リアス式海岸を代表する絶景です。
いつも観光ポスターで見ていた場所でした。今回まさか見れるとは。
やっとあり着いた昼食もそこそこに。
小林さん、清藤先生は好奇心の塊。足で稼ぐタイプ。モタモタしない。
小林さん「先生、先端まで行きます?」
清藤先生「・・・」
吉田「行きません(笑)」
と言っていたのに先生は突然ギアが入る。
第1展望台は誰でも行く。そこから先端目指して、絶壁の尾根伝いに急坂を上り下り。


先生、走ってるし・・・私はしぶしぶ後を追う。何歳ですか??
小林さんもズンズン。飽きたって顔しないし。
こういう2人だから、変に気を遣わず、現場に行っても波長が合うんです。
ここは南部アカマツ。
意識して見たのは初めて。超優良材だそうです。
これほどの断崖絶壁、これほどの強風でも、まっすぐ伸びる。
普段見るアカマツと、松ぼっくりの形も、葉の長さも、樹形も違う。
東京本部海岸林女子にも見せてあげたかった。
せめて南部せんべい買っていこう。

岩手県野田村・普代村にて
1月19日~22日、青森北部視察がメインでしたが、
他県の復旧状況は、見れるときに見なければならないなので、
八戸を起点に、岩手最北部の野田村・普代村・田野畑村にも行きました。
震災以来2度目。前に来たときは、「あまちゃん鉄道」の車窓から見ただけで
歩きはしませんでしたし、海岸防災林の復旧面積はさらに小さいですが、
やはり、さまざまな工事が続いていました。
野田村はリアス式海岸ではなく、海から緩やかに耕地が内陸に続き、
当然ヤマセに毎年晒される土地柄です。植樹祭が行われたようですし、
津々浦々でも小さな海岸防災林が造成されていました。
普代村は、NHKスペシャルなどで紹介された計画的な町づくりと、
奇跡と称される「普代水門」の甲斐あって、被害を食い止めた場所として知られています。
明治の津波では死者行方不明者1,010人、昭和の津波では138人。
東日本大震災による津波では死者ゼロ、行方不明者1名。
集落は奥の高所に移転する街づくりが震災前に行われていた。
消防団員の方が、手動で門を閉じたという有名な場所に立ち、背筋が凍る思いがしました。
水門裏には津波の勢いを弱めて犠牲となった防潮林の残存木が残っていましたが、
ここもいつか、正式に防災林造成されるのだと思います。
田野畑村では、ちょっと観光を。
有名な「北山崎」の絶景と南部アカマツを。
これは明日のブログで。
なんで今まで誰も気づかなかったんだろう。
佐々木統括もビックリ。「誰かが植えたか」
イタズラできない場所です。
2015年植栽地の最も海寄り。
防風垣の「中」から「杉」が伸びていました。
なんで??しかも防風垣を超える高さ。
防風垣の中は、快適空間なんでしょう。草刈りしにくいし。
ニセアカシア、日本三大毒草ドクウツギの温床、発生源です。
杉は初めて。波打ち際から200m程度の塩がきついところ。
葉っぱは真っ赤を通り越し、黄色。枯れてもおかしくない。
今まではマツの色に溶け込んで、我々も見つけられなかった。
でも、いまは冬景色。おかしな色、おかしな葉っぱ。
わかりやすい。
写真の左奥の茂み、500m先の下増田神社から種で飛んできたのか?。
ここで生きてゆけるか、今後も見守ってみたいです。
この年末年始は、どうしても来なければならない用事もなく、
例年以上に現場をご無礼させていただきました。
1月24日、じっくり現場を巡視しましたので写真報告します。
宮城県南部から福島にかけた海沿いは「浜通り」と言います。
仙台市内など内陸よりも気温は低く、風は強いですが、雪は少ない。
積もることは年にそう何度もありません。
出張で来ても、積雪に出会うことは少ないです。
再生の会の苗は、地際からびっしり、充実した枝ぶりが特徴。
一番下の枝は雪に埋もれています。
今日は飛行機も欠航が多いらしく、いつもの時間のいつもの飛行機は来ません。
