12月2日、川崎市麻生区の「早野聖地公園里山ボランティア」に
日頃のご支援のお礼と活動報告の機会をいただきました。
震災以降、海岸林の寄附金募集チラシを6千枚も配り、
年1回は名取に来て、いつもブログも書いてくださる井上さんと、
そのお仲間が汗をかいている現場に。
この団体は、活動歴18年。メンバー70名。年間40回、土曜日終日。
関東で「谷戸」と呼ばれる里山の谷間、生物多様性の宝庫、
5.5haものボリュームをびっちり管理しておられました。
「なかなか進まないんです」と言っていましたが、そんなことはない。
コツコツ進めていることで山は喜んでいると思います。
一番いい山の手入れの仕方です。
川崎北部は南部の京浜工業地帯とは、まったく趣の違う場所です。
私の実家から小田急線で6つ目の「柿生駅」で下車。
田園地帯を抜けると、見るからに管理されている里山。
東京ドームの全敷地以上を、一団体が責任もって扱い切っている。
炭焼き小屋を中心とした、機能的ですっきりした拠点。道具の置き方がキレイ。
12月は「炭焼き用原木準備」を5日間。その初日のようです。
1月から2月は5回炭焼きをするようです。
着いた時、樹齢50年以上のコナラの大木を、チルホールで引き倒した後でした。
人数をかけて分業し、安全管理も相当しっかりしています。

びっくり。元名取北高校の先生がメンバーに

びっくり。元名取北高校の先生がメンバーに


雰囲気がいい。とにかく遊んでいる人はいない。
作業中は、棒立ちも、無駄話も、議論している人もいない。
みなさん、完全にライフワークにしているのでしょう。
指示・命令が飛び交うわけでもなく、黙々と、率先して分業している。
こうなるには相当のご努力があったはず。
炭焼き小屋や休憩所を拠点に、おじさんがタムロするような団体を、
かつて何度も見てきましたが、そういったサロン化とはまるで無縁。
「自分の得意なこと、やってみたいことをやってもらうようにしているんです。
そうすると伸びるから」(元百貨店勤務という小泉会長)
川崎北部は、この皆さんのおかげで、プロジェクト支援者集中地域です。
こういう「本気」の活動をしている方たちに応援されていることは光栄なこと。
ご支援のお礼と活動報告をするつもりが、大いに勉強になり、刺激を受けました。
大木を伐採した後、若い木が育っています。
むかし植えられたモミジも、里山にとけ込み、色づいていました。
ちょっとしたことなのですが、いい場所に植えたなあと。
どこに何を植えるか、そういうことって大事です。

参加を決めた理由
これまで根拠のない明るさと自信で、無謀な挑戦をしてきました。四万十川ウルトラマラソン60kmは
制限時間9時間30分のギリギリで完走しましたが、愛媛マラソン(フルマラソン)、
大阪マラソン(フルマラソン/2014年)は制限時間内に完走することができませんでした。
今回は、オイスカ愛媛県支部 宮嶋会長と意気投合して、参加することになりました。
私はなぜ、走るのが速くもないのにマラソンに参加しようとするのか。
それは「楽しいから」。
お祭り気分が何ともいえず、浮かれてワクワクします。
今回も、大阪を楽しみに行こう!と気軽に申し込みました。

すっかり紅葉の中の大阪城。寒い朝でした

すっかり紅葉の中の大阪城。寒い朝でした


<参加してみて>
何と、時間内に完走できたのです。6時間18分。自己ベスト。
完走した理由を私なりに分析したところ、3点ありました。
1.心して走ることを決心
スタートを待っている間、同僚の安部氏から、マラソンに応募しても何度も抽選に落選してしまう人がいる。
落選者の方にとっては、マラソンに出走できたのに、途中でタイムアウトにより関門で回収される人の存在が
我慢ならないという話を聞いたこと。お祭り気分の私は焦りました。
なんだか、とっても失礼な態度でマラソンに臨んでいたことに反省し、心して走ることに決めました。
同じチャリティランナーの皆さん。ウォーミングアップ中

