徳島の海岸林の特徴
徳島県庁から復興の応援職員として来られた方に、仕事でお世話になった。
その方の顔を思い浮かべながら徳島に行きました。
まず、海沿いの徳島空港(松茂町)の滑走路を直交するように防風林がある。
米軍撮影の航空写真では、1947年時点で幅は狭いながらも海岸林が存在していたのが分かった。
空港に実際に行ってみて、高さ5・6mの均一な土堤上に、松の巨木が延々と列を成していた。
あの場所でこの太さ。樹齢200年を遥かに超えるのでは。
想像するに相当昔の人が、自然砂丘に人の手を加えて盛土を造成してから、松を植えたのだろう。
後背地には、空港の他、水田が松林の後ろまで迫る。
ネットで公開されている徳島の海岸林の文献は少なく、航空写真でも解かりかね、
正直なところ、あまり期待してなかったが、行ってみると幾つもの小さな名もなき松原があり、
「防潮林」として予想を超えた高機能なものが多く、弱い部分には手を入れて強化されていた。
名もなき海岸林の存在と、目に見えた努力が成されていることがよく分かった。
大地震が起こったら、すぐに津波第一波が来る高知県東洋町の生見海岸や徳島県海陽町の大里松原
(白砂青松100選)、また、すぐには来ないとしても津波水位10mに迫るような阿南市の北の脇海岸、
中林海岸などすべてで、2階建て家屋2つ分以上の高さの、もはや砂山と言うべき自然砂丘を利用していた。
砂山前面を利用した数mの防潮堤もあったが、それを砂が飛び越えてくるのも分かった。
かつては深刻な砂の害もあったのだろう。後背地には開拓記念碑もあった。松林は開拓の一環だろう。
マツの深根性を活かした津波防御に大いに期待できる。実際に後背地の浸水予想は極めて低い。
内陸側にはクスノキの積極的導入も特徴。実生で育ったものは太いが、植栽と思われるものは
クスノキと思えないような細さ。しかし全般的に、クロマツ中心の森を目指そうと、
掻き起こし・天地替えをして篠竹や広葉樹を根絶やししてからのクロマツ林への樹種転換や、
林間植栽を地道に進めているのも共通点。ついこの前植えたような場所が驚くほど多かった。
最前列でも樹齢200年を遥かに超える、文化財クラスの巨木マツも目立った。
松原と集落の共同墓地が隣接している、もしくは林内に墓地があるケースも多かった。
人が松原と接し、利用すると言う面でも、考え方として好感を持った。
お参りする人もいれば、ゲートボールする人もいる。
神社もあり、村祭りの会場でもあり、花火大会もする。
「ふるさと」の中に松林があるのだろう。
津波第一波が3分で来るかもしれない町にて
高知県東洋町 津波予想シュミレーション(youtube)
https://www.youtube.com/watch?v=VRJtPQYBfes
今回、四国電力の常務さん(徳島支店長)を通じ、徳島ロータリークラブから卓話の依頼。
気になっていた南海トラフ最前線を見る千載一遇のチャンス。
「とにかく高知県東洋町まではノンストップで行こう。目を慣らしてから復路でじっくり見よう」
徳島空港を降り立ち2時間。室戸岬に迫る県境の目的地まで、
徳島ラーメンを食べる時間も惜しみ、四国支部の池田次長とともに南下した。
県庁をはじめ県の中枢は海の近く。横には川。船がたくさん係留されている。
徳島市、小松島市、阿南市などは広範囲に浸水する。
でも、到着したばかりで目が慣れず、逼迫感はまだ感じなかった。
日常的に危機感を煽ってもいけないのでしょうから。
南へ行くにつれて、山が海に迫り、わずかな平地に人が密集して住む様子がわかってきた。
固い岩盤らしいですが木造家屋も倒壊するかもしれません。耐震化も緒に就いたばかりと見えた。
揺れの時間も長いかもしれない。でも収まったらすぐ逃げねばならない。
津波が来るのは早い。第一波はまだ低くて防潮堤で防げても、10分経つと町に侵入する。
勢いづけば、膝下の波でも圧力は100kg。
集落の近くの山裾では、とにかく無数の箇所で、徹底して伐採が行われている。
山に逃げる避難路を造るためと言うことは聞かずとも解かった。
東北でも避難路の有無によって生死を分けた場所がたくさんあっただろう。
その経路を示す看板が、至る所にある。私のような通りがかりの人もすぐ分かる。
これは最善の策の一つ。お年寄りでも登りやすい斜度の道を設けようとの努力も見た。
もし次来ることがあったら、もっと変わっているだろう。
山から離れた平地もある。こういう処は河口部。ここから侵入する波への対処は難しい。
大きな川でないので土手も低く、溢れやすいが仕方ない。何とか逃げるしかない。
河口部だから地盤も惰弱かもしれない。家屋の倒壊が避難を妨げるかもしれない。
「其の早き事矢を射るが如し」と碑文に刻まれている、
1854年の安政南海地震(午後4時頃)では、安芸郡全体で死者71名であったが、
1946年の昭和南海地震(午前4時19分)では死者17名。
一人も死者を出さない決意の、懸命な減災・防災対策が進んでいる。
強烈な危機感を感じた。
ため息をつきたくなる時って、皆さんもありますか?
