大阪マラソンレポート ママさんランナー
広報室の林です。
今回私が紹介したいのは一番印象的だったチャリティランナーMさん。
なんと彼女はチャリティランナーの集合場所
(ここで荷物を預けるとゴール地点まで運んでもらえます)
に現れず、荷物を持ったままスタート地点へ。
しかも小学1年生の息子さんを連れて……。
大慌てで彼女と合流。
無事スタート前に荷物と息子さんをお預かりすることができました。
途中息子さんと一緒に沿道でお母さんを応援し、
その後はすぐ電車でゴール地点に向かい、彼女の応援団に
息子さんをお預けして私は自分の持ち場に向かいました。
バタバタのスタートだったにもかかわらず、
彼女はゴール地点に軽い足取りでやってきて
私の前をさっそうと駆け抜けていきました。
そして初マラソンながら5時間を切る好タイムでゴール!
ママさんランナーのパワーはすごい!
しかももっとすごいのはこの翌日から
ミャンマーに出張するというスケジュール。
Mさんの底なしのパワーに脱帽。
今頃ミャンマーでお疲れが出てないといいのですが……。
大阪マラソンレポート EXPO&応援団
10月30日、無事に第6回大阪マラソンが終了しました!
日曜からの報告にもあるように、48名のチャリティランナーの皆さんは
途中で具合の悪くなってしまった方がおひとりいましたが、ほかの方は、無事完走されました!
28日~30日に開催された大阪マラソンEXPOの来場者は、3日間で123,000人を記録しました。
準備した資料も全て配布でき、多くの方に海岸林の活動を知っていただくいい機会となりました。
中には海外からの方もいらっしゃり、頑張って英語で説明するとその場で募金をしてくれました!
30日のマラソンは天気もよく(ランナーの方には暑すぎたと思いますが…)、
沿道の応援が130万人を超える大盛況(事務局発表)。
大阪ならではのおもしろい応援をしている方やランナーを一生懸命探している方、
とりあえず全員の応援をしてみる方、いろいろな方がいました。
もちろん、オイスカの応援団も。
昨年も一緒に応援してくださったネクスタの方々。
オイスカのランナーだけでなく、走っている方みんなに声をかける姿がすごく印象的でした。
それともう1チーム。オイスカ関西研修センターの皆さん。
フィリピンのバゴから所長を含め8名が出場するということで応援に来てくれました!
技能実習生たちも実習先から駆けつけ、大応援団に。
ランナーの皆さんはもちろん、応援団の皆さんもお疲れさまでした。
また来年も寄付先団体に選んでもらえるように頑張ります!
大阪マラソンレポート ベストチャリティランナー
29日、大阪マラソン本番を前に
ベストチャリティランナー賞の授賞式が行われました。
ステージで賞状と記念品を受け取った吉田は、
「現場ボランティアに来てくださった800名以上の方から
いただいたチャリティ募金です」と、来場者の皆さんの前で
多くの方のご支援に感謝の言葉を述べていました。
その吉田がステージを降りて言った一言。
「時計買っちゃった~~(泣)」
実はこの左腕にはめているマラソンのために買った白い腕時計と
ほぼ同じモデルの時計が記念品として贈られたのです(笑)
それがコチラ↓
でもこれは大阪マラソンモデルですから
吉田が購入したものとは違います。
当日はこちらの大阪マラソンモデルを腕に力走!
ゴール直前は力走ではなくほぼ歩きでしたが、
本人が目標としていた「収容車に乗らないこと」
(各ポイントに設けられた制限時間に間に合わないと、それ以上走ることはできず、
搬送車に乗ってゴール地点までいくことになるのです)
という目標を達成し、制限時間内にゴールすることができました!
7時間が過ぎた途端に撤去されてしまうこのフィニッシュゲート。
時間内に完走できなかったら、フィニッシュゲートを合成した写真を
作らないといけないと心配していましたが、撤去前にゴールできましたので、
ご支援くださった皆さんに合成写真ではない写真でお礼のご報告ができました!
皆さん、本当にありがとうございました!!
大阪マラソンレポート 応援ありがとうございました!
48名が「海岸林再生プロジェクト」支援のためにチャレンジを表明し、
チャリティランナーとしてエントリーした今年の大阪マラソンが無事終了しました。
おかげさまで担当部長の吉田も完走!
