強靭なインフラとしての海岸防災林とは?
これからは、樹高に対し葉をつけている割合(樹冠長比)、樹高と胸高直径(形状比)など、
モニタリングを通じ、生長や変化に応じた「順応的管理」を経て、最前列こそ本数調整伐
(間伐)をする流れとなるやに思います。幹の太さ、旺盛な葉の茂り、逞しさが指標となります。
そのためにはまず、徹底した下刈、そしてつる切りと除伐。ニセアカシアなど、もってのほか。
活かすべきマツ林内に出てきた広葉樹を活かすかどうかは、まだ先の先の話です。
松が広葉樹に背丈で抜かれ「下っ木」にならないように、高木層として圧倒的に差をつけてから、
活かすべき広葉樹を考えるのが基本となると思います。
どんな目標林型、どんなゾーンニングに?
海側最前列50mほどは、飛塩・強風に対して、後列の林を守る「犠牲木」としての機能も期待されます。
塩のストレスが高く、最内陸部に比べれば樹高は稼げないでしょう。
広葉樹はどんなに時間がたっても、生きていくのは難しいと思いますが、
仮に出てくるものがあったら、耐塩性最強のマツの日光が奪われぬよう、
侵入するものから守らねばなりません。少なくとも最前列はクロマツ純林を目指します。
日本海側などと違い、名取の風環境であれば、むかしの禁伐の考えでなく、
本数調整伐を行っていくことになると私は考えます。

虹ノ松原のゾーンニング図 当たり前のことすぎるのか、案外明確に図面化、公表資料化されていません。そういうことも「林業業界」らしい

虹ノ松原のゾーンニング図当たり前のことすぎるのか、案外明確に図面化、公表資料化されていません。そういうことも「林業業界」らしい


将来の海岸林断面図

将来の海岸林断面図


 
 
 
 
 
 
最前列の背後地に関しては?
幾度かの本数調整伐を経て、将来的には最内陸部は高木層にクロマツ、亜高木・低木層に
実生で生えた広葉樹を活かします。樹間植栽は成績が悪く、私には植栽は考えられません。
目下、最後列に600本程度、敢えて広葉樹を植えましたが、そういう先々の母樹と
なればいいなと思います。母樹がなければ、なかなか望ましい広葉樹は出てこないでしょう。
広葉樹との共存施業は、現実的な課題として各地で取り組まれています。
クロマツの純林でなくても、防災林機能は果たせるのですが、
いきなり砂浜、いきなり海沿い最前線、いきなり海風や蔵王おろしが吹き付ける環境、
その過酷な裸地の環境に、最内陸側であっても、すぐには広葉樹は不可能です。
しかし、松が成長してくると、松に守られる環境を頼って、次の樹木が寄ってきます。
それにも一定期間が必要です。時間差をつけ、マツの下に生えてくる広葉樹を活かすという
世代をまたぐ、長い計画性が必要になります。
以上は私の意見で、関係する方たちとじっくり意見を交わしたいと思います。
森づくりはスケールの大きな子育て。どんな子どもに、そしてどんな大人になってほしいか、
とても楽しみにしている意見交換が楽しみです。