いつも大きな声がうるさいといわれる私にですが、
オイスカ職員になって以来ずっと、毎年4月1日だけはちょっと元気が出ない日。
資金獲得に関する1年の成績がほぼはっきりし、またゼロにリセットされる日。
この先1年の途方もない仕事量を考えると、少し大人しくしていたくなる日なのです。
神田川の桜並木を見ても、何となく上の空。
プロジェクト全体を預かる身ですから。
「寄附収入でも前年を下回らない」と寝ても覚めても、自分に言い聞かせています。
震災前から職員歴20年間、これだけは変わりません。
ですが、全国の数えられないぐらい多くの皆さまのおかげで、何とか前年同様の支援額に
辛うじて到達することができました。上回るか、若干下回るか、最終の正確な金額は、
決算を待たねばなりませんが。
今、全日空機で徳島に向かっています。
「四国は4%経済」と地元の人が嘆くのを聞くこともありますが、
当プロジェクトにとって四国は寄附者が指折り多い地域。
理由はただ一つ。一生懸命プロジェクトを応援し、
支援の輪を広げてくれる人がたくさんいるから。
飛び立つ時のGが体にかかり、活動報告の機会を演出してくれたオイスカ四国支部、
四国電力徳島支店、徳島ロータリークラブなどの皆さまが待っていてくださることを思い、
気持ちが切り替わりました。私たちに機会を作って下さり、本当にありがとうございます。
一歩一歩。必勝を期して。
NHK-BS 火野正平さんの「日本縦断こころ旅」にお手紙をお寄せください
名取市のホームページでこんな情報を見つけました。
——【以下、名取市役所HPより抜粋】—————————————-
http://www.city.natori.miyagi.jp/news/node_39359
NHK・BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」は俳優の火野正平さんが自転車で全国を巡り、
投稿していただいた中から選ばれたお手紙の風景を訪ねる番組です。
今年で6年目を迎える番組の2016春の旅は、東京からスタートし、神奈川・山梨・長野
そして日本海の新潟へ移動。東北6県を巡り、ゴールの北海道を目指します。
宮城県へ立ち寄るにあたり名取市の皆様から、大切な「こころの風景」をお手紙でお伝えください。
人生の節目に眺めた忘れられない景色、音や香りの記憶と重なる情景、毎日の暮らしの中で元気を
もらっている場所など。心の中にしまってある、あなただけのエピソードと一緒に、
便箋2~3枚のお手紙にして送って下さい。
あて先は、郵便番号 150―8001 NHK放送センター「こころ旅」係まで。
締め切りは、5月2日(月)必着 です。
詳しくは、番組ホームページをご覧下さい。
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地元ボランティアの皆さんも、ボランティアがきっかけで名取に来られた方も
皆さんそれぞれの思いがあると思います。
お手紙を書いてみてはいかがでしょうか?