これまでも報告してきた通り、今年は支援企業・団体から
推薦されて走ってくださったランナーも多く、応援団を結成して
沿道から声援を送ってくださる企業さんも見られました。
今回がオイスカのチャリティランナーとして3度目の出場となった藤澤さん。
同級生の皆さんが寄附をして出場を支えてくれたそうです。
今年は現場ボランティアにも3回参加され、汗を流してくださいました。
昨年ベストチャリティランナー賞を受賞した久我さん(左)は
オイスカのチャリティカラーである緑チームが平均タイムで1位を獲得したことから、
今年のマラソンに一般ランナーとして出場できる権利があったにもかかわらず※
今回もチャリティランナー賞として、しかも職場の後輩と一緒に出場してくれました。
※大阪マラソンでは一般ランナーも含め全ランナーが登録時にカラーを選択しており、
チームカラー対抗で平均タイムを競います。優勝チームの完走者の中から100名が
翌年の大会の出場権利を得られるという特典があるのです。人気がある大会のため倍率が高く、
抽選になかなか当たらない人も多い中、この企画で出場権が得られるのはランナーにとっては大きな魅力なのです
そしてこちらも昨年に続いての参加となったチームフィリピン。
今年は1名が増え、バゴ研修センターの渡辺所長も含めると8名。
出場してくださった皆さん、応援してくださった皆さん
寄附という形で支えてくださった皆さん、
本当にどうもありがとうございました。
明日以降も少しずつ報告していきます!
大阪マラソン2016
こんにちは、浅野です。
いつの間にか10月も終わりに近づき…
明後日には大阪マラソンが開催されます!
私は昨日から大阪に入り、今日明日と行われる大阪マラソンEXPOの準備をしていました。
本日11時よりEXPOが始まり、併せてランナーの皆さんの受付が始まります。
今年海岸林再生プロジェクトのために走ってくれるチャリティランナーさんは48名。
お会いできるのが楽しみです。
ご存知の通り、吉田担当部長も走ります。
皆さまからのご寄附のおかげで、ベストチャリティランナーに選ばれました。
そんな吉田担当部長が気になっている方も多いと思うので、応援に来られない方も進捗がわかる
素敵なサービスをご紹介します!
大阪マラソン公式HP(http://osaka-marathon.com/)にある
ランナーズ・アイというサービスで、5㎞ごとのランナーの通過タイムが分かります!
それだけではなく、15㎞・25㎞・35㎞・フィニッシュ地点ではランナーが各地点を通過した前後合計10秒の
動画も見れちゃいます!
検索方法は簡単。
氏名もしくはゼッケン番号で検索できます!!
吉田俊通、もしくはK634で検索すると吉田担当部長の居場所がわかってしまうということ。
ぜひ、皆さん使ってみてください!!
広報室の林です。オタクの休日に同行してきました。
まだ吉田のような海岸林オタクの域には達していませんが
“プチクロマツファン”の目線で見た草加松原レポートです。
まずはガイドさんが来ていたユニフォーム。
「草加宿案内人の会」の名前が入っています。
よくバスガイドさんが持っているような旗もありました。
案内は百代橋からスタート。
すぐに目についたのは、中央にある自転車用の
通路の途中にあるマツボックリ。
自転車が勢いよく下ってこられないような工夫なのかな??
ガイドさんによると、「ひゃくだいばし」ではなく「ひゃくたいはし」なのだそう。
ここにかかる橋は全て「はし」と濁らないのだとか。濁りのないきれいな川の水を
連想させるねらいがあるのでしょうとのことでした。
確かにどちらもにごってない!!
