まさに海岸林とともに生きてきた方からの聞き取りです。
2011年5月24日、最初に海岸林再生への参画を決めた方たち。

北釜耕人会は小松菜だけでなくチンゲン菜も開始。 4間ハウス38棟を3家族でフル回転。

北釜耕人会は小松菜だけでなくチンゲン菜も開始。
4間ハウス38棟を3家族でフル回転

北釜耕人会は、再生の会の第2育苗場。
今期は毎日1人第1育苗場に出勤して下さってます。
再生の会のまとまりも、安定飛行体制です。
高梨仁さん :「私は3代目です。山形から移住したようです」
森清さん  :「私は5代目です。幕末頃、北釜に来たようです」
櫻井恵子さん:「主人はインフルエンザで寝込んでいます。私は嫁で来ましたが、
        14代目と聞いています。松林に行くことを「ヤマに行く」と言ってました」
森清さん  :「北釜の近年は開墾・開拓の歴史です。それまでは「犬にぶつける土もない」と
        言っていたぐらい。イイ田んぼもなく。陸の孤島でした。やっと貞山堀に
        橋が架かっても、欄干橋で「牛も渡れない勾配で」。空港のところは桃畑でした。
        私は子どもの頃、今でいう県有林のところで、母と一緒に植林した記憶があります」
高梨仁さん :「私も植えました」
高梨やよいさん:「私は嫁で来て、松葉さらいをしました。いつまでたっても上手く出来ません
         でした。いい思い出はありません。煮炊きや五右衛門風呂で使う燃料です。
         難しいんですよ。熊手で直径1mぐらいにまとめます。そこまでしか、させて
         もらえませんでした。指の皮がむけたことを覚えています。
         その後はベテランが松葉がお互いに組み合わさるように圧縮します。
         そうしてできたものを「カッツゲ」と言います。表現が難しいですね。
        「カッツゲ」を重ねたものを「マルギ」と言います。重ねて結ぶことを
        「マルグ」と言います。海岸林保護組合つまり、ほとんど村中総出、
        1週間で1年分の燃料を集めるんです。牛や馬車、リヤカーで運びました」
吉田:     「今度、やってみてもらえませんか?動画に残しますから」
高梨やよいさん:「そうね。櫻井勝征さんはきっと上手にできるよ。あの人何でもできるから」
再生の会の皆さんからは、聞けば聞くほど新鮮な情報が出てくることが分かりました。「質問次第」と思いました。

再生の会の皆さんからは、聞けば聞くほど新鮮な情報が出てくることが分かりました。「質問次第」と思いました


もっとたくさんお話しいただいたのですが、詳細は菊池先生や
小林さんに譲ります。
男性だけでなく、女性にも話を伺うことが出来たのが良かったです。
平成21年「北釜写真アルバム」という初めて見る写真集をご提供
いただきました。
鈴木英二会長からは「鈴木三雄氏(会長の父)との病床対話の記録」も。
あらためて聞いてみると、新資料が発掘されます。
津波で失った記録も多いのですが。
         
最初の調査は、一旦ここでおしまい。
次は菊池先生のスケジュール次第。
現場に近い私が勝手に先行させてもいけないし。
先生といろいろ相談しながら進めます。

菊池慶子教授:「名取では1650年頃から海岸林植栽が本格化したと考えています。
          知行地が近くにあった2代目川村孫兵衛の手で。1800年~1803年に東日本の
          測量をした伊能忠敬も名取を通り、「北釜50戸」との記述と海岸林の記載を
          図面に残しています」
コンテナ土づめが終わった後、座談会のような感じで、おもむろに始まる。
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櫻井勝征さん:「夏は涼しくて、住みやすいイイ村だった」(開口一番)半農半漁。
          船もあったけど、地引網もやっていた。サツマイモ、特に麦を作ってたね」
森清さん  : 「まとまりのイイ村だった。運動会は下増田村の7集落対抗。
          松林の中で綱引きの練習をして」
森清さん  :「1週間で1年分の松葉掻きをやった。
          女の人だけでなく男の人ももちろん。
          どこの家も鉄砲風呂か五右衛門風呂だもんね」
武田昭夫さん:「私は本村地区(海から4km)に住んでいるが、
          お袋の実家が北釜だから、よく行った」
櫻井勝征さん:「昭和30年ごろは堆砂垣を作って砂丘を造成し、
          その上にマツだけ植えていた。
          1本1本に葦簀で風除けして」
武田昭夫さん:「大潮の時は、貞山堀が逆流し溢れた。増田川は
          イオンの近く(海から7km先)」
森清さん  :「内陸防風林(共有林)は7つの集落で所有した。皆が少しずつ土地を提供して
          設けたと聞いている」
吉田    :「学校植林の石碑が突然消えてしまったが、何か知らないですか?」
          *昭和28年全国学校緑化コンクール特選(全国1位)の記念碑。同27年は
          準特選。約8haの造林をしたらしいが詳しい事情がわからない。
          石碑の文面は写真に収めましたが。
森幸一さん :「100m流されて、おらいの田んぼの中にあったんだ。その後はわがんね」
菊池先生  :「工事の混乱で各地で石碑などの文化遺産が喪失している」
森清さん  :「今でいうサイクリング道の南の方に大正天皇即位記念の造林碑もあった。
          横に小さな石碑もあった」(これらも消息不明…)
これらの話は今までも聞いてきましたが、みんな自分の昔話は「大した価値がない」と、
そこそこで集中力が切れてしまい、打ち切ってしまう傾向があった。でも、今回改めて
豊富な情報があることが分かった。調査が深まるにつれ、質問も深まり、回答も深まる
事がよく分かりました。みんな時間を忘れて答えてくださいました。

