4月8日から大阪マラソンのエントリーが始まりました!
今年は当プロジェクトの責任者、吉田が走ります!
もちろん、すでにエントリー済み。
他にも4名の方がエントリーしてくださっています。
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一般ランナーは倍率5倍の狭き門を通らなくては走ることができないのですが
チャリティランナーになると7万円をどうにかして集めれば走ることができるのです!
7万円なんて大金…と思う方もいるかもしれませんが、自分が全額払わなければいけないわけではないのです。
家族・友達・職場から募金をしてもらって参加権を得ることができる。
募金してくれたみんながランナーの応援団になるということです!
エントリー期間は4月8日~7月29日(金)まで。
募金を集める期間はエントリーをした瞬間から9月30日(金)まで。
早めにエントリーをすればその分、募金を呼びかけられる期間も長くなります。
走るのが好きな方!
吉田も生まれて初めてのフルマラソンです。
一緒に走って海岸林再生プロジェクトへの支援をしてください!!
エントリーはこちら → http://osaka-marathon.com/2016/runner/entry/apply_c/

身近なところにあった!

2016年4月11日( カテゴリー: お助け隊員の声 )

浅野です。
愛知県にあるCKD株式会社を訪問してきました。
CKDの担当の方から大阪マラソンにチャリティランナーを出していただけるという連絡があり、
ぜひお話をしたいと思っていたところ、たまたま愛知に行く用事ができたのでこれはチャンス!と
訪問させていただくことになりました。
CKD株式会社は1943年に設立され(当時の日本航空電機株式会社)戦時中は零戦の電装部品などを作っていて、
今は自動機械装置や空気圧を利用した製品開発を行っているそうです。
ショールームにも連れて行っていただいて、技術の説明をしていただきました。
説明を伺って理解したのは工場にある自動で動く機械の中にはCKD製の部品が何百・何千・何万という単位で入っているということ。
工場見学に行ったことのある人ならピンとくるかもしれませんが、行ったことのない人には全く未知の世界かもしれません。

ショールームの中は撮影禁止ということで遠目から

ショールームの中は撮影禁止ということで遠目から


説明を理解しようと頭をフル回転していたら、ショールームの最後に見覚えのあるものが!
薬やこんにゃくゼリーなどはCKD製の自動包装システムを使って包装されていたのです!
誰でも見たことのあるこれです!

誰でも見たことのあるこれです!


このハート形にもちゃんと意味があるんです。

このハート形にもちゃんと意味があるんです。

薬の包装シートの約80%がCKD製だそうです。
ただ、どこにも書いていないので気付く人はいないそうですが…。
こんな身近なところにCKD製品があるなんてびっくりしました。
結局、1時間以上滞在してしまい…
貴重なお時間をいただいてありがとうございました!
大阪マラソンでのご参加お待ちしてます!!

徳島県最南東地域、海陽町の「大里松原」
「白砂青松100選」に名を連ねます。ですが、事前予習で調べてみると殊の外、
情報が少ない。専門家もあまり訪ねていないのだろう。

大里松原のような自然のインフラがない集落は、何が何でも避難タワーを作るしかない。

大里松原のような自然のインフラがない集落は
何が何でも避難タワーを作るしかない。


南端から見た全景。褒め過ぎかもしれないが、「隙のない」見事さ。

南端から見た全景
褒め過ぎかもしれないが、「隙のない」見事さ

少ない情報ながら興味深かったのは、
・中学生がプロの指導のもと、卒業記念に1mの大苗を植えている
・不届き者が、門松やお供え物用に伐って、30円~70円ぐらいで売ってしまい、
地元の方が徳島新聞の記事にまでして、非常に怒っている
・江戸時代中期、後背地の荒れ野原「四方原」を開拓するのに伴って松原を造成
南端の後背地から見て、目を見張った。
延々たる砂山の上の松群。徳島県が最新情報として出した浸水予想で、
ここの後背地に津波が侵入しないのがよく分かった。

