名取市のホームページでこんな情報を見つけました。
——【以下、名取市役所HPより抜粋】—————————————-
http://www.city.natori.miyagi.jp/news/node_39359
NHK・BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」は俳優の火野正平さんが自転車で全国を巡り、
投稿していただいた中から選ばれたお手紙の風景を訪ねる番組です。
今年で6年目を迎える番組の2016春の旅は、東京からスタートし、神奈川・山梨・長野
そして日本海の新潟へ移動。東北6県を巡り、ゴールの北海道を目指します。
宮城県へ立ち寄るにあたり名取市の皆様から、大切な「こころの風景」をお手紙でお伝えください。
人生の節目に眺めた忘れられない景色、音や香りの記憶と重なる情景、毎日の暮らしの中で元気を
もらっている場所など。心の中にしまってある、あなただけのエピソードと一緒に、
便箋2~3枚のお手紙にして送って下さい。
あて先は、郵便番号 150―8001 NHK放送センター「こころ旅」係まで。
締め切りは、5月2日(月)必着 です。
詳しくは、番組ホームページをご覧下さい。
————————————————————————————
地元ボランティアの皆さんも、ボランティアがきっかけで名取に来られた方も
皆さんそれぞれの思いがあると思います。
お手紙を書いてみてはいかがでしょうか?
 
 

撮影 2016年3月30日


DSC_0055撮影 2016年3月30日

春を見つけました!

2016年4月5日( カテゴリー: いきもの, 現場レポート )

こんにちは。浅野です。3月28日~30日まで名取に出張していました。
吉田のブログにもありましたが植樹祭の告知をしてきました。
28日・29日の2日間で2000枚以上のちらしをいろいろなところに置かせてもらいました。
植樹祭までの1ヵ月半、頑張ります!

東京の桜はこのころで7分咲きくらいでしたが、宮城ではまだ開花していませんでした。
まだ春は先かなぁ…と思っていたら、春を見つけました。
植樹祭の告知の最中にたまたま車を停めて降りたところに〝つくし″が!

ちょっと見づらいですが…分かりますか?

ちょっと見づらいですが…分かりますか?

たくさんあったわけではないですが、春を感じました。
その後ろには私の好きなオオイヌノフグリが。

オオイヌノフグリです

オオイヌノフグリです

小さくても頑張って咲いてる姿を見ると元気が出ます。
踏みつぶさなくてよかった…

それともう一つ、植栽現場でも春を見つけました。
昨年の秋に補植をした広葉樹から芽が出ました!

見えますか?

見えますか?

全部からというわけではないですが、この厳しい環境下で一生懸命生きているのには感服します。

今月からまたボランティアの日が始まります。
毎月、名取に行けるのでしっかりと情報をアップしていきたいと思います!

28日は市役所の部長さんとベテラン職員さんと宮城県立農業高校(名取市内。日本最古の農業高校)を訪問。
生徒さんに植樹祭をお知らせいただくなど、浅野と二手に分かれ、2日で市内を一気に告知。
生徒さんが作ったお米が、とうとうオーストラリアに初輸出されたそうです。高校生もTPP。世界視野。
同校はオイスカ第1育苗場のすぐ目の前にありましたが被災。今はプレハブ校舎。生徒さんはプレハブで
3年を過ごす子がたくさん。平成30年に移転。新しい農地の土で一から土づくりなのでしょう。
浅野は航空機燃料を扱うパシフィック㈱の鈴木社長の手を借りて、仙台空港関連各社に食い込んだ。
鈴木社長は、クロマツをユーモアを交え、独特の語り口で語る一人。同社はもう4年毎月寄附が続く。
先日、新聞広告で同社の歴史が掲載されていたが、最新の欄に「海岸林再生プロジェクトを支援」と
書いてあった。社長の事だから、広告とは別に、会社が続けていることを繰り返し全社員に伝えているはず。
海岸林の再生を通じて、社員にメッセージを送っているはず。
名取事務所に戻った。浅野は日没になっても、まだ外回り中。
再生の会の菅野さんの机の上に、三菱UFJニコス㈱がカード会員100万人に年10回ほど発行している
「Partner」4-5月号が届いていて、付箋がしっかりついていた。海岸林特集になっていた。