3月17日・18日、東北学院大学菊池慶子教授の春休み(学生が休みになるの意味)に合わせ、
オイスカ海岸林チームに新たに加わる小林省太さん(元日経新聞論説委員兼編集委員)とともに
「名取市の海岸林史聞き取り調査」に着手しました。
宮城公文書館にあると言われる、江戸時代など近世の膨大な資料には、
素人の我々には手が届きませんが、昭和初期や戦中戦後など、私たちの周りにはまだ当時を
覚えている方がたくさんいるため、口伝や記憶を聞き取っておきたいと考えました。

江戸時代の名取の海岸林絵図。 クロマツ林が2列。

江戸時代の名取の海岸林絵図。クロマツ林が2列


まずはこの春は2日間。
再生の会の鈴木英二会長、桜井勝征さん、森幸一さん、武田昭夫さん、高梨仁・やよいさんご夫妻、森清さん、桜井恵子さん。
元名取市農林水産課の鈴木健仁さん、教育委員会文化スポーツ課と農林水産課。
今まで見たことない近代史の小冊子も2つ見つかりました。
宮城県庁も資料提供してくださいました。
次はまた先生のご都合に合わせて。夏頃でしょうか。
 
 
いま私たちチーム海岸林は3つの調査を行っています。
1.植栽地モニタリング調査(2014年~)
2.海岸林と地域の将来ビジョン形成調査(2015年~3年程度)
3.名取市の海岸林史聞き取り調査(2016年~5年程度)
昭和34年建立の「愛林碑」の裏面もすべて記録

昭和34年建立の「愛林碑」の裏面もすべて記録


いずれも時間をかけて実施します。
やりたいのだけれども手が届かないのが、飛塩調査……。本当は海岸林の存在意義を科学的に証明したいのですが、大学教授や専門家に尋ねてみても首を縦に振ってくれる人はいなかった。1950年宮城県林業試験所が石巻で実施した調査が唯一と言ってよいようだ。
自分たちでやると言っても……
【参考】 愛林碑の石は「稲井石」。仙台石とも言われるそうです。石の町、石巻から採ったのかもしれません。

仙台駅が大きく変わりました

2016年3月20日( カテゴリー: 現場レポート )

ずーっと工事をしていた仙台駅。
駅ビル「エスパル」が本館に加え、「東館」がオープンしました。
ニュースでは、ボールパークに改装した楽天スタジアムのことも。
私にとって駅ビルと言うと、自分にご褒美の時だけ3階の立ち食い寿司でチャチャっと。
ちょっと時間があるときは、地下1階の仙台土産館。そのぐらいでした。
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写真は、ヨドバシカメラがある東口と、いわゆる「栄えている方」西口との連絡通路。
今まではただ通るだけのような東西連絡通路が大胆に一新。
お昼をとうに回っているのに新しい食事処はすごい行列。
お土産屋も一新。4階ワンフロアのみ東急ハンズがありました。
新幹線乗り場には連絡通路側からも最短距離で行けるようになりました。
今日は土曜日。人でいっぱい。
微熱があったし、一人では全然おもしろくないし、
第二育苗場でいただいた背中のチンゲン菜8袋が重いので、
今日はチラ見で撤収。
ボランティアで来る人も楽しみが増えるでしょうね。
ちょっとはご案内できるようにしておきます。