目的・目標を、研ぎ澄まして考え、正確に見定めることは、すごく大事です。
これを誤解すると、作戦の意味も誤解する。そうすると戦列が乱れます。
二重三重の目的が存在すると、作戦は複雑化します。
複雑過ぎ、精緻に考えすぎると仕事は難しくなり過ぎると思います。
目的・目標は、基本計画の一番に必ず書かねばならないし、
長い年月かけて、何度でも繰り返し言わねばならないほど重要だと思っています。
きっと将来も「わかっている」という顔をする「担当者」という人と会うでしょう。
現場実務経験が豊富な人ほど、何度でも真剣に聞く。経験が足らない人が一番危ない。
経験が少ない故、繰り返し言う意味を理解するすべがないから、なめて考える。
目標に対して実行計画を立てる。
個々の作戦は、状況の変化に応じて、修正に修正が重なるのは常。
自然相手ですし、社会も変化します。これが所謂、順応的管理だと思います。
しかし、あくまでも大目標は変わりません。
名取海岸林の将来を、どうイメージするか。
遠足に来れるような雰囲気の場所を、少しは持てたらとは思います。
ですが、市民に親しまれる・・・これは優先順位の1番ではありません。
啓発や説明責任を果たすことは極めて重要で、存在意義を理解してもらうための努力は、
強靭な森づくりの次に重要と思います。
少なくとも、楽しみを享受するための下請け、観光部署のための仕事ではない。
悪い事例は全国でいくらでも見てきました。バランスある考え方を失うとどうなるか。
こうなりたくないと、何度思ったか。
一昨年、観測史上初、大型台風が宮城に直接上陸しました。
津波、スーパー台風・高潮、爆弾低気圧・・こういう事態をイメージした海岸防災林に
しなければ我々が協力した意味がありません。
第1ミッションは「強靭さを追求した海岸林の再生」だと思っています。
あの津波の恐ろしさ、起こったことの悲しさ、奮起した気持ちは一生忘れません。
あらためて目標を再確認し、目標をどう達成するかを行政当局などと共有することが、
我々オイスカに求められていると再認識して、今年は行動することにしました。
そのための目標林形・区画のゾーンニング、そして組織づくりや役割分担など
という実行計画を立てることになります。今まで以上に官民の役目を明確にすることに
なるでしょう。大目的を踏まえ、それを実行する手段・方法として、
多くの人に親しまれることも考えようと思います。

石巻市渡波地区海岸林(2011年4月21日)

石巻市渡波地区海岸林(2011年4月21日)


静岡県御前崎市 遠州灘海岸林これも忘れられない光景です。すごく感動しました。松くい虫ではありません。これだけ枯れているようでも、潮風に耐えて、みな生きていますから

静岡県御前崎市 遠州灘海岸林これも忘れられない光景です。すごく感動しました。松くい虫ではありません。これだけ枯れているようでも、潮風に耐えて、みな生きていますから


松林がなかった右の地区と松林背後の地区では、死亡率・家屋損壊率など大きな開きが出たと、先日県庁職員も改めて言っておられました

松林がなかった右の地区と松林背後の地区では、死亡率・家屋損壊率など大きな開きが出たと、先日県庁職員も改めて言っておられました

襟裳岬海岸林にて

襟裳岬海岸林にて


まとまった記述は読んだことがありませんが、
実は100ha規模の広大な海岸林には展望台がつきものです。
私が覚えているだけでも、
●北海道 襟裳岬
(国有林内、高さ20m以上、冬季以外常時開放)
●青森県 三沢市五川目
(防潮堤沿い市立公園内、高さ20m以上、常時開放、無着陸太平洋横断の出発地記念公園。サーフィン客多い)
●青森県 屏風山海岸林
(国有林内小園地に2カ所。高台に高さ10m程度、常時開放。遭難ロシア船救助の記念碑あり)
●秋田県 能代市 風の松原
(能代港敷地内、高さ20m以上、日中開放、港湾関係者の避難用)
青森県三沢市海岸林にて

青森県三沢市海岸林にて


青森県つがる市 屏風山海岸林 その①

青森県つがる市 屏風山海岸林 その①


青森県つがる市 屏風山海岸林 その②

青森県つがる市 屏風山海岸林 その②


●千葉県 山武市 九十九里浜(保安林隣接の市立公園内、高さ20m以上、日中開放、
周囲に他に避難先ナシ)
●千葉県 富津市 富津岬(県立富津公園内に2カ所、高さ20m以上、日中開放、太平洋戦争時の遺構アリ。
明治天皇即位100周年記念事業で民間助成も得て建設)
●静岡県 磐田市 遠州灘海岸林(保安林内小園地、高台に高さ10m程度、常時開放)
●静岡県 静岡市 遠州灘海岸林(防潮堤沿い小園地、高さ10m程度、常時開放、震災後設置)
●静岡県 湖西市 遠州灘海岸林(保安林内小園地、高さ10m程度、常時開放、太平洋戦争時の機関銃砲台跡地)
蓮沼海岸公園展望台から

蓮沼海岸公園展望台から


 
千葉県山武市 蓮沼海岸にて

千葉県山武市 蓮沼海岸にて


 
 
 
 
 
 