毎号、ニコスとオイスカの女子の合作です。ニコスにも「クロマツ博士」が…

毎号、ニコスとオイスカの女子の合作です。
ニコスにも「クロマツ博士」が…


同社は、企業という企業の中で一番早く支援を決めてくれた。この5年、100万人に対して毎号必ず1ページ確保して海岸林再生の今を伝え続けてくださっている。
ちょっと疲れていたからかもしれないが、励まされた感じがして、同社のみなさまに久々お礼のメールをした。
自社の業種業態を活かした支援を他の企業もして下さっているが、その範を示すように黙々と先頭を行く。
他の企業もそれを見て「わが社らしく」とアイデア勝負を続けてくださるのが、わがチーム海岸林。
3月は年間で一番寄附が多く入金される。圧倒的に個人が多いのだが、非常に多くの企業や労組、各種団体から支援が続いている。残念ながら、メディアなどでは熱いハートや優れたアイデア、いわゆる「美しい姿」はなかなか取り上げられない。
先日、経済同友会の岡野常務との夕食のとき、「ぜひ次の同友会と合同の活動報告会では、企業・団体の取り組みの姿を報告したい」と申し上げたところ、一発、快諾いただいた。
ものの本に「社風」が書かれていることがある。いまチーム海岸林として、じつに様々な企業団体が
行動を共にして下さっている。私の立場では、とくに良い意味での「社風」を感じることが多い。
極端かもしれませんが、社会貢献の在り方は、社風を映す鏡とすら私には感じるのです。
この海岸林への取り組みが、各社の社会貢献の歴史、各企業の歴史の中でしっかり刻まれ、
自社の良い面として自覚され、自信を新たにしていただける取り組みとなることを目指します。
「Partner」を読みながら、ニコスさんだけではなく、各社の担当者の方たちの多くの顔も浮かんだのです。
今年も心豊かな、胸に秘めたる熱いハートの皆さんが来ることを、静かに待っています。
各社、各団体、時に個人までも、それぞれの持ち味で「広報啓発」協力してくださるのがチーム海岸林の特徴です

各社、各団体、時に個人までも、それぞれの持ち味で「広報啓発」協力してくださるのがチーム海岸林の特徴です

我々が海岸林造成史や海沿いの生活史に興味を持っていることをよく知る市役所の鈴木さんが、
以前、国土地理院のHPの存在を示してくれていました。「名取市の海岸林史」調査を正式に
着手した日、改めて画像を手に、いかに有用か教えに来てくれました。
名取市の戦前の情報は、航空写真以外を辿らねばならないことが分かりましたが、
戦後に関しては航空写真が非常によく示してくれます。1947年から米軍が撮影していました。
今朝、出勤した再生の会の方に試しに見て頂いたら、もう釘づけ。新しい情報も出てくる。
「あ、思い出した。学校植林で植えたマツは、青年団皆で伐採して売って、全部チップになった」
続きは菊池先生と小林さんが揃うまで封印。
2020年頃には、口伝、聞き取り記録が小冊子にはなると期待できました。
OISCAの「C」はCulturalのC。文化の面でも少しでも貢献したい。
続きの調査が楽しみです。
【国土地理院HPの使い方】 http://www.gsi.go.jp/  
  ⇒航空写真だけではありません。ココから伊能忠敬の地図も見れるんです。 
1.『地図・空中写真・地理調査』の『地図・空中写真閲覧サービス』をクリック
2. 検索方法を「空中写真」に指定する。
3.見たい西暦を指定する。
4.見たい県・市を指定し、「検索」をクリック
5.ピンクのポイントが現れる。見たい場所にカーソルを当てると航空画像の範囲が現れる。