こんにちは。浅野です。3月28日~30日まで名取に出張していました。
吉田のブログにもありましたが植樹祭の告知をしてきました。
28日・29日の2日間で2000枚以上のちらしをいろいろなところに置かせてもらいました。
植樹祭までの1ヵ月半、頑張ります!
東京の桜はこのころで7分咲きくらいでしたが、宮城ではまだ開花していませんでした。
まだ春は先かなぁ…と思っていたら、春を見つけました。
植樹祭の告知の最中にたまたま車を停めて降りたところに〝つくし″が!
たくさんあったわけではないですが、春を感じました。
その後ろには私の好きなオオイヌノフグリが。
小さくても頑張って咲いてる姿を見ると元気が出ます。
踏みつぶさなくてよかった…
それともう一つ、植栽現場でも春を見つけました。
昨年の秋に補植をした広葉樹から芽が出ました!
全部からというわけではないですが、この厳しい環境下で一生懸命生きているのには感服します。
今月からまたボランティアの日が始まります。
毎月、名取に行けるのでしっかりと情報をアップしていきたいと思います!
社風 ~三菱UFJニコス「Partner」誌を読みながら思ったこと~
28日は市役所の部長さんとベテラン職員さんと宮城県立農業高校(名取市内。日本最古の農業高校)を訪問。
生徒さんに植樹祭をお知らせいただくなど、浅野と二手に分かれ、2日で市内を一気に告知。
生徒さんが作ったお米が、とうとうオーストラリアに初輸出されたそうです。高校生もTPP。世界視野。
同校はオイスカ第1育苗場のすぐ目の前にありましたが被災。今はプレハブ校舎。生徒さんはプレハブで
3年を過ごす子がたくさん。平成30年に移転。新しい農地の土で一から土づくりなのでしょう。
浅野は航空機燃料を扱うパシフィック㈱の鈴木社長の手を借りて、仙台空港関連各社に食い込んだ。
鈴木社長は、クロマツをユーモアを交え、独特の語り口で語る一人。同社はもう4年毎月寄附が続く。
先日、新聞広告で同社の歴史が掲載されていたが、最新の欄に「海岸林再生プロジェクトを支援」と
書いてあった。社長の事だから、広告とは別に、会社が続けていることを繰り返し全社員に伝えているはず。
海岸林の再生を通じて、社員にメッセージを送っているはず。
名取事務所に戻った。浅野は日没になっても、まだ外回り中。
再生の会の菅野さんの机の上に、三菱UFJニコス㈱がカード会員100万人に年10回ほど発行している
「Partner」4-5月号が届いていて、付箋がしっかりついていた。海岸林特集になっていた。
同社は、企業という企業の中で一番早く支援を決めてくれた。この5年、100万人に対して毎号必ず1ページ確保して海岸林再生の今を伝え続けてくださっている。
ちょっと疲れていたからかもしれないが、励まされた感じがして、同社のみなさまに久々お礼のメールをした。
自社の業種業態を活かした支援を他の企業もして下さっているが、その範を示すように黙々と先頭を行く。
他の企業もそれを見て「わが社らしく」とアイデア勝負を続けてくださるのが、わがチーム海岸林。
3月は年間で一番寄附が多く入金される。圧倒的に個人が多いのだが、非常に多くの企業や労組、各種団体から支援が続いている。残念ながら、メディアなどでは熱いハートや優れたアイデア、いわゆる「美しい姿」はなかなか取り上げられない。
先日、経済同友会の岡野常務との夕食のとき、「ぜひ次の同友会と合同の活動報告会では、企業・団体の取り組みの姿を報告したい」と申し上げたところ、一発、快諾いただいた。
ものの本に「社風」が書かれていることがある。いまチーム海岸林として、じつに様々な企業団体が
行動を共にして下さっている。私の立場では、とくに良い意味での「社風」を感じることが多い。
極端かもしれませんが、社会貢献の在り方は、社風を映す鏡とすら私には感じるのです。
この海岸林への取り組みが、各社の社会貢献の歴史、各企業の歴史の中でしっかり刻まれ、
自社の良い面として自覚され、自信を新たにしていただける取り組みとなることを目指します。