北端付近展望台から見た全景。展望台の中2階まで砂が上がってくる。

北端付近展望台から見た全景
展望台の中2階まで砂が上がってくる


しかも、松枯れが視界の中に見当たらない。
地元の方の巡視、発見、即通報、行政の速やかな伐倒駆除が徹底されている。
佐賀の虹ノ松原の関係者の誇らしげな一言を思い出した。
「松くい虫被害はhaあたり年間1本以下」。ここもそうだろう。
松くい虫対策は、市民協力による「即通報」、行政の「即伐倒駆除」に支えられていると感じた。

松くい虫対策は、市民協力による「即通報」
行政の「即伐倒駆除」に支えられていると感じた


同行の四国支部池田次長も目が肥えている。一人の目よりも二人の目。
「マツ林と墓地というのは面白いね」と。うん、確かに見たことない。
墓地は内陸側にあり、もちろん綺麗にされているが、松林に入ると、下草で青々しているが、
墓地と同様の見事に人の手が入っている。地元の人の想いや協力体制を見て取った。
徳島ではかつて内陸側にはクスノキを積極的に植えたようだ。
この理由はわからなかったが、クスノキとは思えない細さだが、高さだけは十分。
クスノキの特徴として、下草も生えにくい。
「地元の方は、明るくて見通しの良い海岸林であってほしいと考えてるのではないか」
と池田次長。内陸側にこれも非常に整えられたお社が接していて、掲示されている
写真などからして、村のお祭りは松林とともにあることが分かった。
松林の前の手洗い場やベンチは砂で埋まる。

松林の前の手洗い場やベンチは砂で埋まる


極めつけは、充実した林内ゲートボールコース。
参加費300円の大会通知が貼り出され、次々と予告されている。
潮害防備保安林でも、ここまで利活用できるのか。
「スナック円」「いらっしゃいませ」。ゲートボールインフラも完璧。

「スナック円」「いらっしゃいませ」
ゲートボールインフラも完璧


今も昔も人とともに生き、愛されている松原を見ることができた。
名取の松原は、集落と接することはない。
そうだったとしても、名取の条件なりに、愛され続けるような展開にしてゆきたい。

徳島県庁から復興の応援職員として来られた方に、仕事でお世話になった。
その方の顔を思い浮かべながら徳島に行きました。
まず、海沿いの徳島空港(松茂町)の滑走路を直交するように防風林がある。
米軍撮影の航空写真では、1947年時点で幅は狭いながらも海岸林が存在していたのが分かった。
空港に実際に行ってみて、高さ5・6mの均一な土堤上に、松の巨木が延々と列を成していた。
あの場所でこの太さ。樹齢200年を遥かに超えるのでは。
想像するに相当昔の人が、自然砂丘に人の手を加えて盛土を造成してから、松を植えたのだろう。
後背地には、空港の他、水田が松林の後ろまで迫る。

目の前は海なのにこの高さ。日露戦争後の篤志家がこの防潮林も植 え、地域の産業を発展させたこと等を讃えた碑があった(高知県東洋町甲浦)

目の前は海なのにこの高さ。日露戦争後の篤志家がこの防潮林も植え、地域の産業を発展させたこと等を讃えた碑があった
(高知県東洋町甲浦)


ネットで公開されている徳島の海岸林の文献は少なく、航空写真でも解かりかね、
正直なところ、あまり期待してなかったが、行ってみると幾つもの小さな名もなき松原があり、
「防潮林」として予想を超えた高機能なものが多く、弱い部分には手を入れて強化されていた。
名もなき海岸林の存在と、目に見えた努力が成されていることがよく分かった。
大地震が起こったら、すぐに津波第一波が来る高知県東洋町の生見海岸や徳島県海陽町の大里松原
(白砂青松100選)、また、すぐには来ないとしても津波水位10mに迫るような阿南市の北の脇海岸、
中林海岸などすべてで、2階建て家屋2つ分以上の高さの、もはや砂山と言うべき自然砂丘を利用していた。
砂山前面を利用した数mの防潮堤もあったが、それを砂が飛び越えてくるのも分かった。
かつては深刻な砂の害もあったのだろう。後背地には開拓記念碑もあった。松林は開拓の一環だろう。
マツの深根性を活かした津波防御に大いに期待できる。実際に後背地の浸水予想は極めて低い。
内陸側にはクスノキの積極的導入も特徴。実生で育ったものは太いが、植栽と思われるものは
クスノキと思えないような細さ。しかし全般的に、クロマツ中心の森を目指そうと、
掻き起こし・天地替えをして篠竹や広葉樹を根絶やししてからのクロマツ林への樹種転換や、
林間植栽を地道に進めているのも共通点。ついこの前植えたような場所が驚くほど多かった。
最前列でも樹齢200年を遥かに超える、文化財クラスの巨木マツも目立った。
日本海側を思い出すような大きな自然砂丘上の潮害防備保安林。(阿南市北の脇海岸林)