同じチャリティランナーの皆さん。ウォーミングアップ中


2.「速く歩く戦法」が成功
9時にスタートし、16時にゴールは閉まります。距離は42.195km。制限時間は7時間。
3万人以上の方が参加するため、私のタイムだとスタートが20分近く遅れます
(タイムが早い人からスタートラインに並びます)。
そのことを考えると私の制限時間6時間40分間。時速6~7kmのペースでないと間に合いません。
スタートして10kmで走るのにすっかり疲れてしまいました。もう走れない……。
そこで気持を入れ変え、「速く歩く。この際、競歩だ!」と考えました。
すると、足が動きだしました。脳がこれならできる!!!と了解し、体もそれに応えはじめてくれたのです。
スタートラインを超えるまでに時間がかかります。かぶりものや、様々な衣装を着る人が多く、それを見るだけでも楽しいです

スタートラインを超えるまでに時間がかかります。かぶりものや、様々な衣装を着る人が多く、それを見るだけでも楽しいです


3. 感謝の心
今回、職場の同僚が紫色の鉢巻きに、応援メッセージを寄せ書きしてくれました。それを、たすき掛けして、
一緒に走りました。今回は音楽を聞きながらとかしなかったので、走りながらいろいろと考えながら進みました。
すると、寄附をくれた人、職場の人、応援にきてくれた人、沿道で応援してくださる見知らぬ人たち、早朝から
仕事をしている大会関係者の人たち、送り出してくれた家族。すべてのことに感謝の気持ちが出てきました。
なんだか、心が研ぎ澄まされた感じです。ランナーズ・ハイになっていたのかもしれません。
ゴールした時には、涙が自然と出ました。感謝の気持ちで満たされました。
完走メダルと記念タオルです。欲しかった!!

完走メダルと記念タオルです。
欲しかった!!

11月26日、62歳にして初のフルマラソンを走りました。後からインターネットで動画を見ると、自分のイメージとは裏腹のトボトボ走る姿にがっくりしますが、とにもかくにも「歩かず完走」の目標だけは果たし、マラソンという手ごわい遊び友達と楽しく遊べたことに感謝しています。
それなりの練習と体調管理という事前の準備がそこそこできたこと、当日が肌寒いくらいの気候で風も日差しもほとんどなく絶好のマラソン日和だったこと、そして何より、経験者をはじめとするみなさんから貴重なアドバイスや支援・応援をいただいたこと。そうしたことで完走できたのだと思います。ありがとうございました。
練習は3月からボチボチ始めました。最初のころ、“走って”いたらおばさんに道を聞かれてショックを受けました。普通はジョギングしている人に道は聞かない、きっと“歩いて”いると勘違いされたのです。それでも11月初め、まとめて30キロ走ったことが多少の自信にはなりました。本番でも、12キロ走ったところで「あと30キロなら走ったことのある距離だ」と根拠のない楽観主義に背中を押されました。
体調面での最大の決断は、本番二週間前から酒を断ったことです。これは、酒がマラソンに悪いということではサラサラなく、「何事かを成し遂げようとするなら好きな何事かを諦めなければならない」という根拠のない精神主義からです。40年以上前に酒を飲みだしてからこれほど長期間酒を飲まなかったのは初めてです。ほかにも、雑誌などの読みかじりで、9時スタートの本番に備えて一週間前から6時に起きたこと、カーボローディングなる食事法を試したこと、など、いろいろやってはみました。役に立ったかどうかは分かりませんが、「ちゃんと準備はしたのだ」というあまり根拠のない安心感にはなりました。

スタート直後

スタート直後


当日はオイスカの仲間が脚にがっちりとテーピングをしてくれ、別の仲間はつらないようにとマグネシウムのタブレットをくれました。経験者には、5キロじゃ細かすぎるから7キロごとの想定タイムを立てておくといいとアドバイスをもらい、油性ペンで7キロ47分、14キロ1時間35分……と腕に書き込みました。後で見直したら42キロからゴールまでの195メートルに10分もかかるという計算違いをしていたので、結構緊張していたのかもしれません。当初の目標は5時間だったのですが、練習してみてかなり厳しいことが分かり、なんとか5時間半までには……と変えました。
走り出してとにかく励みになったのは応援です。OISCAののぼりに気づき、その下に知った顔が見えたときのうれしさ、ゼッケンに書かれた名前を見つけて「コバヤシサーン、ガンバッテー」と叫ぶ浪速のおばちゃんの声を聞いた時の感激。走る時は、高橋尚子の説にしたがって、腰を高く保つこと、あごを引くこと、腕を振ること、の3つに注意していたのですが、もう一つ、「笑顔で」も心がけました。沿道からも「笑って」と声がかかると、そうだったそうだった、と思い直して笑いました。当日は寒かったので例年より応援は少なかったようですが、沿道の声にこれほどの力があるとはまったく思っていませんでした。とくに終盤疲れ果ててくると、励まされるのを通り越してなぜかほろりとしてしまうこともありました。
ゴール寸前