「Partner」を読みながら、ニコスさんだけではなく、各社の担当者の方たちの多くの顔も浮かんだのです。
今年も心豊かな、胸に秘めたる熱いハートの皆さんが来ることを、静かに待っています。
名取市の海岸林史調査 国土地理院HPから航空画像を見ると
我々が海岸林造成史や海沿いの生活史に興味を持っていることをよく知る市役所の鈴木さんが、
以前、国土地理院のHPの存在を示してくれていました。「名取市の海岸林史」調査を正式に
着手した日、改めて画像を手に、いかに有用か教えに来てくれました。
名取市の戦前の情報は、航空写真以外を辿らねばならないことが分かりましたが、
戦後に関しては航空写真が非常によく示してくれます。1947年から米軍が撮影していました。
今朝、出勤した再生の会の方に試しに見て頂いたら、もう釘づけ。新しい情報も出てくる。
「あ、思い出した。学校植林で植えたマツは、青年団皆で伐採して売って、全部チップになった」
続きは菊池先生と小林さんが揃うまで封印。
2020年頃には、口伝、聞き取り記録が小冊子にはなると期待できました。
OISCAの「C」はCulturalのC。文化の面でも少しでも貢献したい。
続きの調査が楽しみです。
【国土地理院HPの使い方】 http://www.gsi.go.jp/
⇒航空写真だけではありません。ココから伊能忠敬の地図も見れるんです。
1.『地図・空中写真・地理調査』の『地図・空中写真閲覧サービス』をクリック
2. 検索方法を「空中写真」に指定する。
3.見たい西暦を指定する。
4.見たい県・市を指定し、「検索」をクリック
5.ピンクのポイントが現れる。見たい場所にカーソルを当てると航空画像の範囲が現れる。


緑化技術参事の清藤城宏です。
久しぶりに日本森林学会大会に参加しております。
今年は藤沢市にある日本大学生物資源学部を会場に1000人を超す参加者、発表件数も1000件を超えたマンモス大会です。東日本大震災から5年経過した現在、海岸林の防災に関する報告は数件しかありませんでした。
今年の大会は、苗木に関係する報告が多くみられ、特に海岸林再生の苗コンテナ苗にかかわる問題を取り上げている報告が多く、私たちも全面的にコンテナ苗に切り替えて生産しておりますので、興味深く聞かせてもらいました。
結論的には従来の裸苗の植栽よりもコンテナ苗が有利であることが言われておりました。
苗木の形状も、私たちの育苗場では、根元径をできるだけ太くすることを心がけて苗づくりをしておりますが、
樹高成長に対し根本直径の比(形状比)が小さい方が良いとの報告があり、私たちの経験で実施してきている技術の有用性に意を強くしました。
来年はぜひ学会で我々のモニタリング調査結果も発表したいと思った次第です。
名取市海岸林の歴史調査について(東北学院大学 菊池慶子教授)
海岸林が暮らしを守る森林として育生され、保護されてきた歴史に関心をもち、調査・研究を進めています。
植林が開始された江戸時代の記録を読むうちに、実際の作業を体験しなければ歴史資料の理解は深まらない
という思いが募り、2013年4月からオイスカのボランティアに参加してきました。
苗場で床替えや除草、植栽場では下草刈りや排水のための畦切りを体験し、海岸という環境の厳しさを実感する一方、作業の一つひとつが、この地に恵み豊かな森をつくるために繰り返されてきた歴史的な営為であるという思いを深くします。
オイスカによる名取市の海岸林再生事業は、その仕組み自体が注目に値することは周知の通りです。
ひろく国内外からボランティアを募り、民間の資金援助をもとに失われた海岸林を取り戻そうという試みは、日本の海岸林の植林史に例のない画期的な取り組みであることは確かでしょう。
植林事業は達成後の維持・管理こそが重要な課題ですが、苗木を植え育てるという支援によって生まれた、名取の海岸林と県内外の人々との出合いが、海岸林を末長く守り続けるシステムに繋がることに大きな期待を抱きます。私自身もその縁のひろがりに連なりたいと思っています。