1947年(昭和22年) 米軍撮影 仙台空港は小さいですね。 現在の市有林、県有林はここではまだ荒地か疎林

1947年(昭和22年) 米軍撮影 仙台空港は小さいですね。
現在の市有林、県有林はここではまだ荒地か疎林


1952年(昭和27年) 戦後の海岸林造林が佳境です。 内陸防風林も今の3倍ぐらいの規模。 学校植林地も出現

1952年(昭和27年) 戦後の海岸林造林が佳境です。
内陸防風林も今の3倍ぐらいの規模。学校植林地も出現


1979年(昭和54年) ここで国有林が払い下げられ 今のビニールハウス団地に変貌

1979年(昭和54年) ここで国有林が払い下げられ
今のビニールハウス団地に変貌

image1
image2
image3緑化技術参事の清藤城宏です。
久しぶりに日本森林学会大会に参加しております。
今年は藤沢市にある日本大学生物資源学部を会場に1000人を超す参加者、発表件数も1000件を超えたマンモス大会です。東日本大震災から5年経過した現在、海岸林の防災に関する報告は数件しかありませんでした。
今年の大会は、苗木に関係する報告が多くみられ、特に海岸林再生の苗コンテナ苗にかかわる問題を取り上げている報告が多く、私たちも全面的にコンテナ苗に切り替えて生産しておりますので、興味深く聞かせてもらいました。
結論的には従来の裸苗の植栽よりもコンテナ苗が有利であることが言われておりました。
苗木の形状も、私たちの育苗場では、根元径をできるだけ太くすることを心がけて苗づくりをしておりますが、
樹高成長に対し根本直径の比(形状比)が小さい方が良いとの報告があり、私たちの経験で実施してきている技術の有用性に意を強くしました。
来年はぜひ学会で我々のモニタリング調査結果も発表したいと思った次第です。

海岸林が暮らしを守る森林として育生され、保護されてきた歴史に関心をもち、調査・研究を進めています。
植林が開始された江戸時代の記録を読むうちに、実際の作業を体験しなければ歴史資料の理解は深まらない
という思いが募り、2013年4月からオイスカのボランティアに参加してきました。
苗場で床替えや除草、植栽場では下草刈りや排水のための畦切りを体験し、海岸という環境の厳しさを実感する一方、作業の一つひとつが、この地に恵み豊かな森をつくるために繰り返されてきた歴史的な営為であるという思いを深くします。
オイスカによる名取市の海岸林再生事業は、その仕組み自体が注目に値することは周知の通りです。
ひろく国内外からボランティアを募り、民間の資金援助をもとに失われた海岸林を取り戻そうという試みは、日本の海岸林の植林史に例のない画期的な取り組みであることは確かでしょう。
植林事業は達成後の維持・管理こそが重要な課題ですが、苗木を植え育てるという支援によって生まれた、名取の海岸林と県内外の人々との出合いが、海岸林を末長く守り続けるシステムに繋がることに大きな期待を抱きます。私自身もその縁のひろがりに連なりたいと思っています。
これまで主に仙台市で調査を進めてきましたが、名取市も対象に含めたいと考え、3月17日・18日の両日、
キックオフというべきヒアリング調査をオイスカ啓発普及部副部長の吉田俊通さん、このたびオイスカのアドバイザーとなられた小林省太さんとご一緒におこないました。
名取市の海岸林については江戸時代に作成された絵図などから、成り立ちや里浜の暮らしとの関係が知られます。さらに明治年間以降、震災前まで繰り返されてきた植林の目的や背景は、一様ではなく、北釜と閖上でも異なることがわかっています。
北釜には大正天皇の即位の礼と関わる大正5年建立の植樹記念碑
下増田小学校の学校植林日本一を記念する昭和27年建立の植樹記念碑
戦中戦後の台林地区の開墾と関わる昭和34年建立の愛林碑 があり、
記念碑の数だけでも特筆されますが、それぞれの石塔に刻まれた植林の経緯も興味深いものがあります。
ほかの時期も含めて、植林事業の記録は宮城県公文書館が所蔵する県庁文書のなかに膨大な帳簿が残っていることから、どの時期の植林史を掘り起こすことが重要であるのか、見当がつかずにいたのですが、再生の会の鈴木英二会長をはじめ、メンバーのみなさんのお話を伺い、さらに北釜に立てられた3つの石碑の現場(震災後、愛林碑を除き行方不明ですが)を見て回ることで、いちばんに取り組むべきは、愛林碑に刻まれた植林の歴史を詳細にたどることであろうと目標が定まりました。
県庁文書でその計画と経緯を詳しく確認できる上に、航空写真で進行の状況がわかり、さらに再生の会の桜井勝征さん、森清さんをはじめとして、ご自身や家族が植林に携わり記憶にとどめられた事業であることが決め手となりました。
北釜耕人会の桜井恵子さんから頂戴した『平成21年北釜写真アルバム』に、台林地区の開墾と植林の途上で撮影されたとみられる写真を発見しました。
北釜開墾耕地組合作業地写真(『平成21年北釜写真アルバム』)
北釜の関係者のほか、県の役人が大きく育った松林を背景に並んでいるこの写真も、多くの情報を読み取れる貴重な歴史資料です。アルバムに収められた、北釜の年中行事を写した写真の数々は、震災前まで受け継がれてきた集落の穏やかな暮らしの風景を伝えていて、魅入りました。松林に守られることで続いてきたであろう北釜の暮らしの伝統と、住民同士の繋がりにも関心を向け、調査を続けていきたいと考えています。