ゴール寸前


結局歩くこともなく、想定タイムよりずいぶん早い実質4時間50分4秒でゴールできたのは我ながら上出来です。途中空腹になることはなかったのですが、勧められてチョコレート1かけと沢庵一切れだけ食べました。チョコはともかく沢庵に何か効果があったのかどうかは分かりません。もらったマグネシウムのタブレットや給水所のスポーツドリンクは一人前に丹念に口にしました。
今回のマラソンは心の中で「近所のタバコ屋にタバコを買いに行くように、42キロ走って帰ってこよう」と決めていました。だから、あまりランナーっぽい格好は避けたのですが、そんな心がけが、無用な力みを抜いてくれたようにも思います。もちろん、タバコ屋は思っていたよりもずっとずっとずっとずっと遠かったのですが。
直前二週間はノンアルコールビールとご飯しか口にしなかった行きつけの飲み屋に完走の報告に行ったら、ロゼのスパークリングワインをシュポンと開けてお祝いしてくれました。ただ、スマホに写ったゴールインの雄姿が笑いものになったのにはムッとしました。

プレゼン報告 (福島大学にて)

2017年12月4日( カテゴリー: 本部発 )

こんにちは
損保ジャパン日本興亜環境財団インターン生、福島大学の内川です。
今日は、先日お話した「環境保全論」でのプレゼンについて報告します。
発表ギリギリまで内容を煮詰め、大阪での小林さんのプレゼンや、吉田さんの普段のお話を参考に、私なりにできる発表をやってみました。

発表の様子 (受講していた友人による撮影)

発表の様子
(受講していた友人による撮影)


実は、50名の学生さんにプレゼンをすると思っていたのですが、どうやら実際は90名ほどが受講されていて、当日は80名ほどの学生さんの前でプレゼンしました。
もともと人前で自分の意見を言う事やプレゼンをするのは苦手でしたが、当日は学生さんからの感想シートでも、「同年代とは思えない、堂々としたプレゼンでした」とのお言葉をいただき、帰宅した後に、家でガッツポーズをしておりました。
これで調子に乗ることはありませんが、自分の確かな成長を感じております。
授業でいただいた感想シートの中には、海岸林に興味を持ってくださった方もいらっしゃいました。その後メールにて連絡してくださった方もおりました。
2月19日の見学会に実際に足を運んでくださる学生さんがどのくらいいらっしゃるかは確定しておりませんが、海岸林についての周知が広まったのではないかと思います。
今は、今回の30分のプレゼンのために、2ヶ月前から何度も打ち合わせをしてくださり、発表のヒントをくださったり、配布物の準備にもご協力いただいた塘先生への感謝でいっぱいです。
もちろん、この発表ができるまでにこれまで出会った方々から、たくさんの刺激をうけて、ここまで推敲できたと思います。お世話になった方々や、恵まれている環境に感謝しております。