日本海側を思い出すような大きな自然砂丘上の
潮害防備保安林。(阿南市北の脇海岸林)


竹や広葉樹の雑木を伐採し、地面を重機で掻き起こしてからクロマツを植栽(阿南市中林海岸林)

竹や広葉樹の雑木を伐採し、地面を重機で掻き起こして
からクロマツを植栽(阿南市中林海岸林)


 
 
内陸側に植林したと思われるクスノキ群。細いが樹高は高い。(海洋町大里松原)

内陸側に植林したと思われるクスノキ群
細いが樹高は高い(海洋町大里松原)


松原と集落の共同墓地が隣接している、もしくは林内に墓地があるケースも多かった。
人が松原と接し、利用すると言う面でも、考え方として好感を持った。
お参りする人もいれば、ゲートボールする人もいる。
神社もあり、村祭りの会場でもあり、花火大会もする。
「ふるさと」の中に松林があるのだろう。
共同墓地が多くの松原とともにあった。松原も地区の共有林なのかもしれない。(海洋町大里松原)

共同墓地が多くの松原とともにあった
松原も地区の共有林なのかもしれない(海洋町大里松原)

高知県東洋町 津波予想シュミレーション(youtube)
https://www.youtube.com/watch?v=VRJtPQYBfes
今回、四国電力の常務さん(徳島支店長)を通じ、徳島ロータリークラブから卓話の依頼。
気になっていた南海トラフ最前線を見る千載一遇のチャンス。
「とにかく高知県東洋町まではノンストップで行こう。目を慣らしてから復路でじっくり見よう」
徳島空港を降り立ち2時間。室戸岬に迫る県境の目的地まで、
徳島ラーメンを食べる時間も惜しみ、四国支部の池田次長とともに南下した。
県庁をはじめ県の中枢は海の近く。横には川。船がたくさん係留されている。
徳島市、小松島市、阿南市などは広範囲に浸水する。
でも、到着したばかりで目が慣れず、逼迫感はまだ感じなかった。
日常的に危機感を煽ってもいけないのでしょうから。
南へ行くにつれて、山が海に迫り、わずかな平地に人が密集して住む様子がわかってきた。
固い岩盤らしいですが木造家屋も倒壊するかもしれません。耐震化も緒に就いたばかりと見えた。
揺れの時間も長いかもしれない。でも収まったらすぐ逃げねばならない。
津波が来るのは早い。第一波はまだ低くて防潮堤で防げても、10分経つと町に侵入する。
勢いづけば、膝下の波でも圧力は100kg。

海抜2.4mに高さ約14mの避難タワー

海抜2.4mに高さ約14mの避難タワー


集落の近くの山裾では、とにかく無数の箇所で、徹底して伐採が行われている。
山に逃げる避難路を造るためと言うことは聞かずとも解かった。
東北でも避難路の有無によって生死を分けた場所がたくさんあっただろう。
その経路を示す看板が、至る所にある。私のような通りがかりの人もすぐ分かる。
これは最善の策の一つ。お年寄りでも登りやすい斜度の道を設けようとの努力も見た。
もし次来ることがあったら、もっと変わっているだろう。
 