(東北学院大学 文学部教授 菊池慶子)

大阪マラソン ランナー募集

2016年3月31日( カテゴリー: 本部発 )

こんにちは。浅野です。
3月18日(金)に大阪へ出張してきました。
目的は大阪マラソン寄付先団体への説明会の参加。
おかげさまで3年連続寄付先団体に選んでいただき、今年も
チャリティランナーの皆さんと大阪マラソンに参加することができます。
せっかく大阪まで行くのだから…ということで
UAゼンセン大阪府支部とミズノユニオンを訪問してきました。
プロジェクトの進捗報告・大阪マラソンチャリティランナー募集についてなどの
話をさせていただきました。お忙しい中、お時間をいただきありがとうございました。
そのあと説明会へ行ったのですが、今回は14団体中5団体が新規団体。
オイスカと同じ緑ブースも去年までとは違う団体です。
選んでいただいたのだから、まずランナーを集めることからしっかりやらなければ!と
気持ちを新たにしました。
ということで、走っていただける方・興味のある方がいましたらご連絡ください!
ランナーのエントリー開始は4月8日(金)10:00です。
詳細はこちら → http://www.osaka-marathon.com/2016/runner/entry/apply_c/
今年はプロジェクト責任者 吉田が走ります!
ぜひ、一緒に走って大阪マラソンを盛り上げましょう!!
※3/29(火)14:00に公募に関する情報がHPなどでアップ、ということで
出張報告が遅くなってしまいましたが、これからも出張したら報告させてもらいます。
(ブログに慣れていなくて、ついつい後回しにしてよく注意されるんです…)

異動

2016年3月30日( カテゴリー: 現場レポート )

東京本部の机の引き出しには、震災以降に交わした名刺3,000枚がビッシリ入っている。
使ったら手前に入れるので、手前ほど接触頻度が高いと言える。
その名刺を文字通り擦り切れんばかり使わせていただいた人が、異動になりご挨拶に伺った。
あらためて聞いてみたら、その方の仙台着任と、私が震災後初めて仙台に行ったのとは、
まったく同時期の2011年5月。
お互い組織を代表し、現場最前線で相対するということは、技術面から、組織運営面まで
打ち合わせのカバーエリアは極めて広い。浅く広くではなく、深く広く、どんな話でもできることを
お互いに求める。技術屋が軽んじられる昨今、技術の話になれば止まらない人が窓口であることは、
我々にとって最高に幸せなことだった。いつも会っているのに、今日も、あっという間の1時間半。
「オイスカさんは大丈夫だから」。2014年の整備協定締結前1年ぐらいは会うたび、話すたび、
そう言われた。「俺が責任もつから、一切心配するな」と言われているようにいつも感じた。
このプロジェクトが無事進んでいくように俺が守って見せると言っているように聞こえた。
プロジェクトの本質、どういう仕事でありたいか、大事なことは何か、一番深く理解してくれていた
一人だった。
「すぐまた来ますよ」と言ってくれた。
写真展や、シンポジウムには、いつも私服で来てくれた。
私にとっては「兄貴分」でもあり、「戦友」の様に思っていた。
とても残念だけど、私服でも会える人がまた一人増えたと思うことにしよう。
この方の他にも、風の噂が伝わってきた幾人もの、とてもお世話になってきた方に一言ご挨拶に伺う、
毎年恒例の宮城出張だった。