すごく静かでした。
晴れだとニュースで言っていましたが、真っ白だった蔵王の山はすぐ見えなくなり
西から灰色の雲が迫ってきて、あっと言う間に雪がぱらついてきます。
あっと言う間に2時間。次の約束があるから戻らなきゃ。
次がまた楽しみです。
1月24日、2か月ぶりに現場を歩きました。2か月も空けたのは初めて。
江戸時代の人は、盗掘や盗伐にあわないように、毎日数名で巡視を命じられたそうです。
その頃は泥棒は打ち首でした。わたしも年末は、門松用に盗伐されないか、気にしています。
いつの巡視・実踏でも、何度行ってもなぜかドキドキします。
いつも何か発見がありますから。
ちぃっちゃなバイクと同じもので・・・
寒冷地仕様でという意味が通じなかったようで。よく今まで使えたな。
便利なことにたまたま、自動車整備工場がすぐ近くなのであっさり交換。
再生の会の菅野さんの車も交換したそうです。
コピー機も事務所のあまりの寒さで調子悪い。
連日の雪でしたが、積雪は20㎝程度で大したことありません。
溝に落ちないように注意だけして、どんどん進む。
異常は特になし。
マツは寒さに耐えて頑張っています。
土の違い ~青森にて~
まず、波打ち際から緩やかに駆け上り、自然砂丘か、昔の堆砂垣工を経た
人工砂丘、または台形状の人工砂丘工に。
次に、いったん沈みます。そしてその先には海岸段丘。
その上の国道や集落、工業用地などまでマツ林が続きます。
ヤマセの本場です。林帯幅は軽く数百メートルあります。
宮城は、被害規模が極めて広大なため「民有地直轄治山事業」として国が乗り出しますが、
当地では、民有地も国が乗り出すというのではなく、国有林は国が、
民有林は県事業でと分担されています。
青森でも、地下水位からの距離が足らないところは当然きちんと盛土してますが、
もとの地盤を活かせる箇所が多くあり、それが名取との最大の違いでした。
つまり、海砂の土壌の上に植えられています。
すると、どこも樹高が一定に揃って。見事です。
当たり前のことながら、やはりきれいです。
盛土は必要ない箇所が多く、津波被害の復旧として6年前に植栽が始まっています。
我々と同じ4年前や最近の植栽地が多く、比較しやすさがあります。
非常に多くのところから土を持ってこざるを得なかった名取と違い、
同じ林班・小林班内に、樹高の凹凸はありません。
広大な人工盛土では均一にするのは困難、凹凸は当然。
うらやましいとは思いません。
ここはここ、名取は名取。
「海岸林保護組合」 ~歴史は繰り返すか~
北海道にお住まいの元林野庁職員で、寄附者でもある方から、宮城県内の海岸林の歴史に
詳しい方をご紹介いただきましたが、私の都合が整わず、ようやくお話を伺うことができました。
「石巻・気仙沼地区 海岸林保護組合連絡会のあゆみ」(平成27年宮城県林業振興会復刻版)
こういう冊子をいただきました。初めて見ました。いただいた3つの資料は一晩で読み終えました。
震災前の平成22年に「連絡会」解散の際、連絡会によって作られ、震災後に復刻されました。
(巻頭抜粋)「驚くべきことに、この地域の海岸林が日本の海岸林事業の原点になっていることがわかりました」
昭和21年までに22の保護組合が設立され、昭和23年、宮城県海岸林保護組合連合会規約が制定。
昭和28年には38の組合が参加、昭和44年には、名取・岩沼、石巻・桃生、仙台、亘理の
4地区に連絡会が存在していた。「原点」というのは組織化されていたということです。
名取にも「北釜海岸林保護組合」があり、「愛林碑」があります。
宮城県北部は(石巻~気仙沼)は、名取と同様「地元の要望」があって、
県が雇用もしながら海岸林を造成した。カキ養殖の万石浦、石巻渡波地区の干物への飛砂防備などの理由。
しかし、2代目、3代目となるうちに、あって当たり前に。
平成21年にアンケート調査。ありがたみは薄れたと考えた。