矢立橋の中央の自転車用通路には陶板(というのでしょうか?)が埋め込まれていました。
参勤交代の大名行列とマツが描かれていて、その上には「日光街道 草加」という文字が見えます。
祖母が埼玉県川口市に住んでおり、子どもの頃からたびたび埼玉県には遊びに来ていたものの、恥ずかしながら草加=草加せんべい程度の知識しか持ち合わせていませんでした。祖母が必ず持たせてくれるお土産はいつも草加せんべいだったことが、影響しているのかもしれません。そんな草加と私の地元浜松がこんなふうに松の街道という共通点があったなんて、急に親近感を覚えました。
私の地元、浜松にも姫街道と呼ばれる東海道の裏街道にも立派な松並木があるのです。ここはその名の通り大名のお姫様が関所を避けるのに通ったといわれる街道で、描かれるのは華やかな着物をまとった姫様道中行列という点が違っています。
中に入ると窓の上にずらっと昭和20年代~30年代ゴロを中心としたかつての松並木の写真が並んでいました。地元のおじさまたちは興奮気味に子どもの頃を話をしだします。
記憶の引き出しを時々引っぱり出すって大事なこと。故郷を大切に思う気持ちも一緒に出てくるように思うから。
私がここで気になったのは大きなマツボックリ。こちらは本物です。 手のひらが隠れてしまうようなサイズのマツボックリがたくさん箱に入れられ 「ご自由にお持ちください」と書かれていました。 これからの季節、緑色にペイントしたクリスマスツリーをつくったり、 クリスマスリースの飾りにしたりと活躍することでしょう。
↓ 左は吉田がブログに書いていた俳句ポスト。 ↓私はこんな庭園風のスペースも気に入りました。
この松並木が地元の方たちに親しまれている様子がよく分かりました。そして、この松並木がどれほど愛されてきたのかということが分かるエピソードも聞くことができました。それが分かるのが写真の柵。
本来であれば川岸に堤防を作らなければならないということで、河川を管轄する国土交通省がマツを切って堤防をつくることを提案した際、住民たちが強く反対してマツが守られたのだそう。川岸には堤防ではなくこの柵が設けられ、そして並木の反対型に植えられたマツと車道の間に石垣をつくることになったのだそう。
←その石垣がコチラ。
車道からはこのように見えます↓
お天気もよく、博識なガイドさんのおかげで(いろいろな質問に答えようと
たくさんメモを作って年代などの数字も確認しながら正確にご案内くださいました)
ゆっくりといにしえの人たちの様子を思いめぐらしながら散策させてもらいました。
“プチクロマツファン”はこの日、すっかり草加ファンになってしまったのでした。
10月25日晴天に恵まれた名取、朝は気温7度と身の引き締まる思いで松島森林総合の佐々木勝義さんと
お手伝いの高橋さんとで現場へ向かいまいした。今回はニセアカシアの枯殺試験の結果の調査でした。
はじめにニセアカシアにまつわる話を。
ニセアカシアは外来種、日本には1874年(明治7年)に北アメリカから輸入されたといわれています。
正式な和名は、ハリエンジュ(マメ科ハリエンジュ属、学名Robinia pseudoacacia)。
輸入された当初はアカシアと呼んでいましたが、後にアカシア(ネムノキ亜科ネムノキ属)の仲間が日本に輸入されてニセアカシアと呼ぶようになりました。ニセアカシアの花は、美しくそれだけでなく天婦羅にしても美味です。またハチミツの大事な蜜供給源にもなっております。
余談ですが、有名な西田佐知子の「アカシアの雨が止むとき」、石原裕次郎の「アカシアの花」その他歌に出てくるアカシアと歌われているのは、100%ニセアカシアで間違いないと思います。
さて、ニセアカシアのようなマメ科植物は、根に根粒を持ち、内部に根粒菌が共生しており、
この細菌が空中窒素固定能力を持っております。このため空中から窒素肥料を作ることが出来るのです。
そのため、肥料分の乏しい土でもよく育つため、早期緑化に用いられ植栽されてきました。
森林の形成が進んでくると、消ゆく運命にある先駆植物と考えられて導入されてきましたが、
その野生化、繁殖力は旺盛で、他の樹種を寄せ付けないアレロパシー(他感作用)を
持っていることが分かりました。河川敷では特に野生化し問題にもなっておりますが、
海岸林においてもクロマツを衰退減少させニセアカシアの単純景観構造を形成し、
また生物多様性の面からも問題になっている樹種です。
震災後、植栽地以外に下刈りをせず放置した場所では、下の写真のように3年も経つと2m以上にもなる
ニセアカシア林を形成し、しかもクロマツ植林地にも侵入している場所もあるのです。
では、本題に入りましょう。我々はニセアカシアの枯殺を目指して効果的な防除試験を試みております。