まず、昨日下見した、通天閣の折返点までは。
完全に自分の世界に入りました。
難波の22㎞の収容関門をやっとの思いで通過すると、
「注意!実際の関門はここから600m先」とボードで応援している人が。
ん??? そういうことなのか。初めて後ろを振り返ると金色の風船も接近。
思っていた閉鎖時刻を600m先で通過しなければならない。
いよいよ追い込まれた。去年はこれを疑問に思う必要はなかったですが。
第3折返点は通天閣のたもと。新世界の入口。
ある意味で伴奏者の「ゆりやん」さんとは交錯の記憶もなく、通天閣も見ず。
(彼女は好みのイケメンに告白し続け、「正」の字を腕に書きながら走って、
全員から断られ、19㎞でリタイアの模様。私、告白されなかったけど)
26㎞収容関門は花園あたり。
ここも実際の閉鎖場所は数百m先。この時点では、巻き返すのは厳しい。
でも4㎞ごとの回収を逃れよう。一縷の望みにかけて。
去年は、開き直って中央分離帯に座り込んでマッサージした場所。
今年は、ここでとうとう金色風船に抜かれて、じかに励まされてしまった。
「付いてきてください。4㎞を30分で走ればいいんです!」
笑ってしまった。(それ、最後通告? 5時間で走るペースでしょ・・・)
玉出の30㎞関門は、大きな交差点でした。
「あと1分です!」とハンドマイクで言われ、
沿道から「吉田さーん!諦めるな!」。「吉田!」の連呼と手拍子。
(ゼッケンに名前が書いてあり、知らない人から応援いただきました)
目前の関門では、金色風船集団が大きな声を出しながら待ってくれている。
あきらめそうでした。靭帯が切れそう。でも、ギッタンバッコン走って通過。
後ろは3人だけセーフ。倒れこんでいました。
私は交差点の向こうにも見えるように90度で敬礼。拍手されました。
(普通ゴールした人がするものですが・・・)
ここの閉鎖道具は、厳しさが伝わる、白くて太い布ではなく、
どこか「温情」と「配慮」を感じた虎ロープでした。
住之江公園を通過。ハイになってるので、気力だけは十分。
風船集団はまた遠くに行ってしまいましたが、全力で歩いて追いました。
先に待っているはずのオイスカ関西応援団が、大幅に前進して来ました。
「いま急いでるんで-」と言って34㎞地点を通過。
ですが、問題はまだ数百m先の関門。

去年から気になる車でした

去年から気になる車でした

去年から馴染み深い看板でした

去年から馴染み深い看板でした

行く手に、白い線が張られました。
例の太い布だから遠くからも見えます。
もはやこれまで。
わずか数百m先にいれば、南港の巨大な橋に行けました。
でも、そのわずかこそ、わずかではないのであって。
去年は、その先の38㎞関門で「あと6分」と言われつつも、歩かず走って、
白くて太い布を用意しているのを横目に、完走を確信しました。
その次は、閉鎖が緩そうに見えた41㎞関門。
「乗らないと、次の関門に歩いて行くしかないですよー」
悔しさもつかの間、旅行会社の係員さんから目が覚めるような一言。
関門収容の大型バスは4台。1台に20人以上乗車。相当微妙な雰囲気。
住之江から南港を通らず大きく迂回、大阪港を経由してゴールまでドライブ。
バスから降りた時、車椅子を借りそうになるほどの左膝脇の筋が痛み。
去年は、フィニッシュ地点で完走メダルとタオルをいただきました。
今年は、裏口で、全員貰えるメダル大の、無念の「あんぱん」。
他意はまったくないと思いますが、一人で勝手に脱帽しました。
ですが、それでも本当に美味かった「あんぱん」でした。

去年よりも焼き付けて会場を後にしました

去年よりも焼き付けて会場を後にしました

cf. とどめは、帰路の地下鉄。ICカードの料金不足で「閉鎖」されました。
これからは料金不足で閉じられるたび、あの瞬間を思い出す・・・

吉田です。
残念ながら、34km収容関門の閉鎖時刻をクリアできず、
スタートから5時間で、今年は終わりました。
過去4年のオイスカ海岸林ランナーとして、初の回収。
「敗者は語らず」ですが、
甚だ恐縮ながら、読者がいなくても、敢えて報告させていただきます。
途中で消えている「ランナーズ・アイ」
http://runners-i.eonet.jp/runner/detail/558

大阪マラソンでは、4・5㎞間隔で10ヵ所の「収容関門」があります。
私は、今年の閉鎖時刻と、去年のタイムのメモを持って臨みました。
map_osaka

また、3つの折返点、つまり往路と復路が重なっている場所があります。
私には、行き違うオイスカ海岸林ランナーを発見する楽しみな場所です。
しかし今年は、「金色の大きな風船」を背中から高く上げている集団、
つまり、7時間の時間制限を示す「完走サポート集団」の接近を
思い知らされる場所にもなってしまいました。
第1折返点手前の8㎞地点の淀屋橋から11㎞地点の天満橋。
ここで多くの海岸林チャリティーランナーとすれ違います。
引き離された距離を理解しつつも、見つける楽しみが上回る場所。
EXPOブースで初めて会った人から、筋金入りの支援者、同僚まで。
折返点通過後、オイスカのチャリティカラー「紫」のチームを率いる
チームリーダーである吉本の芸人「ゆりやんレトリィバァ」さんと初めてすれ違い、
https://www.osaka-marathon.com/2017/info/movie/
金色の風船集団、監察車、そしてしばらく後に、収容関門で閉鎖されて、
回収されてしまった人を乗せたバスが、2㎞あまり後ろに迫っていました。
去年見たのは13㎞の淀屋橋。去年より相当ロスした自覚もありました。