公的機関で保全をお願いするしかないと思っちゃったんです。
物置、ゴミ捨て場、勝手に伐採して畑にしてる人もいるし。
平成22年に連合会は解散され、平成23年に津波が来た。
存在が注目された渡波地区海岸林などは、当時作った海岸林の
おかげで後背地の被害が少なく済んだのは客観的事実。
災害対応原則は「原型復旧」。
だとしても、もっと「何のために?」という世間への説明、
長期にわたる啓発活動が必要。
カタチも大事だが、魂を重視してほしい。
ご無念を思うと、いまの私には胸が痛い、重く突き刺さる言葉でした。
「今後、社会情勢などの変化により、必要性が高まったときには、この連絡会が再び結成される日がくるものと思っております」(巻頭抜粋)
1月24日、久々に宮城県立名取北高校に行ってきました。
私の弟は高校教員、娘は高校2年生。学校が受験シーズンで忙しいのも
少しだけ知っていますが、快くお時間をいただきました。
いつも校長先生が出してくださるお菓子とコーヒーをいただきながら、
生徒さんの日常や、行政関連の情報交換をしつつ、徐々に本題へ。
5月の植樹祭や下刈ボランティアの募集の前に、
地元若者に向けて、どう発信してゆくか。
「なぜ?何のために?」そういうことを理解して
参加してくれる人を、増やすために
どう手を打ってゆくか。北高以外の若い人たちにどう伝えてゆくか。
途中から、教頭先生とバリバリの中堅の先生が加わる。
校長先生が二人に自分の言葉で要点を伝えてくださる。
そして私が、なぜこういうことをお願いするか、さらに説明。
昨日のブログで書いたようなことに関連します。
そこから4人で具体的に・・・
続きはいずれ。
先生たちが生徒さんたちと考えてくださいます。
子どもたちのためにといって、
何でも大人が上げ膳据え膳しないのが私の信条。
青森から始まった1週間の出張も、最後まで充実しました。
「創造的復興」を目標とする宮城県震災復興計画は最終の3年に入り、
「発展期」と位置付けられています。私たちにとっては将来に向けて
具体的に手を打っていくことが肝要です。
2017年度モニタリング調査報告書、写真報告書、HPで公開し、
1月22日・23日、まず国・県・市に持参、提供させていただきました。
http://www.oisca.org/kaiganrin/4037
人工盛土上での生育経過・土壌の物理性は、調査事例が決して十分と言えず、
我々が、植栽直後からの基礎データを残して公開すれば、何十年とそれは活かされます。
まず早速、来年度の森林総研東北支所による土壌調査で。
「こういう調査もやっているんですね~」とある行政マン。
あたりまえでしょ。馬鹿にしないで!と思いますが、
まだまだ、単なる植林団体にしか思われていないのか・・・
もっと広く伝えて、考える材料として、使ってもらわないと。
書いただけ、ただ公開しただけでは、まだ努力不足です。
清藤先生、ここぞと取りまとめを頑張って下さいました。
私は当然能力不足なので、主に写真報告。鈴木・浅野は添削。
我々にとっては日常会話の延長。
真新しいことが調査でたくさん分かったという気はしません。
でも、見る人が見れば驚く数字もあると思います。ph3.5とか、堅密度20とか。
そういうことも、清藤先生はかなり噛み砕いて説明していますが、
決して、一般の支援者向けに書いたものではありません。
「疲れた・・・」(添削したうちの女子)
「面白くないし、素人にはよくわからん、同じ言い回しが多いとか、糞みそ」
(清藤先生が漏らした奥さんの反応)
せめて写真報告なら・・・
でも、整理・管理も怠っていたし、林業会社にいたくせに撮影位置と腕が悪く。
先々のために年末年始を活かして、時間をかけて根本から整理しなおし。
私にしてはまずまずの出来。(これ以上はムリ)
よかったら海岸林HPトップ「インフォメーション」から覗いてください。