これまでの文献では、除草剤による枯殺が明らかにされてきておりますが、今回、効果が高くしかも出来るだけ
経費、労力を軽減することを主眼に、除草剤試験を行いました。これまで万能除草剤とし早くから用いられてきた
アミノ酸系グリホサートイソプロピルアミン塩(商品名ラウンドアップ)の効果は明らかでしたので、
今回はその①ラウンドアップと、ラウンドアップより価格的に1/3の
②ハヤワザ(成分グリホサートイソプロピルアミン34%+MCPAイソプロピルアミン塩6.5%)
それにさらに価格の安い③グリホエース(成分グリホサートイソプロピルアミン塩41%)の
三種の除草剤を用いました。7月末に下刈りをしてニセアカシアの切り口に原液塗布と十倍希釈液塗布を行い、
また下刈りのみの対象区を含め11か所のプロットを設置しました。
詳しい結果は、データを分析して報告しますが、今回は調査の感想を述べます。
どの調査区でも塗布したニセアカシアの切り株は褐変して萌芽は認められません。
特にハヤワザ塗布の区では(右上の写真)、細い切り褐変株をゆすると根腐を起こしているらしく
地際から簡単に抜けました。したがってラウンドアップのような価格の高い薬剤でなくとも
ハヤワザが最適ではないかとの感想を持ちました。ハヤワザはラウンドアップの34%液に
ホルモン系MCPAイソプロピルアミン塩6.5%が含まれている薬剤ですから、
MCPAイソプロピルアミン塩が相乗的効果を発揮していると思われました。
ちなみに刈り取っただけの対象区では根元直径の10㎜以下では、萌芽が見られない個体は多いものの、
右上の写真のように直径が太ければ太いほど旺盛に1mも達する萌芽枝もみられました。
根に貯蔵されているN養分量によるものと思われます。
ニセアカシアは根の萌芽性の強い樹種です。場合によっては50m以上にも根が伸び萌芽して
繁殖しているとも言われています。処理株が褐変枯死し、そこに萌芽枝が見られないといっても
根まで枯死しているのか気になるところで、その辺は春の開葉の時期でわからない言えなくもありません。
そこで、事業的にラウンドアップを塗布している場所で、褐変枯死した株を掘ってみました(写真左上)。
砂地の株から水平に1.4mも伸び硬い粘土層で直角に曲がってさらに伸びていました。伸びている根の茶褐色の
表皮が簡単に剥け、また根を折ってみると簡単に折れてしまいます。しかし根の中は水分をふくんでおります。
そこで健全なニセアカシアの根を掘り、その根と、除草剤塗布株で1m以上も伸びた根の一部分を
切り取りとった根を比較しました(写真右上)。右が除草剤塗布木から伸びた根、左が健全木からの根です。
除草剤塗布由来の根は、写真でもわかるように根内部の組織の色も少し褐色化していることが分かり、
やはり瑞々しさも違いますし、また根を折った時の弾力性も違いました。そういうわけで、
除草剤切り株塗布処理は、水平伸長しているランナー根まで枯殺に至らせていることが予想されました。
なおクズ繁殖地でも同じように試験を行っておりますが、ラウンドアップ、ハヤワザの除草効果は100%でした。
ニセアカシアを撲滅し、健全なクロマツ林を育てたいと願っています。
来年は下刈り時に、ボランティアの皆さんでハヤワザ塗布に協力していただくことになるでしょう。
その時はよろしくお願いいたします。
広報室の林です。
23日に草加市社会福祉協議会(以下、社協)が主催する「災害ボランティア講演会」で吉田が「海岸林再生プロジェクト」の報告をさせていただきました(吉田のブログはこちら)。
吉田の報告の前に、いつもボランティアに参加してくださる「チーム草加」の皆さんがそれぞれ社協のボランティア、「海岸林再生プロジェクト」のボランティアについて報告をしてくださいました。
まずは、社協が東日本大震災後に取り組んだ被災地でのボランティアについてKさんが報告。バスで被災地まで行き、がれきの撤去などをされたのだそう。その時にボランティアのお仲間たちとのグループ名が「チーム草加」に決定。ビブスも作っています。
当時、オイスカもボランティアバスを出して活動をしていましたが、その時に参加したのがご縁で、チーム草加を率いて「海岸林再生プロジェクト」のボランティアに参加してくださっているFさん。
2011年10月のボーイング787のツアーに参加してくださっていますので、ずっとプロジェクトの推移を見守ってきてくださった一人です。
その行動力、すごいなぁと思っていたのですが、ご本人は「自分は引っ込み思案だから、なかなかボランティアにも申し込みができない。お酒を飲んで、その勢いでネットでのボランティア参加申し込みをエイッとするのだ」と話していて、びっくりしたし、思わず笑ってしまいました。