宮城から走りに来てくれた佐野さん。途中でハイタッチを交わせた

宮城から走りに来てくれた佐野さん。
途中でハイタッチを交わせた

4年連続チャリティランナーの藤澤さん。大阪から名取にも何度も。途中2回声を掛け合った

4年連続チャリティランナーの藤澤さん。
大阪から名取にも何度も。途中2回声を掛け合った

再び淀屋橋に戻ってきました。
名取にも来たUAゼンセン傘下労働組合員や、三菱UFJニコスの社員さんから、
直接激励をいただきました。沿道警備のボランティアをしていたのです。
最後尾は本当にまばら。すぐ発見できたでしょう。
名取に何度も来てくれているIさんをガッカリさせてしまったかも。

3つ目の折返点はここ

3つ目の折返点はここ

第2折返点20㎞のだいぶ手前、難波から京セラドーム付近までの間。
高速の高架下の中央分離帯を挟んでも、海岸林同士お互い理解できることも多々。
後続の「ゆりやん」さんとも再び。余裕に見えましたが。
一方、金色の風船集団は、シャツの文字通り「完走」をサポート。
よく見ると、風船に「SEIKO」の文字。ん??
私的応援団じゃなく、公式タイムキーパーだと初めて理解しました。
中間地点を過ぎ、難波の交差点に再び。
沿道には買い物客。私がいる最後尾集団は見るからに「負傷」。
視線も痛かった。私は50m毎に、歩いて走ってを繰り返した。
トイレも済ませた。マッサージもした。
去年より逼迫しているから、開き直って胡坐はかかず、立って手短に。
昨日下見して、通天閣付近の距離感も確かめてある。
ここからは一人旅。南海「難波駅前」で、思い切り腿を叩いた。
……明日につづく

こんにちは。浅野です。
遅くなりましたが、大阪マラソンの報告です。
すでに吉田担当部長から報告があった通りなので、そこは割愛させてもらって
大阪マラソンEXPO2017で聞いたランナーさんたちからのお話を少し…。
チャリティランナーの方は寄付先団体のブースにTシャツの交換に来なければいけないので、
その際にランナーの方と話す機会があります。

各色2団体ずつのEXPOブース

各色2団体ずつのEXPOブース


引換証がないとTシャツがもらえません

引換証がないとTシャツがもらえません


登録者61名中58名の方がTシャツの交換に来てくださいました。
さすがに58名もいればオイスカを選んでくれた理由もさまざま。
・本当は10月に名取、岩沼で開催された復興マラソンに出たかったんだけど、どうしても日程が合わなくて…。
大阪マラソンで何かないか探したら見つけたから。
・10月の復興マラソンにも出てきたんだけど、やっぱり気になるから。
・ほかの団体を通じて宮城県内のボランティアに行ったことがあるから。
・福島出身で、近くでやっているプロジェクトだから。
・会社も応援してるし、自分も名取のボランティアに行ったことがあるから。などなど
中には毎年色を変えながら、チャリティランナーをやってるという方も。
オーストラリアからのランナーさんたちは
「自分たちで探して、この活動には本当に大きな意義があると思ったから。
昨日、オーストラリアから来たんだよ(お話したのは土曜日です)」と。
オーストラリアから参加の6名

オーストラリアから参加の6名


この話を聞かせてくれた皆さんは無事完走してくれました!
本当によかったです。
そして、今日(11月30日)は第8回チャリティ寄付先団体公募申請の締め切り日。
無事、申請しました。選考結果は1月末までには出るそうです。
また選んでいただけたら、来年はもっとランナーの方が増えるように工夫をしながら
広報活動をしていきたいと思います!!