菊池慶子 東北学院大学教授と初めてお目にかかったのは、3年前。
企業団体担当者限定のボランティアで、再生の会と共に「苗の床替え」をした時。
私たちも海岸林の歴史には、非常に興味を持っており、かつ重要と思っています。
ですから、先生とはすぐに意気投合し、学生を連れてボランティアに何度も。

先生も床替えと播種を初体験。本当に喜んでおられたことを覚えています。  2013年4月19日 

先生も床替えと播種を初体験
本当に喜んでおられたことを覚えています
(2013年4月19日)


先生は宮城の海岸林の歴史の研究をライフワークとされています。
http://researchmap.jp/read0038844/
http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/faculty/letters/history/staff/kikuchi.html
去年好評だった、ボランティアの日の昼休み「プチ海岸林史」講座はまた今年も。
たまたまその日は運よく、三浦副市長を筆頭に市役所職員が多数。
先ほど、新刊の小冊子「仙台藩の海岸林と村の暮らし」(蕃山房 定価800円)を
お贈りいただきました。先生はいつも届けてくださります。もう4冊目。
詳細・購入手続きはコチラ(蕃山房HP)
http://banzanbou.com/annai/
いつも書籍に、このプロジェクトの事にも触れてくださっています。
すぐ拝読。これは皆さんにお知らせしようと思いました。
先生とは、「いつか名取の海岸林史を調べて残したい。年配の人の話を聞き取って残したい」と
話してきました。いよいよ明日から2日間、「名取市海岸林史聞き取り調査」に着手します。
中心メンバーには、菊池先生と元日経新聞論説委員の小林省太さん。
ゴールとか、成果物とか、期間など、今の時点ではあまり明確に設けていません。
少しづつ、まず始めてみようと。
昨日、菊池先生は電話で「研究者としてのプロボノのようなもの」と言っていました。
歴史研究家として、プロとして、ボランティアで協力したいという意味と思いました。
調査成果は、ブログでも即アウトプットします。
初めての「プチ海岸林史」青空講座 2015年7月19日

初めての「プチ海岸林史」青空講座 2015年7月19日

海岸林チーム 東京でのひとコマ②

2016年3月19日( カテゴリー: 本部発 )

こんにちは。浅野です。
海岸林チームの本部事務所でのひとコマをお伝えします。

今日は林広報室長。
新しいパンフレットができてから、ボランティアの方に
挟み込み作業をしていただいています。
その挟み込みが終わったパンフレットをきれいに整えるのは林室長。

きれいに整える林室長

きれいに整える林室長

これが主の仕事ではないはずなのに、やりすぎてプロになってしまいました。

整えている間に挟み込みがないものや2枚挟み込んでしまっているものを
瞬時に見つけられます。

こうやると見つけられるそうです

こうやると見つけられるそうです

この写真を撮った直後も「あ、これ入ってない」「あ、これもだ」
見ると、本当に入っていない。
完全にプロ。

「毎日、これだけの量やってたら誰だってできるようになるんだよー」
と満面の笑みで話す林室長

ここだけでも3000枚以上のパンフが…

ここだけでも3000枚以上のパンフが…

…私もできるように頑張ります。

海岸林チーム 東京でのひとコマ①

2016年3月18日( カテゴリー: 本部発 )

こんにちは。浅野です。
今日はオイスカ本部でのひとコマをお伝えします。

まずはプロジェクト担当の吉田副部長。

副部長は鳥が好きです。
名取に行くとよく鳥を探しています。
実は東京にもたくさんの野鳥がいるらしく、
本部でもときどき餌付けをします。

昨日の午後、副部長の机の上に見るからに傷んだデコポンを発見
「これ、もう食べられないですよね?」
「お?これ、鳥にあげるんだよ!」
「…鳥??」
「ちょっと来てみ」
「…?」

おもむろにカバンからペーパーナイフのようなものを取り出し、外に出ていく副部長…
ついて行ってみると、上半分の皮をむき器用にデコポンを木の枝に刺していました。

こんな感じで枝に刺さっています

こんな感じで枝に刺さっています

そして、すごく満足げな笑みを浮かべ「ここメジロがよく来るんだよー」と。

メジロです

メジロです
(イメージです。逃げられて撮影できませんでした・・・・・・)

春の日差しの中、今日も平和な本部です。

3月14日から今春の播種準備を開始しました。
再生の会は連日10名ほど集まり、「コンテナへの培養土詰め」に明け暮れています。
3週間ぐらいかかるかもしれません。3月17日は11名。
第二育苗場からは毎日交互で。杉ケ袋からは新しい女性も。

