栗駒山にて
2018年4月10日( カテゴリー: 海岸林あれこれ )
2008年、岩手宮城内陸地震が日本百名山「栗駒山」周辺であり、
想像を絶する無数の山崩れが起きて、人命を含む大きな被害が発生しました。
当時、私は神奈川の林業会社にいました。もし自分が山で働いていたら、
まず助からないと思ったことを鮮明に覚えています。
「復旧には10年かかる」と言われたそうです。
それに対し、宮城南部の海岸林再生と同様、国有林以外もすべて国が引き受ける
「民有地直轄治山事業」が行われ、前倒しで復旧を完了しました。
国が本気で乗り出すということは、そういう怒涛のペースで進むのだと、
心の持ち様においてまで、大いに参考になりました。
2013年に初めて現場を見た印象は、労働者目線でただ恐怖感。
壮絶な仕事であることは容易に想像がつきました。
今回、震災直後、いの一番に連絡を取り、最初から行動をともにした
松島森林総合の佐々木勝義さんと、残雪の中を再訪しました。
この復旧に当たった人たちは、どういう気持ちで臨んだのか、あらためて考えるために。
そして、私たちはこれから海岸林を訪れる人たちにどう伝えるのか考えるために。
今回は2回目の訪問。前とルートを変えましたが、その結果、片方の県は充実した説明表示。
しかしもう片方は・・・あまりにも何も書いてないので、肝心な場所をスルーしてしまいました。
広報啓発、報告義務、説明責任の追求ということに、二人で意を新たにした視察になりました。
真っ二つに折れた橋、波打った国道、山崩れなどの遺構や、
各機関の技術者魂が伝わる重厚な説明表示板などが集約された場所があります。
栗駒山に来る多くの観光客が足を止めるわけではないでしょう。
ですが、各地で色々な見聞を重ねてきましたが、
私にとっては、震災後一番伝わってくるものがある場所の一つです。