静岡市西島地区海岸林にて

静岡市西島地区海岸林にて


 
 
 
 
千葉県富津岬海岸林にて

千葉県富津岬海岸林にて


●徳島県 海陽町 大浜海岸(防潮堤沿い小園地、高さ10m程度、常時開放)
●佐賀県 唐津市 虹ノ松原(背後の標高283mの鏡山公園に佐賀県が展望台を設置。常時開放)
●タイ南部 ラノーン県4,000haマングローブ林
(国のマングローブリサーチセンター内、環境学習・視察用に林内に木道なども設置)
時間問わず常時開放が多いのも特徴です。事実上の避難タワーを兼ねて。
宝くじ協会など民間助成も得ながら、公園として、駐車場、時計、水道、トイレ、ベンチ等とセット。
南海トラフの危険がある地域では、東日本大震災後に「津波避難タワー」として、
鉄筋性のものが続々設置されていることでしょう。
「アタマから枯れ始める松くい被害を、上から見抜きやすい」
(東北森林管理署金木支所)と実用的ですが、
いずれも建設後10年20年を遥かに超えるものばかりで、
松くい以外にも意図があった気がします。
遠足で来れるような環境が整えられています。
「将来の世代に感じてもらう場を」と思ったのではないでしょうか。

将来、今あるマツはすべてが一様に生長するわけではありません。
遺伝子の違いもあれば、同じ一角でも、柵の近くと遠く、水捌けの良しあし・・・
「劣性木」と呼ばれる木が必ず出てきます。
私の神奈川での林業労働者時代「下っ木」と呼ばれていた、
劣性木伐採は、除伐対象になる可能性もあるし、
本数調整伐(いわゆる間伐)まで待つ可能性もあります。
そのあたりは、今後の管理方針として検討されるはずです。

津波の影響を受けた枯損木。これを伐倒してから植栽基盤盛土の造成が行われる(2018年1月 青森県おいらせ町)

津波の影響を受けた枯損木。これを伐倒してから植栽基盤盛土の造成が行われる(2018年1月 青森県おいらせ町)


海寄り最前列。名取の倍の10,000本植栽、樹齢20年弱ではないかと思われる。中央の松のように、劣性木は当然立ち枯れる

海寄り最前列。名取の倍の10,000本植栽、樹齢20年弱ではないかと思われる。中央の松のように、劣性木は当然立ち枯れる


いまも復旧が続く青森太平洋側の津波被害地では、被害マツをチップ化せず、
排水溝に丸太のまま敷き詰めるなど、キッチリ「集積」していました。
「溝に集積するなら、本当は土をかぶせたほうが、溝の機能を維持できる」と
あとで佐々木統括から教わりました。
ちなみに、公共工事では、仕様書で集積の指示をすれば当然費用が発生します。
溝の崩壊を抑えるためかと思いましたが、いずれにしてもお金をかけて
林外搬出・廃棄していませんでした。
中央は枯損マツの枝条を、右は幹を排水溝とに分けて集積

中央は枯損マツの枝条を、右は幹を排水溝とに分けて集積


排水溝。マットを敷いたうえで枯損マツを活用。場所が違えば、設計者も違う。同じであるわけもなし

排水溝。マットを敷いたうえで枯損マツを活用。場所が違えば、設計者も違う。同じであるわけもなし


ちなみに、襟裳や唐津では、バイオマス工場の受け入れ体制があり、遠くでもないので、持ち込んで買ってもらうと聞きました。
目下、宮城にはその体制はなく、林外搬出すればコスト上乗せになります。
宮城でも、いずれ落枝や枯損木、劣性木の処理方針を検討することになるでしょう。
枯損木の幹は松くい虫の発生源にもなり、その駆除はもちろん、土壌の富栄養化を避け、マツの純林にこだわるならば、落ち葉も含めた処理も
必要になりますが、長期的には、むしろ広葉樹との共存という現実的な対応が
テーマになると思うし、費用的に見ても、松葉掻きや、林外搬出の選択肢は今のところ
難しいだろうと考えています。和歌山では「松きゅうり」として、松葉を利用した
野菜作りも話に聞きます。しかし松葉の肥料化は、虹ノ松原でも挑戦されていましたが、
今のところまだ、現実社会で機能したと言えない状況のようです。
大阪マラソンの会場で、iPS細胞研究所の方が名刺交換、挨拶が終わるか否かで
「松葉は何か使えますか?」と聞いてくれました。家の庭に松でもあるのか、
子どもの頃、松林で遊んだのか・・・
いずれにしても、鋭い質問だと感心しました。