山から離れた平地もある。こういう処は河口部。ここから侵入する波への対処は難しい。
大きな川でないので土手も低く、溢れやすいが仕方ない。何とか逃げるしかない。
河口部だから地盤も惰弱かもしれない。家屋の倒壊が避難を妨げるかもしれない。
「其の早き事矢を射るが如し」と碑文に刻まれている、
1854年の安政南海地震(午後4時頃)では、安芸郡全体で死者71名であったが、
1946年の昭和南海地震(午前4時19分)では死者17名。
一人も死者を出さない決意の、懸命な減災・防災対策が進んでいる。
強烈な危機感を感じた。
これは昔からある避難路。無数の避難路が山に伸びる

これは昔からある避難路
無数の避難路が山に伸びる


 
危ない河口部の横で伐採中。この伐り方なら、緩やかな勾配のつづら折りの避難路を造れるでしょう。

危ない河口部の横で伐採中。この伐り方なら、
緩やかな勾配のつづら折りの避難路を造れるでしょう


 
 
東洋町甲浦。「一人の被害者も出さない」という合言葉が印象的だった

東洋町甲浦
「一人の被害者も出さない」という合言葉が印象的だった

私の4月1日

2016年4月7日( カテゴリー: 本部発 )

今年も3月はしんどかった…
ため息をつきたくなる時って、皆さんもありますか?

いつも大きな声がうるさいといわれる私にですが、
オイスカ職員になって以来ずっと、毎年4月1日だけはちょっと元気が出ない日。
資金獲得に関する1年の成績がほぼはっきりし、またゼロにリセットされる日。
この先1年の途方もない仕事量を考えると、少し大人しくしていたくなる日なのです。

神田川の桜並木を見ても、何となく上の空。

プロジェクト全体を預かる身ですから。
「寄附収入でも前年を下回らない」と寝ても覚めても、自分に言い聞かせています。
震災前から職員歴20年間、これだけは変わりません。

ですが、全国の数えられないぐらい多くの皆さまのおかげで、何とか前年同様の支援額に
辛うじて到達することができました。上回るか、若干下回るか、最終の正確な金額は、
決算を待たねばなりませんが。

今、全日空機で徳島に向かっています。
「四国は4%経済」と地元の人が嘆くのを聞くこともありますが、
当プロジェクトにとって四国は寄附者が指折り多い地域。
理由はただ一つ。一生懸命プロジェクトを応援し、
支援の輪を広げてくれる人がたくさんいるから。

阿南市市議会議員の方と、LEDで有名な日亜化学工業㈱ (40年来のオイスカ法人会員。海岸林にも継続寄付)にもご挨拶に行きました。(4月6日)

阿南市市議会議員の方と、LEDで有名な日亜化学工業㈱
(40年来のオイスカ法人会員。海岸林にも継続寄附)にも
ご挨拶に行きました(4月6日)

飛び立つ時のGが体にかかり、活動報告の機会を演出してくれたオイスカ四国支部、
四国電力徳島支店、徳島ロータリークラブなどの皆さまが待っていてくださることを思い、
気持ちが切り替わりました。私たちに機会を作って下さり、本当にありがとうございます。

徳島ロータリークラブでオイスカ四国支部池田事務局次長と活動報告しました(4月6日)

徳島ロータリークラブでオイスカ四国支部池田事務局次長と
活動報告をしてきました(4月6日)


