ハズレのアイデアも多いが、
往路は2つ大事なことに気がついた。
常磐道全通後は、東北道ではなく、遠回りでも、雪の心配も路面凍結も少ないこの道を使う。
なんとなく原発の区域を通ってしまう。避難区域はとにかく真っ暗だ。
高速からは原発は遠く離れてまったく見えない。
福島と宮城の県境が近づき、南相馬まで来ると、明かりがよく見える。
今夜は相馬の火力発電所の水蒸気が真横に流れて見えた。暴風、横殴りの雪。
気温は0度。積もるほどではない雪でも、ワイパーは動かしっぱなし。
宮城に入ると、津波ゾーンに復旧された広大なハウス団地の明かりが飛び込んでくる。
下り道から見える夜景は本当にきれいだ。いつも家に帰ってきたみたいにほっとする。
名取に着く。今夜も再生の会・鈴木会長の旧宅は、ライトアップのない城のよう。
漆黒を背景に、不気味な重量感で座って見える。
この前、羽生結弦さんがここに来たらしい。
車はまったく走っていない。自分以外誰もいない。
寝る前に、あとちょっとだけトレーニング。
大阪マラソンは遥かに遠い。走る以前の問題のカラダ。
今日は丹田と、腹式呼吸を意識し、携帯アプリ「高橋尚子のフォーム診断」をしながら。
ウォーキングは体幹の使い方が悪いらしく、55点以上いかないけど、
ちょっとだけ走ってみて、初めて診断したランニングでは77点。
漆黒の雪の中で、高橋尚子に笑顔でOKサインされても、ぜんぜん嬉しくない。
139往復目の出張も重要ミッション。充実した出張にしてみせる。
ものすごく気合の入った名取入り。