「山に入って木に巻きつくツルを見たら、誰の土地だろうとその場で伐るものだ」
オイスカ職員駆け出しのころ、農業専門の上司もそう言っていました。
林業会社在職時代は、武士が刀を差すのと同じで、従業員は鉈を腰に巻くのが当たり前。
歩いて通るだけの山でも、鉈で一振りで切断。瞬殺。水がボタボタ滴り落ちます。
伐採業務では、伐ろうとする木や周りの木に絡んでいないか、毎回、本能的に確認します。
ツル絡みの見落としは、重大災害の典型的パターン。
「いいか、吉田、よく見てろよ。ずっと離れて、木の後ろに隠れてろ」
親方が、わざわざ大声で呼んでまで、伐る前から伐る途中に至るまでの気付き方、
気付いた後の伐り方、逃げ方まで教えてくれました。
事前に見抜けないことももあるので。
伐った直後は、普通に倒れず、不規則な動きをします。
上でツルが絡んでますから、ブランコのように、木の太い根元が一旦向こうに離れ、
その後、加速度をつけて伐り手に向かってきます。
もし避け切れなかったら・・・
海岸林は斜面がないから、山より危なくないですけど。

ツルマメが、かわいく見えます 

ツルマメがかわいく見えます


「なぜツルはダメなんですか?」
本部海岸林女子3人はそれぞれ、現場できちんと聞いてきました。
木の上に上るだけ上って、その周りの木も含めて日照権を占拠し、
木々の生長権を奪い、森林の弱体化につながります。
かつて材木生産を目指して植えた森林でそうなってしまうと、
林業労働者がが「ボロ山」と呼ぶ、出荷など考えられない森林になります。
道を車で走っていて、遠くの木の上でフジが咲いているのは、
管理されていないという分かりやすい指標としてみるものです。
そういう山ばかりで働いた林業会社時代でした。
見るところ、この木すべてに1本以上のツルが絡んでいます

見える範囲にあるすべての木に1本以上のツルが絡んでいます


マツはとりわけ陽樹。
日照権を奪われることは、とくに若齢林では枯死のもとです。
ですから、植栽後5年程度の下刈(つる切りは当然含む)を終えた後は、
3年に1回程度、「つる切り・除伐」を全面的に行わねばなりません。
某県で、ツルだらけの80年齢の海岸林を見ました。
自衛隊基地の関連施設内にあり、森林行政が手を出せない状況にあるのか、
それはもう、ある意味見事なツルだらけ。隣の松林はちゃんとしているのに。
こういうボロ山は、風雪害にも弱いし、害虫にも弱く、大量発生源になります。
別の某県でも、まったく整備する気がない公有地が
松くい虫の発生源になり、延長何十キロの被害が始まりました。
たかがツルなどと、まったく思いません。
つる切り。巡視と森林浴も兼ねて、ボランティアでもできると思います。

この年末年始、襟裳岬、青森太平洋側、千葉県富津岬を見てきました。
青森太平洋側では、松くい虫被害がないことにホッとし、、
枯れ木の何本かは見ることかと予想した富津では、鈴木和代さんがブログで紹介した
巨大展望台から青々茂る様子を一望して、努力の成果に圧倒されました。
千葉県も厳しい戦いがある場所です。

青森県日本海側、屏風山海岸林1,000ha。ここから遥か南で、松くい虫を食い止めているため、まだ及んでいない。最前列は50年生マツ。(2016年)

青森県日本海側、屏風山海岸林1,000haここから遥か南で、松くい虫を食い止めているため、まだ及んでいない。最前列は50年生マツ(2016年)