この日、チーム草加の紅一点となったSさんは、「海岸林再生プロジェクト」のボランティアでどのようなことをするのかを分かりやすくお話してくださいました。
いろいろなボランティアに参加されているSさんからは「被災地復興支援の現場にはもちろんトイレはなく、困ることがあるけど、オイスカのボランティアはお昼に一度事務所に戻って食事をするから、その時にトイレにも入れる。だから女性も安心」とのお話がありました。
夜中の3時過ぎに集合して、みんなで車に乗りあわせて名取に向かうのだというお話を聞き、遠くから時間とお金をかけてきてくださる皆さんに改めて感謝の気持ちがわいてきました。
そして吉田の出番。パソコン操作を頼まれていた私は、140枚以上もあるパワーポイントがちゃんと終わるのか心配で、長い説明が終わるのを待たずに次の画面に切り替えてみたり。
こうした活動報告会は何度も経験がありますが、驚いたのは居眠りをしている人がいないこと! 一般市民も、行政関係者も混在する会場では、熱心にメモを取っている方もかなりいらっしゃいました。
もう一つ驚いたし、初めての体験だったのは最初から最後まで手話通訳がついていたこと。2人の女性が交替でステージに立ち手話を続けていました。専門的な話も多いのによどみなく通訳をしている様子に見入ってしまいました。
報告会後、通訳さんとその手話で活動報告を聞いてくださっていた男性にお礼を伝え、「早口だし、話があっちこっち飛んだりもするし大変だったのでは?」と聞くと、男性が「どんな話でも通訳するのがこの人たちだから」と。さらには「写真がたくさんあってわかりやすかった」ともおっしゃってくださり、140枚も要らないでしょと思っていたことを反省……。
チーム草加の皆さんは来月のボランティアの日にまた緑のビブスを着て
現場に来てくださることになっています。
いつも本当にどうもありがとうございます!!!
というのも、2011年オイスカのボランティアバスツアー参加がご縁で
会員になってくださった舩渡さんほかの導きで、草加市社会福祉協議会主催の「災害ボランティア講習会」で講演をさせていただくことになりました。
名取に継続参加の「チーム草加」のボランティアのみなさんと林室長とともに1.4kmの松並木を一緒に歩きました。しかも「草加宿案内人の会」にガイドいただき。
歴史好きにはタマラナイ、極上の待遇。
東武スカイツリー線「松原団地」駅から歩いてすぐ「百代橋」に着きました。「奥の細道」の冒頭
「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」。
徹夜明けにはまばゆい好天。
「チーム草加」の楽しいみなさんと6月以来の再会。
完全リラックス、完全オタクの休日モード。
日光街道沿いに江戸中期から植えられた松並木。
「松原」といっても「海岸防災林」ではありません。
アカマツではなくクロマツ。
鉛筆の先のような樹形に剪定されていることに気づいた。
こういう形のクロマツは見たことがない。
「車が中を通らず、街道でこんなに残っている松並木は全国でここだけでは?」と。
江戸時代から生き続けているマツは40本程度。
戦中は空襲から逃れるために、並木の下にモノを隠すことができるほどの樹勢だったのが、
排ガスや松くい虫などで本数が激減し、いまは、スカイツリーが634mなのに合わせ、
条例で634本に定められたとのこと。ここまで維持できたのは行政と市民の協力があったと。
樹齢がさまざまなのもイイ。脈々と続いた人々の努力を想像できるから。
徳川家康は五街道を整備し、東海道沿いにはマツを植えたようですが、
他の4つの街道は後回しで、日光街道も江戸中期から植えられたとのこと。
旅人の日除けで植えたと思いますが「権力の象徴の意味もあったのではないか」とガイドさん。
なるほど。「信長も清州時代に道沿いに植えたそうですよ」と。
松並木の横、2m下の綾瀬川が潮の干満で逆流している。近くまでボラがくるそうだ。
伊奈忠治という二宮尊徳とならぶ地域開発の達人が治水事業を行った地域。
近年まで水害で悩まされた低湿地。街道にはまったく不向きな場所だったことでしょう。
ドナルド・キーンも、私が好きな正岡子規もここに来たことを知りました。
彼はマツそっちのけ。高浜虚子と昼飯食べて、食べ物の句ばかり書いたそうです。
いまは、松を使って街おこし。うらやましい。俳句ポストもありました。
名取にも、世界的な文化人が頼まずとも来てくれるように頑張りたい。
ちなみに名取の海沿いを通った歴史的有名人は伊能忠敬です。
みなさんと一緒で楽しかった。
一人で行っていたらビール飲んで、草の上で昼寝したかもしれない。
あまりの心地よさ。気が付いたら、1ヵ月続いた腰のハリが消えていた。