総務部ハルハルです。
11月26日(日)大阪チャリティマラソン走ってきました。
マラソン参加の寄附のお願いにあたり、ただご支援、ご協力っていうのは気が引けて、自分でも体張らなきゃと。
5時間以内で完走できなかったら、生まれてこの方した事のない坊主にすると口が滑ってつい宣言。
宣言したのはいいものの、アシックスの分類では、マラソン5時間以内は中級者ランナー。
自分は、最長走行距離10km。どうしよう。。
いざ練習すると膝は痛くなる。本番前に30㎞試走してみた方がいいとのアドバイスを受け、走ろうとするも試走中に足の痛みで感覚がなくなって、結局本番までの最高走行距離は28㎞。
おまけに直前1週間は、3㎞走ると太もも、ふくらはぎにつる感覚が。正直やばい。。。
不安しかなく、坊主を覚悟。。。
いざ本番当日、荷物を預けなきゃと大阪城公園に7時半に到着も、一般ランナー向けの荷物預かり所に誘導され、
今自分がどこにいるのかもわからず、右往左往。
8時集合のところ、8時10分、やっとのことでチャリティランナー荷物預かり所に到着。天候曇りで少し肌寒い中、
荷物を預けた後はTシャツ一枚に。

混雑しているスタート地点

混雑しているスタート地点


雨なんか降る感じではないのに、100円ショップで売られている
ビニール合羽を着用している人をやたら目にする。
あれって、寒さ対策だったんだと納得。
空には、中継用のヘリコプターが2台旋回中。
マラソンスタートまで30分ほどの待ち時間、ちょっと寒いし、心細い。
8時55分チャレンジラン(5㎞)スタート、9時 3万人参加のマラソンスタート、スタート地点に到着するまでに17分。
9時17分すぎいよいよスタート。ごちゃつくスタート地点。
自分の走るスペースを探して、右に左に。
1㎞6分以内で走れたら、完走タイム4時間13分、余裕で5時間以内でいける。いけるとこまで、いってみようと。
0~5㎞ 28分37秒 最近なかった感じ、足の痛みがない。
5~10㎞ 57分8秒(28分31秒)まだ行ける。
10~15㎞ 1時間25分40秒(28分32秒)あれっ、調子いい。
15~20㎞ 1時間54分33秒(28分53秒)おっ、だいぶ貯金ができた。
20~25㎞ 2時間25分5秒(30分32秒)右脇腹に少し痛みが。
前半のツケかな、不安が頭をよぎる。
25~30㎞ 2時間57分28秒(32分23秒)いよいよ未知の領域に差し掛かる。
足は痛くない、でも右脇腹には、まだ痛みが。ちょっと苦しい。残り12㎞。
30~35㎞ 3時間31分46秒(34分18秒)完全に未知の領域。足がつって、伸ばしている人を多数見かける。
自分も不安とともに歩いて楽になりたいという弱い自分が顔を覗かせる。
ダメだ、ダメだ。1度歩いたら、走れなくなる。自分に活を入れる。
右脇腹の痛みはなくなった。でも、足が急に重くなり、ペースも落ちる。
残り7㎞。
35~40㎞ 4時間5分13秒(33分27秒)足がどんどん重くなり、1㎞が遠く感じる。
手に持っていたiphoneが滑って飛んで、
画面から道路に叩きつけられる。やっちゃった。。。
すぐに手に取り画面を確認。割れてない、しかも無傷。
強化ガラス保護フィルム貼っててよかったー!
37㎞長い登り坂、歩いてる人が多い。
ここまでよく頑張った、ここはみんなと一緒に歩いても。。。
弱い自分がまた顔を覗かせる。。ここまで来て歩いたら、全て台無し。
あと少し頑張れ。自分を奮い立たせる。残り2km
40~フィニッシュ 4時間19分32秒(14分19秒)めちゃめちゃ苦しい。
頭では、スパートしなきゃと思っていても、足が前に出ない。
どんどん抜かれる。ゴールが見えた。
スピード全然出てないけど、気持ちだけは、スパート。
ゴーール。ミッションクリア。坊主回避!
一番右の紫のTシャツがハルハル

一番右の紫のTシャツがハルハル


今回、海岸林再生プロジェクトを少しでも支援できればとの思いで、チャリティランナーとして参加させていただきました。多くの方々にご支援、ご協力いただき、本当に感謝しております。
ご支援いただいた皆さまの思いを背負い、私なりに何とか体現したいと8月末~11月本番まで3ヵ月間試行錯誤でトレーニングしてきました。おかげさまでゴールまで1度も歩くことなく完走できました。
直前まで足の不調にいろいろと頭を悩ますことを練習中に経験できたことが、対策を講じて本番で活かすことに繋がり、今では、運がよかったと思っています。
来年以降も海岸林再生プロジェクトの現場に行って活動に参加したり、陰から支えたりと今後も何らかの形で携わって参ります。
改めましてご支援、ご協力ありがとうございました!
今後とも海岸林再生プロジェクトをよろしくお願い致します。