「松くい虫はエボラ出血熱のようなもの」
東大名誉教授の太田猛彦先生は、将来を考える私に注意喚起してくださいますが、
長年の努力の甲斐あって、北海道・青森にはまだ侵入していなかったのですが、
2015年、青森日本海側で、とうとう被害が確認されました。
同時に広葉樹に被害を与える、さらに質が悪く、対処が厳しいナラ枯れも。
カシノナガキクイムシです。
「日本には森林害虫が大まかに400種類」。
林業会社在職時代に、松くい虫駆除の作業者講習でそう聞いたことがあります。
「蔵王の樹氷が見れなくなる?」
昨年秋、蔵王の樹氷をかたどるシラビソ枯損が報じられました。
トウヒツヅリハマキです。オイスカが取り組む「富士山の森づくり」のきっかけとなった蛾です。
全国の名もないような海岸林もたくさん歩いて、見聞きしてきた7年間でしたが、
日本海側はさすがに「防風林」「防砂林」として、海沿いの床屋でも、スーパーの従業員でも
松に守られていることをわかっている人が多いと感じました。
住民参加の森林整備活動は地元でメジャーな存在とは言えなくても、知らぬ人は少なく、
不断の啓発活動の重要性を感じました。
「みんなが1年に一度でも松林に集い、何か作業をすることに意義がある」(ひだか南森林組合幹部)
太平洋側某県民有林にて。幅600mの海岸林は松くいで壊滅(2012年)

太平洋側某県民有林にて。幅600mの海岸林は松くいで壊滅(2012年)


しかし、太平洋側のある場所で、農家や住民だけじゃなく、官有地としての所有者や環境行政と
森林行政の調整が不調で、薬剤駆除が後手に回り、松くい虫被害を増長させた話も聞きました。
「どんなに懸命に説明しても、壊滅的被害を受けた後まで、ありがたみを分かってもらえなかった。
われわれも、もう知るもんかと匙を投げてしまったのも悪いんです」と行政マンは言いました。
唐津の虹ノ松原では「218haの松原で昨年度は年間で228本。住民の巡視体制・通報もあり、発見即対処」。
年間6,000人も市民が整備に参加します。「住民啓発には力を入れており、反対意見なし」。
徹底した考え方は官民で共有されており、見習うべきモデルです。
佐賀県唐津市「虹ノ松原」。我々が参考にべき、多くのものがある場所です。松枯れ、見当たりません。(2015年)

佐賀県唐津市「虹ノ松原」。我々が参考にすべき多くのものがある場所です。松枯れ、見当たりません(2015年)


宮城県では、津波に追い打ちをかけるように震災翌年に大発生。
福島や岩手でも、山に墓標が立っているような被害を見た年でした。
名取市でも「当初予算も補正予算も使い切る」と聞きましたが、いまも駆除は続いています。
名取では、数に限りがある貴重なマツノザイセンチュウ抵抗性クロマツを内陸側に分厚く配置しました。
しかし、虫もさるもの。抵抗性の効果は確約されていません。
植栽後10数年の若齢マツに被害を与えた例も国内にあります。
2020年以降のあり方を考える時、海岸林内だけではなく、
森林組合と組合員など民間協力体制による市内、周辺地域の巡視体制・徹底駆除の継続、
農協などと連携した普段の住民説明・啓発は、大前提として織り込まねばならないと思っています。
官民連携はこういうところから始まります。
西日本某県の高速道沿いの山林すべてこの状況。灰色は枯れて数年、手前の茶色が当年枯れ。松くい虫防除を根底から諦め、すべての松を食い尽くされるまで待つ方針なのかとすら思った。(2012年)

西日本某県の高速道沿いの山林すべてこの状況灰色は枯れて数年、手前の茶色が当年枯れ。松くい虫防除を根底から諦め、すべての松を食い尽くされるまで待つ方針なのかとすら思った。(2012年)