毎年繰り返してきたので、ペースは効率良く上がっています

毎年繰り返してきたので、ペースは効率良く上がっています


寒いので、作業はビニールハウス内で。
手も動くのですが、同時に口もずっと動いてます。
よくぞここまで同時に口が動くものだと感心するやら、呆れるやら。
ハウス内は乾燥し埃っぽいのに加え、花粉症で菅野さんはかわいそう。
昨日はとんでもない蔵王おろしだったそうです。
手にするのは、「ちり取りと棒と空き缶」(笑)
どう使うのでしょう。
先週、「例年より1週間早くヒバリが鳴いた」というニュースを聞きました。
種蒔きは4月末ごろでしょう。
まずちり取りで均して

まずちり取りで均して

ある加減で棒で底を固めてから、仕上げは空き缶で

ある加減で棒で底を固めてから、仕上げは空き缶で

番組名「ON THE PLANET」
出演日 3月17日(木) 26時10分頃~ (7分間)
放送局(JFN系列35局)
【東北】FM青森・FM岩手・Date FM(宮城)・AFM(秋田)・Rhythm Station(山形)・ふくしまFM
【首都圏】FMぐんま・RADIO BERRY(栃木)
【中部】FM-NIGATA・FM長野・K-mix(静岡)・FMとやま・HELLO FIVE(石川)・FM福井
@FM(愛知)・FM GIFU(岐阜)・レディオキューブFM三重
【近畿】e-radio(滋賀)・FM OSAKA・Kiss FM KOBE(兵庫)・V-air(鳥取・島根)・FM岡山・HFM(広島)
【四国】FM徳島・FM香川・JOEU-FM(愛媛)・Hi-Six(高知)
【九州】FMS(佐賀)・FM Nagasaki・FMK(熊本)・Air-Radio FM88(大分)・JOYFM(宮崎)・μFM・FM沖縄
*FM北海道、FM東京、FM山口、FM福岡以外すべて。
*各地域の周波数はコチラ
http://www.jfn.jp/Stations/all
「さて、ここからは夢を追っている人に話を聞いていきましょう。
今日は東日本大震災で奪われてしまった海岸線の海岸林だったクロマツを植樹して取り戻そう
という「東日本大震災復興 海岸林再生プロジェクト」。オイスカの吉田俊通さんに電話が
つながっています。吉田さん、こんばんは!!……」

海岸林の将来像を語る (3月12日定期活動報告会にて)

海岸林の将来像を語る
(3月12日定期活動報告会にて)


収録時間 3月17日(木) 23時30分頃~ 名取のホテルで電話収録対応します。

こんにちは。啓発普及部の家老です。

純白でふわふわな綿花

純白でふわふわな綿花


前回に引き続き、視察研修パート3です。
これでシリーズは終了です。
メイプル館で衝撃的なDVDの映像を見た後、研修生は有限会社 耕谷アグリサービスを訪問しました。有限会社 耕谷アグリサービスは、名取市で稲・麦・大豆等の栽培をされており、機械を使用した管理も特徴です。被災後には、津波で塩害を受けた田んぼでも育てやすい綿花を育てました。綿は温かく、色が純白なため、犠牲になった人の鎮魂の意味も込めて綿を育てているそうです。
研修生は、環境保全型有機農業の指導者育成の研修を受けているため、たくさんの質問がでました。
立派な機会にびっくり!

立派な機会にびっくり!


①堆肥を使っていますか?
②田んぼのレべリングはどうやっていますか?
③精米は1回にどのくらいできますか?
④機械の価格、使い方を教えてください
⑤震災のときのどのような被害はありましたか?
⑥ハウスの資材は、どの程度の気温まで大丈夫かですか?
復興しながら、最新の機械を用いた環境保全型農業に取り組んでいる耕谷アグリサービスに、研修生は興味津津でした。研修生の質問に丁寧でお答えいただき、またお忙しい中、対応していただいた有限会社耕谷アグリサービスさん、本当にありがとうございました。
ありがとうございました!

ありがとうございました!


研修生は、先週末それぞれの国へ帰国しました。
同じ釜の飯を食べた研修生は本当に仲良し。涙涙の別れでした。
日本では、復興する日本人の姿を含め、多くのことを学んだことと思います。
宮城県の訪問は、1泊2日と短かったですが、研修生の心には確かに何か残ってくれたと思います。
これから学んだことを活かしながら、それぞれの国で活躍してくれることを願うばかりです。
オイスカ海外研修生視察①
3.11震災から5年
オイスカ海外研修生視察②

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