 
また今年度も、ゼロから這い上がります。
一歩一歩。必勝を期して。

名取市のホームページでこんな情報を見つけました。
——【以下、名取市役所HPより抜粋】—————————————-
http://www.city.natori.miyagi.jp/news/node_39359
NHK・BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」は俳優の火野正平さんが自転車で全国を巡り、
投稿していただいた中から選ばれたお手紙の風景を訪ねる番組です。
今年で6年目を迎える番組の2016春の旅は、東京からスタートし、神奈川・山梨・長野
そして日本海の新潟へ移動。東北6県を巡り、ゴールの北海道を目指します。
宮城県へ立ち寄るにあたり名取市の皆様から、大切な「こころの風景」をお手紙でお伝えください。
人生の節目に眺めた忘れられない景色、音や香りの記憶と重なる情景、毎日の暮らしの中で元気を
もらっている場所など。心の中にしまってある、あなただけのエピソードと一緒に、
便箋2~3枚のお手紙にして送って下さい。
あて先は、郵便番号 150―8001 NHK放送センター「こころ旅」係まで。
締め切りは、5月2日(月)必着 です。
詳しくは、番組ホームページをご覧下さい。
————————————————————————————
地元ボランティアの皆さんも、ボランティアがきっかけで名取に来られた方も
皆さんそれぞれの思いがあると思います。
お手紙を書いてみてはいかがでしょうか?
 
 

撮影 2016年3月30日


DSC_0055撮影 2016年3月30日

春を見つけました!

2016年4月5日( カテゴリー: いきもの, 現場レポート )

こんにちは。浅野です。3月28日~30日まで名取に出張していました。
吉田のブログにもありましたが植樹祭の告知をしてきました。
28日・29日の2日間で2000枚以上のちらしをいろいろなところに置かせてもらいました。
植樹祭までの1ヵ月半、頑張ります!

東京の桜はこのころで7分咲きくらいでしたが、宮城ではまだ開花していませんでした。
まだ春は先かなぁ…と思っていたら、春を見つけました。
植樹祭の告知の最中にたまたま車を停めて降りたところに〝つくし″が!

ちょっと見づらいですが…分かりますか?

ちょっと見づらいですが…分かりますか?

たくさんあったわけではないですが、春を感じました。
その後ろには私の好きなオオイヌノフグリが。

オオイヌノフグリです

オオイヌノフグリです

小さくても頑張って咲いてる姿を見ると元気が出ます。
踏みつぶさなくてよかった…

それともう一つ、植栽現場でも春を見つけました。
昨年の秋に補植をした広葉樹から芽が出ました!

見えますか?

見えますか?

全部からというわけではないですが、この厳しい環境下で一生懸命生きているのには感服します。

今月からまたボランティアの日が始まります。
毎月、名取に行けるのでしっかりと情報をアップしていきたいと思います!

28日は市役所の部長さんとベテラン職員さんと宮城県立農業高校(名取市内。日本最古の農業高校)を訪問。
生徒さんに植樹祭をお知らせいただくなど、浅野と二手に分かれ、2日で市内を一気に告知。
生徒さんが作ったお米が、とうとうオーストラリアに初輸出されたそうです。高校生もTPP。世界視野。
同校はオイスカ第1育苗場のすぐ目の前にありましたが被災。今はプレハブ校舎。生徒さんはプレハブで
3年を過ごす子がたくさん。平成30年に移転。新しい農地の土で一から土づくりなのでしょう。
浅野は航空機燃料を扱うパシフィック㈱の鈴木社長の手を借りて、仙台空港関連各社に食い込んだ。
鈴木社長は、クロマツをユーモアを交え、独特の語り口で語る一人。同社はもう4年毎月寄附が続く。
先日、新聞広告で同社の歴史が掲載されていたが、最新の欄に「海岸林再生プロジェクトを支援」と
書いてあった。社長の事だから、広告とは別に、会社が続けていることを繰り返し全社員に伝えているはず。
海岸林の再生を通じて、社員にメッセージを送っているはず。
名取事務所に戻った。浅野は日没になっても、まだ外回り中。
再生の会の菅野さんの机の上に、三菱UFJニコス㈱がカード会員100万人に年10回ほど発行している
「Partner」4-5月号が届いていて、付箋がしっかりついていた。海岸林特集になっていた。