西日本某県の海岸林巨木群も、ひたすら毎年枯れ続けている

西日本某県の海岸林巨木群も、ひたすら毎年枯れ続けている

太平洋戦争を振り返る古典的名著「失敗の本質」という本を正月に読み返しました。
NHK‐BSのインパール作戦の特集も、録画してゆっくり見ました。
目的、目標を定め切れず複雑化し、知らず知らず二重の目的、目標となるということは
日常的によくあることです。難しいなと思います。実行計画云々以前に重要なことで、
大前提が複雑化することは、すべてが複雑化することに繋がると思います。
目的・目標と実行計画、そして戦略と戦術、そのあたりをよく考えて進めたいです。
我々にとって今年は、県の震災復興計画が終る2020年以降のことに踏み込む年であり、
昨年末から1月にかけて、協議の進め方について行政の合意を得ることができ、
今年度中に協議を始めることになりました。
小さな一歩ですが、大きな一歩にも思えます。
2011年、海岸林の再生に関する検討会が、1年間かけてありました。
それは森林再生の初期段階の基本方針を示したもので、
現場の我々にとっては大目的、大方針を示したものに思えました。
5回の検討会をすべて傍聴しましたが、本当に納得できるものでした。
先週、植栽完了後についても、あらためて大方針が示されるようお願いを始めました。

2015年植栽後から3年半の精英樹クロマツ裸苗。十分な支根が出てました。目下の関心の一つは根の様子です。来年度は森林総研東北支所とともに直根の動向を本格的に調べます

2015年植栽後から3年半の精英樹クロマツ裸苗。十分な支根が出てました。目下の関心の一つは根の様子です。来年度は森林総研東北支所とともに直根の動向を本格的に調べます


最近、森林管理・育成も「順応的管理」という言葉をしばしば耳にします。
もちろん、自然相手は順応が大事です。モニタリング調査は将来必ず役立つでしょう。
ただ、社会相手の場合は、変化を先取りし、対応準備を怠らないことが肝要。
震災から7年が経過しますが、世の中も、身の回りも状況は刻々と変わります。
2020年までに更にいろいろ変わるでしょう。
私たちの場合は、能動的に変化を仕掛けるぐらいの心意気でいたいと思います。
第2次アドボカシー期。各機関をつなぐ仕事が増える年になるでしょう。
10月の爆弾低気圧で盛土が少し崩れた個所で、2017年植栽後から半年のコンテナ苗の根の様子が分かった

10月の爆弾低気圧で盛土が少し崩れた個所で2017年植栽後から半年のコンテナ苗の根の様子が分かった


2017年植栽後から半年のコンテナ苗。これも根の出方は順調

2017年植栽後から半年のコンテナ苗これも根の出方は順調

こんにちは、浅野です。
和代さんのブログでもありましたが、千葉県富津市の海岸林の視察に行ってきました。
展望塔のある岬の先端のマツはこんな感じでした。

風向きが一目でわかるマツ

風向きが一目でわかるマツ


やはり、一番海側で風を受けているマツは葉が落ちています…
が、同じ木でも奥の方は緑が残っています。マツの生命力ってすごいですね。
ちょっと戻ってみると何が原因なのかは分かりませんが、火事の後が…。
火事の後

火事の後


これを見て「こういうのがつちくらげ病の原因になるんだよなー」と吉田さんが一言。
前に佐々木勝義さんからマツ林→火災→つちくらげ病の話を聞いていたので「あぁ!」となりました。
つちくらげ病は火事などで周囲の土の温度が上昇していき、病気の元となるつちくらげの胞子が一斉に飛散することで発生する病気で、感染すると集団枯損を引き起こすというものです。
いつ火事になったのか…大丈夫なのか…ちょっと心配ですね。
そこから防潮堤の方へ行き、海岸林を見ると…
海に近い方は枯れてます

海に近い方は枯れてます


ここも海に近い方は枯れていました。
これはどこの海岸林も同じですが…やはり一番前は犠牲になるんですね。
せっかくなので海を見ようと、防潮堤から見てみました。
ゴミはあるけどなかなか綺麗な水…と思ったら、保安林の看板が。
上の写真の鉄枠?から飛んだようです。
風で飛ばされたようです

風で飛ばされたようです


やっぱり海岸は風が強いみたいですね…。

こんにちは
海岸林担当の鈴木です。
吉田、浅野とともに千葉県富津市の富津岬海岸林の視察に行ってきました。
富津岬は、東京から東京湾アクアラインを通り、木更津から少し南下し、東京湾口の少し湾にせせり出ている岬で、対岸が横須賀です。
富津市の観光名所といえば ↓↓ この展望台
岬の突端にあり、明治百年を記念して、昭和48年に建設されたもののようです。
この不思議な形、五葉松をかたどっているそうな