これまで主に仙台市で調査を進めてきましたが、名取市も対象に含めたいと考え、3月17日・18日の両日、
キックオフというべきヒアリング調査をオイスカ啓発普及部副部長の吉田俊通さん、このたびオイスカのアドバイザーとなられた小林省太さんとご一緒におこないました。
名取市の海岸林については江戸時代に作成された絵図などから、成り立ちや里浜の暮らしとの関係が知られます。さらに明治年間以降、震災前まで繰り返されてきた植林の目的や背景は、一様ではなく、北釜と閖上でも異なることがわかっています。
北釜には大正天皇の即位の礼と関わる大正5年建立の植樹記念碑
下増田小学校の学校植林日本一を記念する昭和27年建立の植樹記念碑
戦中戦後の台林地区の開墾と関わる昭和34年建立の愛林碑 があり、
記念碑の数だけでも特筆されますが、それぞれの石塔に刻まれた植林の経緯も興味深いものがあります。
ほかの時期も含めて、植林事業の記録は宮城県公文書館が所蔵する県庁文書のなかに膨大な帳簿が残っていることから、どの時期の植林史を掘り起こすことが重要であるのか、見当がつかずにいたのですが、再生の会の鈴木英二会長をはじめ、メンバーのみなさんのお話を伺い、さらに北釜に立てられた3つの石碑の現場(震災後、愛林碑を除き行方不明ですが)を見て回ることで、いちばんに取り組むべきは、愛林碑に刻まれた植林の歴史を詳細にたどることであろうと目標が定まりました。
県庁文書でその計画と経緯を詳しく確認できる上に、航空写真で進行の状況がわかり、さらに再生の会の桜井勝征さん、森清さんをはじめとして、ご自身や家族が植林に携わり記憶にとどめられた事業であることが決め手となりました。
北釜耕人会の桜井恵子さんから頂戴した『平成21年北釜写真アルバム』に、台林地区の開墾と植林の途上で撮影されたとみられる写真を発見しました。
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北釜の関係者のほか、県の役人が大きく育った松林を背景に並んでいるこの写真も、多くの情報を読み取れる貴重な歴史資料です。アルバムに収められた、北釜の年中行事を写した写真の数々は、震災前まで受け継がれてきた集落の穏やかな暮らしの風景を伝えていて、魅入りました。松林に守られることで続いてきたであろう北釜の暮らしの伝統と、住民同士の繋がりにも関心を向け、調査を続けていきたいと考えています。
(東北学院大学 文学部教授 菊池慶子)
大阪マラソン ランナー募集
こんにちは。浅野です。
3月18日(金)に大阪へ出張してきました。
目的は大阪マラソン寄付先団体への説明会の参加。
おかげさまで3年連続寄付先団体に選んでいただき、今年も
チャリティランナーの皆さんと大阪マラソンに参加することができます。
せっかく大阪まで行くのだから…ということで
UAゼンセン大阪府支部とミズノユニオンを訪問してきました。
プロジェクトの進捗報告・大阪マラソンチャリティランナー募集についてなどの
話をさせていただきました。お忙しい中、お時間をいただきありがとうございました。
そのあと説明会へ行ったのですが、今回は14団体中5団体が新規団体。
オイスカと同じ緑ブースも去年までとは違う団体です。
選んでいただいたのだから、まずランナーを集めることからしっかりやらなければ!と
気持ちを新たにしました。
ということで、走っていただける方・興味のある方がいましたらご連絡ください!
ランナーのエントリー開始は4月8日(金)10:00です。
詳細はこちら → http://www.osaka-marathon.com/2016/runner/entry/apply_c/
今年はプロジェクト責任者 吉田が走ります!
ぜひ、一緒に走って大阪マラソンを盛り上げましょう!!
※3/29(火)14:00に公募に関する情報がHPなどでアップ、ということで
出張報告が遅くなってしまいましたが、これからも出張したら報告させてもらいます。
(ブログに慣れていなくて、ついつい後回しにしてよく注意されるんです…)






