毎号、ニコスとオイスカの女子の合作です。ニコスにも「クロマツ博士」が…

毎号、ニコスとオイスカの女子の合作です。
ニコスにも「クロマツ博士」が…


同社は、企業という企業の中で一番早く支援を決めてくれた。この5年、100万人に対して毎号必ず1ページ確保して海岸林再生の今を伝え続けてくださっている。
ちょっと疲れていたからかもしれないが、励まされた感じがして、同社のみなさまに久々お礼のメールをした。
自社の業種業態を活かした支援を他の企業もして下さっているが、その範を示すように黙々と先頭を行く。
他の企業もそれを見て「わが社らしく」とアイデア勝負を続けてくださるのが、わがチーム海岸林。
3月は年間で一番寄附が多く入金される。圧倒的に個人が多いのだが、非常に多くの企業や労組、各種団体から支援が続いている。残念ながら、メディアなどでは熱いハートや優れたアイデア、いわゆる「美しい姿」はなかなか取り上げられない。
先日、経済同友会の岡野常務との夕食のとき、「ぜひ次の同友会と合同の活動報告会では、企業・団体の取り組みの姿を報告したい」と申し上げたところ、一発、快諾いただいた。
ものの本に「社風」が書かれていることがある。いまチーム海岸林として、じつに様々な企業団体が
行動を共にして下さっている。私の立場では、とくに良い意味での「社風」を感じることが多い。
極端かもしれませんが、社会貢献の在り方は、社風を映す鏡とすら私には感じるのです。
この海岸林への取り組みが、各社の社会貢献の歴史、各企業の歴史の中でしっかり刻まれ、
自社の良い面として自覚され、自信を新たにしていただける取り組みとなることを目指します。
「Partner」を読みながら、ニコスさんだけではなく、各社の担当者の方たちの多くの顔も浮かんだのです。
今年も心豊かな、胸に秘めたる熱いハートの皆さんが来ることを、静かに待っています。
各社、各団体、時に個人までも、それぞれの持ち味で「広報啓発」協力してくださるのがチーム海岸林の特徴です

各社、各団体、時に個人までも、それぞれの持ち味で「広報啓発」協力してくださるのがチーム海岸林の特徴です

我々が海岸林造成史や海沿いの生活史に興味を持っていることをよく知る市役所の鈴木さんが、
以前、国土地理院のHPの存在を示してくれていました。「名取市の海岸林史」調査を正式に
着手した日、改めて画像を手に、いかに有用か教えに来てくれました。
名取市の戦前の情報は、航空写真以外を辿らねばならないことが分かりましたが、
戦後に関しては航空写真が非常によく示してくれます。1947年から米軍が撮影していました。
今朝、出勤した再生の会の方に試しに見て頂いたら、もう釘づけ。新しい情報も出てくる。
「あ、思い出した。学校植林で植えたマツは、青年団皆で伐採して売って、全部チップになった」
続きは菊池先生と小林さんが揃うまで封印。
2020年頃には、口伝、聞き取り記録が小冊子にはなると期待できました。
OISCAの「C」はCulturalのC。文化の面でも少しでも貢献したい。
続きの調査が楽しみです。
【国土地理院HPの使い方】 http://www.gsi.go.jp/  
  ⇒航空写真だけではありません。ココから伊能忠敬の地図も見れるんです。 
1.『地図・空中写真・地理調査』の『地図・空中写真閲覧サービス』をクリック
2. 検索方法を「空中写真」に指定する。
3.見たい西暦を指定する。
4.見たい県・市を指定し、「検索」をクリック
5.ピンクのポイントが現れる。見たい場所にカーソルを当てると航空画像の範囲が現れる。

1947年(昭和22年) 米軍撮影 仙台空港は小さいですね。 現在の市有林、県有林はここではまだ荒地か疎林

1947年(昭和22年) 米軍撮影 仙台空港は小さいですね。
現在の市有林、県有林はここではまだ荒地か疎林


1952年(昭和27年) 戦後の海岸林造林が佳境です。 内陸防風林も今の3倍ぐらいの規模。 学校植林地も出現

1952年(昭和27年) 戦後の海岸林造林が佳境です。
内陸防風林も今の3倍ぐらいの規模。学校植林地も出現


1979年(昭和54年) ここで国有林が払い下げられ 今のビニールハウス団地に変貌

1979年(昭和54年) ここで国有林が払い下げられ
今のビニールハウス団地に変貌

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