明治百年記念展望塔

明治百年記念展望塔


幹線道路沿いにあるわけではないこの展望台ですが、滞在10分ほどの間に観光と思われる人たち30人ほどに出会いました。空気の澄んだ日には対岸の横須賀、富士山もきれいに見えるようですから、ぜひ行ってみてください。ただし、真冬の風の強い日は避けた方がいいかと・・・
展望塔の一番上に設置されている案内プレート 富士山がきれいに見えるようですね

展望塔の一番上に設置されている案内プレート
富士山がきれいに見えるようですね


岬の突端から少し離れたところに島が見えました。
明治14年から大正10年にかけて建設された砲台を備えた人工島

明治14年から大正10年にかけて建設された砲台を備えた人工島


この人工島は、富津岬から横須賀の観音崎を結ぶ東京湾口に首都防衛を目的として建設されました。展望塔の上からは、第一海堡、第二海堡を見ることができました。写真の海堡は9年間、その奥は25年間の歳月を費やして建設され、当時は、アメリカから技術提供を求められたほど、注目された技術だったそうです。
展望塔からもう一つ見えるもの
展望塔から見える海岸林

展望塔から見える海岸林


最前線の場所は風や潮の影響があまりにも強く、植物が成育するにはとても厳しい環境のため、おそらく何度も植え替えをしているのだろうと思います。
防潮堤が波の威力で壊れてしまうくらいですから、台風や高潮の時には相当なダメージを受ける場所なのだろうと思います。
コンクリートでさえ波の力で壊れてしまうのだろう

コンクリートでさえ波の力で壊れてしまうのだろう


上から見ると何も植えられていないように見えるのですが、近くに寄ってみると、クロマツと広葉樹が、1m間隔で半分ずつ植えてあり、展望塔に一番近いところは9割が枯れてしまっているように見えました。
やはり相当厳しい環境なのだろう

やはり相当厳しい環境なのだろう


クロマツがことごとく枯れている中で、マサキとトベラという広葉樹は少し持ちこたえているようでした。
マサキ

マサキ


トベラ

トベラ


 
 
 
 
 
 
 
マサキの表面には塩の結晶がついているほどの最前線の場所でも成育できるように進化してきたのだろうと思いますが、それでも植物の強さに脱帽です。
この場所での植栽を何度も繰り返した結果の樹種の選定とクロマツとの比率なのでしょう。
とはいえ、この場所で植物を育てるのは並大抵の努力ではないはずです。

匠の技

2018年2月2日( カテゴリー: 本部発 )

「海岸林再生プロジェクト」はオイスカの看板プロジェクト

これは、先日、宮城県支部の会合で講演をした海外事業部の長部長が、
プロジェクトの現場視察をした後に語った言葉です。

発芽率や活着率が100%に近い数字で、非常に精度が高い事業であり、
オイスカが国内外で展開している植林プロジェクトのモデルとなる、と。

育苗場を視察する長部長(右)と案内をする佐々木統括

育苗場を視察する長部長(右)と案内をする佐々木統括


 
長部長は、主に海外の現場を長く担当しており、大規模な植林プロジェクトも数多く手がけてきました。支部での講演でも、インドネシアやフィリピン、バングラデシュなどで取り組んでいるマングローブ植林や海岸の森づくりについて紹介。
多くの植林現場を見ているからこそ、発芽率や活着率がこれほどまでに高いことが、どれほど驚くべきことなのか、称賛に値することなのかがよく分かるのです。
 
 
 

そして長部長は、それを支えているのが、佐々木統括をはじめとする
現場の技術者たちの“匠の技”だと表現していました。

誇るべき高い技術だとは分かっていましたが、
私の口からは出てこない表現に、ちょっと感動。

その、“匠の技”ともいえる育苗・植栽の技術。
そこに丁寧な作業で育林を支えてくださるボランティアの存在があって
名取の現場ではクロマツが元気に育っていること、
もう少し丁寧に発信していかなければいけないなぁと感じました。

宮城_180124_0039

プロにはプロの技術の本当の素晴らしさが分かるのです

2025年9月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  
月別アーカイブ

ページトップへ