今年の大阪マラソンベストチャリティランナー賞を、
オイスカ海岸林ランナーがいただきました。

「3年連続でオイスカさんですね」。
受付ブース対応と報告会の準備で人を割けず、授賞式に出られませんでしたが、
大会実行委員長さんから褒めていただいたそうです。

この前の大河ドラマ「直虎」。
静岡県掛川の高天神城が出てきましたが、その近くに住む久我さんと天野さん。
海にはクロマツ、海岸林。

名取にも来てくれました。
掛川でも活動報告会の機会をつくって下さいました。

左が天野さん、右が久我さん

左が天野さん、右が久我さん

そして、有言実行で受賞。
久我さんは一昨年、そして天野さんが今年のベストチャリティランナー賞。
応援に来てくれた平山さん(会えなかったけど)はじめ
ご協力いただいたみなさん、本当にありがとうございました。

一言で言って、彼らは明るい。
マラソン前日の活動報告会の後、オイスカ関西支部岡崎会長、黒田事務局長の
計らいで、地下鉄「谷町9丁目」駅の改札横の店で、希望者だけの夕食会。
食べっぷり、快活な笑い。初めて会うチャリティランナー仲間との会話の様子。
惚れ惚れしました。

大阪での報告会にて

大阪での報告会にて。前列がチャリティランナー。
楯を持っているのが天野さん。その右が久我さん

駆けても速い。
さっさと走って、鮮やかに帰る。
見事としか言いようがない。

次はどこで会えるかな?

大阪マラソンへのご協力の御礼

2017年11月28日( カテゴリー: 本部発 )

11月26日、私たちにとって4回目の大阪マラソンは無事終了しました。
途中タイムアップで関門収容された吉田一人除き、怪我なく爽やかに完走。
今年は独特の一体感、連帯感があったのが大きな特徴。
ご協力いただいたすべての皆様に、心から御礼申し上げます。
大阪マラソンは、東北の復興を、西日本に伝えるための重要な足掛かりです。
年を追うごとにオイスカネットワークと支援企業・労組などの連携が進み、
行事として定着、ランナーの出身県も広がりました。
「できるだけ大勢の人から少しづつ」
この行事は、私たちのこの最上位指標の追求そのもの。
まず、オイスカランナー数は、第1回の24人から年々増えて、今年は61人。
しかも、ベストチャリティーランナー賞は3年連続受賞。
どう考えても、ランナー・関係者が数千人に説明したのは間違いない。
加えて、総出走者32,000人÷14団体として、2,285人からの支援。
今年も同僚諸氏は、体を張って「盛り上げ役」を買って出てくれました。

昨日知り合ったばかりなのに、この格好

昨日知り合ったばかりなのに、この格好


名取で一緒に汗をかいて、ここでまた再会

名取で一緒に汗をかいて、ここでまた再会


毎年行っている活動報告会は、今年は復興庁の助成金を活用して開催。
出走前のランナーなど26名が参加。現場のレポートを初めて聞いた方に
大好評だっただけに、より聴講者が増える努力をしなければなりません。
課題は一つ一つの深度、ちょっとした一工夫。
もう一歩踏み込んだ「組織的拡散」。
より早い段階で、布石を打つ時期かもしれません。
次の一歩のヒントがたくさん見えました。
毎年の組織的な参加協力。ネクスタ㈱はその先頭

毎年の組織的な参加協力。ネクスタ㈱はその先頭


「私は300人以上から寄附をいただきました」とは、兵庫の会員企業ランナー。
「社員に海岸林活動報告会をしたらどうですか?」と言われたと大阪の企業の重役。
「私の同僚が、○○局のパーソナリティーなので・・・」と某ラジオ局ディレクター。
「うちの会社からも来年はランナーを」と宮城から大阪に転勤された方。
いまはまだ、裏方チームに余韻も疲れも残っています。クールダウンが先決です。
もし、また寄附先団体に認定いただけたら、輪を一歩でも広げよう。
去年よりこれが前進したと言えるように。
来年のエントリー締め切りは11月30日。認定が決まるのは2月です。

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