今年はここで頑張ります。いい現場に仕上がってました。

今年はここで頑張ります。いい現場に仕上がってました

これから3年は、皆さんとともに、広浦の入り江を見ながらの作業が 加わります。

これから3年は、皆さんとともに、
広浦の入り江を見ながらの作業が加わります

アドバイザーの小林です。
関東の背開き、関西の腹開き、といえばウナギですが、ぶつ切りとははじめて聞きました。
先日、宮城県名取市で地元の方に昔の生活を聞いていた時に出た話です。
「昭和40年代くらいまで広浦では天然のウナギがずいぶん取れた」と言って、
その太さを親指と中指で輪をつくって示してから、料理法の説明です。
料理法といってもぶつ切りだから難しいことはありません。ウナギと、あとはあれこれ野菜を入れ、
寒天で煮て煮凝りのようになったものをおかずにしてご飯を食べる、という話です。
広浦は海水と淡水が混じる汽水域で魚が豊富にとれたということですが、
幼い頃食べたおいしいものを振り返るとき、人は活き活きとしてくるものですね。

ちなみに 2016年『土用丑の日』は 7月30日(土)です

ちなみに 2016年『土用丑の日』は 7月30日(土)です

4月からアドバイザーの立場で海岸林再生事業を中心にOISCAのお手伝いをさせていただくことになった
小林省太と申します。日本経済新聞の論説委員をしておりました。
今後、折に触れ、気づいたことなどを書いていきます。よろしくお願いします。
すでに宮城県名取市の海岸林植林の現場も何度か訪ねていますが、先日は菊池慶子・東北学院大学教授と
地元の方々から昔の生活や、生活と松林の関係などを聞きました。
すでにブログでも紹介されているとおりです。
その調査の前に読んで頭に入れておいたのが、
菊池教授が書いた「仙台藩の海岸林と村の暮らし–クロマツを植えて災害に備える」です。
70ページほどの小冊子ですが、仙台藩のクロマツ植林の歴史と、松林と生活のかかわりが
コンパクトに分かりやすくまとめられています。
この本を少し紹介しましょう。

ぜひ皆さんも読んでみてください

ぜひ皆さんも読んでみてください


菊池教授の専門は近世(江戸時代)で、宮城県公文書館などに眠っている史料から海岸林の植林に関するものを
丹念に探し出しているのが研究の特徴です。
宮城県の松林というと「伊達政宗の号令一下」のイメージがあったのですが、この本によれば、
植林が始まったのは政宗の時代を下ること約半世紀、17世紀半ばの1650年ごろからということです。
1700年ぐらいには立派な松林になっていたわけで、2011年にあらかた流されてしまった海岸林は、
長いもので350年ほどの歴史を持っていたことになります。
海岸にクロマツを植林する手間、技術的な難しさは今も同じでしょうが、
江戸時代にはもっと大変だったということは想像に難くありません。巨額の費用もかかりました。
藩はもちろんですが、有力な藩士や豪商、あるいは村民自らも費用を負担して松林をつくり、
守っていた様子が本に描かれています。そうまでしたのには、もちろん理由があります。
本には松林ができるまえの1611年(慶長16年)、「慶長奥州地震津波」で仙台藩の領内に1783人の死者が
出たことが記されていますが、こうした大災害を経てクロマツの植林が進められていったわけです。
海岸林には、津波はもちろんですが高潮や風、砂、霧などから、後背にある住まいや田畑を守る役割があります。
戦後まで、松葉や枝、梢は燃料として使われ、松林はきのことりの場でもありました。
「里山」の機能を果たしていたわけです。それだけではありません。
「魚つき林」という言葉があるそうですが、魚の生育のためよい環境を生み出す、そんな林を言うようです。
マツの枝葉が海で腐食してプランクトンを育む、林に生息する昆虫が海に落ちで餌になる、
樹影が魚に好ましい暗がりをつくる・・・松林のそんな効果が本には指摘されています。
さらに、飢饉のときにはクロマツの皮を剥いで砕き、米や大豆の粉にまぜて「松皮餅」という食料にしましたし、
外国船が日本周辺に現れた幕末には、海岸林の海防施設としての役割が注目されたとの記述もあります。
東日本大震災で失われた松林の再生は、海岸林が歩んできた長い歴史につらなる試みだということが、
本を読むとよく分かります。4月にはOISCAの現場でも3年目の植栽が始まります。
海岸林の維持には、ボランティアの方々の力も欠かせません。
ぜひ現場にも足を運んで頂きたいのですが、この本を読んでから来ていただければ、
草取り一つでも持つ意味が違ってくる、そんな本だと思います。
すでにブログでも紹介されていますが、本書は仙台市の蕃書房発行、800円(税別)です。
詳細・購入手続きはコチラ(蕃山房HP)

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